第十二章 真相の尻尾
一
亮平が自殺を計ってから、ワイドショーでは再びリンの事件を大きく取り上げ始めていた。亮平は実名こそ報道されていないものの、友人知人なら誰もが一目瞭然できる報道の内容で、大学や自宅前には記者やレポーターの姿があった。
また報道によると、自殺を計った亮平は依然意識不明の重体。あと少し発見が遅ければ、亮平の自殺はその時点で成功していたということになる……。家族・友人、そして警察関係者は亮平の奇跡的な回復を神に祈る想いで待ち望んでいた。
そんな友人の一人である壮介は、興橋のはずれにある喫茶店の前にいた。壮介はしきりに喫茶店の中の様子を覗き込んでいる。
「あ、発見発見!」
そう言うと壮介は喫茶店の中へと入り、奥のテーブル席へと進んでいった。そして立ち止まったテーブル席にはタバコを燻らしてコーヒーを飲む一人の女性が座っていた。
「あら、アンタは……」
「ども、久し振りです。冴子さん」
そこにいたのは仁藤冴子だった。壮介はそう言うと冴子とテーブルを挟んで向かい側の席に座った。
「いやぁ、捜しましたよ。キューピットの方に行ったんですけどいなくて、もしかしたらこっちかなって思って来ました」
席に着くなり壮介は頭をガリガリと掻く。それを見た冴子はコーヒーカップを手前に引く。
「それは別にいいけど、何か用かしら?」
冴子はタバコを吸いながら訊ねる。すると壮介は両手をテーブルに置く。
「例の件、勿論ご存知ですよね?」
すると冴子のタバコを吸う手が止まる。そしてしばらくの間があった後、冴子はタバコを灰皿へギュッと押し付けた。
「ボタンちゃんの件のこと? 勿論知っているわよ。TVで報道されているくらいだけれど」
「自殺を計った男についてのことも?」
壮介の質問に、今度は冴子が頭を掻く。
「ああ、名前は知らないけれど……、ボタンちゃんのお客でコレでしょ?」
そう言うと冴子は親指を立てて壮介に見せる。
「まあ、そうですけどね」
壮介は苦笑いを浮かべながら、自分のポケットを探る。
「冴子さん、実はちょっと見て頂きたいものがあるんですけれど」
そして壮介はポケットから茶封筒を取り出し、テーブルの上へと置いた。
「これが何なの?」
冴子は不思議そうな表情でその茶封筒を見つめる。壮介はその茶封筒を再び手に取り、中からあるものを取り出す。
それは小さなタバコの吸殻だった。
「冴子さん、俺はタバコを吸わないのでよく判らないですが、この吸殻を見て何か気付くことはありませんか?」
「はあ……?」
冴子は突然の質問にやや戸惑う。しかしすぐに質問の意味を理解し、その吸殻をまじまじと見つめる。
「随分吸い込んだ吸殻ね。私ならここまで吸わないわ、これじゃ苦くてしょうがないわ」
ひとしきり見終わると冴子はカバンからタバコとライターを取り出し、それに火をつけた。
「ということは、これはかなり特徴的な吸い方をする人間のものというわけですね」
壮介が身を乗り出して訊ねる。
「まあそうなるわね。タバコの吸い方なんて人それぞれだけれど、ここまで短くなるまで吸う人はあんまりいないと思うわ」
「そうですか。こういうのって、男性に多いですか?」
そう言いながら壮介はその吸殻を茶封筒の中へ大事にしまう。その姿を見て冴子は思わずプッと吹き出す。
「さあ、女の子でもヘビースモーカーはいるからね。逆に図体のデカい男が軽いタバコ吸ってたりするし。あ、そうそうウチの嵯峨野なんてあんなイカつい顔してタバコが全然ダメなんだから」
冴子はそう言いながらケタケタと笑う。反対に壮介は真顔でうんうんと頷いていた。
「その嵯峨野さんですが、最近はどうですか?」
壮介の問いに、冴子は一瞬眉間に皺を寄せた。
「あっちはあっちで大変みたいよ。例の男の子が自殺しちゃっから、今度は自分の方に警察の聴取が集中しているみたい。ま、売春ブローカーで散々悪行を重ねてきたんだから、ヤキが回ってきたのよ」
すると壮介は再び身を乗り出す。
「あの、冴子さん。その嵯峨野さんと会えたりはできないですかね?」
「はあっ?」
突拍子もない壮介からのお願いに冴子は声を上げる。冴子は吸いかけのタバコをまた灰皿へグリグリ押し付ける。
「別に構わないとは思うけど、会ってどうするのよ?」
「色々聞きたいんです。リン・エイミについて。この事件を解くためにはどうしても必要なんです。お願いします!」
「はあ……」
壮介は冴子に向かって手を合わせる。それを見た冴子はやや困った表情を浮かべるが、すぐに口元は緩む。
「判ったわ。嵯峨野には声かけといてあげる。明日の夜だったら大丈夫だと思うから、明日の夜七時くらいに、この喫茶店に来なさい。会わせてあげるわ」
それを聞いた壮介は一気に破願する。
「いや~、ありがとうございます~」
そう言いながら壮介は何度も冴子に頭を下げる。そんな光景を見た冴子は一瞬ポカンとするもすぐ笑顔になる。
「全く、アンタってホント変わった男子ね」
そして壮介は席から立ち上がり、再度冴子に向かって頭を下げる。
「では、すみませんがよろしくお願いします。では失礼します」
「はいはい、判りましたよ。じゃね」
そう言うと壮介は冴子の元を後にした。入れ替わるように店のマスターがお盆にお冷を乗せてやってきた。
「あれ、帰っちゃったのかい」
すると冴子は新しいタバコを取り出す。
「ええ、ホント変わった子だわ。でもいい子よ」
冴子はそう言うと目を細めながらタバコに火をつけた。
二
その日の夜、壮介と洋は亮平が入院している病院に来ていた。二人は集中治療室の前の長椅子に並んで座っていた。
『面会謝絶』
扉の前にはそう書かれたプラカードがぶら下がっている。壮介と洋はそのプラカードを見つめていた。
「そりゃ面会できないに決まってるだろって」
洋が壮介の方を向き吐き捨てる。すると壮介もため息をつき頭を掻く。
「そりゃ、そうだわなあ……」
壮介もこの結果は想定の範囲内だったようで、その表情に落胆の色はない。むしろ「当たり前か」という様子であった。
「できたら大一番の前に一目その顔を見ておきたかったんだが……、これじゃしょうがねえか」
壮介はそう言いながら頭をガリガリと掻いた。それを聞いた洋は半ば呆れメガネを手に取り、大きくため息。
「判っていながらか……全くバカ負けだよお前さんには」
洋のため息をつく姿を見た壮介はニヤリと笑う。
「まあ、お前とも腐れ縁だな。大学に入ってからの。今回の件、とことん付き合わせちまってるな」
「もうここまで来たら乗りかかった船だ。俺もこの一件の真相ってもんを拝ませてもらわねえと、割りに合わないからな」
「ああ、随分寒空の下ご一緒してもらったからなぁ」
壮介はそう言いながらニヤニヤと笑う。それにつられて洋もニヤニヤ笑う。
そして洋の表情から柔らかさが消える。
「で、どうなんだ壮介。大一番っていうくらいなんだから、目星ついてんだろ」
すると壮介は頭を掻きながら笑う。しかしその笑いはどことなくもの悲しげだ。
「ああ、なんとなくだけれどな。まだ何とも言えない。ただ、あと少しで真相の尻尾が掴めるところまで来ているんだと思う」
そう言いながら壮介は懐からあの茶封筒を取り出す。
「萩田君が残してくれたメッセージ、無駄にはしない。決して……」
壮介はその茶封筒を見つめる。その中には亮平が壮介たちに残した物の数々が入っていた。
「明日の夜、フラワーの店長だった人と会う。そこでリン・エイミについて詳しい話を聞く。それできっかけが掴めれば……」
壮介の目には決意が漲っていた。
「明日は俺バイトが入ってて行けないけど、頑張れよ」
洋は壮介の肩をポンと叩く。すると壮介も洋の肩を小突き返す。
「でもあの店長、一時期メデイアで真犯人みたいな扱われ方してたけど、実際どうなんだろうな?」
すると壮介は首を振る。
「さあ、どうかな、あの人は犯人ではないと思う」
壮介は素っ気無く言い放った。
「そうか、お前さんが言うんだったら、そうなんだろうな。お前さんの勘は当たることで有名だからな」
洋が口元を緩めながら再び肩をポンと叩く。壮介も口元を崩す。
「うるせえよ。さ、行こうぜ」
壮介は洋の肩を小突くと長椅子から立ち上がり、出口へと歩き始める。それを追うように洋も長椅子から立った。
「う~、今夜も寒いぜ~」
病院の外へ出た二人は一気に身体を縮ませる。冬の夜の空気は澄み、吐く息は白い。
ふと壮介は夜空を見上げる。そこにはオリオンをはじめとする冬の星座の数々、
そして満月が、白く、美しく輝いていた。
「月光か……。これも萩田君が俺たちに教えてくれたことだな」
壮介が月を見上げながら呟く。
「無事でいてくれよ、萩田君……」
壮介は一度病院の建物の方へ振り向いてそう言い残し、洋と共に病院を後にした。
三
次の日の夜、壮介は冴子との約束の時間に、あの喫茶店へと訪れた。喫茶店へと入ると、カウンターに冴子ともう一人厳つい顔をした男性が座っていた。
冴子は壮介がやってきたことに気付くと席から手を振る。
「どうも、こんばんは」
壮介はカウンター席に座る二人に頭を下げる。冴子の方はにこやかに応じるが、男性の方は壮介に見向きもしなかった。
「冴子さん、この方が……」
すると冴子は笑顔で頷き、男性の肩を叩く。
「ほら、店長!」
すると男性は壮介の方を一瞥する。その眼光は鋭く、一見してその筋の人のようだ。
「この人が、フラワーの店長だった嵯峨野さんよ。こう見えてけっこうシャイなのよ」
冴子の紹介に、嵯峨野は小さく舌打ちをする。ここにいることはあまり本意ではないという様子だった。
そんな嵯峨野の様子を見た壮介は冴子に手招きをする。
「何?」
「あんまり機嫌良くなさそうなんですけど……」
壮介は冴子に耳打ちをする。すると冴子はニヤッと笑う。
「まあね、連日警察やマスコミから尋問質問責めだからね。いい加減うんざりしているのよ。ま、今回の件は私がちゃんと話つけといてあげているから大丈夫よ」
それを聞いた壮介は申し訳なさそうに頭を下げる。冴子は壮介の肩をポンポンと軽く叩き、カウンターの席に座るよう促した。
「どうもはじめまして、新谷壮介といいます」
壮介は再び嵯峨野に向かって頭を下げる。嵯峨野は壮介の方へ視線を向ける。
「…………」
ただ無言で壮介の方を見ている……否、睨みつけている。
「ちょっと今日は嵯峨野さんにお伺いしたいことがあって、今日……」
すると突然嵯峨野が大きく咳払いをした。それに壮介は思わずビクッとする。
「ああ、前置きはいいから、とっとと話始めてくれ。聞きたいのはリンのことだろ?」
嵯峨野は面倒くさそうな表情で壮介に話す。それを聞いた壮介は思わず苦笑いを浮かべ頭を掻く。
「といっても、俺が知っていることは毎日TVで流れているぞ。連日警察やマスコミに重箱のスミつつかれる思いで尋問されたからな」
嵯峨野はその時のことを思い出しているのか表情を曇らせる。
「そうですか……。リン・エイミという人はどういう女性だったのですか?」
すると嵯峨野は「またか」というような表情を見せる。
「だから、いい娘だったよ。客の反応も良かったし。でもその客とデキてたとは思わなかったけどな」
「そ、そうですか……」
壮介は頷きながら頭を掻く。それを見た嵯峨野はカウンターの上を手でパッパッと払う。
「それでは……、リン・エイミはタバコを吸いましたか?」
すると嵯峨野は壮介の顔を見る。彼にとってそれは意外な質問だったようだ。
「いやあ吸わないよ。というか吸わせなかった」
「吸わせない? 何故?」
すると嵯峨野は冴子の方をチラリと見る。それに対し冴子は視線を逸らす。
「俺、タバコ嫌いでね、臭いが全然ダメなんだよ。あとタバコ臭い娘はお客の反応も悪い。だから基本的にはうちで働いてる娘はタバコを吸わない。コイツ以外はな」
そう言って嵯峨野は冴子の背中を小突く。すると冴子は嵯峨野の肩を叩き返した。
「それじゃまるで私がお店のお荷物みたいじゃない」
「実際、指名取れてなかったろ」
冴子が頬を膨らませると嵯峨野は皮肉たっぷりの口調で返す。
「では、リン・エイミの周囲の人間でタバコを吸う人は?」
「いるんじゃねえかな。プライベートなことは細かく知らないけれど、いてもおかしくはないだろ」
嵯峨野がどうでもよさそうな顔で答える。反対に壮介は真剣な眼差しで臨んでいた。
「ちゃんと答えてあげなさいよ」
しばらくそのようなやり取りが続いた後、冴子が口を挟む。嵯峨野の投げやりな物の言い方を見かねたのであろう。
「だってコイツ、どうでもいいようなこと聞いてくるんだもんよ。こっちは同じこと何十回って答えてんだからさ」
イライラしているのか嵯峨野が声を荒げる。それを見た冴子は眉間に皺を寄せる。
「もう、相変わらずなんだから。ゴメンね、新谷君」
すると壮介は苦笑いを作る。
「いえいえ、わざわざ来て頂いているわけですから……」
そして壮介の表情が先程の真剣なものに戻る。
「ではすみません、あと一つだけ聞きたいことがあります、よろしいですか?」
「ああ……、もうこれが最後だぞ」
そして壮介は一度頭をガリガリと掻いた後、大きく息を吸った。
「警察やマスコミ関係以外で、俺の他にリン・エイミについて訊ねてきた人はいましたか?」
壮介の問いに嵯峨野は一瞬意外そうな表情を見せる。そして嵯峨野は過去の記憶を掘り起こしているのか虚空を見つめていた。
「ああ、そういえば……一人いたな。あれは、たしか……」
その後壮介は嵯峨野たちと別れ、喫茶店を出た。
この日の夜は生憎の雨模様。傘をさしながら壮介は興橋の街を行く。
「よし、見えてきたぞ。よし、よし……」
壮介は掴んだようだ。この事件の真相の尻尾を……。




