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第九章 再会


 もう日付が変わろうかという時刻……、

 壮介、洋、そして亮平はお城公園の噴水前にいた。

 この日の夜、月は出ていない。しかし噴水前には外灯が豊富に設置されているので灯には不自由しない。

 そんな寒風の吹く夜のベンチに、三人はそれぞれ思い思いの缶コーヒーを握り締めて座っていた。

「…………」

「…………」

「…………」

 潮見川からここまで壮介と洋は亮平を挟み込む形でここまで連れてきた。その間三人共無言で、亮平を二人が連行しているようであった。そしてここまで来てベンチに座ってから、まだ誰も何もしゃべってはいない。

 亮平は缶コーヒーを握り締め俯いたまま。二人のどちら共と視線を合わせようとはしない。そして壮介たちは何から話そうか必死に話を整理し言葉を選んでいる最中のようであった。

 壮介がぷるっと身震いをする。もう深夜なのでこの公園を寝床にしているホームレス以外、ここを訪れる者はいない。公園は静かで、三人の周りでは風がぴゅうぴゅうと冷たく吹き抜ける音が聞こえていた。

 壮介は一度缶コーヒーに口をつけると、それをベンチの隅に置いた。そして缶コーヒーを持っていたことによってやや温くなった手で頭を掻いた。

「あ、あのさ、萩田君……」

 頭を掻いた手を下ろしてから、壮介は遂に口を開いた。

「とりあえず、無事みたいで、よかったよ」

 壮介はそんな気分ではなかったが、必死に笑顔を作ってみせる。しかし亮平は俯いたままなので、その笑顔は視線に入ってはいない。

「色々聞きたいことはあるんだ。色々……」

 そして壮介は口元を引き締める。そして隅に置いていた缶コーヒーをぐいと飲み干した。

「まず、教えてほしいんだ。萩田君と殺されたリン・エイミとの関係を? 一体、何があったんだ?」

 壮介は亮平の視界に入ろうと必死に食い入る。しかし亮平は視線も顔も首も何一つ動かさない。

「おい、萩田君」

 洋も壮介と同じだった。亮平の顔をじっと見つめる。

「俺も壮介も、あの一件以来、萩田君がいなくなってから、ずっと、ずっと心配して捜してたんだ。壮介はこの寒い中外駆けずり回ったり、得体の知れない奴等に頭下げて話聞かせてもらったり……、ホント大変だったんだよ」

 洋は缶コーヒーを一気に飲み干し、亮平の肩を掴む。

「なあ、それもこれも全部、壮介はお前のことが心配でやってきたんだ。なあ、判るだろ? お前、壮介のダチだろ? なあ!」

 洋は亮平の肩を揺する。興奮のあまり洋のメガネは曇っていた。

 そして亮平を揺すった拍子に傍に置いていた缶コーヒーが地面に落ち、カランカランと乾いた音を響かせた。

「よせ、洋」

 洋が亮平の方を激しく揺すりはじめたので壮介はそれを制止する。

「…………」

 その間も、亮平は終始無言であった。

「萩田君……」

 壮介は頭をガリガリと掻いた。

「なあ、萩田君。俺たちは、萩田君たちを助けたいんだ」

 壮介は再び亮平の焦点の定まらない視線を追う。

「このままじゃ萩田君は犯罪者扱い。週明けにも萩田君は実名と顔写真を公開されてしまう。そうなれば最悪大学にも戻れなくなってしまうかもしれないんだ。俺も洋もそんなことにさせたくない。それに……」

 今度は壮介が亮平の肩に触れる。しかしそれはとても優しいもの。

「死んでしまったリンさんのためにも、俺はこの事件の真相を導き出したい。ここままではリンさんは汚名を着せられたまま、死んでもうかばれないよ」

 そして壮介はベンチから腰を浮かせ、亮平の正面に回る。

「萩田君、何でもいいから、教えてくれ、答えてくれ。何よりリンさんのために……」

 最後に壮介はわずかに口元を緩め、優しく亮平に訴えかけた。

 そして…………、

 亮平の両手が動いた。それに気付いた壮介は亮平の肩から手を放す。

 亮平の両手はそのまま上へと移動し、それらは自らの顔を包み込んだ。

「……ああ……」

 そしてその手の間から、声とも嗚咽ともとれない声が零れた。

「リン……リン…………」

 亮平は鼻にかかった声で何度もリンの名を呼ぶ。それを聞いた壮介と洋は顔を合わせる。

「萩田君。話してくれるね……」

 壮介は優しい口調で亮平に訊ねる。

「…………」

 亮平の声が止まる。無言だが、二人はそれを「OK」の合図と汲み取った。


 

「俺はこう考えている」

 壮介はベンチに座り直し、亮平に向けて話し始める。

 亮平は依然として両手で顔を覆っている。

「萩田君と殺されたリン・エイミは知り合いだった。否、それ以上の親密な関係。例えば……恋人」

 壮介はいきなり核心をついてくる。これは壮介がずっと考えていたこと。リン殺害の直後に警察が亮平の元を訪れたこと。そして殺害現場に置かれていた花束は亮平が持ってきていたということを総合すれば、この核心はおのずと導き出される。

「どこでどういう風に知り合って、そういう関係になったかまでは俺には判らない。でもそうなんじゃないかな? 少なくとも、とても親密な関係だったことは間違いないんじゃないかな?」

 壮介は先程のように優しく話しかける。

「…………、壮介……」

 両手で覆われた亮平の顔、その内側で口がかすかに動いた。寒風にかき消されそうな小さな声で、亮平は呟いた。

「萩田君……」

 壮介と洋は同時に亮平の名を呼ぶ。すると亮平は顔を覆っていた両手を静かに下ろした。

 この時、二人は久し振りに亮平の表情をまじまじと見た。亮平の顔は少しやつれ、そして目の下にはクマができている。お世辞にも健康的な表情とはいえないものだった。

「壮介、洋……、今まで心配かけて、すまなかった……」

 亮平は伏せたままの顔をさらに伏せた。そして視線を壮介・洋の方へと動かした。

「壮介、お前の言うとおり、俺とリンは恋人……だったんだ」

 亮平は喉から搾り出すような声で二人に話す。疲労からか、その声はもう擦れてしまっている。

「俺のことを調べていたんなら、前の彼女のことも知っているよな?」

 亮平の問いかけに、壮介と洋は深く頷いた。

「きっかけは些細なケンカだった。それがいつまでも俺の中で引きずられていて、結果、別れることになったんだ」

 この頃から亮平の声に変化が現れる。その声は擦れながら、次第に震え始める。

「それからしばらく、俺は荒れていた……。それを紛らわすために酒にパチンコに競馬……果ては前までは全然興味もなかった風俗店にも入り浸るようになった。もう滅茶苦茶だった……」

 そして亮平は再び両手で顔を覆い、大きなため息をつく。その姿を壮介と洋は視線を切らずに見つめる。

 ここで洋が何か口を挟もうとするが、壮介はそれを無言で制止する。

「そんな時、あの店でリンと出会った。優しくて、優しくて……。ボロボロに落ちぶれちまった俺は、地獄で天使に会った気分だった。俺はそれ以来リンにのめり込み、ずっとリンの元へ通い詰めた。そのうち、リンも俺のことを……」

 ここまで言い終わると亮平はフーッと再び大きなため息をついた。

 ここで壮介が口を挟む。

「そして、リンと個人的な交際を始めたというわけ……?」

 すると亮平は無言で小さく頷いた。

「お互いの都合で、なかなか会うことはできなかったけれど、会えればとても楽しかった。嬉しかった。とても癒された……。真っ暗な闇に一つの灯がともったような、そんなカンジだった」

 亮平は両手で顔を覆った状態で話し続ける。その声は小さく、そして擦れている。

「なのに、なのに……何で、何でこんなことに……」

 項垂れる亮平の姿に壮介は頭を掻く。

「判った、萩田君。ありがとう」

 洋はまだ何か言いたそうな様子だったが、壮介は無言でそれをたしなめる。

 そして壮介は再び頭をガリガリと掻く。

「あともう一つ聞きたいことがある。いいかな?」

 壮介の問いに亮平は無言。壮介はそれを「OK」と解釈した。

 そしてもう一つの核心に触れる。

「萩田君は、リン・エイミを殺した人物を、知っているね?」

 壮介がそれを言い終わった瞬間、亮平はガバッと顔を上げ憔悴した表情で壮介を睨み付けた。

 その時、またしてもぴゅうと冷たい風が三人の周りを吹き抜けていった。



「そ、壮介……」

 亮平は壮介の顔をじっと睨む。瞳は潤み、口元はプルプルと震えていたそんな亮平の表情を、壮介は表情を変えずに見つめる。そして洋は壮介の言葉に、豆鉄砲を喰らったような表情をしていた。

「萩田君、もう一度聞くよ。リン・エイミを殺した人物を、知っているね?」

 最早亮平はその動揺を隠せないでいる。壮介の言葉により、さらにその口元は震えた。

「そ、壮介。お前何言ってんだよ?」

 壮介と亮平は向かい合って無言のまま。それに洋の言葉が割って入る。

「洋、勿論これは俺の推測だ。何の証拠もない。でも、何かそんな気がするんだ」

「そんな気がするって、お前……」

 壮介の言葉に洋は呆れた表情を浮かべる。単なる思い付きや想像の次元の話で、壮介はここまで突拍子もないことを言ってのけたのだ。しかし洋はそんな突拍子もない話を無視することはできなかった。

 何故なら、壮介はその突拍子もない推論で、過去に難事件の解決の糸口を導き出してからであった。

「萩田君、どうなんだ? 君は、知っているのか?」

 壮介は亮平に問い詰める。

「…………」

 亮平の口元は震えているが、そこから言葉は出てこない。

「萩田君、これはあくまで俺の推測だ。間違っていたら謝る」

 壮介は一度頭をガリガリと掻き毟ってから話し始める。

「君が姿を消してしまったのは、参考人の身分である自分に警察の目を向けさせるためなんじゃないかなって、俺は思っている。何故そんなことをする必要があるのか? その理由として一番判りやすいのは、萩田君がリン・エイミを殺した犯人を知っていて、そして……」

 そして壮介の目に力が入る。

「そして、その犯人は、萩田君の知っている人なんじゃないかって……」

 その時だった、

「うわわああああぁぁぁ!」

 突然亮平はベンチから立ち上がり猛然とその場から走り去ってしまった。

「な、な、な……」

 突然のことに洋は呆然としている。しかし壮介は冷静だった。

「待って、萩田君! 洋、追いかけるぞ!」

 言うより早く壮介も走り出していた。

「おい、待てって!」

 そしてワンテンポ遅れて洋も走り出す。

「萩田くーん! 待つんだ!」

 壮介は真夜中の公園で亮平の背中を必死に追う。亮平はとんでもないスピードで逃げ去ろうとしている。壮介は亮平の背中を闇の中に見失わないよう、瞬きもせずに追う。

 しかし、それも長くは続かず、外灯もない闇に包まれた公園で結局亮平を見失ってしまった。

「あ~、しまったなぁ~!」

 完全に見失ってしまったことを悟った壮介は、息を切らせながら頭をガリガリと掻き毟った。

「お~い、壮介、どこだ~」

 遠くで洋の呼ぶ声が聞こえる。壮介はそれに反応し、洋を自分の元へと呼んだ。

「ダメだったのか?」

 はあはあと息を切らせながら洋が訊ねる。壮介は無言で首を振った。

「萩田君……」

 途方に暮れた壮介は漆黒の空を見上げる。


 この日の夜は月が出ておらず、ただただ真っ暗闇であった。


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