青い珊瑚礁
人間は昔より夢見ることが少なくなっただろうか。いいことだと思う。インターネットの中に様々なものを実際に見られるようになったということなのだから。夢よりも虚像が多くなったともいえる。
昔の日本人は象を見たことがなかっただろう。今の日本人は動物園へ行けば実物を見ることが出来るし、出掛けなくても好きな時にインターネットで象の姿を見ることが出来る。
珊瑚礁を見たことがない。日本にもあるらしいが、私は実際には見たことがないのである。
しかし、見たことがないものでも、写真や動画で見ることができる。インターネットの中で、それは好きな時に好きなだけ、気が済むまで見ることが出来るのである。
それで私はまるで実際にそれを見たことがあるかのように、頭の中に珊瑚礁のイメージを広げることが出来るのである。まるで、本物の記憶のように。
実際に珊瑚礁を見る日が来たとして、それを見て私は言うのだろうか。
「インターネットの動画で見た通りだね」
この景色あの動画で見た通りだ、と。
未だ見たことのないものはたくさんある。見たことがないけど知っている。オーロラ、グランドキャニオン、宇宙……などなど。
それらを実際に見ても、私は言うのだろうか。
「インターネットで見た通りだね」
今までにそう言わなかったものが、少なくとも私には二つある。
一つは富士山、もう一つは台北101だ。
富士山を初めて見たのは10年も前ではない。
西日本からほぼ一歩も出たことがなかった私は、仕事で車を運転しながら、高速道路上で初めてそれを見た。
東名高速道路を東へ向けて走っていたら──
突然、目の前に、左右を壁に遮られて、どーん!とその雄姿を出現させたのだ。
富士山を額縁に入れて見せるような、うまい高速道路の作り方だなと思うと同時に、感動した。
「富士山、でかっ!」
思わずそんな声が出た。
台北101は超高層ビルの名前である。
台湾に行く前からインターネットの写真や動画でいくらでも見ていた。
地下鉄の駅を降り、地上へ上がり、振り返るとそれがあった。
でかかった。信じられない光景だった。
巨大ロボを実際に目にしたような、そんな感動があった。
そしてこれはもちろん、文章では伝えられない。伝えられるとしたら、それを見た時の私の心の動きぐらいのものである。
どれだけでかいかは「自分の目で見てください」としか言うことは出来ない。
インターネットの中にちんまりと見ていたものが、自分を包むほどにでかくなった時に、私は「インターネットで見たのと違う!」と言うのだろうか。
ということは、そのうちVRとかが進化すれば、そう言わなくなるのだろうか?
芸能人のライブに行ったりした時、モニターの中でしか見たことがなかった人間を目の当たりにして、『インターネットで見た通りだ』と思うだろうか?
私は、思った。
思いながらも同時に、違うことも感じた。
『あの芸能人から私、見られてる。恥ずかしい』
緊張したのである。
相手にも目がある場合、一方的に見ていたものが、こちらも見られる状況に変わる。
何が言いたかったのか既にわからなくなってしまったが……
珊瑚礁を実際に見た時、私の中に感動は生まれるだろうか?
珊瑚礁の海に入ってみた時、「インターネットで見たのと違う!」と思うのだろうか?
珊瑚に膝が当たって怪我をして、「インターネットと違う!」と痛がるのだろうか?
なんにしろ青い珊瑚礁、松田聖子のデビュー曲だと思っていたら違った。