じじいとじいじ
『じいじ』と『じじい』、どっちが好きですか?
『じじい』と『じいじ』はどちらも『おじいさん』に対する呼び方ですよね。
でも『い』の位置が違うだけでニュアンスがまったく違う。
『大好きなじいじ』だと、お孫さんがおじいちゃんのことを親しみを込めて言ってる感じがしますが──
『大好きなじじい』になると、悪い人が金ヅルにしている老人をそう言ってる感じになります。
「いつも優しくて大好きなぼくのじいじ」
「また競馬でスッちまったんだよ〜。な、5万でいいから都合してくんねーかな? おーっ、ありがとよ! 大好きだぜ、じじい」
みたいな……。
でも『じいじ』にはちょっとベッタリしすぎた気持ち悪さも感じるという方もいらっしゃるようです。
「ぼくのじいじは優しくてかっこよくて、世界一のじいじなんだ」
そう小学生の男の子が言ってるのは、じつはじいじにそう言わされてる──つまりはじじいに洗脳されてる感じがする……
「ほほほ、孫よ。照れるようなことを言うな」
「じいじは昔、若い時、カブトムシを捕まえるのが凄くうまかったんだよね?」
「ウフフ。そうでもないが、1日に軽く500匹は捕まえておったぞ」
「すっごーい、じいじ」
「(ククク……。信じとる、信じとる♪)」
みたいな。
逆に『じじい』のほうが親近感があるというか、気安さがあっていいという方もいらっしゃるようです。
「おい、じじい! 早よメシ食えや! 一緒に遊びに行くんだろが!」
「まぁ待て、クソ孫。メシぐらいゆっくり食わせろ」
「……ったく、これだからオイボレはよー……。早く早く! カブトムシ採りに連れてってくれよー!」
「カブトムシは逃げやせんわ。おまえこそそのせっかちな性格直せ、クソ孫」
そして二人はじじいの運転で山へ出かけました。
「ワクワクすんな、じじい!」
「ワシのほうがたくさん捕まえるぞ、クソ孫」
「負けるかーっ! 俺のほうがたくさん採るわ!」
「ほほほ……、ワシに勝てるかな?」
「俺たち、いいライバルだよな? じじい」
「そうじゃな、クソ孫。ふふふ」
なんかじつはとても仲良さそうな気がする……。
もちろん『ばぁば』と『ばばぁ』も同様ですよね。
『ばぁば』はなんだか柔らかくて、育ちがよさそうな感じがするけど、『ばばぁ』だと見下したような、乱暴な印象になります。
『ばぁば』はなんだか高級住宅街にでも住んでそうな感じですが、『ばばぁ』は妖怪が出そうな平屋に住んでそう。
『ばぁば』は「ホホホホ」と笑いそうな気がするけど、『ばばぁ』は「ヒヒヒヒ」と笑いそうな感じ。
良いイメージがあるのは『ばぁば』、悪いイメージなのが『ばばぁ』。
だからこそ創作の中ではそのイメージを反転させたりしたら面白そう。
豪邸に住んでる『ばぁば』がじつは世界中に悪いウィルスをばらまこうと企んでる怖い人で、
平屋に住んでる不良の『ばばぁ』がじつはその野望を阻止するために人知れず活躍してる正義のヒーローだとか。
「ホホホホ……。この世を地獄にしてあげるわ。皆さん、楽しみに待ってらしてね」
「ヒヒヒヒ……。ばぁばめ、このスーパーばばぁがそうはさせんぞいっ!」
ことばにくっついてる社会的な『イメージ』から、ことばを自由にしてあげるのが創作の役目なんじゃないかとか、
私は思いますが……
でも……
私は歳をとったら『ばぁば』でも『ばばぁ』でもなく、ふつうに『おばあちゃん』と呼ばれたいなと思います(*´艸`*)
それだけのお話でした。




