谷川俊太郎先生ほどの方が亡くなったというのに
11月の中頃だったか、日本三大詩人の一人と謳われる谷川俊太郎先生が老衰のため、亡くなりました。
私は吉増剛造派なこともあり、とりたてて先生について書くようなことも持ち合わせていないので、誰かが追悼エッセイを書くのを待っていたのですが……
検索もしたけど一件も見当たらねぇ……。
──ので、現代詩好き代表として、不肖私ごときが書かせていただきます。
谷川俊太郎先生は、私たちが生きていることを言葉にしてくださった方でした。
自然や生活、ふしぎな世界や下ネタも含めて、無邪気な子どものような視線で、私たちが生きていることをとらえ、言葉に無邪気な生命を与え、踊らせてみせてくださいました。
先生の詩を読むと、世界がぱあっと明るく開けたような感覚があります。
朗読も重々しくなく、キャッキャと喜ぶ子どもを見てるみたいに微笑ましくて、生きてるって楽しいなと思えてきます。
私は『ロックな吉増剛造さま』、『文藝春秋っぽい田村隆一さま』、そして『NHKっぽい谷川俊太郎先生』と思っておりますが、NHKが似合いながらもそんな枠にはけっして収まらず、底の抜けた谷川先生のことを心から尊敬しておりました。
平易な、そして優しいひらがなで、私たちが生きているこの世界を歌われた谷川先生は、『じぶんがうまれる前にも』『わたしがいなくなったあとにも』世界はあると仰いました。
ですがあなたがいた世界と、あなたがもしもいなかった世界では、現在はきっと変わっていたことでしょう。
どうか、あなたがいなくなった世界の中でも、いつまでもかわいい笑顔を見せ続けてください。
永遠に。
誰もしらないここだけのはなしをリズミカルに歌っていてくださいね。