作者の人間性と作品には関係がない
昔、詩のサイトの常連をやっていた時、同じサイトに問題児くんがいました。
とにかく言動が失礼で、偉そうで、自分の言うことこそ絶対! みたいな若い男の子で、みんなから笑われていました。顔も見たことありますが、すごく生意気そうなクソガキという印象でした。
作品の批評もしていたのですが、ある時誰かが彼をからかうつもりで田村隆一さまの有名な詩を『自分が書きました。批評お願いします』といって投稿し、彼を名指ししたことがありました。
彼は批評しました。
『くだらない詩だね。カッコつけてるだけだ。誰に届くと思ってるんだろう? こんなものは歴史に残らず一瞬で流されていくゴミだ』
まんまではありませんが、そんな内容の批評をしました。
みんなが嘲笑いました。
田村隆一さまの歴史に既に残っている名作だと明かし、『こんな名作も知らんのか』『おまえに批評眼がないことが証明されたな』みたいに寄って集って叩きました。
彼は言いました。
『正直に感じたことを言っただけ。タネ明かしをされても変わらない。俺はクソ批評家どもが持ち上げて決定した作品の価値よりも、自分の眼を信じる』
そのサイトで一流批評家と言われていたあるひとがそれを聞いて手を叩きました。
『そうだよな! 君の言うとおりだ! 自分の眼を信じないやつに批評などできない! また、若いやつはそうであるべきだ!』
そのひとだけが、彼を褒めました。
私はというと、問題児くんに対して反感をもってはいましたが、正直田村隆一さまのその詩の良さがちっともわからないと思っていたので、『うんうん』とうなずき、彼と問題児くんに同意しました。
問題児くんは言動はひどいものでしたが、明らかに才能はありました。
彼の書く詩にはいちいち光るものがあり、若さゆえの勢いのよさと研ぎ澄まされた無駄のなさがありました。
私は若かったこともあり、彼にライバル心を燃やし、ことあるごとに彼に戦いを挑みました。
詩の闘技場みたいな場所があり、そこで誰かが『対戦者求む!』と声をあげたら、そのひとと戦いたいひとが手をあげて、一対一で詩を一編ずつ投稿しあい、審査員で参加したひとたちに勝敗をつけてもらっていたのですが、
彼が闘技場にあがったのを見ると、私はいつも殺る気マンマンで対戦者として名乗りをあげました。
彼を嫌っているひとがほとんどでしたが、詩の評価に関しては公平でした。投稿は匿名で行われたのですが、私と彼の作風がまったく違うので、どっちが彼の作品なのかはバレバレでした。
それでも大抵いつも彼が勝利しました。
問題児くんは言動が失礼で、チョーシこいてて、自分の考えを絶対に曲げないやつで、私は彼の人間性が大嫌いでした。みんなと一緒になって嘲笑ってやったこともあります。
でも彼の才能は本物でした。
あれから約20年。その後のことは、私はネット詩界を離れたので直接は知らないのですが、調べると彼は『ネット詩界のトリックスター』と呼ばれ、今でも結構な有名人であるそうです。
最近は小説を書いているそうですが、どこで読めるのかを知りません。もしかしたら『なろう』にいるのかも?
とにかく、彼の人間性は少なくとも2010年代までは変わらず無礼な暴れん坊だったようです。
でも彼の書く詩は美しく、研ぎ澄まされた感性に満ちたものでした。
作者の人間性と作品には関係がないのか──
あるいはああいう人間性だからこそ、他人とは違った、突出したものが書けたのか──
それはわかりません。




