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『愛せないものの側は黙って通りすぎよ』の意味

私はニーチェの創った人物『ツァラトゥストラさん』の弟子です

 私はツァラトゥストラさんの弟子を自認しています。


 大学生の時、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った(岩波文庫)』を読み、頭の上に雷を落とされました。


 影響されすぎて、そこから人生がおかしな方向に行ってしまったのですが……そのことは置いといて、


 ツァラトゥストラさんの名言(あの本の中身は名言だらけですが……)の有名なものに、次のようなものがあります。


 『愛せないものの側は黙って通りすぎよ』


 これをネットで検索すると、大抵『キライなものにいちいち関わってると自分が卑屈になる』とか『反りの合わない人と友達になる必要はない』とか『ルサンチマン(復讐感情)を育てないよう、キライなものとは距離を置け』みたいな意味に解釈して書かれてあります。


 うーん……。


 私が思ってるのと違う。


 ちょっと違う。



 私の解釈を書いてみよう。

 うまくまとめられる自信はないけど……






 ツァラトゥストラさんは山の上で『新しい認識』を喰らい、その喜びに動かされて山を駆け下ります。

 途中で旅人に会ったり、街へ下りて大勢の人に囲まれたりしながら、その新しい認識『神は死んだ』を語ります。

 神は死んだんだから、人間は自由に自分の目でものを見て、自由に認識してよいのだ! みたいなことを民衆に語りました。

 でもみんなはツァラトゥストラを嗤うばかり。何を説いてもまともに聞かず、神を信じる自分らのほうが正しいのだという頭を頑なに崩さず、みんなでツァラトゥストラをバカにします。


 ここでツァラトゥストラさんは『私は彼らに語る口ではない』と気づき、旅に出ます。


 作中には出てきませんが、どうやら彼には使徒が何人も出来たようです。

 まぁこの作品が新約聖書のパロディーですから、使徒は必要な登場人物です。

 でもツァラトゥストラさんは彼らに『お前たちが【私はツァラトゥストラを知らない】と言った時、初めてお前たちを弟子だと認めよう』みたいなことを言います。

 あくまでも自分の目でものを見よ、みたいな感じです。

 だから私も自分の目で見てものを言っています。正直うろ覚えなのでツァラトゥストラさんがほんとうにこんなこと言ったっけ? と、怪しいことをここで白状しておきます。


 うろ覚え(←強調しとく)なのですが、ツァラトゥストラさんが友達になりたくないキライな民衆にいじめられた時に口にしたのは『私は彼らに語る口ではない』でした。

『愛せないものの側は黙って通りすぎよ』を口にしたのはずっと後のことです。

 ツァラトゥストラさんが愛せなかったものとは何でしょうか?

 反りの合わない友達?

 キリスト教?

 ニーチェはキリストを徹底的にバカにしましたが、じつはキリストをとても愛していた人で、愛しているからこそスルーせずに破壊しようとしたように私は解釈しています。

 大体、『通りすぎよ』なのに相手にしまくってる時点でツァラトゥストラ(ニーチェ)さんがキリスト教や当時のヨーロッパキリスト教社会を愛していたことは明白です。


 私の解釈としては、ツァラトゥストラさんはすべてのものを愛していました。

 作者のニーチェさんも、尊敬していた作曲家のワーグナーさんを後に『キリスト教のイヌになりやがった!』みたいにこき下ろしたのも、ワーグナーさんを愛していたからだと思うのです。


 彼の攻撃は愛の反動でした。

 愛が裏返って『ムキー! 大キライじゃ!』に化けたのです。


 では、『愛せないものの側は黙って通りすぎよ』とは、どういう意味か?


 ツァラトゥストラさん自身について言っていることばではない、と私は解釈しています。

 ツァラトゥストラさんみたいな超人をめざす強き者ではなく、いたらない弟子たちに言ったものだと思います。


 キライなものとは、理解できないものだと、私は思います。

 良さが理解できない、自分の考えや常識と違う、そんなもの。

 いわば『自分の正しさを覆してくれそうなもの』なんだと思います。

 それがもし正しかったら、自分は正しくなかったということになってしまう。だから、キライ。だから、攻撃したくなる。


 それを攻撃して、撃破したなら、自分の正しさに自信がもてる。そんなもの。


 でも、結局理解はできてない。


『理解できないなら理解できないままスルーせよ』とツァラトゥストラさんは言っているのだと私は解釈してきました。


 もちろんツァラトゥストラさんのことばには多義性がありますので、冒頭に上げたネットの解釈が間違いだとは思いませんが、

 私の解釈は上のようなものでした。

 理解できないものが偉そうだったり、自分より物をわかってそうだったら、ムカついてキライになる。

 キライになったら復讐感情が生まれて、絶対にそんなもんわかってやんないぞ、わかってたまるかみたいになって、つまり結局わかるチャンスを失ってしまう。

 だからこそそこはスルーして平常心。

 平常心で、キライなことばを頭の片隅にでもとどめて生活していれば、いつかはわかる時が来るかもしれない。

 キライになったら喧嘩してしまうけどそんな何も産まないような喧嘩はしないほうがいい。くだらない、意味がない。


 そんなふうに私は解釈しているのですが……


 違うかなあ(*´ω`*)




 まぁ、私は『ツァラトゥストラを知らない』と言える弟子ですので!


 自由に自分の解釈を言ってみました\(^o^)/



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― 新着の感想 ―
[良い点] 中々おもしろく妥当に思える解釈でした♪ [気になる点] 結局、超人にはなれなかった人やからなぁ………… [一言] 面通す虎は幸逝った! Ω\ζ°)
[良い点] キリスト教徒は頭が固すぎる( ´艸`) ここみさまの解釈の方が好きです~(≧▽≦)
[一言] なるほど。 みんな理解できないものを許せないからざまぁがはやるのか。 何か腑に落ちた。
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