スランプ脱出への道
エッセイというか決意
個人的に6月頃からずっと激しいスランプを感じております。
それでも作品はぽんぽんと投稿しているので、『どこがスランプやねん!』とツッコまれそうではありますが……自分がスランプだと思えばそれはスランプなのです。
1、書いてて止まる、嫌になる
2、物語を構想してもラストまで浮かばない
3、自分で納得して満足できる作品が書けない
以上のことから自分はスランプなのだと感じています。
あ、もうひとつ。
4、書き上げて自分で『これはいいんじゃね?』と思った作品ほどポイントがつかない
これもありますが、これは自分ではどうにもできませんし、3と矛盾するような気もするので、3の中に含めることとします。
私は『これが言いたいんだ!』みたいなことなく作品を書いているのですが、最近特に自分の書いたものを読み返して『結局何が言いたいの!?』みたいに思うことが多いです。
まぁ、言いたいことがないので、そう思うのは間違いなのですが……
でも他人の目で読んでみると見えてくるものがある。
私は単に『こんな世界、面白くね?』みたいなつもりで書いているのですが、それにしても中心点がないと読書さんは『いや、結局何が言いたいの!?』ってなるんです。
中心点さえあれば、意味のわからないものを読まされても、『これってこういうことかな?』みたいに思ってくれる。
そう、中心点。
それがない。
それがないのはなぜだ?
私がプロットというものを書かないからではないだろうか?
詩を書いていた頃、私にはいつもしているやり方がありました。
いきなりは書き始めない。
必ず詩想を練り、どんなことばを景色に変えたいか、どんな景色を面白いことばにできるか、それらをまず材料として集めました。
そして書ける! と思っても、それでもすぐには書き出さず、必ずまずはとても短い一行の文章を、あらすじのように書き出しました。
たとえば恋の遍歴をレモン汁にたとえる詩を書いた時は、
『が、りり。がり、り。がりりは成功しておしっこの色』
他人が読んでもわからない意味不明なあらすじですが、自分にとってはこれがすべてを要約した『中心点』です。ここまで来て初めて『書こうとするもの』の全体が掴めました。
これをすると書き始めるまでに最低でも3日はかかりました。
とにかくなんか書きたいという時にはとてもまだるっこしい作業です。
『なろう』ではとにかくなんか書きたいものを書くのが楽しかったので、こんなことはしていませんでした。
でも、自分の満足できるものを書くのがやっぱり一番楽しいと思う。
これから私、プロットを書きます!
書き方を知らないので、他人が見たら『なんじゃ、これ』と言うようなものになるとは思いますが、私にとっては中心点をがっしり定めるものになるはず。
書いてて自分でもどうなるのかわからないのも大好きなので、そういうのも平行して書くと思いますが、それは『失敗作品集』にまとめることにします。
『イタチのかわいさが描きたい』
『ほんとうの敵は上司のオッサンだった』
『バカと天才は紙一重とか言われるけどそう言える一般人って素敵だと思う人と嫌悪する人がいるらしい世の中どーでもいいのが正義ってことはないよね? とか打ち明けてみる』
こんな感じのプロットがあれば、中心点が定まって、ビシッ! と作品が締まるはず。
とりあえず一行目からいきなり書き始めるのをやめて、心の設計図に従って書くことを始めてみます。
『何かに従うのなんてゴメンジャー!』みたいになる可能性もあるけどな。
でも詩の時は出来ていたことなので、小説でもそれをやってみようと決めました。
応援してください。