煽られない考え方
煽られないために必要なのは『走り方』ではなく『考え方』である。
『車を運転していて、しょっちゅう煽られてる』と仰る方がいらっしゃる。
世の中にはそんなに煽るドライバーいわゆる『アオラー』がたくさん存在しているのだろうか? と不思議に思うほどである。
ちなみに私は乗用車にはピンク色の軽自動車という、いかにも煽られそうな車に乗っているが、煽られるなどということはほんのたまにしかない。
煽られたら先に行かせているが、大抵アオラーというのは前に行ったら遅くなるものなので、追い越し返すなりすれば二度と煽ってくることはない。
煽られないために必要なものとは何か?
煽られないための『走り方』なのであろうか?
いや、違うと私は思う。
思うに、必要なのは煽られないための『考え方』なのである。
ぶっ飛ばしていれば煽られないものだろうか?
ぶっ飛ばす人はむしろ煽られるものだと私は認識している。
類は友を呼ぶという意味でもあるが、主な理由としてはぶっ飛ばす車は大抵、列に並ぶのが下手だからだ。
ぶっ飛ばせば必ず前の車につっかえる。つっかえた時に、ブレーキを踏んで前の遅い車よりも遅くなってしまうのがぶっ飛ばす系の下手くそさんなのである。
列に並ぶと誰よりも遅くなるので、後ろから『はよ行け』とせっつかれる。
そういう時に逆ギレしてさらに速度を落とす。後ろはさらに詰まる。それを煽られていると勘違いしてどこまでもスピードを落とすのがぶっ飛ばす系の下手くそ。自己中的な考え方しか出来ないから煽られるのである。
遅すぎれば煽られるのであろうか?
遅すぎるならずっと左側車線を走るか、譲れる場所で譲ればいいだけのことである。
後続に金魚のフンのごとき大行列が出来ていても、『自分は安全運転をしているから正義だ』『スピードを出したがってる後ろのバカどもが悪い』と考えるようなドライバーは煽られやすいように思う。あるいは『譲ったら負け』などという考え方なのであろうか?
私が滅多に煽られないのは単に交通全体のことしか考えないからである。
それはべつに周囲がぶっ飛ばしているから私もぶっ飛ばすとかいう意味ではない。
自分がどう動けば交通全体が安全かつ円滑になるか、それしか考えないのである。
自分より速い車は先に行かす、後続が詰まらないよう、速度変化の大きな車が前を走っていたらさっさと追い越すか車間距離を広めにとって悪影響を吸収する。
また感情が運転に現れないよう、平常心を心がけている。
脇道などから本線に入る時には、入ろうと思った車を1台やり過ごし、その後ろに入るようにしている。
行こうか迷った時には、待つ。
本線の流れに影響を与えない動き方を心がけていれば、煽られるなどということはまずない。
何より後ろに車がいなければ煽られようがないのである。
他罰的な考え方をしないようにも心がけている。
何があってもすべて自分が悪いと思うようにしている。
正義なんてどうでもいい。
道路交通は自然現象だと考えるようにしている。
前にいきなり車が割り込んできたところで、風で桶が飛んできたとでも思えば腹が立つことはない。予測して、ひらりとかわすだけだ。
後ろから強い風に飛ばされて石ころが飛んできたら、これもかわす。石ころに対して正義の反抗などしても意味はない。
とにかく、しょっちゅう煽られるという方は、『走り方』ではなく『考え方』を変えてみられることをお勧めしておく。