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亀田 -04-

 その日の休憩時間、僕は気まぐれに、いつも向かう屋上ではなく、地下へ向かうための階段へと足をかけた。この回廊の一番下の階には強化ガラスが一面に填め込まれた海中庭園がある。


 オトヒメが帰島した日に、水中で行われる接岸を好奇心から見物に行った時に偶然竹下と会って以来、三分の一の確率で休憩時間に利用している。

 我ながら何ともわかりやすいと思うのだが、こればかりはしょうがない。英国の格言で『戦争と恋愛には手段を選ぶな』って言ってたし。 …… ここは日本だけど、色恋沙汰に国境はないはずだ。多分。

 もっとも、僕の恋愛はとっくに神様からは見放されているらしく、あれ以来一度も竹下と遭遇したことはない。僕の涙ぐましい努力は一切認められないようだ。


 しかし、その日は違っていた。

 僕が海中庭園へと踏み込めば、薄暗かった庭園にぽうっと街灯が光りを強め、公園の散歩道を浮かび上がらせた。


 僕は迷わず巨大スクリーンへと向かう。既に日が暮れており、巨大スクリーンは紺藍に沈み、まるで鏡のように街灯の明かりを映し出し、ガラスの向こうに続く果てのない道を描き出していた。


 ついているのかいないのか、僕はスクリーンの正面にあるベンチを見下ろし困惑する。


 僕の視線の先には、竹下が無防備にもベンチの手すりに身を持たせ、小さく船を漕いでいる。彼女が手にした保温カップが今にも滑り落ちそうだ。僕は彼女の手からそっとカップを取り上げ、隣へと置いた。


 見下ろしてみれば、高校時代よりも、綺麗になった気がする。男の僕にはよくわからないけれど、化粧が施されていているせいかもしれない。長い睫に少しだけ不自然な色が乗せられた瞼。整えられた眉は、あの頃よりも幾分か細い。


 それでも無防備な寝顔はあの頃の幼さを再現し、僕を切なくさせた。

 柔らかそうな髪が彼女の頬にかかっていて、思わずそれを梳きたい衝動に駆られる。僕はそれをぐっと押しとどめた。


 あまりにも無垢な寝顔を盗み見るのは、失礼だと解っているけれども、僕は目をそらすことができない。


 ふと、彼女の小さな唇が震えた。

 寝言だろうか、竹下はもごもごと口の中だけで、小さく呟く。優しい夢を見ているのだろう。彼女は少しだけ口の端を持ち上げ、笑みを作った。それは、高校時代に竹下が古田にだけ向けていた類の笑みで、古田が居なくなってからは、見ることが叶わなかったものだ。なによりも。


「…… 千代子、」


 はっきりと僕の耳に届いた単語はそれだけだった。

 なぜかその言葉を聞き取ってしまったことが、酷く後ろめたく、僕は漸く彼女から視線をそらした。そして。


「!」


 そこに居た人物と目が合い、僕は息を呑んだ。あまりにも驚きすぎたためか、悲鳴がでなかったのは不幸中の幸いだろう。

 十和子さんは、しぃっと人差し指を口先に当て、僕が口を開くことを牽制した。そのまま悪戯っぽく微笑み、すっと足音もなく近寄る。


 思わず僕は竹下から数歩距離を取った。彼女はまるで弥勒のような柔らかい笑みで竹下を眺め、自分が着ていた白衣を脱ぎ、竹下へとかける。そして、僕があれほど渇望しながらも躊躇した、竹下の頬にかかる髪をなで上げるという行為を、あっさりと実行してみせると僕へと向き直った。


 彼女は僕の悪趣味を咎めることなく、視線だけで僕を促し、僕らは海中庭園を後にした。

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