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亀田 -02-

 とん、とん、とできるだけ足音を潜めて、非常階段を伝っていく。竹を炭素でコーティングした建材で作られた非常階段は、あまり足音が響かず、僕はほっと息を吐いた。


 もともと、この竹材をコーティングする技術は、上質の石油が産出されないこの国において、プラスチックの代替物として考え出されたもので、日常生活のそこここで使用されている。また、技術が発展し、洗練されて行くにつれ、鉄に似た弾性と剛性、また鉄よりも高い耐火性を極めてきているため、今日はあらゆるところで用いられるようになった。この塩による腐食作用が強い海上でもそれなりの耐性を発揮している。


 石油もそうだけど、基本的に資源に乏しい国土から良質の鉄鉱石は殆ど採掘されないため、鎖国をする際に必要と迫られたハイテク技術だ。


 勿論、鉄や石油が必要となる技術は未だ稼動している。実際、鎖国をしているとはと言っても、国際情勢に疎くなるわけにもいかず、また資源もリサイクルや人工燃料だけでは限界がある。

 そのため、民間交流という言い訳のもと、鎖国直前にロシアから返還された北方領土や、南方に浮かぶ沖縄地区に特例を認めたり、台湾を経由して三角貿易を行っていたりするのだ(あと、噂では世界中にニンジャと称してスパイ組織を放っているとか言われているけれども、政府がそこまで優秀とは思えないから、これは嘘だと思う ………… 個人的には存在して欲しいけれど)。


 その際に日本が輸出しているのは、大型プラント技術だ。

 変動を続ける世界は、人類に対して過酷な環境へと変化を続けている。特に近年は、世界各国で水不足に悩まされているらしく、海水淡水化プラントの建設ラッシュが続いている。

 日本も例に漏れず、この淡水化システムは野菜工場と併せて受電施設に併設されていることが多い。他にも日本国内では駆逐されかけている原子力発電所の建設を、技術継承の意味も込めて請け負ったりしている。


 エネルギー不足の世界に家電や四輪駆動車を細々と売るよりは、手っ取り早くまとまった外貨が手に入るし、なによりも、こういったライフラインに直接関わる事業は、人権問題を盾に鎖国政策の元でも輸出しやすいこともあるのだと思う。


 ちなみに国内における最大の大型プラントは宇宙太陽光発電機構(アマテラスシステム)を含むタカマガハラと称する宇宙基地なのだが、これらは国家機密に指定され、法律上輸出禁止となっている。


 これは主に、まだ鎖国政策を採る前に運用していた海底施設を中心とする地熱発電を行う海底地熱発電機構(ワダツミシステム)を稼働した当初から、世界のパワーバランスを崩しかねないと諸外国から圧力がかけられていたことと、それに伴い、国家間の条約により国境を越えてのエネルギー供給を制限されたことに起因する。その後、正式に日本国内においても国家機密に指定され、それは鎖国政策下においても撤回されていない。


 そのため、生産されるエネルギーを他国に供給できず、相変わらずめぼしい資源がない我が国は、代替物がまだ発明されていないレアメタルや資源を手に入れるための外貨を稼ぐには、やはり技術を切り売りするしかないのは、今も昔も変わりない。


 まぁ、僕たちにとってはごく普通の(時には必要に迫られた末の)日用製品は、海外ではニッチ産業どころか珍品扱いになっているらしく、好事家には大変人気らしいのだけれど。

 しかし、僕たちの国において、鎖国をしてから、ある種の資源を除いて、ほぼ自給自足で事足りるように努力を積み重ねてきたため、たまに流れてくる舶来品はやはり珍品扱いで、最高の嗜好品だったりするのだから、お互い様なのだろう。



 非常階段は高みが近づくにつれ、設計上の都合なのか、細く頼りなくなる。僕は眼下を見ないように慎重になりながら、いつから、高いところに対する恐怖が芽生えたのだろうか、と不思議に思った。もっとずっと小さな頃は、ここよりも足場が悪い高い場所を平気で走るような真似をしていたはずなのに。


 それは、おそらく、ある日突然のことだったに違いないと思うのだけれど、それがいつなのかははっきりと思い出せなかった。まるで恋に落ちた瞬間を、自覚できないみたいに。いつだって、何だって、堕ちる時は一瞬で、その時は何が起こったのか把握ができず、溺れはじめてから自覚するのだ。


 そもそも、やんちゃをしなくなったのっていくつくらいからだっけ?


 少なくとも、高校生の頃から屋上が好きで、あのころは結構無茶をしていた記憶がある。

 僕の高校は住宅街から更に頭が一つ突き抜けた小高い丘の上にあったから、四階建ての校舎の屋上は、街で一番高かった。更に屋上の出入り口の上に昇ると、そこからは本当に空しか見えない、最高の場所だったから。

 僕は当時仲の良かった友人達と休み時間を、よくそこで過ごしていた。



『あぁ、何とかと煙は高いところが好きだって言う……』



 ふっと、高校時代の同級生の声が耳元でよみがえった。


 甘ったるい高い声なのに、言うことはどこまでも辛辣で、人の神経を逆なですることにかけては、彼女の右に出るものはいなかったんじゃないかってくらいの女の子だ。


 だいたい、先の台詞はまともに話したのは初めてと言っていいくらいの時に言われた言葉で、側にいた彼女の幼なじみが苦笑して『ごめんね、千代子は言葉が悪いの。悪気はこれっぽっちもないんだよ』とフォローをいれてくれなければ、僕はその後、例え一緒の委員会だったとしても、彼女と話す機会を積極的に持つことはなかっただろう。


 あの頃は彼女、古田千代子の辛辣な口調に随分と苛立ったけれども、今思えば、彼女には、悪気というものは小指の先ほどもなかったんだと思う。何事に対しても。ただ、同じように遠慮や気配りというものもなかっただけだ。


 婉曲な言い回しを用いることはせずに、思ったことをはっきりと口にするのは、気持ちがよい時と同じくらい、相手を傷つける時がある。まだ若く、今よりも青臭いプライドが高かった僕は、古田のような生意気な女の子を受け入れることができなかった。


 その一方で、僕が惹かれたのは、彼女の幼なじみの竹下美雪だ。

 正直に言えば、容姿だけ取り上げれば古田の方がずっと可愛かったと思う。

 大きな目と整った顔立ち、華奢な体躯はいかにも守ってあげなければと思わせるような、ある種の男心を擽るものだったし、すらりと背筋が伸びた姿勢で、小さな熱帯魚が水草の隙間を縫いながら泳ぐように、すいすいと歩く姿はそれなりに魅力的だった。

 実際、見た目に騙されては玉砕している奴らも多く、良くその手の噂を耳にしたものだ。


 竹下は、どちらかと言えば地味な顔立ちだったけれども、丸みを帯びた体つきは小枝のような古田よりもずっと好ましかった。

 何よりも、僕が惹かれたのは彼女の笑い方だ。

 普段は目立たない彼女が笑うと、ふっと華やかになる、その瞬間が好きだった。もっとも、竹下がそんな顔で笑うのは、古田と一緒の時くらいで、僕はそれを遠くから眺めているに過ぎなかったのだけれども。


 それでも僕は、竹下のことが好きだった。

 彼女が笑うとまるで溺れているかのように、息苦しくなり、上手に呼吸ができなくなるくらいには。


 その事実を唐突に突きつけられたのは、放課後に行われる委員会を終え、教室に戻った時だった。

 当時、古田と僕は、美化委員という何とも地味な委員会に所属していた。活動と言えば、定例の集会の他は目立ったものはなく、ごくたまに思い出したように設定される校内美化週間や、半年に一度くらいの割合で催される郊外美化活動の時に多少、忙しくなるくらいの大変楽な委員会だった。


 その日の集会もあっさりと終わり、暮れなずむ教室には、まだ誰も戻ってきてはいない。古田は放送委員の竹下の帰りを待つと言い、僕は部活へ向かうためにロッカーからスポルティングバックを取り出した。


 正直、僕は古田が苦手だったし、また、彼女も僕に良い印象を持っていないだろうと感じていたから、特に雑談をするわけでもない。グランドから運動部のかけ声が聞こえるくらいで、校内は酷く静かで居心地が悪い。水のような粘度を感じさせる空気がまとわりついて、酷く息苦しかった。まるで、溺れているみたいに。

 だから、さっさと教室を出ようとした僕の背中に、しかし、それを遮るように甘い声がささやきかけてきたのだ。


「亀田君さ、美雪のこと好きでしょ?」


 ふと、思い出したみたいに軽い言葉。

 彼女はこの粘度の高い水の中、少しも息苦しさを感じていないどころか、こここそ自分の領域だとでも言うように ―― それこそ、水を得た魚のように、張りのある声で言い放ち、そして、それは紛れもない図星で、僕をすごく焦らせた。振り返ることもできずに、ただ、「だったらなんだって言うんだよ」とぶっきらぼうに返せば、ふふ、と笑う気配がする。


「別に、どうもしないよ。選ぶのは美雪だもの」


 選ぶ? 何を? 古田か僕かを? 竹下が?

 馬鹿馬鹿しい。そもそも古田と僕とは立場が違うのだ。


 それにしても、いちいち勘に触る言葉を選んでいるとしか思えなかった。僕がその言葉を無視して、教室から立ち去ろうとすれば、更に砂糖菓子をかみ砕くような、ざらついた甘い言葉が追いかけてきた。


「君は一つ勘違いしてる。私は彼女のものだけど、彼女は私のものじゃない。美雪はいつだって自由なの」


 妙に引っかかる物言いだ。耐えきれず、振り返るものの、古田の表情は逆光になっていてよくわからなかった。柔らかい蜜柑色の光が薄っぺらいカーテンを透して教室に溢れ、窓枠の濃い影が長く伸びている。その橙と黒の滲むようなコントラストに、決して眩しさは感じていないはずなのに、僕は思わず目を細めた。


「お前、何が言いたいの?」


 意味わかんねーんだけど、苛立ちまぎれに問いかければ、古田がひっそりと囁いた。


「…… 私はあの子を束縛してない。それがあの子の意志だってこと」


 やはり彼女が何を言いたいのか僕にはさっぱり理解できなかった。古田の態度のそれが、まるで恋人を取ろうとする相手への牽制のようだと、その時の僕は気が付かなかった。ただ、僕が何か言い返そうかと口を開いたその時、クラスメイトが数人、教室に向かってくることに気が付いた。僕はそれ以上の会話が面倒になり、一言、「あっそ」と言い残して、教室を後にしたのだ。


 僕は、今、少しだけそのことを後悔している。


 なぜなら、その後、古田は病院に入院することになり、まともな会話をすることなく、僕の前から姿を消したからだ。そして、その年の内に彼女は転院のため自主退学し、年を越えて先生から訃報が伝えられた。


 朝礼で先生が悲壮な声音で告げる間に、ちらり、と竹下を盗み見れば、彼女は先生が何を言っているのか全く理解できていないような顔で、ぼんやりと黒板を見つめていた。教室のそこかしこから、小さな嗚咽や息を呑む音が聞こえる中、どことなくあどけない表情が酷く印象的だったから、よく覚えている。

 彼女があのとき何を考えていたのか解らないけれど、少なくとも、泣いてなんかいなかった。


 本当は解っている。僕が竹下に対して積極的になれないのは、後ろめたかったからだ。


 勿論、拒絶されるのが怖いとか、結局は自分に意気地がないだけだとか、そういう気持ちも否定できないけれど、まるで彼女の親友を失った悲しみにつけ込むような行為に思えて、それは僕のちっぽけなプライドが許さなかった。


 それに何よりも、僕が後ろめたさを感じていたのは古田に対してだ。

 何がどう、と言われても上手く説明できないけれど、海に浮かぶトコヨは、あの水に沈んだ放課後を思い起こさせるのか、ここに来てからあの時の夢ばかりを見ている。

 夢の中での古田は、相変わらず夜店の金魚のように、するりと僕の思惑をすり抜ける。胸がつかえて掻きむしりたくなるような衝動に追われ、真夜中に目覚める度に、僕はこの夢を終わらせるにはどうすればいいのかと頭を抱えるのだ。



 発電施設の屋上は思っていた以上に広かった。

 非常用なのかわからないけれど、屋上にはヘリポートであることを示す円形が描かれており、随所には照明が埋め込まれている。

「おぉ~」

 思わず感嘆の声が漏れる。フェンスは設置されておらず、風も強いため、正直、縁に寄るのは怖い。僕はゆっくりと四方に広がる海原を眺める。西には僅かに霞む列島の陰、その向こうに日が沈もうとしている。すでに東の空には宵闇がせまり、天上では透き通った紺藍と薄紅がせめぎ合っていた。僕はゆっくりと宵闇を楽しもうとして、しかし、ある一点で動きを止めた。


 視界の端に捕らえたもの。白衣をはためかせながら、何とも頼りなげなその後ろ姿。屋上の端ぎりぎりに、一人の女性が立っていたのだ。


 悲壮な感じは受けない。だからか、自殺志願者という選択肢は浮かんではこなかった。ただ、僕の頭の中に浮かんだのは、名前だ。


 線が細い、華奢な体つきの少女の名前。

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