亀田 -01-
※2021/08/31 修正、および連載形式に編集。
海底地熱発電所<リュウグウ>を中心としたメガフロート施設<トコヨ>にて。
僕が勤めているのは、東海沖に浮かぶ<トコヨ>と称される人工島 ―― 海底地熱発電所である<リュウグウ>を中心とした国立機関の一端を担う燃料電池の研究所だ。
本土から切り離された空間だが、徴労の義務によって集まった若者が多く、活気がある場所である。さらには、昨日、移動型人工浮島<オトヒメ>が、充電のために接岸したからか、なんだか島全体がお祭りのように盛り上がっていた。
働き始めて3ヶ月、随分と環境にもなじみ、雑用から研究に直接携わるような業務も任されはじめ、仕事も随分楽しくなってきていた。
ここに来る前は、正直、徴労なんて最悪の制度だと思ってたけど、まるで研究室の延長上のような仕事で給料(それも民間に勤めるよりも幾分か割高らしい)がもらえるのならそれに超したことはない、と思い直したりしている。
それに、ここに渡る船の中で、高校時代に好きだった女の子と再会できたのが、僕に運命を感じさせた。同時に、卒業して2年経とうというのに、まだ彼女のことが好きな気持ちを持ち続けていたことに驚いた。
もっとも、彼女は僕のことを覚えていなかったみたいで、僕が声をかけたら戸惑っていたけれども。まぁ、高校時代、僕は彼女とろくな会話を交わしたことがなかったので、それはしょうがないことだ。
かといって、そこから発展があったかと言えば、そういうことはない。
なかなか上手くいかないもので、僕と彼女の再会は運命ではなく偶然だったらしく、船から下りてからしばらくは、彼女とはすれ違うことすらなかった。昨日、オトヒメの接岸を見に行った時に、久方ぶりに会ったくらいだ。
自分でも、もっと積極的に行動すればいいと解ってはいるのだが、何となく切掛けを掴めずにいた。
正直、こういうことは苦手だ。自分の感情がコントロールできない気持ち悪さがある。
僕は有害な光を遮光するためのゴーグルを首元まで下げると、ポケットから目薬を取り出す。点眼しようと上を向けば、凝り固まった肩が鳴る。僕はこぼれ落ちた雫を白衣の袖で拭うと、一息ついた。
紫外線照射機器の内部には青い光が灯り、サンプルを詰めたフラスコが行儀良く並んでいる。僕は今日の仕事の出来映えを眺め、満足した。
これらはコンピュータ制御のもと、24時間に渡って、フラスコ内部で起こる変化をデータ取得される。データがきちんと記録されているか、機械の稼動を確認すれば、装置のディスプレイにはご機嫌そうにデータがぱちぱちと打ち出されていた。
「亀田~、そこ終わったら休憩してきて良いぞ」
僕が軽く伸びをすれば、それに気が付いた先輩が声をかけてくれる。僕は言葉に甘え、休憩するために席を立った。
研究室の外へ出れば吹き抜けの螺旋階段がある。
見下ろせば深海をイメージしたという(少なくともどの辺がそうなのか僕には理解不能な)抽象的なモザイク画が描かれ、見上げれば海面をイメージしたという(やはり僕には理解できない)抽象的なデザインのステンドグラスが填め込まれている。
個人的にモザイク画は深海と言うよりも時計草が咲き乱れているように見えるし、薔薇窓に至ってはクラゲを透かしてみているかのように思える。だけど、まるで気泡が水面へと立ち上るかのような曲線を描く螺旋階段の手すりと相まって、全体が水族館みたいな雰囲気は、制作者の意図はくみ取れないけれども、僕は結構気に入っていた。
僕の研究室がある階はどちらかと言えば水面下に近い。20階以上もの階段を上る気になれず、僕は屋上へ行くために、エレベータの呼び出しボタンを押した。
稼動音は酷く静かだ。
エレベータは到着するとオルゴールストーンを転がすようなころころと耳に心地よい音を鳴らす。
僕は最上階のボタンを押し、いつまで経っても慣れない上昇する感覚に眉を顰めた。
最上階から屋上へ出るには、更に一階分の階段を上る必要がある。僕は軽い足取りで、階段を駆け上り扉を開いた。
瞬間、ごうっと強い海風が頬を嬲る。
慣れたのか普段はあまり感じない潮の匂いが、今は妙に鼻についた。
僕がいる施設は、建設当初は一番高い建造物だったのだが、その後、更に大きな新型発電施設が増設されてしまい、現在、360度のオーシャンビューは望めない。それが少しだけ残念だった。
何よりも、僕を落胆させているのは、隣接された新型発電施設と連絡している非常階段への入り口の存在だ。
新型発電施設の外壁には、蔦が蔓延るように非常階段が設備されており、その階段の先にある屋上で、広い太平洋を一望できるであろうことが予測されるのだが、例え、僕がその誘惑にどんなに駆られていても、立ち入りが許されることはないのだ。
僕は憎々しげに、関係者以外は立ち入り禁止の看板を掲げた非常口をみやり、ふと眉を顰めた。
鍵が開いている。
強い風に、きぃきぃと軋みながら扉が微かに揺れていた。まるで誘うようなその動きに、僕は数瞬ためらい、しかし、沸き起こる好奇心に負けてしまった。
そっとその扉へと手をかける。
ひやり、と冷たい感触が掌に張り付いた。