竹下 -03-
<トコヨ>に配属されて三ヶ月。
メガフロートはリュウグウを中心とした工場地区である内宮と、内宮を取り囲むように生活居住地区である環状の外宮からなり、内宮と外宮の行き来はリニアによって接続されている。
私が所属しているのは、その馬蹄状の内宮の水面下となる一角にある環境管理センターと言う国家機関だ。とは言っても私の仕事は事務なので、そんな専門的なことをしているわけではない。
それでも初めての一人暮らしと相まって、覚えることが多い。
あまり要領の良くない私にとっては結構大変だ。しかし、最初はとまどいも多かったけれど、最近では、漸く仕事にも慣れてきて、新しい生活に一息つけるようになった。
と思っていたのは、つい、一週間ほど前までのことだ。
今はそんな和やかさなど忘れ去ってしまったかのように、あわただしい。
というのも、本日から1ヶ月の間、トコヨに移動型人工浮島である<オトヒメ>が、充電のため停泊するからだ。
移動型人工浮島は現在<ウラシマ>と<オトヒメ>の二島が稼動しており、それぞれ沿岸部の受電基地に立ち寄りながら、列島を周回している。移動中の充電は沿岸基地で適宜行っているものの、半年に一度、帰島するトコヨではフルに充電するのだ。
<ウラシマ>および<オトヒメ>は共に、約1000人程の乗組員からなり、その過半数は防人で構成されているが、その他に、海洋環境、海洋生物、を主にした専任の研究員たちが在任している。また、オトヒメに限って言えば、さらに、生物、医療系の研究員も多いらしい。
そして、オトヒメにて採取された各海域の水質、および海洋生物の結果をリュウグウにて再検査することになっている。そのため、オトヒメと、トコヨの人員は一定の割合で相互に入れ替えされることになるのだという。
私の部署からも三人の研究員がオトヒメへと出向し、三人の研究員が出向を解かれて戻ってくる予定となっていた。その受け入れ態勢の準備と、引き継ぎとで、まるで盆暮れのような忙しさだ。
そのあわただしい中、漸く昼食時間を見つけ、私はお弁当片手に海中テラスへと向かう。
海中テラスとは、内宮の水面下にあるエリアで、一面が強化ガラスになった室内庭園だ。
ガラスの向こうは、水彩絵の具の青と緑を全ての比率で混じり合うように塗り重ねたグラデーション。様々な魚が姿を現してはまた去ってゆく。
広場自体も海の中を意識したデザインらしく、高い天井から階段状に植物が配置され、まるで海藻に囲まれているような錯覚を起こす。ガラスに近寄り見上げれば水面の揺らめきが認識できる程度の深度、まるで私自身もまた魚になったかのようだ。
こういった海中庭園は内宮外宮の随所に設置されていて、私の職場から一番近いこの庭園は、あまり立地がよろしくない。トコヨの北側に位置するため、日当たりが悪くちょっと薄暗いのだ。
そのせいか、平日の昼間は割とひっそりとしているのに、今日に限っては割とにぎわいを見せているのは、この水中スクリーンからは、オトヒメの水中接岸が見ることができるからだろう。
そろそろ、オトヒメが着岸する時間だからだろうか、オトヒメの接岸を一目見ようとして、水上にある展望台からあぶれたであろう人たちと、水面下で行われるドッキングを見たいという少々マニアックな人たちが、集まり始めていた。
私は水中スクリーンに一番近いベンチに腰掛け、ぼんやりと空 ―― この場合は水面というのだろうか ―― を見上げた。
『ねぇ、美雪、以前さぁ、一緒にテレビで見たマリンスノーを覚えてる?』
海の中から空を見上げる時、私はよく彼女との会話を思い出す。
最後にあった病院での、ひそひそと、深海魚のように交わした会話。
『深夜に目が覚めるとね、何となく思い出すんだ。あの番組のこと。それでもしここが海底だったら、あのプランクトンの死骸達が降り注いでくるんじゃないかって、息を潜めて待つんだけど、降り積もる音は聞こえてこなくて ………… 深海魚になったら、見れるかなぁ?』
少し鼻にかかる甘い声。よく響くかわいらしい声。彼女にとって、その高い声が少しだけコンプレックスだったことを知っている。
だけど、私は砂糖菓子のような彼女の声は、やはり砂糖細工のように繊細そうな彼女の容姿と相まって、とても似つかわしいと思っていた。…… 口を開けば暴言ばかりの、性格はどちらかと言えば似つかわしく無く破天荒だったけれども。
「おお、竹下、久しぶり」
不意に声をかけられ、私は弾かれたように振り返った。
そこにいたのは、なんだかんだで、リュウグウに来てからさっぱり姿を見ることはなかった亀田君だ。
「亀田君? 久しぶりだね」
私が笑みを浮かべ、彼の居場所を作るために少しベンチの端に寄れば、亀田君は小さく礼を口にして腰掛けた。
「竹下もオトヒメの接岸、見に来たのか?」
「ううん、ちがうよ。いつも昼食はここで取ってるんだ」
私は苦笑して首を振る。どうやら彼も野次馬の一人みたいだ。お弁当を掲げてみせると、亀田君はへぇ、と頷いた。
「この場所好きなのか?」
「うん。ちょっとした水族館みたいだし」
たわいもない雑談を交わしているうちに、接岸の時間になったらしい。注意を促す館内放送が響く。
人だかりができているガラスの向こうには、暗色の物体がゆっくり近づいてくるのがみえてくる。目視できるようになってからは早かった。水中スクリーンはオトヒメの一部と思われる大きな物体で覆い尽くされる。オトヒメの側面にはフジツボや藻が生え、備え付けられた赤やオレンジ、緑色の信号灯に小さな魚が寄ってはすぐに逃げていく。
ごぅんごぅん、と、直接鼓膜を振るわせる低い音。がこん、と島全体に衝撃が走る。それは思ったよりも大きく、私はデスクの上に積み上げた書類と、部屋の中のものが倒れていないことを祈った。
「意外と衝撃大きいんだな」
一通り揺れが収まると、亀田君がふっと息を吐いた。
「そうだね。震度3くらい? 部屋の中、ものが倒れてなければいいけど」
本土でも地震が多発しているため、慣れてはいるものの、足下が揺れるというのは気分が良いものではない。私が眉をひそめてぼやけば、亀田君は苦笑する。
「場所によっちゃ4くらいあったかもね。てか、1ヶ月以上前から予定表にのってんだから、対策してきなさい」
軽く窘められて私は小さく肩をすくめる。今度は亀田君が呆れたように笑いながら「地震もそんくらい前もって解れば対策できるんだけどな」とぼやいた。
「あ、ほら、ドッキングが始まるよ」
亀田君が指さした方に視線を向ければ、オトヒメの側面にあるピッチが開き、奇妙に節くれ立った接続部がのびてくる。
「虫みたい」
思わず呟けば、亀田君はぶっと吹き出した。
「まぁ、オトヒメ自体の設計がタガメみたいだからな。間違っちゃいない」
虫の足は水草に休むように、トコヨに引っかけられ固定されていく。機械的なその作業を私はぼんやりと見つめていたものの、ふと周りを見回せばおそらくメカニックに対する深い造詣を持つ人たち(いわゆるオタクと呼ばれる人たち)がきらきらした瞳で見つめていた。
「すごいねぇ ……」
私が感嘆すれば、例に漏れず瞳を輝かせていた亀田君が深く頷く。
「ほんと、すげーな! こういうのってやっぱわくわくするよ!」
と小さな少年みたいにはしゃいだ声で応えてくれた。どこかすかした印象のある彼にしては、意外な一面がほほえましく、私は思わず笑ってしまった。