前田 -03-
今日の彼は珍しく昼間だというのに海上へと浮上している。
黄昏時から夜にかけては気にならなかったのであろうコンクリートの照り返しを、彼は厭わしそうに目を細めた。
「ねえ、ここに土を敷き詰めて芝生とか植えれないの?」
「人工芝なら対応してもらえそうですが」
「嫌だ。本物がいい。どうせだったら、樹木も植えればいい」
「松とかですか? 大きさにもよりますが、樹木なら土をだいぶ盛らないとですね」
海岸沿いの防砂林を想像して相槌を打てば、彼は不満も露わに頬を膨らませた。
おっさんがするべきリアクションではない、と確信するが、やはり、それを口にすることは憚られた。
「桜がいいな、」
「……桜はどうでしょう? 潮風に耐えられますかね?」
「タカマガハラにだって桜が咲くんだろ。ここの方がよっぽど環境が劣悪じゃないか!」
彼の提案に、言外に無理ではないかと答えれば、人権がない彼は駄々をこねる。しかしながら、私にはどうしようもないのが事実である。
「今日お会いされる方に直談判されては?」
私がそう言って空を見上げれば、彼はつられるように視線を空に投げた。
青い空の中に政府専用のヘリコプターが2機、姿を現した。
ヘリコプターから降りてきたのは、我ら防衛隊を統督する防衛大臣、および防衛隊の最高位者である統合幕僚長である。
防衛大臣は過去に総理大臣も輩出した政治家一族の出身の若手政治家である。とは言っても政治家としてはまだ若いというだけで、私よりも十ほど年上――彼と同じぐらいの年齢だ。
防衛大臣は彼に歩み寄ると、「出迎えてくれるんですね、」と言った。
彼はいつになく澄ました表情で、「歓迎してるわけじゃないけどね。散歩のついでに」と言った。
「今日は何を持ち込んだの、」
「相変わらずせっかちですね」
彼が統合幕僚長の持つジュラルミンケースを一瞥して尋ねれば、防衛大臣は政治家が良く浮かべる類いの笑みのような表情ではぐらかした。
「どうせロクなものじゃない、」
「そう言わないでください。私はアナタも興味深いと思ってくれると信じてますよ」
「じゃあ、事前に情報をくれてもいいだろ。事前検討もなしに気が利いたことを言えるほど僕は器用じゃない」
「……取り扱いが難しい類いの情報なのです。ご理解ください」
苦笑いを浮かべる防衛大臣は、促すように彼の背を押した。
それを合図に、私は先に立って、人工フロートの海面下の部分、彼の居住空間と同じフロアにある会議室へと案内する。
時折、彼が外部の人と遠隔会議を行うときに使用している会議室だ。
案内とは言っても私自身、この奥まった会議室に足を踏み入れるは初めてだった。
監視者たちは、彼がこの会議室を使用するとき、扉の外で待機することになっているのだ。
思えば、この場にいる大臣たちも会議の参加者だったのかもしれない。
そう広くない会議室は、毛足の長い絨毯が敷き詰められ、重厚な円卓と革張りの椅子が6つ配置されている。無骨な設備が多いウラシマにしては、意外なほど洒落た内装だ。
しかし、その椅子のうち一つの前には、接続済みのラップトップタイプのコンピュータ設置されていた。さらには、そのPCと接続されているであろうキャスター付きの大型ディスプレイ。円卓の中央には立体プロジェクタ。
西欧調を模した内装にそぐわない無機質な電子機器が無遠慮に持ち込まれ、配線だけが考慮された状態で設置されていた。
さらにはラップトップの周りには、印刷された書類の束、テーブルの大半を占めるように幾枚もの書類が散らばっている(もしかしたら意味を持って配置されているかもしれない)。
経費の問題なのか、書類はすべてモノクロで印刷されており、彼のものであろう青い手書き文字が書き込まれている。白い紙、黒と青のインクの中、ふっと一葉のポストカードが目を惹いた。
灰色がかった水色の中に浮かぶくすんだ黄色の花。
芸術にはとんと疎い私ですらどこかで見たことがある有名な絵だ。
カードの角が少し丸くなっているから、割と古いものなのかもしれない。
「ゴッホ、好き?」
「え?」
私の視線の先にあるものに気が付いたのか、彼は書類の間から飛び出ていたポストカードを抜きだした。絵画が印刷された面を私の方へとむける。
「ゴッホのヒマワリだよ。この絵、知らない?」
確かに作者名も作品名も聞いたことがある。しかし、私が何か言う前に防衛大臣が口を挟んだ。
「そろそろ、始めたいのですが」
「失礼しました。それでは、私は扉の前に待機していますので、何かあればお声かけください」
一礼して部屋から退出しようとすれば、彼が引き留めるような言葉を口にした。
「前田さんもここに居たら?」
「あの、」
「未来の幹部なんだし。僕が何をやってるか、興味ない?」
「先輩、いい加減にしてください」
彼の煽るような言葉を諫めたのは防衛大臣だ。
防衛大臣は自分の失言に、はっとしたように口を噤んだ。苦虫を嚙み潰したような表情で、視線だけで出て行くように促され、私は再度、頭を下げると会議室から辞した。
出て行く直前、ちら、と彼の方を見やれば、悪戯が成功したような子供じみた笑みを浮かべていた。