江崎 -02-
アマノイワト勤務について、困惑したのは最初の1週間で、僕はすぐになじんでしまっていた。それはひとえに、技術本部の人たちが、おおらかで気がよく、異分子である僕をあっさりと受け入れてくれたためだろう。
窮屈だろうと覚悟してきたアマノイワトでの勤務は慣れるとなかなか快適だった。
僕の立場は抜けた技術本部の人員補充ではあったが、正式な防衛隊員ではないため、厳密に規則に則る必要はないと説明された。
しかし、もともと慎ましく生きてきたせいか、普通に生活していて規則に抵触することは特になかったりする。
オヤシロにあったような大きなレジャー施設こそないものの、生活に必要な物の大半が、オヤシロよりもむしろ格安で手に入れることができ、食事さえも食堂に行けばやはり格安で配膳され、自分で作る手間が省ける。
ちなみに給養員は各部隊の持ち回りらしく、部隊の対抗意識が高いためか、互いに切磋琢磨した結果、出てくる料理はそこらのお店よりもかなりおいしい。あなどれない。
僕は給養員から配膳された朝食を平らげると、仕事場に向かった。
僕の仕事は、アマノイワトの中心にあるメインコンピュータ及びその周辺施設の整備管理だ。基本的に二人一組で行動する。
僕がタッグを組んでいるのは、佐久間さんという、れっきとした防衛隊所属の技術本部の人で、僕の指導員でもある。というか、技術本部もまた基本的に職業隊員で構成されており、専門家(とは言っても、この場合名のある研究者レベルだ)の協力を仰ぐことはあっても、徴兵制により徴集された隊員が所属することはないのだそうだ。
僕みたいな雇用は前代未聞らしい。ちなみに、佐久間さんは今年36になる二児のパパで、精悍な顔つきだけれど、目元が優しいため、絵本に出てくる熊のような印象の人だ。あだ名は、そのまんまクマさんだったりする。
IDカードを翳して起動した電子ロックに掌紋からの静脈を照合し、準備室にはいると、すでに佐久間さんが来ていた。
「おはようございます」
「おお、おはよう」
僕が挨拶をすると、佐久間さんはニカッと笑みを浮かべる。
僕らはエアシャワーを浴び体に付いた埃を飛ばすと、専用のスーツを作業着の上から身につける。髪を帽子の中に入れ、手袋をはめてマスクをつけると、この上なく怪しい不審者のできあがり、ではなく準備完了だ。
白装束に身を包んで、再びエアシャワーを浴び、さらにIDカードとおまけの角膜の照合をしてやっと入れる秘密の部屋。
足を踏み入れた瞬間、冷たい空気がひやりと目元を掠めた。
コンピュータの稼働熱を冷却するために、随分と低く温度設定がなされているのだ。虫の羽音にも似た稼働音が幾重にも重なり合唱している。
ドーム状の天蓋は高く、そして中央に鎮座する揺りかご。それを護るように、部屋中、それこそ壁にまで這い回る野バラの蔦にも似た配線と配管、調節装置、その稼動を示す、夜光花のようなランプのきらめき。まるでハイテク化された茨の城だ。
僕は慎重に足を進め、佐久間さんと一緒に揺りかごの中をのぞき込んだ。
まるでお伽噺のオーロラ姫さながらに、そこには一人の少女が眠っている。
ただ、彼女は日の光のように輝く金髪でもなく、バラのように赤い唇でもなく、長身でもなく、スリムなスタイルでもなく、王女でもない。
黒い髪は不揃いに短く、血の気が失せた唇は青ざめている。華奢な体はまだ少女のそれで、スリムというよりもひどく頼りなく儚げだ。
そして何より、彼女は王女ではなく、女神なのだ。
細い首筋に食い込む配線は、彼女の脳に直接接続され、彼女の脳がこのメインコンピュータの処理の大部分を担っている。それによって、アマテラスシステムは正常に動くことができるのだ。
鎖国前から技術立国と誉れ高かった僕らの祖父たちは、科学技術の粋を集めて、ハイテクなハードを作り上げたけれど、それを制御するソフトを開発するには至らなかった。半世紀以上前どころか、今の技術を持ってしても、人の脳と同様の処理能力を持つコンピュータを作ろうとすれば、淡路島ほどに巨大化してしまう。
ましてやそれを宇宙空間に打ち上げるなど、正直不可能に近い。
だから当時、数人の研究者が名乗りを上げた。
彼らは自らがその脳を奉納し、このシステムを完成させることを提案したのだ。様々な議論がなされる中、結局、その中から一人の女性が選ばれ、そして、巫女として神に仕えることになった。
なんでも、女性が選ばれたのは、一般的に男性より左脳と脳梁が発達しているかららしい。その辺のことは正直よくわからないけれど、彼女はアマテラスの依代としてこの部屋で一生を捧げた。
彼女が亡くなる前に、再びそれらに携わっていた技術者の中から次代の巫女が選定されたのだという。
そして、先代巫女の寿命が尽きる前、代わりとなる巫女が秘密裏に探され、そして選ばれたのが、今この場所に眠る少女だと教えられた。
どういった経緯で選ばれたのかは僕の知らないことだけれど、このシステム自体の概要を知るものは、政府のかなり上の方であること、そしてこのシステムに関わる僕ら一部のメカニックと彼女の容態を見守る医者だけだ。
おそらく、僕が知る事実(かどうかも疑わしいが)もごく一部だ。説明されたときに、質問しようにもそれは許されなかったし、そもそも咄嗟に質問できるようなことじゃなくて、ただ説明されたことを理解することに必死だった。
ゲル状の溶媒に満たされた揺りかごの中、静かに目を閉じた少女は、まだ十代半ばにしか見えない。長いまつげが淡く発光している内部ランプの光を浴びて、柔らかそうな頬に影を落としていた。
初めてこのシステムを知らされた一週間前、佐久間さんは僕に「非人道的だと思うかい?」と訊いた。それに対して僕は「それは僕ではなくて、この姫巫女に訊くべきでしょう」と答えた。
何も知らずに護られてきた僕に、このシステムを非難する資格はないと思ったし、知った今でも、やはり僕にはどうしようもない問題だ。他に代替となる手段が提案できるのであれば、また話は別なのだろうが。
何よりも、例え、洗脳されていたとしても、彼女がこうであることを望んだのならば、今更それを否定することの方が、よっぽど酷のような気もする。
佐久間さんは僕の答えに、一旦目を見開いて、そしてニカッと笑った。
その後、他の高官から前任の技官がリタイアした理由というのが、このシステムを受け入れることができずに、精神が不安定になったからだと聞いた。
僕はそういう人もいるだろうな、と漠然と思ったけれど、あの美しい神州や、トコヨ、タカマガハラに生きる七千三百万人の国民たちの笑顔を護っているのならば、素晴らしいことなんじゃないかとも思うのだ。
僕はまじまじと彼女の寝顔を眺め、やぁ、こんばんは、いい夢を見ているのかい、と、心の中で挨拶をした。
ぴくり、と彼女の瞼が動く。佐久間さんは少しだけ動揺したように僕を振り返った。
「また、御目をお開けになるのだろうか」
「…… みたいですよ」
僕たちが見守る中、少女はゆっくりと瞼を持ち上げた。無垢な白目に焦点が曖昧なまなざし。瞼を少し伏せ、それでも天蓋を見上げるようにゆっくりと視線を遠くに投げる。
普段は眠ったようにその瞳を閉じている彼女は、時々目を開けることがある。これは先代の巫女にはなかった仕草らしい。宇宙空間で回転することで遠心力を作り出すこのアマノイワトにおいて、この部屋の天上が地球を向いたときに、彼女はそっとその黒い瞳を覗かせるのだ。
「………… 一応、先生に報告をしよう」
彼は室内に設置された通信器具を取り上げて、隣室に待機している医者に報告する。この部屋のすぐ隣では、医療技術者が常に彼女の容態を管理しているのだ。
僕は佐久間さんを横目に、壁に設置されたボタンを押した。かすかな稼動音をあげて、天蓋の鎧戸が開かれる。厚い強化ガラスの向こうには、美しい青と白のマーブルの星。
瞬くことのない星々は、本物であるはずなのにまるでプラネタリウムのそれようだ。
どこかうつろな瞳が、地球を映し出すと、少女はかすかに微笑んだように見えた。