竹下 -01-
※2021/08/31 修正、および連載形式に編集。
海底地熱発電所<リュウグウ>を中心としたメガフロート施設<トコヨ>にて。
私は目の前に現れた巨大な要塞を見て、そのあまりの美しさに息を呑んだ。
闇夜の海の上、まるで深海を漂うクラゲのような巨大人工浮島群は、海底火山から地熱を取り出すエネルギー供給施設だ。24時間稼動し続けるそれは、夜の海の真ん中でまばゆいほどに発光している。
しかし、随分と大きな施設のためか、これほどはっきりと姿が見えていても、私の乗るこの高速船があのクラゲに到着するのは明日の朝だ。
「間近で見るのは初めてだな」
「…… 亀田君?」
潮騒に紛れて聞こえてきた声に私が振り返ると、予想通りの青年が佇んでいた。
「眠れないのか?」
「まぁね、もうすぐ到着かと思うと落ち着かなくて」
ふっと照れ笑いのように頬を掻けば、亀田君は私と同じように手すりに身を預ける。
「君も?」
「まぁ、ね」
元来、そうおしゃべりな印象のない彼はそう呟いたきり、黙り込んだ。モーターと水素燃料で走る高速船は酷く静かで、人々が眠りについている今、波の音だけしか聞こえない。
亀田君と私は高校時代の同級生だ。大学では別々になったけれど、徴労の義務を果たすために、国営の海底地熱発電施設<リュウグウ>を中心とした巨大人工浮島群、通称<トコヨ>に向かうこの船で偶然再会したのだ。
正直に言えば、彼とは高校時代に同じクラスになったことがある程度で、そう仲が良かったわけではない。だから、今日の朝、船に乗り込むさいに彼が私に気が付いて声をかけてきた時、私は彼が誰だか解らなかった。たった2年の歳月しか経っていないのにも関わらず。
もちろん、そんな運命の再会とは思えない微妙な距離感を引きずり、お互い話す時間もないまま、今日の昼間を過ごしたあとだからか、微妙どころか、全く会話が弾まない。かといって、居心地の悪い沈黙に耐えきれず、私は口を開いた。
「亀田君はリュウグウでは何の仕事する予定なんだっけ?」
「国立の燃料電池工場に併設された研究所勤務だよ。希望は研究助手」
尋ねてみれば、亀田君は自分が所属されるであろう職務を教えてくれた。
「ぉぉ! 花形じゃん!」
私は目を見開く。
というのも、メガフロート群の中心となる海底地熱発電施設はもともと地熱発電を行い、本土にケーブルを通し、電力の供給を行うことを目的として計画されていた。
しかし、当時の技術では東海沖のこの海上から本土まで送電するには、計画当初に見積もった値よりも途中の電力消費が大きく効率が悪いことが判明したため、地熱を電力に変換し、燃料電池をはじめとする蓄電池の生産を行うよう、建設途中に計画が変更された経緯がある。
つまり、燃料電池工場は、あのクラゲの中心部にある最重要施設なのだ。
新しい導電材料が開発され、送電ロスが随分少なくなったため、現在は総発電量の一部を本土に直接送電も行うようになったものの、今でも電力を多く消費する工場は海上メガフロート群で生産することが推奨されている。
民間企業が国の補助を受け、国営施設であるリュウグウを取り囲むように新しいメガフロートを建設することに伴い、トコヨは巨大化を続けている。
現在、トコヨにおける最も重要な施設としては、生産全体の七割をしめる燃料電池工場、合成樹脂のペットボトルから家電といった家庭廃棄物だけでなく、廃工場機器等も取り扱う一大リサイクル工場(中でも電気自動車のリサイクルはほぼトコヨで行われているほどだ)がある。
しかし、亀田君は特に感慨もないのか、私の感嘆を苦笑いではぐらかし、「竹下は?」と尋ね返してきた。
「私は環境管理センターの事務に所属することになる予定」
ちなみに私が勤めることになるであろう環境管理センターは、それらの工場が海洋汚染を行っていないかを逐次調査する国家機関になる。
また、トコヨの環境データだけでなく、領海を巡航している移動型人工浮島(船みたいに移動できる巨大なメガフロートだ)の<ウラシマ>と<オトヒメ>が逐次送信してくる列島周辺の海洋データをとりまとめている。
「へぇー、どんなことやるんだ?」
「ん~私の仕事はデータ管理になるかな~? 一応短大でその辺の資格取ったから」
短大時代に取得したデータ管理資格は、簡単にとれるため就職には無いよりましといった程度のものだが、現場ではそれなりに重宝されるらしい。おかげで、徴労の義務、とは言っても、国の補助金が出ているだけの民間施設に派遣される場合が多い中、国家直属の機関に配置されることになったのだと思っている。
「あれ? 竹下は短大だったんだっけ?」
「そだよ。今年卒業したんだ」
意外そうに顔をのぞき込んできた亀田君に、私は苦笑した。
常に成績の上位に名前を並べていた彼と違い、私は中の中、調子が良い時は中の上、悪い時は中の下というごく普通の女子高生だったのだ。勿論、選ばなければ行ける大学もあったけれども、正直、そこまでして何かを学ぶ必要性を見いだすことはできなかった。
「亀田君は在学中なんだっけ?」
私の記憶が正しければ、亀田君は結構難易度の高い国立大に進学していたはずだ。未だ飛び級があまり認められることのないこの国では、順調に進学していたとしても卒業までは後2年ある。とは言っても、大学に進学する者の約半数が在学中に休学し、バイト感覚でさっさと3年間の徴労の義務を果たしてしまう場合が多い。
更に言えば、亀田君が進学したようなある程度以上の大学の生徒は、専門の研究機関の雑用や助手として雇ってもらえることになるため、現場を知るには良い機会なのだろう。
「うん、専門が燃料電池の触媒やってるから、現場を知るのが勉強になるし、本格的に研究室に配属される前に、徴労の義務を早めに終わらせた方が良いって教授の薦めで」
「そうなんだ。まぁ、義務は早めに終わらせたほうがいいよ」
私が同意すれば、亀田君は皮肉るよう小さく肩をすくめて見せた。
「それから教授がトコヨは男女とも若い人が集まるから、嫁を探してこいってさ。このまま俺が卒業して就職したとしても女っ気がない研究施設になるだろうからね」
はは、と砕けたように笑う亀田君に私も苦笑した。その言葉は私が母に送り出される時に言われたこととほぼ一緒だったためだ。
リュウグウという施設は本土から切り離された施設のためか、圧倒的に若い独身者が多い。そもそも国の方針として、基本的に子供が居る場合の徴労は夫婦のどちらかは免役となり、配偶者がいる者は配属先が優先的決まるからだ。そして本人に家族がいる者の殆どは本土にある受電基地に配属されることを望む。
ちなみに男女ともに一定以上の税金を納めさえすれば、徴労は免役できることになっている。しかし、その金額が一般人にとっては負担が大きく、また徴労の義務による仕事は基本的に、例え民間だったとしても直接就労するよりも待遇が良く、職歴としても残せるため従事する者は多い。
話がそれてしまったが、まぁ、そういう事情もあり、結果的にトコヨや、宇宙太陽光発電機構を含む、大気圏外に建設された施設であるタカマガハラには若い独り者が集まり、徴労の義務を果たす場所であると共に、男女の出会いの場になっているのも事実だったりする。
「竹下はリュウグウを希望したのか?」
ふっと亀田君がトコヨに視線を向けて、尋ねてきた。私は何も考えずに頷く。
「うん? そうだよ。宇宙にはあんまり興味ないからねー……正直なんか怖いし」
どうして飛行機みたいな鉄のかたまりが飛ぶのかさえ、理解したくもない私には、正直なところ大気圏の外の世界は神話よりも現実味がない。例え、空で造られたエネルギーを供給して生きているのだと言われようとも。
しかし、私の答えは亀田君にとって不服だったらしい。なんだか、彼は言い辛そうに表情を歪めながらも、タカマガハラっつうか、となにやらぶつぶつ呟いたあと、やはり私と目を合わせないまま。
「…… 本土に残る手もあったんだろ?」
「それはまぁ ……」
私は言葉を濁す。
私の父はもうすでに亡く、兄弟も居ない。家族と呼べるのは母親だけだ。
この場合でも、配属先の希望は酌んでもらいやすい。もし、私が実家に最寄りの受電基地を希望していたならば、受け入れられていただろう。
だけど、本土に母を一人残すのは忍びないと思ったものの、それでも私は、彼女との約束を果たしたいと思ったのだ。
亀田君は黙り込んだ私に、確認するように、静かに尋ねる。
「…… ここに来たの古田と関係ある?」
しかし、私ははぐらかすように笑みを浮かべただけで答えなかった。亀田君もそれ以上、追求することはなかった。ただ、二人ぼんやりと海の上を漂う光を眺める。
淡く燐光する巨大なクラゲ。
私はちらり、と亀田君の横顔を盗み見た。特にかっこよくも不細工でもない、ごく普通の青年だ。
ふと、彼に悪気もなく純粋に、どうして彼がここにいるのだろう、と私は不思議になる。
もし、約束が果たされていたならば、ここにいると約束したのは、千代子だったはずなのに。
古田千代子、私の幼なじみの名前だ。
もう、この世には居ない、私の最愛の幼なじみ。