元クソザコ冒険者。男二人に襲われる。
ここは、深い深い森の奥。
一つの屋敷に二人の男性が暮らしていた。
家主の名前は月夜見ロキ。
回復魔法を得意として、過去に一度闇落ちをしている。
そしてもう一人の男性の名前は海馬科人。
一言でいうとマッドサイエンティストだ。
普段の言動からは一切考えられないような思考をいつ如何なる時でもしている。
「おいロキ。お前の雇った執事。もう壊れちまったぞ? 次はもっと頑丈なの頼むわ」
科人は書斎で仕事をしているロキの前に、扉を蹴破って大声で現れた。
「お前の扱いが荒いんだ。もっと優しく丁寧に扱え。科人ならできるだろう?」
「無理だ無理。あれは一切の役にも立たない」
ロキは科人の言葉にため息をつく。
「つかさぁ? ロキが相手してくれればいいんじゃねぇか」
科人は椅子に座っているロキの後ろから手をまわして、軽く抱きついた。
「ダメだ」
「まんざらでもないだろ?」
そう、科人に後ろから抱き着かれたロキだが、嫌がるなどの動作は一切しない。
ただ、口だけは拒絶を続ける。
「今は仕事中だぞ」
「そんなの関係ないよ。決定権は俺にある……」
「……分かった分かった! 科人の付き合うよ! ほら、さっさと終わらせよう」
「やったぜー」
二人は書斎から出て、科人の部屋へと向かったのだった。
俺の名前はグレン・アドラー。元冒険者だ。
冒険者業は引退したんだが、後輩の冒険者に生き残る術を教えなくてはならなくなった。
兎牙くれなという少女か少年かよく分からない子の指導だ。
「よろしくお願いします」
「よろしく。武器は何使うの?」
「兵器です」
「……それ以外は?」
「素手です」
かわいい顔してとんでもないことをいう子だなぁ。
とりあえず格闘家……と。
「それじゃあ、今回は森の中で数回魔物を狩ってもろて、次に探索能力を見させていただくよ」
「頑張りまっす」
その後は驚きの連続だった。
くれなは後輩とは思えないほど、軽々と魔獣を倒し続ける。
「やるじゃん」
俺より強いのではないか?
のちの探索能力に関しても、まるで全方向に目がついているのではないかと思ってしまうくらいには、高い評価をだせる。
「――何か来ますよ」
「えっ?」
くれなが見つめる方向を見ると、そこは一つの何かが空を飛んでいた。
それは物凄い速さでこちらへと近づいてきて……ん? 何か声が……
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
叫びと笑いが混じりあった二人の男の声。
勢いは一切収まることなく。地面に激突していた。
「一体なにが……って! 大丈夫か!?」
すぐにその場に駆け寄り、声の持ち主の安否を確認する。
土煙が邪魔で見えない。死んでしまっていたら――
「あははは! やっべぇ死ぬかと思った!」
笑いながら一人の男が立ち上がる。
「死ぬかと思ったじゃない……僕がいなかったら死んでいたんだよ!」
もう一人のローブを羽織った男は声を荒げている。
しかし二人とも、その速度で地面に激突していたというのに、一切の傷が見当たらない。
「まあまあ落ち着けよロキ! 実験は失敗だったけどよ、楽しめたじゃねえか?」
「科人……全然楽しくねぇよ!」
どうやら彼らの名前は大笑いをした方が科人。ローブを羽織って文句を言っている方がロキというらしい。
「おい……二人とも大丈夫なのか?」
「なんだお前? なんで俺たちの会話に割り込んできた?」
見た目は大丈夫だが、あの速度で落下したんだ心配くらいする。
ただ、この返答は想定外だった。
通じなさそうだ。
「科人やめな? トラブルは起こすものじゃない」
よかったこっちの人は話が通じそうだ。
「でも、まあ。死んでもらうけどね」
ロキの言葉で科人が俺に急接近し、心臓の位置に向かって大ぶりなパンチをした。
突然なことで俺の反応は遅れ、腰に掛けた剣を抜くことすらできなかった。
通常の人間ではありえない力だ。
吹き飛ばされた俺がそのまま木を数本なぎ倒していったのだから。
「じゃあ次は……君の方だ」
科人はそういう言うと、くれなの方を向いて、ゆっくりと近づく。
くれなは対人戦を経験したことがあっても、殺し合いを体験したことはない。
「まて!」
そんな子に任せるなんてできない。
殺し合いはできるだけさせない!
俺は震える体を無理やり立ち上がらせた。
「おぉ!? お前、頑丈な体してんなぁ?」
「科人……お前手加減したか?」
「してねぇしてねぇ! 本気で殴ったぜ?」
「そうか。だったら、科人の研究に耐えられるんじゃないか?」
心臓を殴られたためか目が霞む。
耳は正常なため、言葉は聞こえる。でも脳が働かない。
こうなったら意識的には戦えない。
だから、本能に任せて動く。
今はただ……くれなを逃がすために戦う。
「確かにそうだ! いいアイデアだ――ん? まだ戦おうってか?」
俺は、命を持つ者としての本能に従い――剣を抜いた。
前身は震えているし、まだ呼吸も整っていない。
この状況で二人相手に勝てるかと問われれば、子供相手でも無理だと答える。
万全の状態でもこの二人には勝てないだろう。
だから今回、俺はくれなを逃がすことに専念する。
「くれな。俺が時間を稼ぐから逃げろ」
「わかりました」
おぉ……ちょっとは躊躇うかと思った。躊躇ってほしかった!
少し涙が出そうになった。
いやまあ、今日で初めて会ったんだけどさ、先輩冒険者だから庇うのは当たり前なんだけどさ!?
俺は悲しいよ。
「戦闘中になーに考えてんだ? それにどっちも逃がさねぇよ」
その一言と共に、科人は一気に距離を詰めてきた。
しかし、今回は準備をしていたこともあり、剣を抜くことができた。
とは言え、力はまた別の問題。
吹き飛ばされるのは確実だろう。
少しでも時間を稼げますように!
「君、体固くなりすぎだよ。前しか見えてない」
「――!?」
耳元から聞こえる落ち着いた声。
いつの間にか、ロキは俺の後ろに立っていて、耳に息を吹きかけてきた。
俺はすぐさま剣を後ろに振り、胴体を斜めに切り裂く。
手ごたえはあった。
「やったか?」
「――痛いじゃないか……」
確実に切った。服も縦に切れていて上半身が見えている。
しかし、そこに赤い血は一切見えない。
それどころか、傷口も。
「この服はもうだめだな……新しいの買わないと……」
「ロキさぁ。いくら回復魔法で回復できるからって、わざと切られる必要あるのか?」
「一瞬だけ死ぬって感覚があるんだけど、それが最高なんだ」
「たまにお前の言っていることが分からなくなるわ……」
何を言っているんだ……こいつらは……。
それに仲間が切られたってのに一切の心配をしていない。
人間なのだろうか……。
そういえば、くれなはどうなった?
いない……うまく逃げられたのか……よかっ――って、えぇ!?
先ほどくれながいた場所から数メートルくらい離れた茂みの中に二つの目が見えた。
どうして逃げていないのか……いや、逃げるということができないと確信して隠れることにしたのか。
こいつら相手なら正しい判断か……。
探索能力が低いことを願うばかりだ。
「なぁ? お前、名前は?」
突然科人が名前を聞いてきた。
そんなもの答える義理はない。
「……だんまりか? あと、剣構えるのやめな。殺すのはやめる」
と言いつつ、油断したところを狩るやり口を見たことがある。
こいつらの言葉は一切信用できない。
「さっきの逃げた奴。あいつを追いかけない。その条件でどうだ?」
ロキが提案を持ち掛ける。
その言葉が、俺に決断させた。
「……無言を貫くのか」
この二人はくれながこの場から逃げたと思い込んでいる。
だったら好都合だ。なぜならくれなはまだそこにいる。
目を見開いて見ている。
……ん? ちょっとまて、くれなさん? 貴方の目線は何処へ??
あの向きは……ロキ?
まさか、隙を見てロキに攻撃を与えて……助けようとしてくれているのか!?
さっきは冷たい奴だと思ったが、取り消す!
お前は、最高の後輩だ!
「なあロキ? この交渉って意味あるのか?」
「んー。無いね」
「だよな? 俺たちの方がつえーし。いつも通り武力行使でいいだろ?」
「そうだね」
科人の目線がロキから俺に向く。
再び体に力を入れ、撃退の体制をとる。
ロキと科人は動く気配がない。
「だったらこっちから行く!」
俺はダッシュで二人に急接近して間合いに入り、砂を蹴り上げる。
「うぉ!?」
まずは目を潰す。これが決まれば相手は目が使えない。
そうなれば、ほぼ俺の勝ちが確定する。
あれだけの回復力を持つヒーラーがいるんだ。
科人も何かしらの力を持っていてもおかしくはない。
だから一撃で決める。
大振りだが、体を真横に二つにする方法。
真横だと結構な力が必要になる。
しかし、縦ならば自身の力に剣の重たさが追加されて――!
科人の頭に刃が触れそうになったところで、腕がピタリと止まる。
――俺の両手が、科人の片手で止められていた。
「お茶目な真似してくれるじゃぁん。普通に痛いんだけど……?」
終わった。俺はこの後――殺させれる。
多分、ゆっくりと……。
科人は俺が脱力したところで前へ突き飛ばし地面へと腕を押し付けた。
そして覆いかぶさり、俺の顔の上に科人の顔が見える体制になった。
この後、俺を殺す奴の顔なんて見たくねぇな……。
そう思って、顔を右に傾けると、くれなが茂みの中から顔を出し、目を輝かせてみていた。
へっ……いい趣味してんじゃん。
最後の最後で笑わせてきやがって……。
「何ニヤけてんのか知らねぇが……お前弱すぎ」
俺の耳元まで顔を近づけて科人はそう囁く。
息が耳にあたって気持ち悪い。
しかし、もう逃げる気力すらない。
「でも暴れられたら面倒だからちょっと眠ってろ」
その言葉と同時に首元に何本かの太い針を刺された感触が走る。
最後に俺の目に映ったのは、出ている鼻血が気にならないくらい真っ赤になったくれなの顔だった。
真っ暗だ。手足は何かに縛られていて動かすことができない。
ただ、二人の話声は風に乗って少しだけ聞こえる。
「まあ、いい実験材料が手に入ったんじゃないか?」
「あぁ! ロキ以外にも耐えれる奴がいるなんて思えねぇが、期待してみる価値はある」
含みのある笑い声が、部屋の中で響いている。
「寒みぃ……」
手足を縛られているほかにも、着ている服は……おそらくパンツのみ。
ひんやりとしていて、肌寒い。
その感覚は……霊安室そのもの……。
「くぅッ……」
部屋が急に明るくなり、暗闇に慣れていた目が悲鳴を上げる。
手で隠すことができずに、瞼を通り抜けてくる光で頭まで痛くなる。
「おぉ! 起きてるじゃねえか!」
「珍しいこともあるもんだ。初めてじゃないか? 科人の催眠から自力で抜け出した奴はさぁ?」
「やっぱり何かしらの耐性持ちだな? 俺は運がいいぜ!」
科人は何やらはしゃいでいるが、俺はまだ目が光に慣れておらず、一切の話の内容が頭に入ってこない。
理解できるのは近づいてくる二人の足音のみ。
そしてそれは、一つの恐怖として襲い掛かる。
「くっ来るな……近づくな!」
自らで理解できてしまうほど、声が震えてしまっている。
冒険者として生きてきて、恐怖で狼狽えるなどほんの数回しか経験したことない。
圧倒的な力の差。それを感じた時だけだ。
「ハハッ……こいつビビってやがるぜ?」
「それが普通の反応だろうさ。誰だって暗闇の中に放置されて、そこに急に変化があれば、警戒はもちろん、不安にもなる」
冷静なロキの解説に科人は軽くため息を吐く。
二人が話を終えるころ、ぼやけて見えていた俺の目は物の形が分かる程度には回復していた。
それと同時に、パニック状態も段々と落ち着き始め、いつの間にか荒くなっていた息が整い始めた。
「ふ~ん? 理性を取り戻すまでの時間もそれほど必要ないのか。じゃあ、俺の洗脳はそんなに聞かなさそうだな」
「洗脳……それがお前の力……か?」
「ん~俺の力って言うか、過去から現在にかけての化学の結晶って言うか……ってなんで俺がお前に答えなきゃなんねぇんだ!」
「科人はおしゃべりだからなぁ。あとチョロい」
「チョロくねぇ!」
腕を上げてぷんぷんと怒っている。
科人とロキのやり取りを見ただけならば、恐怖など感じる要素は微塵もない。
しかし俺は知っている。
科人の人間のものでは無い力と洗脳の力。それとロキの異常な回復力。
そして、それ以上の能力を持っていてもおかしくはないという現実。
仲間だったら……どれほど心強かったか……。
「で? 俺をどうするつもりだ?」
「うっわ。すんげぇありきたりなセリフ」
「引くなって、僕は好きだぞ」
お前は何に味方をしているんだ、というツッコミが頭を過った。
言葉にはしなかったがな。
「まぁ、どうするつもりだ……か?」
科人はそういうと、俺の臍のあたりに人差し指を置いた。
「簡単に言えば実験。詳しく言えば人間の脳はどういうもので、どこまでが限界で、どうすれば操ることができるのか? という研究だ」
危険な研究だ。人間――生物は操っていいものでは無い。
一人一人にしっかりと感情と命が与えられ、自由に生きることができるのだから。
それは感情と命を侮辱する行為でもある。
「お前、今俺を軽蔑したな?」
臍のあたりで円を描いていた指は皮膚を伝いながら顎のあたりまで近づいてくる。
そして、科人の手が俺の顎を鷲掴みにして、顔の向きを強制的に変えた。
「どうして……だろうな?」
目の前にある科人の顔は、怒りでもなく。幻滅しているわけでもない。
――無表情だ。ただ、その瞳の奥には強い憎しみと悲しみが込められている。
「俺の研究はいつも軽蔑されるんだ。『非道だ』とか、『お前は人間じゃない』とか……」
科人は俺から目を一切離さずに話を始める。
「そりゃ確かに、俺の研究の仕方が悪いのかもしれない。だけどさ……マウスを使う実験には限界があるし、人間を使う研究は制限があるから前の職場ではできない。でも……でもさ! 人の体一つに対して二つ救えると考えれば、そんなの数のうちに入らない物だよ……。この実験が早期に成功すれば一つで二つどころではない。一つで、数千万という人間が救われるかもしれないんだ!」
科人は声を荒げ、俺の顎から手を離した。
「それにね? 俺は誰一人として、殺していない。周りを見てごらんよ」
言われるがままに、部屋の周りを見る。
今までは二人に夢中で気づかなかったが、円形になったこの部屋の周りには、カプセル状の機械の中で、何かしらの液体に浸けられた複数の人体があった。
「脳はダメになっちまったが、体は生きてる」
「それは……殺したも同然……じゃないのか!」
俺の言葉で科人は固まった。
「誰でも知っていることだが……脳ってのは人間の最も大事な場所だ。記憶を補完し、感情を表し、生きてると実感させる。確かに、脳について研究が進めば進むほど人間を救える可能性は高くなるだろう。お前は誰も殺していないって言ってるがな、それは間違いだ。今このカプセルで眠っている人たちは、今後動くことも感情を伝えることもできない。命こそ失っていないものの、それ以外を殺されたんだよ。お前にな!」
「――うるさいッ!」
科人は自らの拳を、固定されていた俺の腕に振り下ろす。
鈍いドスンッという音が部屋中に響くと同時に。俺の右腕は完全に潰され、裂けて、白い骨が見えていた。
「ぐあああああああああああああ! 俺の……腕があああああ!?」
耐え難い痛み。すぐにでも、もう一方の腕で握り抑えたい。
しかし、固定されたままの左腕ではそれもできず、ただ痛みを声で表すことしかできない。
「落ち着け科人。僕は科人の研究が未来へ繋がると信じているし、絶対にお前を裏切らない。そして科人、僕さえ信じていればいいんだろ? そう言ってくれたじゃないか?」
魔法で少し浮いたロキは、科人を前から抱き込んで、頭を撫でる。
怒りで荒れていた科人の表情も段々と落ち着きを取り戻す。
「そうだな……俺は、お前さえ信じていてくれればそれでいい……」
科人は「ありがとう。ロキ」というと、ロキの腕を優しく外す。
「ちょっと疲れた。お前で遊ぶのはまた明日にしよう。ロキ、すまねぇがこれ、戻しといてくれ。死ぬこたぁねえと思うが……一応な?」
「おーけー。パパっと直しとくよ。ほいっと」
ロキが俺の腕に触れると、痛みは一瞬で消えて、出血は止まり、皮膚が再生されて、砕けた骨は見えなくなった。
「どうだい? 僕の魔法はすごいだろ?」
すごいどころの話ではない。
俺の知っている治癒魔法は、回復できても切り傷や擦り傷を完全に治せる程度のもの。
俺が負った傷では、血を止めることも、痛みを無くすこともできない。
「お前は……一体……?」
「僕かい? 僕はね? ヒーラー魔法使い。ポーションをよく使うよ」
後ろ手をしたロキは俺の顔を覗き込みながら言った。
「ロキ。終わったなら、戻ろう。また手伝ってくれよ」
「また? さっきもしただろう?」
「いいじゃねえか。ロキがいねぇといい感じにならねぇんだ」
「分かったよ。やろうか」
「やったぜ」
科人とロキ、二人の背中は扉が閉まる音と同時に見えなくなり、再びこの部屋は真っ暗になった。
「あいつらは……一体……」
あれほどの強さ。世界的にも有名でなければおかしいくらいだ。
もしも此処から出ることができる日が来れば、調べてみなければならないな。
まあ、その可能性はおそらく〇にも等しい。
「今できることは……」
無いから寝よう。
そうだ。もしかすると夢かもしれない。
可能性は〇じゃない。
そうさ。大丈夫。きっと……。
わずかの希望に縋りながら、俺は深い眠りについた。
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ここは屋敷のお風呂場。
温泉のように広く湯気で前が見えなくなる。
その中で、二人の声が響いた。
「おーい! ロキも早く来いよ! 今日も体を洗ってやるからさ!」
「たまには一人でゆっくり湯船につかりたいと思うのは僕だけだろうか……」
科人はすでに湯船につかり、全身の力を抜いている。
その様子をみたロキは、軽くため息を吐いた。
もちろん科人と風呂に入ることが嫌なわけではない。
ただ、一人でいられる時間。それが欲しい。
「風呂は誰かと入ったほうが楽しいだろ?」
科人はにへらっと笑って見せる。
その笑顔でロキの時間は一瞬固まったが、そのことには本人すら気づかない。
「俺はさ……昔から一人ボッチだったから、誰かと一緒にいるってのがこんなに楽しいなんて思っていなかったんだ。だから、さ……ロキ。俺はお前と出会えて、サイコーに幸せもんだぜ? これからもよろしくな? 親友」
突然の発言にロキは顔を真っ赤にした。
「と、突然何言ってんだよ! は、恥ずかしいだろうが!」
ロキが軽く肩を押すと、科人はそのまま湯船の中に倒れていった。
「科人? しなとおおおおおおおおおおおおおお!?」
「わりゅい……ゆぶにぇにつかりしゅぎたぁ……」
ロキはへにゃへにゃになった科人を抱えて、すぐに外に連れ出したのだった。
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腕に物理的な痛みはない。しかし、潰された事実がその過去を思い出させる。
手足を固定されていて、触って確かめたくても確かめられない。
寝てしまっても、環境のせいで十分やそこらで起きてしまう。
しっかり眠れたのは最初の二、三時間くらいだ。
最悪だ。体力はゆっくりと奪われ、段々不安にもなってきた。
でも、まだ殺してほしいとは思っていない。
生きることができるのなら、絶対に生きてやるさ。
そんなことを考えていると、瞼を突き抜ける光が再び俺の目を襲った。
二人が来たのだ。しばらくの間は目は見えないだろうが、二人が来たことはわかっている。
今は落ちるいている。
「おぉ? まだ二回目だってのにもう慣れたのか? こりゃ本当に長持ちしそうだ。次の段階へ移ってもよさそうだ!」
次の……段階?
まだ……何も始まっていない……だろ?
「いやぁ、恐怖への耐久力テストって、対象に認知されるとダメなんだ。だから、絶対に違うと思わせれるところで確かめる」
――そういうことか。
ゆっくりと近づいてきて顔を覗き込む科人。そして、俺の頭を指でトントンとつついた。
「気づいたみたいだな? 未知の場所に連れてこられ、圧倒的な力を持つ者に束縛される。このテストはそれらの状況を把握させた後、視覚から与えられる情報はどれだけの恐怖を与えるかのテストだ。人間は視覚に頼り切っているから、今までの実験体は全部五回は怖がってた。お前は最高記録だぜ?」
「科人。最高記録は〇回だよ? 覚えてないの?」
「あぁ。あいつだろ? なんか『わし神じゃのに……』ってずっとつぶやいてたやつ。あいつはノーカンだ。元が壊れてたら研究のデーターには使えねぇ」
「なるほど……」
科人の言葉を聞いて、ロキは手にもっていた紙に消しゴムをかけ始めた。
俺にとって、最高記録なんてのはどうでもいいことだ。
それよりも、実験の第一段階が終わった。
そして、第一段階は恐怖への耐性の確認。
つまりその流れで来る第二段階の実験は――
「それじゃあ、まぁ……第二段階、人体実験をを始めますか」
科人の歪にゆがんだ笑み。
俺にはこれが悪魔のように見えた。
「科人はそんな顔しないほうが良いよ。かっこいい顔が下品になってる」
「なあロキ? それ今言うタイミングだった?」
空気読んでくれよと言わんばかりの声のトーンで科人は返答した。
お茶目なロキの発言により、崩れてしまった空気感。
しかし、科人にとってそんなものは一切関係ない。
科人は手元にある大きな箱の中身を漁って、時たまニヤリとした顔を見せる。
何を考えているかなんて知りたくない。
俺が今持っている今日が増長するだけだ。
「科人ご機嫌だね~」
椅子に座り、後ろから暇そうに見つめてるロキが言った。
「当たり前だろ? 頑丈な体だからな。普通じゃできないハードなやつだって耐えてくれるかもしれない」
そう言った科人の手に見えたのは鉈や杭――ガスバーナーなどが見えた。
正直、これから拷問を受けるとなると、見たくもないものなのだが……この科人は、わざわざ目に映る位置に移動してくるのだ。
……これも一つの研究なのだろうか?
「早く……やれよ?」
ついに口から出てしまった言葉。
諦め――と言えばそうなのだろうか。
いくつかの拷問は確定で受けることになるだろう。
ロキの回復力があるとは言え、痛みで頭がおかしくならなければいいが……。
「んぁ? お前マゾか?」
「んなわけねぇだろ……」
「ふーんまぁいいや。じゃあお望み通り始めてやるよ」
科人は箱の中から一つのナイフを取り出し、俺の皮膚へと近づけた。
「まずは他の個体にもやったやつだ。これくらいで壊れるんじゃねぇぞ?」
科人の持ったナイフは、俺の太ももへ近づけられ、ゆっくりと皮を切り内部へ入り込む。
「うっ……ぐぐ……あぁっ!」
そして、肉を少し巻き込みんだままナイフは少しずつ移動する。
焼けるような痛さと伝わる生暖かさ。自らの汗と血でそう感じているのだろうか。
最終的に、まだ皮が繋がっている状態で、ナイフは肉の隙間から引き抜かれた。
断続的に続く身を引き裂かれていく痛み。
腕を失った昨日よりも、精神的には辛い。
「あぁ……クソッ……」
「おー。流石にまだ壊れちゃいねぇな? ここでダメになる奴は使いものにならねぇからな。じゃあ一気に行くぞ! オラァッ!」
その掛け声とともに、まだつながっていた皮を思いっきり剥がしていく。
一瞬の出来事だが、全身に信じられない激痛が走る。
「ガハッ! ぐあああああ!」
ここまでの激痛が走れば、人間ってのは気絶するはずだ。
どうして、気絶できないんだ。
痛みで頭がおかしくなりそうだが、まだ少しだけ冷静ではいられる。
しかし、本来は冷静ですらいられないはずなのだが。
――!
「お前か……!」
後ろで眺めているロキの周りには、一つの魔法人が浮かび上がっていて、それをこちらに向けていた。
おそらく、状態異常を阻害する何かしらの魔法だろう。
なるほど。精神的な逃げ道すらも無いということか……。
「ふふ……あはははははははは!」
「ん? おいロキ? こいつ狂っちまったぞ? ちゃんと魔法かけてんのか?」
「僕は魔法をかけるのをやめていないよ。それがそいつの本性じゃないの?」
「いや~。ここまでやられると逆に落ち着いちゃってさあ?」
太ももを削られただけで、全身に激痛が走っている感覚。
そして、気絶することも許されない。
誰もが狂ってしまうような状況。
――だったら、耐えてやるよ。
逃げ道が無いなら、できる瞬間を探して。
逃げることのできる瞬間が無いなら、満足するまで耐えてやる。
「おぉ? なんか希望に満ち溢れてますよって感じのいい目になったな!」
そして、科人はロキの名前を呼び、俺の体を治療させた。
相変わらず凄まじい治癒力だ。
「ロキもたまにはやってみねぇか?」
「僕は見ている側でいいよ」
「まぁ一回やってみろって?」
「ん~じゃあ、これ使ってみるよ」
そう言ってロキが手に持ったのは、ガスバーナーだった。
「おうおう……。なかなかえぐいのを選んだなぁ? 流石ロキだ」
「え? そうなの? あぁ、焼死ってたしか一番辛い死に方だったけ? まぁでも、今回は殺すわけじゃないし、そうでもないでしょ」
この時、科人が初めて呆れた顔をした。
ロキから拷問を受ける際、仰向けからうつ伏せに変えられた。
目に映るのは地面のみ。
ロキが持っていたガスバーナーが頭を過り、再び恐怖が生まれ始める。
「君の名前はグレン・アドラーだよね?」
「――どうして俺の名前を知っている?」
突然ロキが口にした俺の名前。
俺はまだ彼らに名乗った覚えはないし、聞かれた覚えもない。
「え? 君の所持品に入って組合員証に全部書いてたよ?」
やらかした。攫われる想定なんて一切してなくて、対処法を用意してなかった。
「まぁそんなことはどうでもいいんだ。僕拷問とか初めてだから、痛くなかったらごめんね?」
普通逆だろ。痛かったらごめんねだろ!
思わず心の中でツッコミを入れてしまうが、ガスバーナーの炎の熱が余裕を与えない。
「グッ……」
背中をガスバーナーで炙られている。
プツプツと肉が焼ける匂いは臭い。
「……止まった?」
やけに終わるまでの時間が早い。
そう思っていると、先ほど焼かれた背中の一部をロキが撫でるように触った。
「これが……拷問……ははは……。自身の肉が焼かれてるのに、全身を汗でびしょびしょにしながらずっと耐えてる。さっき、皮を剥がれているのを見ていた時も湧き上がってきたこの感情は……いつもの僕じゃないみたいだ……」
「グレンに対してどう思った?」
ロキの後ろでにっこりと笑った科人がそんな質問を投げかけた。
「……かわいい……かな?」
「そうだよ! そうなんだよ! やっぱりロキもそう思うよな?」
科人は急に興奮しだした。
自らと同じことをして、同じ感情を持ってくれたロキに対して!
「うん。そう思う。だって、今――グレン君すっごくかわいいよ」
「ヒッ!」
痛みなんか全部消えて鳥肌が立った。
炙られた背中をいまだにロキは撫で続けている。
「もうちょっと炙ろうかな……いや! 一旦回復して……でも――」
次の拷問は何にしようかと、ロキは悩み続けている。
しかし、それを科人は中断する。
「ダメだ。これ以上やっちまうとぶっ壊れちまう可能性があるからな? 今日は終わりだ。ほら、早くこいつに回復魔法を」
「えー。まぁ、科人が言うなら仕方ないなぁ……はい」
ずっと痛かった炙られた部分からすぐに痛みは引いた。
「じゃあ、グレン君。また明日ね?」
「おいおい? 俺のこと忘れんなよ?」
「大丈夫。多分どっちも好きだから」
「えぇ……」
この部屋から二人が出ていくとき、科人から少し引き気味の声が聞こえたのは気のせいではない。
ロキのあまりの変わりように動揺しただけだろう。
「この痛みが……これから毎日続くのか……」
正直耐えられる自信はない。
拷問を初めて受けたこともあり、結構な苦痛だ。
精神的にも結構つらい。
今はまだ平気だが、いつ壊れてもおかしくないのは自分でもわかる。
少しでも隙があれば逃げることを検討しよう。
俺の体内時計と推測が間違ってなければ、この屋敷で目覚めてからおよそ三日くらい経っただろうか?
科人とロキは、俺を実験体にすると言いつつ、毎回豪華な食事を持ってきてくれている。
しかし、俺もすっかり疑心暗鬼な人間になってしまったため、その食事さえも研究の一つにされているのではないかと考えるようになってしまった。
精神を侵され、肉体を壊される。
泥沼にはまってしまっている。
だが、幸いにもまだ考える頭は残っている。
まだ冷静でいられる。
考えることにより、頭を冷静にさせる。
現状を受け入れて、対策を練る。
しかし、そのタイミングを見計らったかのように、科人とロキは大きな音を鳴らして扉を開ける。
「さぁさぁ! 今日もやってまいりました! 拷問のお時間です!」
「あっドンドンパフパフ!」
言い方は遊び人そのものだが、内容は狂人そのものだ。
「おやおやグレン君。俺たちに会えてうれしそうだねぇ?」
「僕はうれしいよ」
「俺はうれしくねーよ!」
俺の否定に二人は「「まぁまぁ!」」と声を合わせて、俺の肩を軽く叩いた。
何故か二人とも異常なほど、テンションが高い。
テンションが高いだけなら別に構わないのだが、この二人に限って何もないなんてことは絶対にないだろう。
「グレン君は今日でここにきて三日目になるよね? 実はここに連れてくる人みんなに一度だけプレゼントしているチャンスなんだけど、今日中にこの屋敷から抜け出したら、自由にしてあげるよ」
「じ……ゆう?」
聞き間違いだろうか?
わざわざ人体実験のために捕まえた実験体に逃げるチャンスを与える。
これだけを聞くとその研究者は馬鹿なのかと思うかもしれない。
しかし、この男――科人は脳の研究をしている人間。
この逃げるチャンスと言うのも嘘かもしれないし、本当に逃げられるとしても可能性は〇に等しいだろう。
「そうだ自由! 恐怖のどん底に落とされた人間全員が挑み、全員が抜け出すことができなかった! さて、グレン君は抜け出せるかな!?」
今日の科人とロキは昨日の不気味な笑みや火照った笑みではない。
ただニカッっと笑う元気な少年のようだ。
その心の中がどれほど濁っているかは、俺には分からないが。
「ゲームルール! 本日二三時五九分五九秒までにこの屋敷がら脱出すること! ただそれだけ!!」
それだけ……? いや、おかしい。
そんなことは絶対にありえない。
いくつかの罠があるはずだ。
それだけじゃない。
この部屋から出るだけでも、科人とロキ――この化け物二人を相手にしないといけない。
どうやって――
「じゃあ俺たちは見てるから」
「グレン君がんばえー」
「えっ?」
二人は俺の手足を押し付けていた金具を外すと、そそくさとこの部屋から退出して、どこかへ行ってしまった。
この部屋に残ったのは、俺より前に連れてこられて脳を破壊された数人と俺だけ。
「さて、どうするか……」
まず、想定外なのは二人がこの部屋からどこかへ行ってしまったこと。
俺はてっきり何かしらの障害になると思っていたのだが……。
とにかく、ここで戦わないでいられたのはラッキーだ。
何も整理ができていないまま戦闘となると、戦うどころか蹂躙されていただろう。
しかし、どうする。
二人が出て行った扉から俺も出るというのは、絶対にダメだ。
もしもそこで二人が待ち構えていたらゲームオーバーだ。
そしてこの部屋にはまだ扉が二つある。
どの扉がどこに続くか、そのヒントすらない。
「ここで悩んでいても、無駄な時間が過ぎるだけだな……えぇい! ままよ!」
俺は気合を入れるために声を張りながら、一つの扉を開けた。
そこはまっすぐな廊下になっていて、奥の方には扉が見えた。
「何もない……わけないだろうな……」
こういう場所は大抵何かしらのトラップが置かれている。
急に矢が飛んできたり、壁が迫ってきたり、前方後方のどちらからも敵がやってきて挟み撃ちにされたりなど……。
迷宮探索じゃあ当たり前に遭遇してきたものだ。
こういう時は慎重に細部まで確認しながら進まなければならない。
特に今回の床はタイル状だ。
どこかがスイッチになっている可能性は高い。
踏む場所はすべて少し触ってグラついていないか確認しなければならない。
面倒だが、一つずつしっかりと……。
そして俺はおよそ一時間かけて、扉の前に到着した。
結局トラップが発動しそうなタイルもワイヤーもなかった。
精神が削られ、頭がくらくらする。
「俺は、トラップ見つけるの……専門外だっつーの!」
たまっていた不満を声に出して吐き捨て、気持ちをリセットする。
完全に不満が無くなったわけではないが、少しだけましになった。
「――次はなんだ!」
そのままの勢いを保ったまま次の扉を思いっきり開けた。
「なッ!」
俺は言葉を失った。
そこにはホルマリン漬けにされた人体や、俺が捕らえられていた部屋にもあった、何かしらの透明な液体に漬けこまれた人間たちがいた。
およそ、五〇人これだけの人間が生きながらも殺された。
「子供も……か……」
非道……頭に思い浮かぶその単語。
俺は……まだ心の中で科人は人間だと言う認識があった。
けれどあいつは! これだけの人たちから自由を奪って、感情を奪って、生きる意味を奪った。
だから認識を変えよう。
今から科人は人間じゃない。
あいつは……俺の敵だ。
「次の扉は……」
気分を悪くしながらも、この部屋の隅々まで探索した。
しかし、次の扉が見つからない。
この部屋はここで行き止まりなのだろうか?
「とりあえず戻るか……」
戻ってもう一つの扉を見てみよう。
帰る際にもトラップは発動しなかった。
「この扉は……」
もう片方の扉を開けると、そこには俺が来ていた服と黒いマント、ほかにも武器や備品が置かれていた。
「そういえば……俺パンツしか履いてねぇわ」
普通のことに気づけないとは……だいぶ感覚がおかしくなっていたのだろう。
俺は服を着ると一つの扉に目を向けた。
「結局この扉か……。まぁ、あの二人がいたとしても、戦う覚悟はできてる」
元冒険者として、命を守ってきた者として戦おう!
俺が扉の前に立つと、扉は勝手に開いた。
「歓迎されてもうれしくねぇよ」
扉を出た先は窓に面した無駄に天井が高い廊下だった。
外は真っ暗。今が何時なのかも分からない。
けれど……窓を壊して逃げてしまえば!
「さすがにそれは許されないよねぇ?」
魔導書を片手に、空を飛び上から話しかけてきたのはロキだった。
「いやー本当はさ、今までの子たちに手出しとかは一切してこなかったんだけど、グレン君って僕のお気に入りだからさ。またあの悲鳴を聞きたいし、また君の背中に触れたい。……そして壊して治してまた壊したい!!」
今までのロキの言動からは考えられない言葉の数々。
興奮……もそうだが、それとは別の感情も入り混じっているように感じる。
「だからさぁ! 科人と話し合って、君を僕の所有物にすることにしたよ! おとなしく僕についてきてくれれば! 命くらいは助かるかもしれないよ?」
「――お断りだ」
即答した。
生きることはできても、結局は甚振られることになる。
生き地獄を味わうくらいなら、足掻いて足掻いて足掻きまくって、どうにかして生き残る!
死んでしまうなんて運命がそこにあるのなら、俺は変えてやる。
「そっか……じゃあ! 無理やり捕まえちゃうね!!」
俺は剣を引き抜き臨戦態勢をとった。
強敵と分かり切っている相手に、むやみに突っ込むなんてことはしない。
トラップが仕掛けられていたらたまったものじゃない。
とはいえ、ロキは魔法使い。
間合いを詰めれば、こちらの有利になる。
問題はどう詰めるか。
「どうしたの? 早くしないと、今日が終わっちゃうよ?」
「戦うんだったら、制限時間なんて関係ないだろ……」
「それもそうだね! 結局は捕まっちゃうんだから!」
ロキは手を大きく広げて叫ぶ。
「俺は捕まらない」
「ふ~ん? その自信はどこから湧いてくるのかな?」
自然と出た言葉。だけど、俺はこの言葉に大きな意思を込めていた。
「これは自信なんかじゃない。決意だ」
「決意?」
たくさんの人たちの人生を変えてしまった科人とロキ。
俺はこの二人を許さない。
科人とロキに人生を変えられた人たちがどんな人だったかは知らない。
けれど、人生は簡単に変えてしまっていいものでは無い。
「僕、その目……嫌いだなぁ……。僕を生き物として見ていない目。嫌いだ……嫌いだ嫌いだ嫌いだ!」
突然ロキの周りに黒く禍々しいオーラが纏わりついた。
「僕をッ! その目で見るなッ!」
「やっべ、なんか怒らせちまった!」
オーラは人が四つほどの大きな拳の形に造形され、俺の目の前に振り落とされた。
「クッ……!」
石造りの床には円状に亀裂が入り、それと同時に爆発音がした。
飛んでくる破片が俺の服や頬を切っていく。
「たとえグレン君でも……その目で僕を見るのは許さない……。ハハハッ……本当は結構いい待遇をしようと思っていたんだ。確かに科人の重要な実験体ではあるけれど、君のことは結構気に入ってたんだ。だから、実験の内容を少しだけ軽くして、研究が終わったら……全部僕のものにしようと思って……。でも! その目で見てくる人間は嫌いだ! 教育しないと……」
「こりゃあ、ちょっとやばそうだな……」
俺は剣を鞘にもどし、ロキと対面している反対側へと走り出した。
後ろから時たま聞こえる爆発したような音と、伝わってくる大きな振動。
途中にいくつも部屋があり、その中に逃げ込もうとしたのだが、その先が続いていなければ、即詰みだ。
そのことを考えると、恐怖が邪魔してなかなか入ることができない。
「いつまで、追いかけてくるんだよ!」
反応は無い。逃げる俺を捕まえることで頭がいっぱいなのだろうか。
俺だって逃げることで頭がいっぱいだ。
そんな俺に、女神はそっぽを向いた。
廊下がついに終わり、そこには一つの扉があるだけ。
「もう入るしかねぇ!」
ここで行き止まりだったら、もう戦うしかなくなる。
勝算はほとんど無い。
「なるようになりやがれ!」
扉を蹴破ると、そこは大きな広間となっていた。
しかし、逃げ道のようなものは見当たらない。
後方からついてきていたロキはゆっくりと広間に入り、にっこりと笑った。
「ざんねぇ~ん! ここは行き止まりで~す! ここから出るには、僕と戦って倒すしかない! でもグレン君に勝算は無いよぉ? だって、僕は君より強いから!」
俺は再び剣を引き抜き、戦闘態勢をとる。
「ち・な・み・に! 僕に君の攻撃は効かないよ? 君も分かってるでしょ? 最初戦った時に、僕は君の攻撃をもろに食らった。でも、僕の体に傷は一切残ってない。諦めた方がいいと思うなぁ?」
分かっている。
俺の普通の攻撃じゃあ、ロキには傷一つつけることができない。
結局同じ未来が待っているんだったら、少しでも可能性にかけようじゃないか。
剣を持っている右手に力を加え、可能な限り体中に魔力を回す。
「はあ……戦っちゃうのか。壊れないように注意しないと……」
「一つだけ……いいことを教えてやる」
「いいこと?」
ロキは俺の言葉に首を傾げる。
「俺は、初級魔法しか使えない!」
ロキは口を大きく開けてポカンとした表情になる。
そして――
「ぷっ……ハハハハッ! 嘘だろ? 初級魔法しか使えないって……! 初級魔法しか使えないって!? 子供でも、初級魔法すべてと、少しだけ中級魔法が使えるよ!?」
腹を抱えて笑い始めた。
「だからそれは嘘だ。君は何かしらの魔法を使える。僕を騙そうだなんて、そんなの通じるわけないじゃん」
突如声のトーンが低くなり、場の空気が重くなる。
相手が強いときはいつも感じる。
「さて、グレン君も準備が整っているみたいだし、そろそろやろうか。一方的な蹂躙を!」
その声と共に、再びオーラで形作られた拳が飛んでくる。
今回はしっかりと俺の体を狙っていた。
つまり、さっきまではわざと俺の後ろを狙っていたわけだ。
俺は大きく左ステップすることで、その拳を躱した。
しかし、拳はそのまま床をえぐりながら、俺を追ってくる。
体制が崩れていたため、これを避けることはできずに、全身を吹き飛ばされた。
「あっれ? あれだけの意気込みがあって、この程度? そんなわけないよねぇ!?」
痛い。全身が痛い。口の中に鉄の味が広がる。攻撃を受ける時、少しでもクッションになるように風魔法を使ったが、ほとんど意味がなかった。
次にもう一度、何か喰らったら、動くことはできなくなるだろう。
できるだけ早く、ロキに攻撃を与えることができる方法は……。
「一か八か……」
「おぉ! やっぱり頑丈だね! 普通の人間だったら即死だったよ!」
俺は立ち上がり、魔法を使う準備をする。
と言っても、一つ以外は本当に初級魔法のため、詠唱なんていらないんだが……。
「ほら! もう一発いくよ!」
同じ威力の拳が再び俺のもとへ飛んでくる。
俺は先ほどと同じように左にステップを入れて、それを躱す。
「同じ躱し方じゃ、簡単に当たっちゃうよ!」
「当たらねぇよ!」
俺は高くジャンプした。
するとそれを狩ろうとするように、拳は俺を追ってきた。
「空中じゃ逃げ場も無いね! これで終わりだよ!」
ロキは満面の笑みを俺に向けた。
拳は天井まで上昇して、そのまま叩き潰すかのように突っ込んでいった。
天井には大きなへこみができていた。
「死んではいないと思うけど、どうかな?」
破損した天井と埃で煙が上がり、ロキにはよく見えていない。
「お? 見えてきた見えてきた――なっ!? どこに!」
そこに俺の姿はなかった。
だって、俺は今――
「後ろだよ」
「なにッ!?」
そう囁いた後、ロキがこちらを振り向く前に背中を切り裂いた。
「だから、効かないって……痛い……? あれ、なんで……?」
ロキが自らの背中を触ると、そこは人間の温かさではなく、氷のような冷たさを感じた。
否、そこは実際に凍っていた。
「なんで! なんで僕の回復魔法が、効かないんだ! いやだ、いやだ! 連続した痛みは嫌だ!」
「こりゃ、しばらくは動けなさそうだな……」
俺がロキの回復魔法を封じた方法。
実は昔、同じように異常な回復力を持った敵と遭遇したことがある。
その時に、俺の友人が使っていた技術だ。
友人曰く、『一瞬で回復してしまうなら、一瞬で回復できる場所を埋めてしまえばいい』と……。
俺も最初は意味が分からなかったが、どうやら傷口に何か障害となるものがあれば回復魔法では接着ができなくなるらしい。
俺はほとんどの属性に関して、初級のものしか扱えない。
しかし、氷の魔力を大量に剣に込めることによって、斬ると同時に凍らせた。
ロキの後ろに回り込めたのは、土魔法と風魔法と身体強化のおかげだ。
空中にあるはずの無い土を足元に生み出し、それを蹴って移動する。
三つの魔法を同時に使うのは魔力の消費量が異常なほど多いため、あまり使えはしないが、背に腹は代えられない。
それに俺は初級魔法しか使えないが、ほかの人間よりは魔力が多い。
まだ半分以上は残っている。
「いやだ……ずっと痛いのは嫌だ! 助けて……ねぇ! グレン君……助けて! お願いだよ! お願いだよぉ!」
「だめだ。その痛みを感じ、今までやってきたことを知れ」
後方から聞こえる痛みを訴える泣き声を背に、俺は来た道を戻ることにした。
所々ボロボロに砕けた廊下は足場が悪くて体力を使う。
見かけた扉は全部開けて確かめるが、すべてただの個室になっていた。
窓から逃げようと試みたのだが、すべて何かしらの魔法がかかっていて、開けるどころか壊すこともできない。
流石にそこまで甘くはないようだ。
科人は倒さなければならない。
しかし今は状況が悪いため、一度逃げて体制を整えたかった。
「戦うしか……ないか……」
科人の身体能力はおそらく異常だ。
脳科学者を名乗って入るが、もし冒険者だったら上位には確実にいただろう。
他の能力にも注意しておこう。
残念ながら心理戦は科人が圧倒的に有利になるだろう。
魔法は分からない。しかし、俺よりも上位の魔法は確実に使える。
俺は人間が使える魔法の最小限しか使えないから魔法も不利と考えよう。
他には……戦術。
これに関しては、一切分からない。
先ほどロキとの戦いで見せた魔法の組み合わせは所見じゃなければ通じない。
あの部屋に科人がいなかったとはいえ、何度も使えるような技じゃない。
考え事をしているうちに、俺が捕らえられていた部屋の前までやってきた。
ここからはまだ行ったことのない道。
どんな罠があるか分からない。
しかし、ここまで罠が無ければ警戒も緩んでしまうもの……。
精神面の休憩も踏まえて少しだけ気を張るのをやめて探索をすることにしよう。
ロキと対面した場所を通り過ぎると、先ほどとは打って変わって黒い絨毯が敷かれたきれいな廊下が続いている。
今度はどの扉の先も、豪華な一室となっていた。
重要な客人用だろうか?
やはり窓は割れないが……。
そして、明らかに今までとは違う部屋に繋がっているであろう扉を見つけた。
「この先に科人が……」
ここまで何の代り映えのない一室が続いていた。
この先に科人がいるのは間違いない。
そして、屋敷の出口もこの先にある。
「行こう……」
この戦いですべてが決まる。
この戦いで全部終わる。
この戦いで――
「俺は家に帰る」
無駄に装飾されて、無駄に重くなった扉をゆっくりと開ける。
扉を開けて最初に見えたのは、一人の白髪の男の後ろ姿。
「お? もう終わったのか? ロキ」
科人は微笑みながら振り向く。
しかしその先にいるのは、ロキではない。
「お前……ロキはどうした?」
「しばらく動けなくしてきた」
「へ~案外やるもんだな。ロキの回復力をどうやって対応した? この世界じゃ俺が一番強くて、ロキが二番目に強いと思ってたんだが……井の中の蛙大海を知らずってことか?」
科人は顎に手を当てて、ぶつぶつと考え始める。
「俺の場合は、複数の薬と洗脳でどうにかなったが、それ以外の方法ってのは想像がつかねぇな……。なぁ? これは科学者としての興味なんだが、ロキの異常な回復力。お前はどうやって対策したんだ?」
「……誰が教えるかよ」
科人はため息を吐いて「やっぱりそうだよなぁ」と呟く。
そして再び顎に手を当てて、ぶつぶつと何かを呟きながら考え始める。
俺はその隙を見逃さない。
二度も目の前で隙を見せられて、何もしないようじゃ元冒険者としての名が廃る。
可能な限り一撃かつ、相手が予測できない攻撃。
足元からの攻撃――それしかない。
しかし、足元から致命傷を与える攻撃なんて、俺には一つしかない。
それにこの攻撃は俺に残っている魔力をほとんど持っていく。
もしもその攻撃で倒せなかったら……。
――いや、どのみちここでやるしかない。
科人が戦意を持ったら、それこそ一貫の終わりだ。
科人の意思がこちらに向いていないうちに俺は一つの魔法を構築し始めた。
初級魔法の同時発動。先ほどの三つの同時発動を超えて、今回は五つ。
すべて同じ土属性。
この魔法を使い終わったとき、俺の魔力はほぼゼロになる。
少し目が霞むが、体にそれ以上の異常はない。
科人はまだ考え事をしている。
よし。この魔法ですべてを終わらせよう。
そして科人達に罪を償ってもらわないと。
俺は心の中でも魔法の呪文を唱えた。
(――Earth Mallet……)
俺が呪文を唱えると共に、科人の足元の床が割れる。
「な、なんだ? 地震か?」
科人は勘違いしているが、実際に動いているのは科人の足元だけだ。
そして、床が割れて少しの土が見えた瞬間、槌の形をした土が科人を天井に叩きつけた後、床に穴をあけながら叩き落した。
流石の科人でも、床が壊れる威力で叩き潰されかけたなら、しばらくは動けないはずだ。
確認するまでもない。
さあ、一度この屋敷から出て――
背後から聞こえたカランと瓦礫が転がる音。
俺は恐る恐る後ろを振り向いた。
――頭から血を流している科人が、こちらを見ていた。
「いってぇ……。いつぶりだぁ? 俺がこんだけの傷負ったのはよぉ……」
体についた土埃を手でたたいて払い落とす。
そして体をゆらゆらと揺らして倒れるかと思った次の瞬間――
「ふざけんじゃねええええええええッ!」
手にナイフを持った科人が俺との間合いを一瞬で詰めて、俺の首を狩ろうとする。
そのナイフは顔をそらした俺の頬を切った。
頬を血が伝っていいくのが分かる。
絶望的だ。俺にはもう魔力がほとんどないってのに……こいつは――科人はまだ、魔力が満タンの状態だってのに!
俺は剣を抜くが、科人の振るナイフに防戦一方だ。
「久しぶりだったぜ!? 俺にあんだけの苦痛を与えるとかよぉッ! 少しうれしい部分もあるが、それ以上にオメェにムカついてんだ! ぜってぇ殺してやるよ! 生きていることが嫌になるほどの苦痛を与え、本当の死ってのを教えてやる! 絶望なんて比じゃねぇ……地獄を味合わせてやるよッ!」
まるで風のように走る科人を倒す術は俺にはない。
今はほとんど感でナイフを剣で受け止めているようなもの。
部屋には剣とナイフがぶつかり合う音が何度も響き渡っている。
時々俺の上半身の皮膚をナイフが掠り、血が少しずつ流れ出していく。
勝ち目は無いが、どうしても諦めたくない。
科人を許したくない。
科人が頭に浮かぶと怒りで少しだけ体に力が入る。
それでも、科人には遠く及ばないが……。
可能性があるとすれば魔法だったのだろう。
魔法を使うことによって、科人に傷を負わせることができた。
しかし、何度も言っているように俺の魔力は〇に等しい。
もう……俺の戦いはここで終わりなのだろうか……?
――いや、まだだ。
ここで終わることなんかできない。
結局この先、絶望的な運命が待っているんだったら、少しでも足掻いて、少しの可能性に賭けてやる。
「モラス……俺に呪いを……」
《いいのか? お前の呪いが解呪できたのは奇跡だ。それにあいつはもういない。お前は自ら、もう一度呪いに掛かるのか?》
頭の中で響く若い男の気怠そうな声。
こいつの名前はモラス。子供の頃から俺の体に居座り、呪い続けてきた大悪魔……らしい。
「いい……」
《はぁ……分かったよ。いいか? 少し踏ん張れ》
「なにごちゃごちゃ独り言言ってんだぁ!?」
科人から距離をとりつつ、振られるナイフを弾く。
今できることはそれで全部だ。
あとは……耐えるしかない!
「オラオラオラッ! 防御しかできてねえじゃねえか! 策が尽きたかぁあ!?」
「魔力が回復するまで待ってくれるなんてことは――」
「あるわけねぇだろッ!」
「ですよねー」
殺し合いで相手を待つ奴なんて俺は知らない。
名乗ったり、敵を無視して何かを語り始めたらそこで命が一つ消える。
モラス……まだか!?
《あとちょいだ! 三分耐えろ!》
三分くらいなら――
そう思った瞬間、俺は宙に浮いていた。
否、科人に殴り飛ばされた。
下から上へと振られた拳。
俺の体は天井まで持ち上がり、肺がつぶれるかと思うほど強く打ち当てた。
体制を立て直そうにも、息が整わなくて立ち上がることができない。
どうにか空気を体の中に取り込もうとして、一度の呼吸が大きくなる。
《大丈夫……じゃあなさそうだな》
その通りだ。ただでさえ魔力切れで絶望的な状況だというのに、この一撃を喰らってしまったのは痛い。
「やぁ~っと捕まえた。捕まえたのはいいが、ロキはやられちまうし、家はボロボロだし……本当に最悪だな。お前は死刑確定だから、一切の黒字として数えることもできねぇし。はあ……」
首を振りながら、科人はやれやれと大きなため息つく。
「さて、じゃあどうやって殺してやろうか?」
俺の髪の毛を鷲掴みにして、顔を無理やり持ち上げる。
今は待とう、少しでも時間を稼ぐために……。
「――お前、何考えてやがる?」
「ぐぁッ!」
科人は俺の顔を自らの目の前に思いっきり引っ張る。
ブチブチッという音が聞こえて、何本かの髪が抜けたことが分かる。
「はぁ……はぁ……別に……何も考えていないさ」
「しらばっくれるな。お前のその目はまだ死んでいない。死んだ人間の目は光が入りづらかった。お前はまだ何かを見ているな?」
ばれた。しかし、内容を分かっていない。
「ふっ……流石数十人を殺してきただけはあるな。お見通しじゃないか……」
「もうお前――死ねよ」
科人の手に力が入るのが分かる。
しかし、モラスの準備がまだ終わっていない。
俺は足に力を入れて思いきりに振り上げる
それは科人の顎に命中して、一度俺の髪から手を離した。
「いってええええええなぁああああああ!?」
うっすらと赤くなっている顎を科人は手で押さえた。
そして、その一瞬が俺に希望を与えた。
《よっしゃ準備できたぞ!》
「モラス頼む!」
《任せろ――!》
その一言と共にモラスは早口で呪文を詠唱する。
《悪魔モラスの名のもとに、この者グレン・アドラーに再び試練を与える》
呪文が終わると、俺の体の周りは黒いオーラで包まれた。
「お前……それはなんだ?」
「これか? これはたった一つの希望。逆転する可能性だ」
科人は困惑をしている。
それはそのはずだ。なぜなら俺は今。自らの剣で、自らの首を落とそうとしているのだから……。
躊躇いなどない。今は科人をどうにかしないと……!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
首の皮を切り、肉を切り、骨を断ち、再び肉を切り、最後の皮を切る。
激痛どころの話ではないが、死なない。
「お前確かに首を……ってか、他の傷も回復しているじゃねぇか……。それはなんだ。ロキと同等の能力か? いや、しかしお前に魔力はもうないはず……」
「――特別に教えてやる」
俺は剣を手に取り、科人へ近づいていく。
「――これは呪いだ。俺が冒険者として生きることを、何度も否定してきた呪いだ。戦闘の際には殺意があるものでなければ戦えない。戦闘から逃げることは許されない」
「それはお前の傷が癒えたことに関係ないだろ! お前の体はどうなってやがんだ!?」
「それも呪いだ。代償は寿命。ちなみに魔力も回復できてる」
今まで、このことを話した人たちは全員お前は無敵なんだなと言ってきた。
しかし、俺にとってはそうではなかった。
”殺意があるものとしか戦えない”ということは、相手に俺を殺す意思が無ければ、ただ蹂躙されるのみ。
どれだけの再生能力があっても、どれだけ魔力が回復しても、戦えなければ意味がない。
「クックック……」
科人は俺の話を聞いて、笑いだした。
そして耳が割れそうなほど声を張って言った。
「そりゃあ……研究には好都合だ!!! つまり、俺の”研究中”に”俺の意思”で殺さなければいいだけのこと”偶然”なら仕方ないよなぁ? それに、傷が癒えて、魔力が回復したところで、お前はお前だ! 弱いに違いはないだろ?」
この状況でも、研究のことを第一優先で考えるとは……流石に研究バカすぎる……。
「科人……一つ言い忘れていたことがある」
「あぁ?」
呆けたような裏返った声が返ってくる。
俺はまじめな話をしているというのに……。
「この呪いは一度死んだら――一定時間は数倍の力を手に入れることができる」
俺は科人との距離を一瞬で縮め、剣を胴体を真っ二つに切る勢いで振り上げる。
「なッ!」
しかし、さすがに反応速度が速い。血を垂らす程度のかすり傷を喰らわすことしかできなかった。
「痛てぇ……何度も何度も切ったり潰しに来たりよぉ……。お前、絶対に許さねぇ」
「殺し合い中の相手を見ない会話はご法度だ」
再び科人との距離を詰める。
今回は科人の反応が遅れているため、何かしらの攻撃は通るだろう。
けれど、一応警戒だ。
今度は心臓の位置を狙い、一突きで仕留めようとする。
ここで科人は致命傷を避けるためか体の体制を崩して、地面に寝転がろった。
――それでも、俺の剣は科人の左腕を奪っていた。
「ガアッ! クソックソックソッォガアアアアアッ!」
科人は肘から下が無くなった腕をおさえながら叫ぶ。
「どうしてその力を最初から使わないんだよ……お前……一体何者なんだよッ!」
「どうして……か。これは俺の本当の力じゃない、ただのもらい物だし、寿命も減っていくからかな。 あと、俺が何者かについてだけど……ただの最低ランクの冒険者さ……。それじゃ、さようなら」
「クッソおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
腕の激痛で立ち上がることのできない科人の首を俺は切り落とした。
終わった。全部終わった。
これで自由だ。この場所から逃げられる。やっと家に帰ることができる。
体中に伝わる幸福感。手に残る違和感はいつまでたっても慣れないが、今はそれよりも逃げることができる嬉しさで心がいっぱいだ。
「ハハッ……やってやったさ。あいつらの仇も取れたかな……あれ? いつもよりもう一つの副作用が速いな……できればこの場所から出てからの方がよかったけど、仕方ないや……」
俺はそのまま意識を失った。
「ふぁあああああ」
よく寝た。
一度死んだあとは、いつも眠くなるんだ。
しかし、今更天井を見て思ったのだが、この屋敷の天井はどこもかしこも同じだな。
さて、本当にこの屋敷とはおさらばだ――ガチャッ。
ん? 体が起き上がらない。おかしいな。いつもなら普通に起き上がるのに、まるで何かで腕を固定されているような……。
「――まさか!?」
俺は自分の動くことができない手首を見る。
外されたはずの枷が再びついていた。
寝ている間に、もう一度この部屋に運ばれて、付けられたのか!?
いや、違う! 天井こそ同じだが、俺が最初捕まっていた部屋じゃない!
「おっ? ロキあいつやっと起きたぞ」
「今までで一番時間がかかったね」
「ちょっと対面してくるか」
「気を付けてねー」
窓越しに俺のことを見ていた科人がだんだんと俺に近づいてくる。
「素敵な夢は見れたかな? グレン君」
科人はにっこりと微笑み、息が当たる位置まで顔を近づけてくる。
「やめろ! お前は……殺したじゃないか!」
「殺した……? あぁ、そんな夢を見ていたのか」
「夢……?」
「さっきから二回も言ってるけど、そうだよ夢。君は長い時間夢を見ていたのさ」
「だったらどこからだ!? いったいどこからが……!」
分からない。俺は意思を持って、夢を見ていた……のか?
それにしたって現実味がありすぎる……。
「あーもしも今君が考えていることが、リアリティのことだったなら、それは俺の技術だよ。この部屋は頭に直接電波を送ったりしてるからね。あと、どこからって質問だけど、森で君と出会った時だよ。あの時君に直撃しちゃって気を失ったんだよね。それの治療を俺が受け持ったわけ」
そんなことあるかよ……あれだけ戦ったってのに夢落ちだって?
ハハ……流石に神様を恨むわ。
「納得してくれたようでよかったよ」
「じゃあ、俺は帰っていいんだな? 腕の拘束を外してくれよ」
「それはできない」
「……どうしてだ?」
「君の身は僕たちが貰ったからだよ」
「は?」
ロキが突然そんなことを言った。
そして部屋の上部にある窓に指をさす。
「くれな!?」
「彼がね? グレン君の身は私が預かっていたようなものだから、自由にしていいって言ってくれたんだ」
「いや、俺の身は俺のものなんだが!?」
「違うんだってグレン。こういうのは言葉で全部解決するんだよ。俺はお前の身がくれなってこの物だってことしか聞いていない。それだけが事実だ。それ以外は知らない。つまり俺たちはお前の体を自由にできる」
何を言っているか分からない。言葉がもうめちゃくちゃだ。
「とにかく、君の体は僕たちの趣味に使わさせていただくよ」
ロキの言葉を合図に二人とも手をワキワキと動かして近づいてくる。
「いやいやいや! お前たちのその性癖は……夢でも現実でも変わらないのかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
その夜、一つの屋敷からはアッーという叫び声が何度も聞こえ、一枚のガラスが真っ赤に染まっていたそうだ。