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小説

「我らが一家は婚約破棄に巻き込まれる呪いでもかかっているのではあるまいか?」

作者: 重原水鳥

「婚約破棄をしているらしい」の少し後

「ハイヤッ!」


 ブリーカ王国の平原を六頭の馬が嘶きを上げて走っていく。先頭を行く男の首にはふさふさの毛皮が巻かれている。否、よく見ればその毛皮には顔がまだあり、その上首を動かしている。どうやら毛皮ではなく、生きた獣を首に纏わせているらしい。

 男の名はラファエル。家名は持たない。古くから彼らの家系は、己が名しか持たないのだ。あえて言うのであれば、ラファエル=ブリーカとでも言ったところか。ラファエルは自らが暮らすブリーカ王国の王族の一人だ。王子ということだが、王太子ではない。次なる王の座は、一つだけ年上の兄トルステンのものだ。幼い頃よりそれは当たり前の事象で、今更嫉妬したり妬んだりするようなことでもない。擦り寄ってくる貴族の中には兄を蹴落とすことを囁くような不忠者もいたが当然ラファエルはそのような口車に乗せられたことはない。それは自らの考えによるものでもあるし、今現在豊かな体毛でラファエルの首元を暖めている侍従暁月(あかつき)がそんな不忠者を悉くラファエルの眼前より消し去ってしまったからということもある。


「この調子では間に合いませんな」


 暁月が、ラファエルの耳元で囁いた。


「これ以上早くなぞなれんぞ!」


 ラファエルが言い返す。

 現在、ラファエルと五人の部下たちは全速力で走っていた。かれこれ十数分はこの調子で、しかも可能な限り早く走らせているせいで早々に馬がばてはじめている。このままでは馬が沫を吹いて倒れるほうが早い。力を込めた調子で強くかみ合わせているラファエルの歯は、人間のものより尖っている。

 何故に彼らがこれほどまでに急いでいるかと言えば、全ては王宮に届いた一報のせいであった。

 ラファエルは御年三十七、二人の娘を持つ父親である。生まれた時より婚約者を与えられ、結婚のできる年になるや否やすぐに婚約者と結ばれた。その後、二十二の時より王国の南方地帯の統治を任せられている。王国の南部には肥沃な大地が広がっており、国内に張り巡らされた舗装された道により、ブリーカ王国全土に作物を出荷する重要な地域だ。その統治を任されたのはラファエルが信頼されている証でもある。とはいえ南部は王都から随分と遠いため、ラファエルは南部で最も大きな街に構えられた城で暮らしている。全体的に言えば一年の三分の二をそこで過ごし、三分の一を王都で過ごす。年に数度、一週間前後の滞在をしているのだ。その間は大抵妻も子も、城に置いてくる。

 その妻子からの一報だった。


「この先に泉があります、休みなさい。馬が死にます」


 暁月に囁かれ、ラファエルは歯をかみ締めたまま隙間から息を吐き出した。背後の部下たちに手で休むサインを送り、速度を落とす。


 泉に着いて馬を休ませる。止まった途端、倒れるようにしゃがみ込んだ馬たちの姿を見てこれ以上のムリはできないと流石に悟った。しかしながらまだまだ城は遠い。


「暁月、お前だけでも行けるか」

()()を飛ばしたほうが早いのでは」

「お前が最も信頼できる」


 ラファエルの首元から、狐が飛び降りる。暁月は泉で水を飲むラファエルのほかの部下たちを見た。


「護衛は任せましたよ」


 応、と頼もしい返事が返ってくる。それと共に暁月は駆け出した。風景は全て横に伸びる直線にしか見えない。草むらに隠れたウサギが、天敵ともいえる狐の接近に気付きもせず、通り過ぎてもやはり気付かず、突如吹いた人為的な風に驚いた。

 瞬きのうちに消えた暁月を見送ってからラファエルは泉に近付くと両手で水を掬った。透明なそれを顔に当てる。


「俺たちは呪われているのか」


 ふと口をついた言葉に、自嘲の笑みを浮かべる。呪われているだなんて、そんな訳はありはしない。そうであるのなら暁月が気付く、例えあの侍従が気付かずとも顔を合わせている王妃が気付かぬはずはない。ならば運が悪いのか、それともやはり弟が呟いたように何者かによる策略なのか。

 息を吐き出し空を見上げた。一羽のカラスが飛んでいた。



 ◆



 アーテム城は王国の南部を統治する任務を負った貴族が古くより住まってきた城だ。肥沃な大地ゆえ、幾度となく周辺国から狙われてきた。その防衛の戦においては拠点ともなるこの城は美しさよりも、堅固さの方が優先されている。

 現在の主はシュルト公ラファエル。国王の第二王子だ。

 そのラファエルは現在アーテム城にはいない。そのため代理として城の主を務めているのはシュルト公爵夫人マグダレナだ。公爵夫人はラファエルの一つ年下で、名家イルディリムの生まれである。生まれた時より第二王子であるラファエルの許婚となり、成人と共に婚姻。王族の一人として名を連ねることとなった。

 その夫人の膝元で泣きくれる少女がいた。名をジャスミン・フォン・シュルト。ラファエルの長女だ。ジャスミンに寄りそうように、その妹でありラファエルの次女であるラリッサ・フォン・シュルトが佇んでいる。


「わたくしの可愛いジャスミン。それほど泣いてしまっては、瞳が溶けてしまうわ」

「おかあさま……」


 ジャスミンの瞳は公爵夫人と同じターコイズブルー。瞳孔も縦に伸びているのではなく丸。父ラファエルの持つ妖狐の瞳は受け継がなかった。一方でラリッサの瞳はラファエルと同じように黄色に近く、瞳孔も縦に長い。

 その頭を撫でながら、公爵夫人の瞳は嫌悪に歪んでいた。眼前の娘たちにではなく、ジャスミンが泣く原因を作った人間への怒りだ。


 本日の昼間、アーテム城ではパーティが開かれていた。ジャスミンの十七回目の誕生日を祝うものだ。城主不在でのパーティとなってしまったのは王都で少々騒ぎが発生し、急遽ラファエルが向かわなくてはならなくなったためだ。ジャスミンは多少の寂しさを覚えつつも快く送り出した。ラファエルこそ不在ではあるが公爵夫人もラリッサもその他の従者たちも友人もいる。何より、婚約者であるロナルドがいた。

 そのロナルドはいつもと同じような笑顔を浮かべて、ジャスミンに近付き、そして言った。


「私との婚約を破棄してくれ」


 ジャスミンは突然のことに固まってしまった。近くにいた公爵夫人やラリッサ、周囲の共通の友人たちもあまりに突然な、信じ難い発言に身動きができなかった。その内に、ロナルドはパーティ会場から姿を消し、我に返った人々によって会場は騒然となったのだった。


 どうして婚約破棄を言い渡されたのか分からず泣くジャスミンを慰めながら、公爵夫人はすぐさま夫へ事の次第を送った。人間の足では何日もかかってしまう。時間を惜しみ、城の守りを任されていた妖怪の一匹に手紙を託す。おそらく今頃既に手紙は届いているだろう。王都での騒ぎの収束具合にもよるだろうがすぐさま城へと戻ってきてくれるはずだ。

 夜になった。泣きつかれたジャスミンは自室に戻っている。空の高い場所で月が輝いている。公爵夫人が眠りにはつかず夫婦共同の一室にて召使いの用意した紅茶を飲んでいると、声が聞こえた。その場には夫人と紅茶を用意した召使いの二人しかいない。けれど、そのどちらでもない声が響き渡った。


「夫人、夫人、暁月でございます」

「入って」


 召使いが扉を開けると、ふらりと一人の男が入室した。狐の姿ではなく、人の姿を取った暁月だった。


「殿下は?」

「ラファエル様は今頃グロンかと。流石に馬の足では我々ほど早くは走れませんので、わたくしだけでも先に行くようにと」

「そうですか。事の次第は聞き及んでいますね」

「勿論でございます。ロナルド殿がジャスミン様に婚約破棄を言い渡したと」

「そうです。ウィマー家には事情を説明するよう手紙を出しましたが未だ返事はありません。ジャスミンは傷つき寝ています。殿下の娘であるジャスミンは王族です。婚約者といえども臣下が一方的に婚約破棄を宣言するなど許せるものではありません。ウィマー家は南部の有力貴族ではありますが……」

「落ち着いてください夫人。冷静さを欠いて良いことなど何一つ起きませんよ。この一件、この暁月にお預けください」


 夫人は暁月を見る。この妖怪との付き合いも長い。


「主人の手を煩わせることなどありはしません。ラファエル様が到着される前には、片をつけて見せましょう」



 ◆



 暁月は妖怪だ。妖狐の一種で、九尾の狐の治める国、名前はそのまま九尾国にて生まれた。九尾国の住民(ようかい)の最大派閥は化け狐だ。九尾が治めているのだから当然ともいえる。もちろん違う種類の妖怪もいるが殆どが狐だと思っていい。

 暁月の家は普通の家だった。親の顔などあまり記憶にはない。生まれてすぐに仙人(これも妖狐だ)に預けられて修行をしたからだ。育児放棄というわけではなく一般的な扱いだった。幸いにも潜在能力が高かったらしい暁月は百歳を超えるより前に阿紫の位を超えた。妖怪社会の階級は生まれではなく力によるものなので、暁月は同世代の狐の出世頭のようなものだった。より術を深く学ぼうとしていた時、声がかかった。曰く、九尾の娘である九姫(くひ)が人間に嫁ぐこととなり、その身の回りの護衛や世話役を集めている、と。人間社会になぞ興味はなかったが、九姫のお付となればその後の出世の可能性も上がる。そんな打算もあり、暁月は九姫の侍従の一人としてブリーカ王国へとやってきた。

 人間はどれもこれもバカバカしいとすら思う。妖怪よりも遥かに短い生。弱い力。簡単な呪術にもすぐに引っ掛かる。見下していたのは事実だ。とはいえ主人たる九姫が随分と人間を可愛がっていたようだから――その可愛がるはペットを可愛がる様に少々似ていた――表にはそんな感情は一切出さない。

 その内、九姫は子供を生んだ。人間と妖怪の子供、半妖だ。妖怪社会にも一定数存在している。妖怪よりは寿命は短いが人間よりは長く、妖怪よりは弱いが人間よりは強い。どちらの世界の平均からもずれた半端者。この手の存在を人間は特に忌み嫌う傾向が強く、大抵が人間社会では生活できずに妖怪社会へと逃げ込んでくる。どうなることやらと思ったが、不思議なことにブリーカ王国の人々はあっさりとこれを受け入れていた。否、これが一般市民の子供であったならば拒絶されただろう。九姫の夫がこの国の王子だったからこそ受け入れられたと見るのが正しい。

 三人目の子供が生まれたのは一人目の生まれた二年後だった。生まれたのは男児で、その瞳は既に生まれた子供達と同じく縦に長い瞳孔を持っていた。その子供の侍従を、暁月は任された。

 九姫の子供の侍従を任されるということは大役に入る。暁月は当然それを受け、それからずっとこの子供に付き添った。

 ラファエル、という暁月からすれば未だ耳に馴染まない名前を付けられた子供はすくすくと育った。時折欲を抱いた人間が近付くこともあったが、それは大抵暁月が追い払ってやった。暁月から見れば主人ではあるが、生まれたその日から姿を知っているのだから弟か何かのようなものだ。自分でも意外なことに暁月はラファエルを気に入っていた。

 ラファエルは問題一つなく成長し、人間で言うところの成人を迎えると、以前からラファエルの番として宛がわれていた娘と伴侶となった。この娘は自分と同じ形をしていながらも決定的に何かが違っているラファエルに恐れることなく接していた。何より暁月ら妖怪の侍従に対しても一定の礼節はありつつごく当然のことのように主人として振舞った。物怖じする素振りのない姿はそれなりに好感が持てる。暁月から見ればラファエルだってひ弱な存在で、彼よりもひ弱なこの娘はそれこそ手首を捻るように簡単に殺せてしまう生き物だったが、その清廉な精神を気に入った。

 結婚して夫人と呼ばれるようになった娘は、すぐに懐妊した。妖怪はポコポコと子供を作るので何の感動も感じないのだが、人間にとっては喜び大騒ぎする出来事らしかった。人間は懐妊するにも苦労することがあり、妊娠中にも苦労し、出産にも苦労し、生まれてからの面倒を見るのにも苦労する。妖怪は懐妊したいと思うとすぐに妊娠するし、種族によっては妊娠からすぐに出産をするようなものもいるし、出産だってケロリと産むし、生まれた直後で放置されても平然と生きていくので、人間に同情すら覚えた。

 夫人は娘を産んだ。九姫の孫にあたる訳だ。この娘はどうやら妖怪の力は引き継がなかったようで、瞳も人間のそれであったしなんの力も持たなかった。


 それから少しすると、ラファエルは父親――九姫の夫――から南部の統治を任されることとなった。夫人と娘と暁月を初めとした人間妖怪入り混じった侍従たちを連れて南部へと移住した。王都王城では暁月たちの存在は随分となじんでいたが、ここでは当初はそうではなかった。ラファエル一家の住居となったアーテム城で元々働いていた侍従たちの大半が暁月たちを恐れた。ごく普通の反応だった。とはいえ敵対する理由はない。その内慣れてくると王城の人間たちと同じように、アーカラ城の人間たちも暁月たちに普通に接するようになった。ラファエルにはもう一人娘が生まれた。流石に暁月一人でラファエル、夫人、娘二人の護衛をするのは厳しく、侍従として新たな妖怪が呼び寄せられた。


 人間の成長は早い。寿命が短いからだろうか。あっという間に年頃の娘、結婚できる年齢にまで一人目の娘が成長した。誕生日というものを人間は随分と大切にしていて、半妖といえども人間社会で成長してきたラファエルもそれを大切にしている。娘の誕生日を、急な用事で当日祝えないことを酷く落ち込んでいたラファエルの下に、夫人付きの妖怪が転がり込んできたのは昼も過ぎた頃だった。丁度、パーティをしている最中なのではという時間だった。

 妖怪から渡された手紙を読んだラファエルはすぐさま王太子や国王らに事情を説明すると侍従たちに帰ることを告げた。ラファエルが投げ捨てた手紙を拾った暁月は文を読んで頭を掻く。人間社会に来てからというもの、何度も聞き及んだ類の騒ぎだった。


 早くは走れぬラファエルに先んじてアーテム城へと戻ってきた暁月は、夫人に挨拶をすると現場を目撃した妖怪(どうりょう)たちに事情を聞いて回った。その内の一匹である妖怪が気になることを言った。この妖怪は(さとり)の血を引いており、心を読む力を有していた。


「ロナルド殿、酷く苦しそうでしたがねぇ」

「苦しそう?」

「ええ、辛い、苦しい、悲しい、やるせない……それからジャスミン様を案じていたご様子」

「破棄を言い渡したときにか」

「そうです。ちゃんと視たのはそこからでしたから、それ以前何を考えていたかまでは流石に分かりかねますがねぇ」


 一通りの事情を聞いて回った暁月はロナルドの実家であるウィマー家へと訪れた。術を使いその姿は他の生き物全てから知覚されないようになっている。

 こてん、と首をかしげる。夜とはいえあまりに静か過ぎた。くん、と鼻に付く匂いを感知した暁月は目を細めた。

 ウィマー家の屋敷内を駆ける。とある一室の前で立ち止まる。部屋の中は暗い。けれど話し声が漏れていた。人間であれば、話をする時に明かりぐらい点けるだろう。耳を澄ませば聞き覚えの一切ない声だった。ジャスミンの婚約者たるロナルド、そしてその両親ぐらいは暁月とて声を覚えているがその誰でもない。


「全くまさか我々の術に逆らって勝手なことをするとは」

「ふむ、そちらの催眠の術が弱いのでは?」

「なんだと、おまえが監視を怠っていたせいだろう」

「まあまあ。ともかく、なんとか本日の言葉を撤回させなければ。丁度よくあちらから手紙も届いているわけだから、なんとか相手に謝罪をして元鞘に戻れるような返事を書かねば」

「そうだ。そうでなければ苦労してこの家を乗っ取った意味がない」

「たかだか人間と甘く見すぎましたな」

「二度とこのような無様な結果など見てなるものか。態度に違和感の出ないよう、一定の自我は残していたが……自我など最早いるまい。この男の行動、口調などは把握できた。もうただの人形にでもしてしまうか」


「おやおや、それは困りますね」


 室内の窓際から月明かりが差し込んでいる。コの字型に並べられたソファーの上にはこの家の当主と、夫人と、ロナルドが寝ていた。彼らの上に座るかのようにしてぺちゃくちゃと喋っていた三匹の狐が最後に見たのは闇からのそりと顔を出した男の輝く瞳だった。声を発したり術を使用する間もなく三匹の意識は刈り取られ、二度とは起き上がらなかった。



 ◆



 朝となると、暁月はアーテム城の医術師たちにウィマー家に行くように指示を出した。彼らはウィマー家にて意識を失い倒れている使用人たちとウィマー一家を発見し、すぐに治療に取り掛かった。理由を求める夫人に暁月は、


「人間が妖怪にとり憑かれていただけの話ですよ」


 と告げた。

 ジャスミンにも、ロナルドの発言は確かに彼の意思ではあるが、その理由は彼女を嫌ったからではなく案じたからであると告げた。ジャスミンは婚約者に嫌われていなかったことを喜び、そして倒れたロナルドの見舞いに向かった。


 ラファエルがアーテム城に到着したのはその次の日の早朝だ。よほど酷使されたのだろう。死にはしなかったものの城に着き背中の人間たちが降りると同時に馬たちは倒れこみ、獣医まで呼ぶ羽目になった。

 想像したのとは違う状況が広がって困惑するラファエルを暁月は呼び寄せる。ラファエル、夫人、そしてラファエルの下で働く重鎮たちを集めた暁月は事の次第の説明を始めた。


「全ての元凶は野狐です。三匹いましたが、奴等は以前罪を犯して九尾国から追われたものたちでした。彼らは長らく九尾の狐(おやかたさま)、引いてはその血を引くものたちにやり返してやりたいと思っていたようですね。とはいえ王城の守りは堅すぎて手が出せないため、そこから離れた場所で暮らすラファエル様一家を狙ったのでしょう。ロナルド殿はジャスミン様と結婚なされれば、ラファエル様の次にこの城を任される可能性もある方ですし、何よりこの国においては九姫様の親族となる訳です。彼にとり憑いて身内に入り込み、一騒ぎ起こすつもりでいました。催眠の類の術を使っていたのでしょうが、ロナルド殿の意思の方が強かったのでしょう。自分に何か、ジャスミン様たちに悪いことをしでかすものが憑いていると気付き、離れるために婚約破棄といったことを言い出した訳です。奴等の術が三流だったことはありますが、ロナルド殿のジャスミン様への誠意の方が強かった、といったところでしょうか」


 暁月の説明を一通り聞いたラファエルは息をついた。


「……ロナルド・ウィマーとジャスミンの婚約は破棄はしない。妖怪の術にかかりながら、それに抗うような人物を切り捨てるなど考えられないな。婚約破棄の話はどこまで広がっている?」

「周辺の貴族たちには、ほぼほぼ広がっているかと。早いものではジャスミン様の次の婚約者の座を求めて縁談も舞い込んでいますよ」

「さすがは貴族といったところか。話が早いし手も早いな……全て断れ、それからこの出来事をロナルド殿の美談に変えて話を広めろ」


 部下たちが退出する。夫人はもう怒ってはいないようだ。

 深い深いため息をついて柔らかなソファーに沈んだラファエルに暁月は微笑む。


「良かったですね、ロナルド・ウィマーが不貞を働いた挙句術に惑わされてこちらを害するような人間ではなくて」

「思い出させるな……」


 頭に手を当てて苦い顔をするラファエルを見ながらカラカラと笑う。ラファエルたちにとっては、現在なんとか収束に向かって話を進めている王城での一騒ぎは頭の痛いことなのだろう。暁月にとっては処理しなければならない事象に過ぎないが。


「ジャスミンもラリッサも、良い娘に育ってくれた。他の貴族たちも今のところはまともな跡継ぎに恵まれているようだ。全く、幸いなことだな!」

「優秀な人間はそう続きはしないでしょう、血縁で繋ごうなどとするから苦しむんですよ」

「ええい水を差すな。俺は寝る、寝るぞ! 人払いをしておいてくれ!」

「かしこまりました」


 恭しく一礼し、暁月はその場から去った。

 ふと前方からジャスミンが駆けてくる。その顔色は喜色ばんでいて、どうやら意識が戻らなかったロナルドの吉報だろうと当たりをつけながら微笑みを浮かべ、暁月は彼女に近付いていった。

■第三王子ラファエル

 冒頭と最後しかご登場なされなかったブリーカ王国第二王子(子供としては第三子)。この話では三十七歳。二人の娘を持つ父親。「婚約破棄をされたらしい」のジークフリードと九姫の子供。アーテム城の主。シュルト公爵とも呼ばれるが、シュルトは彼の子孫が名乗るために用意された家であり彼自身が正式に名乗る時はシュルトの名は使っていない。便宜上彼が当主となっているだけで、実際は娘及び娘婿が初当主となる。


■暁月

 ラファエルの侍従。妖怪。狐。

 なんだかんだと言いつつ人間たちを気に入っているし可愛がっている。


■マグダレナ

 ラファエルの妻でシュルト公爵夫人。名家イルディリムの女性。こちらも便宜上公爵夫人と名乗っているが王族に嫁入りしたので家名はない。暁月は物怖じしないと思っていたが良くも悪くも貴族ゆえに貴族としてのプライドから堂々としていた。流石に最初はちょっと妖怪たちにビビッていた。


■ジャスミン・フォン・シュルト

 ラファエルとマグダレナの第一子。長女。

 妖怪としての力は一切引き継がなかったため、瞳も人間のもの。力もない。ゆえに余計に護衛たちは力を入れて護衛している。

 今回婚約破棄をされた。しかし最終的に自分の身を慮った故の行動だと知り余計に愛が深まった。


■ラリッサ・フォン・シュルト

 ラファエルとマグダレナの第二子。次女。

 妖怪としての力を引き継いだので目も人間のものではない。

 姉とは仲が良いので当初ロナルドが婚約破棄をしてきたときは呪ってやろうかぐらいは思っていた。が、真実を知った結果ロナルドの株が上がった。



■ロナルド・ウィマー

 ブリーカ王国南部の有力貴族、ウィマー家の子息。ジャスミンの婚約者。

 家族や自分たちが少しずつ記憶が飛び飛びになっていることを知り、何者かに操られていると気付いた。操っているものの意図がジャスミンとその家族を傷つけるものであると知り、なんとか離れようとした結果の婚約破棄。その後催眠はちゃんと解かれた。


■ウィマー家一同

 ロナルドの両親から使用人に至るまで全員催眠でやられた。もし暁月がウィマー家の屋敷に来なかったなら、野狐たちによって精神を完全に壊されて人形にされた可能性も十分にあった。

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