取り戻した男は、再び失いに向かうのか
夢魔の骨を削り出し作るこの針は、1本刺せば感覚を奪い、2本刺せば認識を奪う。3本刺せば自由を奪い、4本刺せば、意識を奪う。そして5本刺せば、命を奪う。
それは、あくまで夢魔以外の現世の生き物に対して。
悪魔の様に魔界の生き物が相手だと少し話は変わってくるが、それも些事。
現世では肉体を持たない「夢魔」という種の骨。存在こそすれど手に入れることはできないものの代名詞。それが秘める力は、逸話は辺りに散らばっているが…本当の力は夢魔の秘匿だ。
夢魔という種の定義は学者の間でもしばしば論争になる。ある種の規約に基づいてのみ現世に現れることのできる悪魔のような存在…はたまた、人間の精神にはかならず1人の夢魔が住むという哲学の様な解釈も。
ただ、どんな解釈であっても夢魔は夢魔の世界で生活する。現世、冥界、天界、魔界…それらと更に一つ別の場所、精神世界。そこで彼らは生活する。
現世に夢魔が姿を現すことはない。夢魔の子は夢魔として、自身の世界でその命を謳歌する。もし夢魔が現世で生活をするとなると、とてつもない魔力を消費することだろう。
なぜならば、夢魔の肉体は高密度な魔力体だからだ。
吸血公爵が霊体から魔力変換を用いて肉体を生成したように夢魔もまた、現世に来るためには精神体から魔力変換を用いて肉体を生成する。それは非常に困難なことだ。吸血公爵がそれを実現できたのは、彼が非常に優れた魔術師であり且つ、吸血鬼という特殊な存在だからだろう。
「夢魔の秘匿。少しだけ見せてあげるわ」
メイアは2本の針を構える。当然1本は蝙蝠へ刺すためだ。だがもう1本の役割は違う。
空へ向かって羽ばたき続ける蝙蝠たち。
メイアはそれを見据え、そして
1本の針を自分の首に刺した。
ドクンッと心臓が力強く鼓動する。同時に、メイアの捉える世界の色が変わる。
全てがゆっくりと、まるで時の流れが遅くなったようにメイアには感じる。だが実際はその逆だ。メイアの動き、メイアの思考、それらが世界を置いてけぼりにしているのだ。
「骨針還元…最速で…頼むから保ってよね…私の身体!!」
首に刺さる針を更に奥へ押し込む。同時に世界が更にゆっくりと動き、もはや時が止まったかのようにすらメイアは感じていた。
魔術障壁を生成して足場を作り、それを踏み台に空へ昇る蝙蝠の元へ駆けあがる。
蝙蝠達はまるで朝霧の様に儚い光を放ちながら飛んでいた。近くでそれを見て、メイアは「なるほど」と納得したように声を漏らす。
ゼクスの剣撃も通らず、ウォーゼンも空を掴み、アルテマの魔術でも抑えられないその原因。
その理由がわかったのだった。
「ここには1匹もいない、か。」
その答えはただ一つ。そもそも最初から、この場には本物の蝙蝠が居なかったのだ。最初から幻、低密度の魔力体…おそらく蝙蝠自身が最初から持つ力だろう。
邪神は保険をかけていたのだ。
一見すると蝙蝠達に違いは見えない。もともと見づらく淡い見た目をしていることもあって、それらの違いを見つけることは困難だ。
だが、今のメイアには違いがわかる。
今のメイアは針の力で魔力体に近い状態まであやふやになっているのだ。
夢魔にとっての夢魔の骨針は、精神世界と現実世界を繋ぐ鍵であり、その鍵を自身に刺すことで己の肉体を精神世界と接続する。そうすることで、時間の流れや肉体の特性を精神世界特有のあやふやな状態に変えることができるのだ。
故に今メイアが見ている世界は色が無い。わかるのは物体の内包する魔力の流れのみ。
辺りを見渡す。そして見つける。空へ向かって羽ばたく集団とは別に、森の奥へ隠れようとする蝙蝠の群れを。
「見つけた!!!」
残り時間は少ない。夢魔の骨針の力にも限度がある。あまりに長く使い過ぎると元に戻れなくなる。肉体を失い、大気中の魔瘴気と混ざり合う。つまり…消えてなくなる。
「吸血公爵…違う。ジェームズ…違う!ジョン…全部違う!!!
ジャン!!!!私の傍に…帰ってこぉぉぉぉぉい!!!!!!!」
メイアが針を投げる。その速度は魔術的認知もできぬ速度。ゼクスの放つ雷の剣撃を凌駕する速度。
今この瞬間、7本の針がジャンの肉体に埋め込まれた。
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飲み込まれた。
肉体の制御は完全に邪神に乗っ取られた。本当に悔しい。これでも警戒はしていたつもりだったんだがね。
などと、誰に弁解するわけでもなく思い続ける。
肉体の意識は奪われたが、私という存在そのものは消えていない。私が消えてしまったら最後、私の持つ魂は全部邪神の贄になってめでたく邪神は現世に顕現するわけで。意地でも私は消えるわけにはいかない。
邪神の力は、ギリギリのところで抑え込めている。
彼女が頑張ってくれているのかもしれない。それか、冥王神の加護が働いているのかもしれない。理由は流石にわからないが、何とかなっている。
邪神が欲しているのは、奴が私に渡した7つの厄災の権能と私が手にしてしまった膨大な魂たち。そして、邪神の力の片鱗によって変貌した私の肉体。この世の理から外れてしまった肉体だ。
アイツが復活して何をしたいのかは知らんが、どれも渡すわけにはいかない。例え元を辿れば邪神のモノであったとしても、だ。
これは私のモノだ。私だけのモノだ。誰にも譲らないし、全ては私の責任でなければならない。
邪神がどこまで干渉してくるかはわからない。ヴァイオスの様に権能と合わせて意識すら奪われる可能性はある。だからこそ、急がなければならない。
分岐達は全て魂で繋がっている。故に細かい連絡などは不要だ。私の思いは直接彼らに伝わる。そして、彼らには私の思いを汲み取れるだけの力がある。邪神に干渉される前に美味く立ち回ってくれるはずだ。
例え主となる意識が奪われようと並列思考を実現している私ならばこうして裏で手を回すことができるのさ!などと少し自信げに言いたいが、結局邪神に乗っ取られているようでは情けないので言えない。まったく、優雅であるべき私がこんなんじゃ支持者も減ってしまうというもの。
そうこうしている内に、少しずつ、少しずつだが邪神の干渉が弱くなっていくのが感じ取れた。メイアだろう。なかなか危険な賭けではあったが上手くいったようだ。夢魔の骨針を5本以上受けて死なないなんて世界で私が初めてじゃないか?
少しずつ、少しずつ視界が明瞭になってくる。メイアの刺す針が増える度に少しずつ、邪神の力が弱くなっていくことが感じ取れる。
『何故だ。何故貴様は…貴様の周りは…我の復活を拒む。貴様も憎んだろう。絶望したろう。我と呼応し、我の力を求めただろう。それを今更になって…』
「確かにな。私は世界を憎んだよ。結局、守れなかった。多くの命を踏みにじる結果になった。絶望だってしたさ。でもな。元を辿れば全てお前の仕組んだことだとわかる。
今更、お前に呼応する道理は無いんだよ。」
『黙れ!!我は邪神…我はこの世のあらゆる絶望と混沌の総意…我こそが、我こそがこの世を支配する神だ!!我が封印全て解けた暁には貴様なぞ、貴様に譲った力全て、全て奪い再び絶望の淵に落としてやる!!!』
「そいつは大変だ。だが結構。私は時期に冥界で眠る。その時は、お前も冥王神に紹介してやるさ」
「私の傍に…帰ってこぉぉぉぉぉい!!!!!!!」
メイアの叫び声が耳に届く。そして、最後の針が刺さる。邪神の気配が薄れていくことが感じ取れた。
『許さん…だが…我は不滅…不滅故に…』
蝙蝠達は一つになろうと集まる。私の肉体が返ってくる。
『貴様は必ず絶望させてやる』
▽△▽△▽△
目を開けると、メイアの顔があった。
「…やぁ。ただいま」
「馬鹿。ホント…馬鹿。優雅な吸血鬼様はどこに行ったのかしらね」
ポタリ、と水滴が私の顔に落ちる。メイアの頬を伝う涙だ。
「あぁ…君の言う通りだ。全くもって恥ずかしいよ」
「…これで、おしまいなんだよね?」
おしまい。
メイアの口にした言葉の意味は、色々な事柄を指示していた。
旅のおしまい、分岐探しのおしまい、冒険者活動のおしまい、そして
私の命のおしまい。
「仕方がないだろう?私の持つ魂は、あるべきところに返さなければならないんだ。もう冥王神とも約束している。彼なら必ず全て…本来あるべき魂の在り方に戻してくれるはずさ。」
「なんでよ!!!なんで貴方がそんな、そんな風に…貴方ばかりが…」
「ははは、まさか君が私の為に泣いてくれる日が来るとはね」
零れる涙をそっと、指で拭ってやる。
メイアをなだめる事も重要だが、今はそれよりも先に終わらせることがある。
先ほどから聖なる気配がするのだ。並みの魔物なら近づくこともできないような気配だ。
ゆっくりと立ち上がる。身体に異常はない。むしろ絶好調だ。全ての魔力を取り戻し、完全復活といったところだろう。
「盗み聞きなんて、柄でもないことするんじゃないよ。私に用があるんだろう?勇者…」
そう言うと、林の奥から姿を見せる男が一人。
「いや、フォルマンド。勇者フォルマンドよ。久しぶりだね」
邪神:『権能の力を眠らせ、我の復活を止めたつもりだろう。否、否である。今でこそ我は魔界に封じられ、今でこそ干渉できるは貴様の持つ力を頼らねばならぬ。だが…必ず。努々忘れるな。我の力を与えたのは我がこの世に戻る為。封印を壊し、再び現世に戻る為。貴様はその器に過ぎない。貴様に権利は無い。ここまで野放しにしたのもすべて…貴様の力を強めるために過ぎない。努々忘れるな。我は必ず。』