その姿こそ真の悪なのか
更新遅くなりました。
黒い泥はジャンと狼を飲み込んでしまった。
メイアはその様子を見守りながらも、ジャンが最後に言った言葉を頭の中で反芻する。
「…どうなったんだ?」
ゼクスは魔法が解けたのか、剣を構えながら近付いて尋ねる。
「…死んではいない。感じる…感じるぞ…これは!強者の!!気配である!!!」
ウォーゼンは少し嬉しそうに近付いてくる。
しばらくして、泥がどこかに消えてしまうと1人の男が背を向けて立っていた。
「ジャン…?」
メイアは恐る恐る尋ねる。
男は泥に飲まれる前のジャンとほとんど変わらない姿をしている。一つ違うとすれば、髪の色だろう。真っ白だった髪は今、対照的に真っ黒になっている。
ゆっくりと振り向く男。
「っ…」
その顔を見たメイアは思わず顔を引きつらせた。
優雅さも気品も微塵もない、怒りを露わにした顔だった。目は赤く染まり、眉間には酷く深い皺が刻まれている。普段は隠している吸血鬼らしい2本の牙をぎらつかせながら、全てを敵視するようにこちらを見据える。
そんな表情でジャンは低く唸る。
「…ゥゥゥルルルル」
獣の唸り声だった。人間性の欠片もない、獣の声だった。
「なんだありゃ。…そういうことかよ。どおりで嫌な臭いがすると思ったぜ」
改めて剣を握り直すゼクス。それに呼応するように拳を握りしめるウォーゼン。
ジャンは呻き声をあげながらゆっくりと、身体を引きずるように近づいて来る。
「あれが何かわかるの?」
アルテマが質問する。
「あぁ。あんな邪悪な臭い、ひとつしかねぇ。あれは邪神の一部だ。世界創造の灰汁、この世のクソッタレな部分を煮詰めたような奴だ。遥か昔に消し飛ばされたはずだったが…しぶとく足掻いてやがるみたいだな!!!」
「ゥゥゥルルルァァァアアアア!!!!!!!!!!」
ひときわ大きな唸り声をあげたジャンは右腕を大きく振りかぶる。即座にアルテマが防御結界を張る。
「あらあら…驚き。一撃でヒビが入っちゃうなんて」
骨が軋むような鈍い音と共に、その腕は変容する。まさに狼のそれであった。それを拍子にジャンの身体全体がブクブクと膨れ上がり、どんどん異形と化していく。
その足元からは黒い泥があふれ出し、その泥から無数の鼠たちが走り出す。右腕は獣、左腕は肥大化し、宛ら巨人の腕と化す。頭は幾度も姿を変える。蛇、狼、昆虫のような何か。それらは次第に混ざり合い、形容しがたき姿となっていくのだった。腐り、再生し、そして朽ちる。時に霧幾度となく繰り返される肉体の変貌。それは己を見失った1人の男の叫びの様にすら感じるものだった。
「なんと…これは…面妖な姿であるな!!神とは斯様な面妖なモノであったか!!!」
「悍ましい。普通の吸血鬼じゃないと思ってたけど…普通に驚いちゃったわ~」
「邪神が相手となれば話は別だ。お前ら雑魚は下がってろ。アレは俺が始末する」
既に臨戦態勢にいる3人の強者達を眺めながらフェンリスは、少しばかり怯えていた。自身の知らない主人の姿に、混沌としたその造形に。
フェンリスはメイアに近づく。自分が何をするべきかを考えた結果の行動だ。主人は、ジャンはフェンリスに言った。メイアを守れと。故に、フェンリスはメイアにそっと後ろに下がるよう促そうとした。
「メイア様…」
おそらく彼女も、自分と同じように驚き恐れているのだろう、そう勝手に思い込んでいた。だが現実は違った。
彼女はしっかりと主人の方を見つめていたのだ。その表情に恐怖はない。
「まさか邪神が絡んでくるとは思いもしなかったが…奴は悪だ。俺の正義の前で…死んでもらおうか!!!」
ゼクスは再び剣を天に掲げる。
轟音、雷鳴、天井を突き破る雷は再びゼクスの剣の刃となる。
「…闘争…戦いこそが生命の礎なりて…血が滾る!!!!」
ウォーゼンも拳を握り直す。漲る闘気は部屋の温度を軽く3度は上げることだろう。
2人は同時にジャンに向かって飛び掛かる。それに呼応するように、ジャンは叫び狂うのだった。
「イィィィィィィヤァァァァァバアアアアアアアアアアアア!!!!!」
空気を震わせる叫び。天井が砕け落ちるのではないかと疑うほどの叫びだ。しかし、メイアは屈しない。その様子を見たフェンリスつい、声を漏らす。
「なぜ…なぜ貴女は…」
「怖くないのか?とでも言いたいのかしら?」
無言で頷くフェンリス。
「怖くないと言ったら噓になるわ。私だってあんな公爵…いえ、ジャンを見たことがないし」
「じゃぁ」
「でも関係ない。どんな姿であってもあの人はあの人。どこまでも優雅で格好つけたがる…素敵な人のはずだから」
そう言って「やっぱ今の言葉は彼には内緒ね」と付け足してニコリと笑うメイア。
「だから今は目をそらしてはいけないの。おそらく機会は必ず来る。彼が言った言葉の意味…7本の針の意味を確かめる機会を」
雷鳴轟くその太刀筋は変わり果てたジャンの肉体を容易に切り裂き、そして焼き尽くす。肉の焦げる臭いが少しずつだが部屋を満たしていく。
「神罰執行!!!!塵芥と化せぇぇ!!!!!!!!!!!!」
轟く雷鳴。巻き上がる土埃。既に天井は全壊し、上を見上げれば樹海の木々を拝むことができる。
しかしそれでも
「まるで効いてねぇ…。あの泥っつーか…肉体っつーか…とにかくあれは本体じゃねぇな?」
「肯定しようぞ!!あれは宛ら霞、宛ら虚構!!存在こそすれど肉体とは別の領域。でなければ、今頃我が拳によって数多の肉片と化しているはずだろうからな!!」
「やっぱり、か」
ぼそりとメイアは呟く。
「あら?」
その呟きが耳に入ったのか、アルテマがメイアの方を向く。メイアはそんなアルテマに声をかける。
「ちょっと力を貸して欲しいの。できるかしら?」
「何か策があるのね?」
「えぇ。でも私ひとりじゃ難しい。でも、ここにいる全員が動けば…不可能じゃないはず」
「う~ん、そうね…なんでもいいわ!面白そう!」
アルテマはそう言って携えている枝杖を取り出して一振りする。
膨大な魔力の流れをメイアは感じた。次の瞬間、怪物と2人の猛者を隔離するように結界魔法が張られる。
「おぉい!!邪魔すんな!!」
結界に頭を酷く強くぶつけたゼクスが叫ぶ。
「あらあら~、ごめんなさいね。あ、そこの筋肉モリモリ君?無理に壊さないで。少しお話があるの」
結界に拳をぶつけ続けるウォーゼンを諭しながら、アルテマはメイアに目配せをする。
「さっきから殴ったり斬ったりしてる貴方たちならわかると思うけれど‥あれは彼の本体じゃない。本体は別にいるの」
「…御託はいらねぇから結論を言え結論を。」
「こら、女性にはもうちょっと丁寧に接したらどうかしら~?」
「あぁ?」
「7本」
メイアが呟く。皆が口を閉じる。
「彼は私に言った。7本の針を使えって。針ってのは夢魔の骨針。私の持つ針のこと」
「え、え、夢魔の骨針!?あなた、持ってるの!?え、いいな!」
「女、続けろ。この魔女様は無視して構わねぇ」
「作戦、なんて言えるほどのことじゃないけど…」とぼやきながらメイアは説明を始めた。
「彼はその身に7柱の…眷属?とでもいうのかしら。彼は厄災って呼んでいたけど、自身とは別の生き物をその身に宿している…というよりかは、魂そのものを分けているって言ってたかしら。今回の発端は、最後の7つ目の…あの狼を取り込んだことが原因だと思う。だから…」
「その眷属ってのを抑えれば、何かが変わるって?」
「えぇ。根拠も確証もないけど…少なくとも今できることはそれだけ。彼の眷属が姿を見せたら…私の針を打つ。7柱全てに針を打つ。それがおそらく…今の彼を止める唯一の策だと思う。」
「…それはつまり、奴はまだ、今よりも、更に!!!!強くなるという事だな?」
ウォーゼンが鼻息荒く尋ねる。
「え、えぇ。私の知る限りは…まだ彼は本気じゃないと思う…」
それを聞くとウォーゼンは声高々に宣言した。
「良かろう!!!汝の願い…確と聞き入れた。汝の言葉が確かであれば、あの者はもっと強くなるという事。ならば是が非でも闘わなければならぬ。ならば闘おう。その先のことは、好きにするが良い」
それを聞いてアルテマがほほ笑む。
「面白い人ね~。結局のところ…戦いたいだけでしょう?わかりやすくて良いわ!私も手伝っちゃおう!…あ、決断は早くしてね。もうそろそろ私の結界も限界。」
皆の目線がゼクスに向かう。
ゼクスはアルテマを軽く睨みながら答える。
「…っち。まぁいい。俺は俺の好きなように戦わせてもらう。俺の邪魔をしない限り、お前は悪ではない。好きにしろ」
そう言い終わるが先か、結界が砕け散り叫び声がこだまする。
「ァァァァァァァアアア!!!」
「来るわ!!!!」
「さて、仕切り直しだ」
「行くぞッ!!!!我が拳の味を知るがいい!!!!」
各々が為すべきことを為すために、動き出す。
(必ず取り戻す)
メイアは唇を軽く噛みながら、針を構えるのだった。
邪神:『我、不滅なり。必ず、この手で…世界を終わらせなければならないが故に』