それは破滅の誕生
夢を見ていた。
「ほら、ジャン。いつまで寝ているの?」
目を開ければ傍にはエリザがいる。兄貴もいる。親父もいる。
「あぁ、少し嫌な夢を見ていたみたいでね」
「もう!お話の途中で寝るだなんて、これは罰を与えなきゃ駄目ですわ!」
頬を膨らませるエリザに皆が明るい笑顔を見せる。
「ははは、勘弁してくれ。姫様に言われたら冗談でも冗談に聞こえないだろ?」
「冗談じゃないだから。」
その瞬間、周りにいた人間全ての皮膚が腐り落ち、その奥の骨を剥き出しにする。
「…へ、あ、あぁぁぁ!!!!!!!」
思わず椅子から転げ落ち、逃げるように壁際に避難する。
「ねぇジャン?どうして?」
「ジャン、お前という奴は…」
「どうしてこんなことに?」
「お前のせいだろう」
「何故生きている。お前だけが」
呪言のような言葉が押し寄せてくる。目を背けたくて、目を瞑る。けれど、そうすれば瞼の裏側にでも刻まれているのか、より鮮明にあの日の事が思い出される。
逃げたくても逃げられない。永遠のように繰り返される。
幾たびも後悔した。幾たびも懺悔した。許しを請うように、謝り泣き叫び、その首を掻き切った。
けれども、けれども、終わりはない。
その身に宿した50万2076名の人間の魂が解き放たれることはないのだから。
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いったいどれほどの時間が経ったのだろうか。気が付けば完全に意識を失っていたようだった。
意識が戻ったのは、声が聞こえたからだった。
『…きて…起きて!!!…私がコイツを押さえ込んでいる間に!!!』
それは切羽詰まった女性の声だった。
『起きなさい!!もうそろそろこっちが限界なの!!!!!!』
うるさい声だ、と思う。しかし、なんとも聞いていて心地が良いというか、懐かしい声だった。
だからか、うっすらと目を開ける。声の主がどんな輩か確かめようと思って。
目の前に声の主らしき人は見えない。少しガッカリしながらまた目を瞑ろうとすると
『あ、今ちょっと目を開けたでしょ!起きろっつーの!!!!』
仕方なく起き上がる。目をこすりながらしばらくはボーっとする頭が覚醒するのを待つ。
意識がハッキリしてきたところで、辺りを見渡す。
「なん…よ…誰もい……じゃ…」
声の主らしい人はいない。けれども、光景は変わっていた。
周りは草原、そして武器を構えた男たちが何人も立っている。
『眠れ!!!!!貴様は起きる必要はない!!!!眠れ!!!!!!!!』
今度は頭が痛くなるような声がズシンと響く。思わず眉間に皺が寄る。
しかし、ここは何処だろうか?
「ど…だ…わから…が…少し歩…か…」
独り言のように呟くが、声があまり上手く出ない。それどころか、身体の動きも鈍い。まるで這いずりまわるようにゆっくりだ。
そこで改めて自分の身に違和感を覚える。
目線を動かし下を見る。そこに足は無い。あるのは、黒いドロッとした何か。泥の塊のようなものだ。
「な…だ?これ…身体に貼……いてい…のか?」
手で払おうと思うがそもそも手が無い。今の身体は…黒い泥の塊のようだった。
「構わん!!!攻撃開始!!!!」
後ろの方で叫び声が聞こえる。直ぐ後に、幾つもの弓矢が身体に突き刺さっていくのが感じ取れた。しかし、痛みはない。
「邪魔…ないで…く…」
鬱陶しい弓矢兵たちの方を向く。兵士たちの表情がよく見える。
怯えている。あれは、恐怖の顔だ。
そうか、今…私?俺?僕?自分?…
プツリと何かが切れる。それは、魔導線が流れる魔力に耐え切れず焼き切れるような感触だった。
…
私は…誰だ?
他者に恐怖を抱かせる姿をした私は誰だ?
『貴様は依り代だ!!我の復活の為の器だ!!意識を明け渡せ!!』
また声が響く。それが何とも嫌な気持ちになる声で、思わず叫び声をあげてしまったんだ。
「あぁぁ…あ、あ、あ、ああぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
「矢は通じない!近接戦に変更だ!!!」
そんな声に合わせて、幾人かの槍や剣を構えた男たちがこちらにむかって走ってくる。
「…邪…魔…を…するなぁぁぁ!!!!!!」
何が何だかわからない。けれども耐え難い破壊衝動が私を襲う。それに呼応するように、身体にまとわりつく泥のようなものが津波のように流れだし、兵士たちを飲み込んでいく。
それが何とも心地よくて、満足感で満たされていくのだった。
『フハハハハハ!!!そうだ!!!それでいい!!!!その力は貴様の思いに呼応する!それこそが我が貴様の肉体に与えた力!!』
「黙…れ!!!!!!!!!!!!!!」
『くくく…ならば良い。存分に力を使うがいい。そして更に魂を喰らえ。そして我が器に相応しい姿になった時、我は再び貴様の前に現れよう。
それもまた、一興よ!!!フハハハハハ!!!』
高笑いを残して声は二度と聞こえてくることはなかった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
今はただ、この溢れる破壊衝動を、ただ、満たしたかった。
泥は姿を変える。牙だ。もっと鋭く、もっと残酷に…そう思う心が姿を変えた。泥はまるで狼の牙のように姿を変え、兵士たちを咬み殺してゆく。
飛び散る鮮血を吸い取り、散らばる肉片を貪り喰う。
なんだっていい。もう自分の事など忘れてしまったのだ。
今はただ、この欲求に従い、他者の命を踏み躙りたい。
けれども、けれども…満たされれば満たされるほど、どうして!
どうして涙が止まらないのだろうか!!!
こんなに高ぶる気持ちを、押し殺すように悲しみが溢れてくる!!!!
何故だ!!何故何故何故何故何故何故何故何故!!!!!!!!!!!
『それはね。ジャン、貴方が人だからよ』
ジャン?それは私の名前なのか?
『えぇ。ジャン=レガート・ヴァンファイラ。貴方は人。貴族。エルドに仕えた公爵家の次男』
ジャン…レガート…ヴァンファイラ…
その名前を聞いた時、頭の中に何が思い出される。人の姿だ。人の姿が見える。それに合わせて身体の形が人のモノに変わっていく。
声は優しく私に語り掛ける。
『疲れたのね。無理させちゃったもんね。仕方ない、なんて言葉では済まされないけれど…』
まだ…足りない。もっと血を、命を、破壊の限りを尽くさなければならない。
『まだアイツの意志が強く残ってるのね。でも大丈夫。貴方の記憶は守られている。現に今、貴方は昔の姿に戻れた。貴方の心は死んでいない』
何を言っているのかはわからない。けれどもその声は心の奥に深く突き刺さる。
『だからね。ジャン。これだけは覚えておいて。全部忘れちゃったとしても、貴方の魂には刻まれている。それを思い出した時、貴方は貴方のやるべきことを行いなさい。それまでは私も目を瞑っておきます』
その声はとても悲しげなものだった。
『だって、私は…私たちは…貴方に無理をさせ過ぎちゃったみたいだから。本来貴方一人に抱え込ませていいような問題ではなかったのに、ね?』
声はだんだん遠くなっていく。
『だからジャン、どうか再び思い出すその日まで…どうか貴方は貴方で居て…』
そう言い残して、声は二度と聞こえてこなかった。誰の声も聞こえてこなかった。
「待って…くれ!!私を…一人に…しないで…くれ!!!!!」
自然と言葉が漏れた。もっと声を聴いていたかった。けれども、声は返ってこない。
咽び泣きながらひたすらに歩く。ただ歩いた。
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「というわけでね。私はこんな身体になってしまったわけなのだよ」
少し長くなった思い出話をメイアに聞かせる。メイアは驚いたり怒ったり泣いたり、なんだか忙しかった。
「…その、なんて呼んだら良いのかしら…ジョン?ジェームズ?…それとも、ジャン?」
「そうだね。今の私はジョンだね」
そう言って首にかけている銅製の札をチラつかせる。
「…やっぱりジャン、って呼ばせて。それが貴方の本名であって、忘れちゃダメな名前なんだから」
「なんだか照れくさいな。特に君に呼ばれるのは」
少しだけ、なんというか、ちょっとグイグイ来る感じが似ているんだろうな。あのお姫様と彼女は。
「それで?何か言いかけただろう」
「そうだった。その…吸血鬼って…吸血鬼に噛まれて成るモノだと思っていたんだけれど、貴方は違うのね」
そう。吸血鬼とは吸血鬼が生み出すモノでもある。その血を分け与え、力を我が物にできた者だけがなれる…高貴な存在だ。
「その通り。私は吸血鬼だが、他とは違う、とメイアは感じていたね。その通りなんだよ。そもそもね。吸血鬼という種自体、本来存在しない種族なんだ」
少なくとも、そんな種族は私が生まれ育っていた頃にはいなかった。私が色々な国を旅していた頃もいなかった。
では、いつ彼らが生まれたのか?
答えは簡単だ。
「私が生み出さなければ、存在しなかった種族なんだよ」
「それって…つまり…貴方が真祖…?」
メイアは少し身震いをする。当然だ。真祖の吸血鬼、強大な力を持つ吸血鬼の頂点…それが目の前にいるのだから。