それは全ての終わりと始まり
「禁忌」それは魔術協会が指定する「触れてはいけない魔法」のことだ。
ジャンが王に伝えたのは魂を別のモノに移すという魔術。過去に偶然立ち寄った見世物小屋で見た魔術だ。
見世物小屋では2頭の山羊を用いてた。1頭の山羊の魂を取り出し、もう1頭に移す。すると、山羊は2頭分の魂を身体に内包し、1回死に相当する傷を負っても傷を治せば直ぐに立ち上がるというものだった。
つまりこの魔術を人間に応用し、一人の人間に複数の魂を入れることができれば簡易的な不死の実現ができるのではないか?そうジャンは思ったのだった。
「まさか役に立つ日が来るとはな…」
ジャンは古ぼけた手帳を眺めながら呟く。その手帳は、見世物小屋を出る時、見知らぬ老人に渡されたモノだった。革細工の手帳で、中には様々な魔法の術式が書かれている。だが、その多くがジャンには理解しがたい魔法ばかりだった。
「それが噂の、か」
そう問いかけてきたのはジャンの兄だった。コーヒーカップを1つ、ジャンの傍に置きながら手帳をまじまじと眺める。
「俺は紅茶派なんだけどなぁ」
「ワガママ言うな。今のこの国には紅茶なんて流通していない。それより、その魔法本当に上手くいくのか?」
「さぁね。魔法陣自体は簡単だから間違えることはないけれど、実際やってみないとわからない。まぁ…こんな魔法でも言わなきゃ俺の命が無くなってた」
「お前はよくやったよ。父上もお前くらい保守的ならば…死なずに済んだかもな」
兄曰く、ジャンの父親は王の狂行を咎めたその日に殺されたそうだった。公には事故死とされているが、遺体には斬り傷を隠そうとした跡があり、多くの人間は王の手で殺されたと理解していたことだろう。
「保守的…ね。まぁ何にせよ、まずは与えられた領地を守ることだ。それが生きてる俺たちの使命だろ?」
「そうだな。そうするためにも…まずはお前は喋り方をなんとかしろ。公の場でその喋り方じゃ他貴族に示しが付かない」
「へぇへぇ」
肩をすぼませながら返事をするジャン。ジャンの兄はそれを見ると平手で頭を軽く叩く。
「そういうとこだよ!王女様にも注意されてるだろう?なんで直そうとしない」
「なんでかな。正直自分が貴族って実感が俺には無いんだよなぁ。兄貴が優秀だし?」
「はぁ…優秀って言ってもなぁ…私が死んだらどうするつもりなんだ?」
「まさか!兄貴にはあと100年は生きてもらうぜ?」
「減らず口を。ったく…しっかりしてくれよ。お前にはヴァンファイラ家の未来が掛かっているんだぞ」
「なんだいそりゃ。近いうち死ぬ予定でもあるのかい?」
「死なないさ。私はまだ嫁も貰っていないだぞ?ってお前もそうか」
「俺はいいよ。一人の方が楽そうだし?」
「なんて言いつつも、王女様といつも親しげじゃないか。王の座を狙っているのかぁ?」
「王の座なんて畏れ多い事を言うんじゃないよ!」
▽△▽△▽△▽△
それから数日後、遂にその日が来た。あの魔法を実際に試す日が来たのだ。
ジャンは不安だった。正直成功する保証はどこにもない。実際に人に使える魔法なのか実験をしたかったが、何故か王に止められたのだ。王族の権威を失うとか、なんとか言われて。
その儀式は厳かに行われた。選ばれた数人の臣下だけがその場に居合わせ、王が不死者となる瞬間を見届けることになっていた。
「ほっほっほ…遂にこの日が来た。皆の者、喜べ!!!遂に来たのじゃ!!!!!」
いつになく明るい笑顔を浮かべる王様。しかし、臣下の表情は暗い。
「ほれ、ジャンよ。例のモノを」
そう言われ、ジャンは慌てて魔法陣を描こうとする。
「違う。それじゃない。手帳じゃよ。お主の手帳。それを」
「え、魔法陣は」
「それならもう書いてある。あとは詠唱だけじゃ」
疑問に思いつつ、ジャンは手帳を王様に渡す。
「ほっほっほ…これで準備は整ったのぉ。さて…」
「お、お言葉ですが陛下!せっかくならば祝杯をあげてみては?せっかく杯の準備もしてありますし…」
詠唱を行おうとした王を止めるように、王の側近が声をあげる。一瞬、王の表情に怒りの色があらわれる。しかし、直ぐに取ってつけたような笑顔を浮かべた。
「そうじゃな。一人より皆で祝う方が楽しいものな」
ジャンはその言葉に酷い違和感を覚えるのだった。
杯が集まった者たちの手に回っていく。ジャンも例外ではない。
「では…」
王様が杯を掲げる。その時だった。
「どういうことですか!!!!お父様!!!!!!」
勢いよく扉が開き、一人の女性が玉座の間に入ってくる。
エリザだ。
「おい。摘まみだせ」
王様は冷たい視線を王女に向けながら兵士に命じる。
「先ほど、とある方から伺いました!!!ジャンから聞いた魔法を貴方は!!!国中の民を巻き込んで行おうとしていると!!!」
「はぁ!!!!?」
慌てて王の方を振り返るジャン。王は、笑っていた。
「魔法陣を王都を囲むように描き、多くの民の命を糧に生きながら得ようとするなど…そうまでして王でありたいのですか!!!」
「ま、待ってください陛下!!それはどういう…」
臣下たちが次々と問いただす。しかし、王は何も答えない。それどころか、手帳をペラペラとめくりだし、魔法の詠唱を始めようとしていたのだ。
「ジャン、お父様を止めて!!!」
エリザはよろよろと壁伝いに歩きながら叫ぶ。
「いや、待ってくれ…」
「いいから!!!」
慌てて王様の方に駆け寄るが、詠唱は止まらない。
「陛下!!!お待ちください!その魔法が果たして本当に人間にも適応できるものなのかまだはっきりしていません!もしも陛下の身に何かあったら…」
陛下の口は止まらない。
「陛下!!!」
仕方なく、ジャンは強硬手段として魔法を行使する。氷魔法を用いて口元を凍らせようとした。
しかし魔法は王様に届く前に黒い壁に阻まれてしまったのだ。
「なんだ…どうなってるんだ…?」
「どうしよう…このままじゃ…」
気が付けばエリザがジャンの傍まで来ていた。苦しそうなエリザを見て、ジャンはそっとエリザの身体を支える。
「私がもっと早く来ていれば…」
エリザが悔しそうに呟く。すると、詠唱を終えた王が嘲笑うかのように声をあげた。
「無駄じゃよ!貴様が仮にもっと早く来ようが、止めることはできない!!!」
王の足元が黒い霧に覆われていく。
「詠唱は完了した。後は魔法陣の中の魂が集まるのを待つだけよ。残念だったなぁ?」
王は手に持っていた手帳をジャンに向かって放り投げる。
「そもそもな…貴様の様な小娘一人に何ができよう。民の命?それがどうした。そんなもの、この国の未来と比べればちっぽけなモノじゃないか!」
「馬鹿なことを!!民があっての国、民の居ない国に何の価値があるというのです!!!お父様は狂っています!!!どうして!!!」
「黙れ!!!貴様が男であれば、貴様が健康であれば、貴様が孫を産めば、貴様が悪いのじゃ!国の未来を担う存在がいないのじゃ!ならば儂が立ち続けるしかないだろうが!!!!!」
黒い霧は次第に闇の触手へと変貌し、王の足を纏わりついていく。
「しかし…そんな小さき事に悩むのももうおしまいじゃ。もはや誰も儂を止めることはできない」
そう言って、手に持っていた杯を飲み干す。すると、王の顔色はどんどん蒼くなっていきバタリとその場に倒れた。
「…はははははは!何が不死だ!!愚かな王よ!!!」
そう叫んだのは長く王の側近を務めていた男だった。
「き、貴様…まさか…」
「そうだ!!私が毒を仕込んでおいたのさ!!!不死になって国を治める?世迷い事を!もはや臣下は誰一人貴方の事を信頼していない!狂った王に仕える気など早々無い!死ね!!死ね!!!死ね!!!」
しかし、王は立ち上がる。というよりかは、黒い触手が王を立たせる。
「ふざけるな…儂は…まだ終わらん!!!!」
王の足元の触手が側近を突き刺す。次の瞬間、側近は吐血しながら倒れこむ。
「許さん…許さんぞぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!」
足元の闇は急速に拡大し、辺り一面を覆う。ジャンはエリザの腕を掴んで闇から逃れるように走り出す。
「…どうして、どうしてこんなことに!!!」
「悔やんでも仕方ないわ。こればかりは…仕方ないこと…」
黒い闇は周囲のモノをどんどん取り込んでいく。同時に逃げまどう臣下達を悉く触手で刺し殺していく。
その悲鳴を背中で聞きながら、一心不乱に城の中を駆け抜ける。
「こっちだ!!!」
そう呼びかけるのはジャンの兄だった。
「兄貴!?」
「王家の抜け穴を使う!あとお前は王女様を抱えろ!長旅で鍛えた筋力の出番だぞ!」
確かに振り返ると、エリザは走りながらも苦しそうな表情をしていた。ジャンは急いでエリザを抱きかかえる。
「えっ!待っ!大丈夫だから!」
「大丈夫なわけあるか!気が付かなくて悪かった!」
「重くないかな…?」などと呟くエリザ。ジャンは心の中で「軽すぎるくらいだ」と思った。
城の秘密の通路を通り、城の外に出る。振り返ると城は完全に闇に飲まれ、更に王都を飲み込もうとしていた。その光景を3人は呆然と眺めるのだった。
最初に口を開いたのはジャンの兄だった。
「ジャン、何か止める手立てはないのか?」
「わからない…そもそも、俺が見た魔術はこんなことにはなっていなかった…!あんな触手や闇なんてなかった!」
「やはり…人間に使ってはいけない禁忌の魔法だったってわけか」
「あ、あのジャンのお兄様?魔法陣はどのような方法で描かれているのですか?今からでも魔法陣を妨害して…」
「兄貴も知っていたのか?」
話を聞くと、王女に王の行おうとする蛮行を伝えたのはジャンの兄だった。ジャンの兄は、偶然秘密裏に動いていた巨大魔法陣作成の事を知り、描こうとしていたものがジャンの手帳に書かれていたモノと同じことに気が付いたのだ。
「なるほど…それでエリザに説得を依頼したのか…ってなんでそれをもっと早く言わなかったんだよ!!!」
「仕方がないだろう。知ったのはついさっきなんだ!!」
お互いが胸ぐらを掴み口論を始めようとすると、エリザがパンッと手を叩く。
「今はそんなことしている場合じゃないでしょう!それよりジャン、実際…魔術師的視点で見て、魔法陣を通じて何かしらの妨害はできるの?」
「ここまで大規模な魔法陣となると、妨害の可能性を視野に入れない魔術師はいない。兄貴、魔法陣は何で描かれていた?」
パッと兄の胸ぐらを掴むのを辞めて答えるジャン。
「確か…魔術線だったはず。魔力枯渇で死にかけている魔術師を何人も見た」
「となると…魔力供給を絶つ手は使えないな。魔法陣自体に既に魔力が流れてる。となると…魔法陣を不完全なものにさせれば…希望は無くもないか…」
「魔法陣を消すわけか?」
「消すのは難しい。だから…書き換える」
答えを求めるかのように王から返された手帳のページをめくる。すると、ジャンは驚きの声をあげた。
「…これは?あぁ…これなら!いや、でも…」
エリザは不安そうにこちらを見つめる。兄はジッと城の方を眺める。
「…悪いが、あまり時間に余裕はなさそうだ」
兄の言葉で顔を上げるジャン。ジャンの眼に飛び込んできたのは、洪水のようにこちらに押し寄せてくる闇だった。
「なぁ、ジャン。あの闇が…このまま放って置いたらどうなるかな」
「俺たちを飲み込んで、更に先へ。魔法陣の範囲だけで留まればいいな」
「そう。最悪の状況を考えれば…あれはこのまま世界を飲み込むかもしれないな」
「どうした兄貴。神話でも読み過ぎたかい?」
ジャンの兄は、ジャンの方を振り向くとニコリと笑った。
「あとは任せた。何が何でも止めてくれよ」
そう言って、ジャンに大量の身体強化を付与する。
「な、なんのつもりだよ?」
「私とて、魔術の心得はあるんだ。お前には敵わなかったがな。行け!!!少しでも遠くに!!!姫様を抱えて!!!!
…ほんの少しだが、ここで食い止める。お前が最後の頼りなんだ」
ジャンの兄は詠唱を始める。ジャンからすれば古臭く感じる程の廃れた防御魔法だ。けれどもそれは、ジャンの兄が会得する数少ない魔法だった。
「ジャン…」
エリザが呟く。
「兄貴!!いや、兄上!ここは任せます。姫様は私が守るのでご安心を!!!!!!」
ジャンはひたすらに走った。エリザを抱きかかえ、ひたすらに。王都からかなり離れた所でエリザが叫ぶ。
「ジャン!あれ!!!」
指さす方向を見ると、青黒く光る魔法の線が見えた。
「この外に出れば安全、なのか…?」
恐る恐る線に近づく。すると、何か透明な壁にぶつかってしまった。
「結界になっている…」
吐き捨てるようにジャンがぼやく。
「何が何でも止める方法を考えなきゃいけないのね…。ジャン、何か見つけたんだよね?」
ジャンは改めて手帳を眺める。
「あぁ。一つだけ、らしいものはあった。魔法の主導権を奪う魔法、だと思う。これを使えれば…でも…」
「なるほどね…主導権を奪えても止められるかはわからない、なーんて心配してるのかしら?」
「そう…なんだよ」
すると、エリザは少し震えるジャンの手をギュッと握る。
「大丈夫!ジャンは私の知る限り、最高の魔術師なんだから!」
エリザも震えていた。その様子を見てジャンは笑った。
「そうだな。自分の事なのに…すっかり忘れていたよ」
ジャンは魔法陣を描き始める。自分ならできる、そう自分に言い聞かせながら。不安は山ほどあった。けれども今、傍には自分を信じてくれる少女がいるのだ。それに応えるためにも、魔法陣を描く。
黒い闇はどんどん近づいてくる。焦りと恐怖と時間の3つと戦いながら、ジャンは魔法陣を書いていく。
そして、何とか魔法陣が描きあげ、起動する。魔法陣はまばゆい光を放った。
無事魔法を起動できたことに一安心したジャンは安堵の溜め息を吐く。その時だった。
ジャンの身体に衝撃が走る。同時に赤い鮮血がジャンの目の前に飛び散る。
「な…なんで?」
それはジャンが描いた魔法陣から伸びていた。黒い触手、城の中で王にまとわりついていたそれと同じものが魔法陣から飛び出し、エリザの胴体を貫通したのだった。
これは魔法陣の防衛機構だった。ジャンの魔法による干渉に反応し、逆に攻撃を仕掛けてきたのだ。
エリザがジャンを庇うように押し倒さなければ、今頃ここで倒れていたのはジャンだったことだろう。
「エリザ!!!なんで…なんで!!!!」
エリザの白いドレスが血で滲んでいく。
「私ね。ちょっとだけ楽しかったの。お城の秘密の通路を貴方に抱えられて走り抜けて、草原を走って…走ってばかりだったけどね、楽しかったの」
「無理に喋るな!!傷が…」
エリザは首を横に振る。
「冒険ってこんな感じなのかな?って思えて…一瞬だけだけど…冒険者になったみたいで…」
血を吐くエリザ。
「待ってろ…今回復魔法を…」
「もう、知ってるんだから。ジャンは回復魔法を使えないってことくらい。それよりも、手を…握らせて」
「いくらでも握らせてやるから!!!だから!!頼む、死ぬなよ!!!!」
ジャンはエリザの手を強く握る。
「うん…流石にそれは難しそう。だから…ジャン、しっかり聞いて。もうお父様を止められるのはただ一人。貴方だけ」
「でも…そんな…」
「大丈夫…ジャンは私の知る限り、最高の魔術師なんだから」
エリザは明るく笑う。その表情は、久しく忘れていた明るい笑顔だった。まるで向日葵のような、明るい笑顔だった。
黒い闇が、無数の触手が、まるで洪水のようにこちらに迫ってくる。
「大好きだよ…ジャン。私は貴方といる時間が一番幸せだった。どうか…私の幸せだった時間を、あの国を、世界を、救って…」
「…そんなの卑怯だろ!こんな状況で…本当…強引な姫様だよ!!!!!」
ジャンはエリザを抱きしめる。
「俺も…君が好きだった。君の笑顔が…君の瞳が…君が…君が!!!!」
黒い闇が全てを飲み込む。大地に生える草一本も残さずに。




