それは遠き日の思い出
暖かい日差し。小鳥がさえずる。「平和」なんて言葉がこれ程まで似合う国があったのだろうか?
少なくとも、この男の歩んできた人生においては他にはないだろう。
時は今から1000年前。魔法が発展し始め、人々の生活が魔法を元にどんどん豊かになっていく時期だ。
ここはそんな魔法の発展と共に成長する国「エルド王国」新しい技術を貪欲に取り込み、日々豊かになっていく国だった。
そんな国の王城の城門を、薄汚れたコートを着た貴族風の男がくぐり抜ける。歳は23歳ほどの青年だ。門番とは顔見知りなのか、その格好にお咎めは何もない。
男は小麦色に日焼けした肌をさすりながら城の中を歩く。途中通りすがる人と挨拶を交わしたりしながら、玉座の間へと進んで行った。
ジャン、それが男の名前だった。
「ただいま戻りました。陛下」
男は恭しく片膝を付く。だが、その表情は柔らかい。
王も、その男とは旧知の仲なのか明るく笑いながら応える。
「ほっほ、そんな畏まらんで良い。で、シモッサはどうじゃった?何か新しいものは見れたかのぉ?」
「えぇ!それはもう!精霊魔法を産業魔工に利用した技術が特に!ただやはり精霊との関係を築きあげるには時間が…」
「話が長くなりそうじゃな。後で資料にまとめて出しておくれ。それよりも…旅の話は儂よりももっと聞きたがっておる者がおるからなぁ?」
王様はそう言って柱の陰に目線を向ける。そこには白いドレスを着た17歳の少女が柱に隠れるように立っていた。バツが悪そうに、長い金髪を指で絡めて視線を逸らしている。
「…もぅお父様。別に早く会話を終えろ、だなんて思っていませんのよ?」
「全部口に出ていますよ王女様…」
「ほっほ、仲が良いことは良いことじゃが…悔しい!!!」
「お父様の事は放っておいていいわ。さ!こっちに来て!」
王女は明るくジャンの手を引っ張る。ジャンは申し訳なさそうに王に頭を下げてその場を立ち去るのだった。
王女の部屋に案内されたジャンは、畏れ多いと言わんばかしの顔つきで部屋に入る。
「さぁ!旅のお話をしてくださいな!」
しかし、王女のその一言で態度を一変させた。
「相変わらずエリザは強引だねぇ。そんなに俺の話が楽しみだったのか?」
「あっ!また「俺」だなんて!「私」でしょ?貴族なんだからもっとピシッとしないと!」
ジャン=レガード・ヴァンファイラ。それが彼の本名だ。ヴァンファイラ家は代々エルド王国に仕える公爵家で、ジャンはその当主の息子だった。といっても、ジャンには兄がおり、優秀な兄の存在のおかげでジャンは政治とは無縁の生活をしていた。
とりわけ魔法の才能があったジャンは、世界各国の新しい魔法の技術を学ぶ、と言って頻繁に旅に出ていたのだ。王女・エリザはそんなジャンが帰ってくる度に、外の世界の事を聞きたがるのだった。
「へぇへぇ、ワタクシめが、それではお話させていただきましょうぞ~ってな」
「もう!」
「まぁここでくらいはなんだっていいだろう?」
そう言って部屋のソファに腰を下ろし脚を組むジャン。
「そうね。で、シモッサはどうだった?」
「あそこは凄いよ。精霊魔法については昔話したよな?精霊だって一つの種族だ。力を借りるにはそれなりの対価が必要なわけで…」
ジャンの話にエリザは目を輝かせて聞き入る。
「はぁ~!いいなぁ!外の世界、他所の国、私も冒険したい!」
「そうだな。エリザの病気が治ればいくらでも連れて行ってあげるんだが…って王女様が頻繁に外に遊びにはいけないか」
「それは…まぁ…でも!治るんでしょう?貴方が治す方法を探してきてくれる、必ず」
その表情は実に明かるいものだった。例えるならば、夏に咲く大輪の花の様な笑顔だった。
ジャンはその表情を見る度に心に誓うのだった。
「もちろん。必ず見つけますとも」
少し格好を付けて答えるジャン。それを見てエリザは笑う。
「っぷ…ちょっと、もぅ!急に真面目にならないでよ!笑っちゃう!」
「んな!?俺の精一杯の貴族主張を無下にしないでくれよ!」
「だって!ジャンらしいんだけどらしくないっていうか!」
彼が旅をする理由の大半が、この王女の病を治す方法を探すことだった。国の発展に生かせる魔法を探すことや、魔術の探求は次いでのようなものだった。王様もそれを理解し、ジャンの旅の助けをしていたのだった。
「…でも、冒険はやっぱり憧れちゃうなぁ」
「冒険?旅じゃなくて?」
「ええ!私、冒険者になりたいわ!それでまだ未開の地を開拓して…すごい魔物を退治なんかしちゃったりして!」
「ほぉ~、鎧に身を包んで、武器は何がいいんだい」
「やっぱり、盾と剣ね!あぁ~でも魔法使いも憧れちゃう…!なんか私にも使える魔法は無いの?」
ジャンは戸惑う。
「なんてね。大丈夫。魔法を使わない方が治りが早いんだもんね」
エリザが抱えている病気は、魔素によるものだということまでは分かっていた。体内に魔素を貯めこみ過ぎた為に身体に異常が起こる病気…「魔瘴病」なんて呼ばれる病気だ。魔法を使うと体外の魔素を取り込むため、病気が悪化する危険性があるのだ。
体内の魔素を取り除くには魔力回路に触れる必要がある。しかし、それは非常に繊細な技術が必要であり失敗すれば命を落とす。成功しても魔力回路が機能しなくなることが多いらしい。そうなれば病気は再発しやすく、完治には至らない。
何よりも、そんな高度な医療魔術を扱える人間はジャンが今まで旅した中では一度も出会えていなかった。
まさに八方塞がりだった。
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幾つもの国を旅し、幾つもの魔法を、幾つもの薬を調べたジャンだったが、エリザの病気を治す方法は見つからなかった。
答えを探し続けるジャン。彼が再び国に帰るきっかけになったのは兄からの手紙だった。
父親の急死、それに合わせて兄が家督を継ぎ、自分は補佐として招集されたのだ。
国に帰ってきたジャンを迎えたのは、異様な光景だった。
空は分厚い雲が覆い、カラスが飛び交う。道は人よりも鼠の方が多く行き交う。淀んだ空気、死肉の腐乱臭が辺りに広がっていた。
尋ねてみると、ここ数年で急速に伝染病が蔓延しているらしかった。しかし、この国の荒れっぷりには別の要因があると感じたジャンは、すぐさま王城に駆け込んだ。
門番の男は言った。
「王はご乱心だ」
話を聞くと、伝染病の他にも2回の他国の進軍、作物の例を見ない不作、国家転覆を企む貴族の動きなど、多くの要因が国王の心を苦しめたという。
そして、一番の要因はエリザの病気の悪化だった。
「帰ってきたのね。ジャン…」
今では寝たきり状態になっていたエリザは窓の外を眺めながら呟く。
季節は夏。本来ならば、外の庭には一面に大輪の花が咲き乱れているはずだったろう。しかし、手入れが悪いのか今年は萎れた花が幾つか咲いているだけだった。
「あぁ。親父が死んじまってな。俺は兄貴の補佐をするらしい」
「そう…」
彼女の表情は暗い。
「みんな、死んじゃうんだね」
「みんな?」
「えぇ。貴方のお父様も、メイドのリサも、料理長のダッキーも…みんな、みんな!!!」
肩を震わせる王女。
「全部、お父様が殺したのよ。誰も一言もそんなことは言っていないけれど、多分そう。おかしくなっちゃったのよ。ねぇジャン…なんとかならない?外の世界を見てきた貴方なら…」
「待て、それは…」
突然ドアが開く。振り向くと、王様が立っていた。
「ジャン…帰ってきていたのか。よくぞ帰ってきた!!」
「お、王様…?」
「こっちに来なさい。話をしようじゃないか」
威圧的な無表情を貫く王様に圧倒され、ジャンはすごすごと王女の部屋を出る。エリザはその様子を不安げに眺めるのだった。
城内の廊下を王と共に歩く。通りすがる使用人やらは皆俯きがちだ。
「どうだ?何か得られたか?」
歩きながら尋ねてくる王。
「王女様の病は…魔力回路に干渉すれば治せる可能性はあります。しかし…知っての通り魔力回路は非常に繊細で…」
「よい」
ジャンの言葉を遮るように王は呟く。
「え?」
「もうよいのじゃ。奴はもう駄目じゃ。それより、それよりも…」
「待ってください!!!駄目って…それは!!!」
「言葉の通りじゃ。もう駄目なのじゃよ。世継ぎも作れるわけでもない。もはや価値など無い」
王は冷たく言い放つ。ジャンはその言葉を耳で聞いても理解できなかった。いや、理解したくなかったのだ。
「それよりも、今は儂が…少しでも長くこの国を統治する他ない。醜悪な地方貴族なんぞにこの国を、王政を、奪われてたまるか!!!!それなのに奴らは揃いも揃って王は乱心じゃと?ふざけるな!!儂の心なぞ奴らに理解できてたまるか!!この国を、儂は愛しておる。この国は儂のものじゃ!!
…わかるな?」
ジャンは言いたかった。だが言えなかった。間違いなく王の心は壊れてしまっている。一度壊れた心は、もう二度とは戻らない。もう終わっているのだ。「貴方は間違っている」その一言を言えればどんなに良かったことか。
けれどもジャンは言えなかった。目の前にある命の危機、ここで王に歯向かうという事の意味を理解していたからだ。
「…その通りでございます」
奥歯を噛みしめるジャン。
王様はニンマリと笑みを浮かべる。
「お主ならそう言ってくれると信じておったよ。お主の父は…その…残念じゃったな。これからは兄弟で仲良く領地を統治しておくれ」
そうこうしているうちに、2人は王の玉座の間までたどり着く。
玉座の間は明りも少なく夏だというのに肌寒さすら感じた。
王は玉座に座ると、ジャンに言い放つ。
「それはそうとな、今まで多くの国を歩き、様々な知識を手にしたジャンよ。お主に問う」
ジャンは片膝を付いて言葉を待つ。
「不死に至る方法を儂に教えよ」
「…不死?」
「そうじゃ!世継ぎもいない、国の未来を託せる者などいない、ならば儂が統治するしかないのじゃ!しかしな。しかしな?儂も歳を取る。今はまだ良くとも、次第に身体もガタが来る。そうして死んでしまう前に、儂は手に入れなくてはならない。死の恐怖から解放されなければならない!!」
王は目を見開きながら熱弁をする。
「多くの国を回ったお主ならば何か掴んでいるのではないか?」
「そ、それは…」
「掴んでおるのじゃろう?そうじゃろう?そうなんじゃろう???」
王は壁に掛かっている剣を一本掴む。返答次第では容赦なく斬り殺しにかかることだろう。ジャンはその恐怖に怯えつつ、言葉を絞り出す。
「…思い当たるものは一つあります。しかし…これは普通の魔法や錬金術とは異なり「禁忌」と呼ばれる邪術です。それでもよろしければ、お教えいたします」
「知っておるのか…知っておるのじゃな!!!!!」
王は手に持っていた剣を放り投げると、ガシッとジャンを抱擁した。
「やはりお主に頼んで正解だった…お主ならばと思っていたのじゃ…」
王は涙を流す。ジャンはただ、その場に立ち尽くすしかなかった。




