閑話:吸血鬼とはどこで生まれたのか
ダニエルは落ち込んでいた。まだ日が出ている内だというのに、依頼を受けたりすることなどせず酒場に居た。
「はぁ…」
ダニエルは酒場の店主に聞こえるようにため息を付く。それは「頼むから「どうした?」と聞いてくれ」と言わんばかりのものだった。
しかし、酒場の店主は知っていた。彼の最近酒場で知り合ったばかりの冒険者が、先のゾンビ騒動で両足を骨折して動けないのだ。
知っていた故に聞こうとしなかった。聞けばかなり長い時間話に付き合わされると知っていたからだ。
「はぁぁぁぁぁ…」
ダニエルは先ほどよりも長いため息を付く。いつもは天を突く勢いの前髪も、今じゃ萎れている。
そんなダニエルを見ながらグラスを磨いていると、カランコロン、とドアベルが鳴り女が一人店に入ってきた。
「いらっしゃい」
店主がそう言うと、女はダニエルの隣に座り言った。
「いつものを」
女はその長くはない青髪を耳にかけながら注文する。
店主は「はいよ」と一言言って棚から1本の瓶を取り出してグラスに注ぐ。彼女はもはや常連なのだ。
出されたのは北のホッカルド大陸で作られるウイスキーだった。度数は40度を超える。
「ありがとう」
女はそう言ってクイッとグラスを煽る様に飲む。その様子を店主とダニエルは眺めていた。
半分ほど一気に飲んだところでグラスを一旦カウンターに置く女。その様子を見てダニエルはハッとしたのか声をあげた。
「あんた…この間の!!!!!!!」
「おや?君はいつぞやの冒険者じゃないか!元気にしていたかい?」
「え?まぁ俺は元気…じゃなくて!!!
この間、話すだけ話して勝手に帰っていきやがって!今日こそは俺の話を聞いてもらうからな!!」
そう彼女はルシル・ウェステンラ。この街で吸血鬼の研究をしている学者でこの間もダニエルと出会っているのだ。
「まぁそう声を荒立てないでくれ。3日徹夜していてね。少し大きな音がきついんだ」
そう言って弱弱しく言うルシルを見て、ダニエルは「すまねぇ」と再び萎れてしまった。
「そんな奴は酒なんか飲まずに寝ろ」と心の中で思った店主だったが、あえて黙る。
「…その、どうして3日も寝ていないんだ?」
ダニエルは疑問を投げかける。すると、さっきまで弱弱しかったルシルはパッと元気になりこう答えた。
「凄まじい文献が発見されたのだよ!それも冒険者の手によってね!!」
冒険者の手によって、という部分を強調して言うルシル。それを聞いたダニエルは自分の事ではないにも関わらずフフンッと鼻を鳴らす。
「冒険者が偉業を成し遂げたって話かい!?」
「その通りだとも!少し話しても良いかな?」
「良いとも!俺は冒険者をやっているからな!冒険者の話が大好きなのさ!」
とても簡単な男である。店主は額に手を当てて目を瞑った。
「それは良かった!
いや、実はね?真祖…つまりこの世で初めて生まれた吸血鬼の正体が少しわかってきたかもしれないんだ。これはその証拠になり得る手記の写しなんだが」
そう言って、ルシルは身に纏う白衣の内ポケットから丸まった羊皮紙の束を取り出す。それを見たダニエルは眉間にしわを寄せる。
「…なんて書いてあるんだ?」
それは字が汚いのではなく、純粋に読めない文字が書かれていたのだ。
「これは旧大陸言語の1つだ。つまりは、今から1200年前くらい前に書かれた手記なんだ」
「…それはまたよく見つかったな…」
「そう!!これも冒険者が見つけたのだよ!素晴らしい働きだ!」
「おう!冒険者はスゲーよな!…で、これはどこで見つかったんだ?」
ダニエルはこれから聞けるであろう冒険譚に胸を膨らませていた。
「トルキョの貴族の家の蔵」
「「え?」」
店主とダニエルが同じ反応をする。
「蔵の整理を依頼された冒険者が見つけたんだ。で、家の主人も読めないし、ということで組合所に渡り、専門家の手で解読、そこから私の元にまで届いたのだよ!」
「いやいやいや!!!」
「まぁそんなことはどうでもよくて、内容が肝心なのだよ!」
「どうでもよくないんですけど!」
ルシルはダニエルの言葉など気にも留めずグラスに残ったウイスキーの飲み切り、店主にもう一杯、とグラスを押し付ける。
そして、グラスを回しながらどこか遠くを見るように話を続けだした。
「これは今から980年前の手記でね。内容を要約するならば『エルドの消滅地にて謎の魔物と戦闘』といったところだね」
「…?」
「エルドっていうのは、ちょうど今のトルキョ王国の中心都市辺りにあった小国の名前でね。ちょうどこの文献が書かれた頃に突然消えた国なんだ」
「消えたっていうのは…滅びたってことか?」
「確かに滅びたはしたが、文字通り消えたんだよ。ある日を境にこの国の王都が消滅したんだ。建物も、人も、家畜も畑も…全て当然無くなって、むき出しの地面だけが残っていたって話でね。原因は未だによくわかっていないが…魔法によって爆発四散したとか、魔獣が暴れたとか、どれも決定的な証拠にはなっていない」
ダニエルはその状況を理解しきれていないようだった。
「…ちなみになんだけど。その消えたっていう王都はどれくらいの大きさだったんだ?」
「人口約50万人、敷地面積は約80平方キロメートル…ざっとこのトクロジムアの3倍ってところかな」
ダニエルは生唾を飲み込む。
「そして、その消えた跡地には長年、謎の魔物…複数の獣が混ざり合ったような怪物が住み着いていた、というのが多くの文献に書かれている。確か…嘆きの獣、なんて御伽噺の元にもなっていたかな」
「それなら俺もガキの頃よく聞かされたことがあるぜ。欲に溺れた獣が色んな獣と合体して、最後は身動きが取れなくなって殺されちまうっていうのだろ?」
「そう。欲張り者は損をする、そんなことを戒める為の作り話だが…その獣の元となったのがこの魔物というのが今の定説さ」
「んでもよ、それと吸血鬼がどんな関係があるっていうんだ?」
「ここで重要になってくるのが、今回の手記だよ」
そう言って、羊皮紙の束をペラペラとめくってある1頁を見せる。
「これはそのエルドの傍にあった国の行軍の記録なんだが、行軍中、そのエルドがあった土地を横切ろうとしたんだ。すると、いつもは声をあげるだけで何も動きを見せなかった魔物が突然動き出し兵隊たちに襲い掛かったと書かれている」
「…それで?」
「約400名の兵士の内、290名が喰われた。そして、魔物はその姿を人型に変えて近くの村の方へ歩いて行ってしまった…と」
「それじゃ御伽噺とは違うじゃないか」
「そこは深く考えなくていいところさ。ここで重要なのは別にあるんだ」
ルシルは再びグラスを傾け酒を飲み切る。
「この手記の最後には、後日魔物が向かった村に調査に向かった記録が書かれていた。内容はこうだ。『村の中に人はいなかった。だが荒らされた痕跡も血の跡もない。唯一の変わったことは、多くの家の室内に大量の白い灰が散らばっていたことだけだ』と」
「白い灰…」
「私はこれが吸血鬼という種の誕生の瞬間だと思っている。それに、根拠はこれだけじゃない」
ルシルは白衣から筒状に丸められた地図を出す。店主は「なんでも入っているんだなぁ」と感心する。
出された地図は世界地図に幾つかの点と数字が記載されているだけのシンプルなものだった。
「吸血鬼という明確な単語が書かれた最古の文献は、960年前の聖魔術協会の書物だ。しかしその頃には世界各地で吸血鬼に類似した事件の話が見つかっている。そして、それより前の年代になると吸血鬼らしき情報はどんどん減っていく」
「んじゃぁ…どんどん昔に遡って行けば、自然と発生源ってのは分かるんじゃないか?」
「素晴らしい!その通りなんだよ!」
女性に素直に褒められて照れくさそうに頭を掻くダニエル。
「そこで吸血鬼に関連する情報が得られた場所と年代を示したのがこの地図だ。点が吸血鬼に関連する事件の起きた場所、数字が年代だ」
それを見て、ダニエルは「あっ」と声をあげた。
「なぁ、もしかしてなんだが…これって…」
ダニエルは地図の一か所を指さす。そこには多くの×印と、地図の中でも若い数字が多く並んでいた。
「そのもしかして、だと私も思っている。吸血鬼に関連する事件は全て、このエルド周辺から広がっていっているんだ」
「じゃぁ…嘆きの獣が吸血鬼の真祖ってことなのか?」
すると、ルシルはグラスに残っていた酒を氷ごと口に含む。それから氷をガリガリと噛み砕くと言った。
「それを今から調べるわけさ!!ご馳走様。また今度飲みに来るよ」
それから白衣を翻しながら早歩きで店を出て行った。
「あれ、俺の話は…?」
一人取り残されたダニエルは、再び店主にため息をつき続けることになる。




