老人は拳を振るうのか
ドアを開けると、そこには1人の老人と1人の女が立っていた。女は窓の外を見ていたが、こちらの入室に気が付いて直ぐにこちらを振り向いて言った。
「結構早かったね。もうちょっとかかると思っていたんだけど…」
「私を甘く見ないで欲しいものですなぁ。呪術に関しては特に。貴方も知っているでしょう?私は呪いに詳しいんだから」
「そうだったね。いや、待っていたよ。ジョン・デューク君」
「それはどうも。組合長殿」
ゾンビの呪いの発生源、それこそがこの冒険者組合の組合長サリアル・ノルトラーレンだったのだ。
「それにしても、着々と呪いは解けていってるのかな?念話はもう使わなくて良いんだ」
「ええ。お陰様でこの通り」
そう言ってローブの襟元を広げて首を見せる。そこにはしっかりとした筋肉がついていて、あとは皮さえつければ一端の人間といったところだろう。
突如、ナイフが飛んでくる。狙っているのは私の首元だろう。それを寸での所で捉え、2本の指で刃を掴む。筋肉まで取り戻した今ならば、この程度の投擲は難なく対処できる。
「ちぃ…やはり慣れないことはするものではないな」
投げたのは、ウィックだ。
「ウィック氏よ。魔術士ならば魔術で戦うものだろう。それとも…そっちが君の本職だったのかい?」
びくっと反応するウィック。
「そもそもがね。おかしい話なんだ。ウィック・ジョルマンは既に死んでいる筈なんだから」
「知っているのか…?」
ウィックが尋ねる。
「当然。有名、と言うには少し足りないけれど閃光のウィックの無詠唱魔法は魔術師の間では画期的だったからね」
「まるで当時生きていたかのような口ぶりじゃな」
「えぇ、生きていたとも」
そういってナイフの刃の部分を持ってウィックに手渡しをする。ウィックはそれを受け取ると、笑いながら言った。
「やはりお主は…人間ではないな?」
「お互い様でしょう。貴方も、勿論、組合長殿も。この部屋には今、一人として真っ当な人間は居ません。ならば、怪物同士で生死を削り合いましょうじゃないか!!!!!」
指を鳴らせば世界が変わる。呪いのジョンにも見せた心象世界を顕現させる。
2人を無理矢理引きずり込むと、組合長は苦々しい顔をする。
「私たちを逃がさないつもりかい…」
見れば組合長は、眼帯をしているじゃないか。片目は呪われ機能していないようだ。
「なるほど。これで全てが合点行きますなぁ。どうですか?自分の目でしっかり見るこの景色は」
景色は少しばかり変化を遂げている。
地面は無数の屍と骨の他に毒の沼地が広がっている。空には烏が飛び回り、足元を虫が這う。怨念が渦まき、嘆きが響く。
楽園とは程遠く、死の臭いが咽るほど広がっている。
「本当に、酷いモノを見せてくれたよね!!!!」
「覗きなんてするからでしょう。それより、なんでこの街を襲った?」
組合長はムスッとした顔で言う。
「それを今聞くかい?」
「えぇ。この後貴方たちは死んでしまうので」
「っは!私たち2人を前にその余裕か。まぁいいさ。教えてあげるよ。全ては世界を支配する為さ。死し者だけの楽園を作る為さ!ここはその最初の足掛かりに過ぎないさ。理由なんてない。どうせ最終的には全部手に入れるんだからね!!」
死し者だけの楽園、邪神崇拝の信者達の妄言だと思っていたが、悪魔の中にもいるのか。あんなものを望む者が。
「死し者だけの楽園…別に良いモノではないと思うんだがね」
「知ったような口を利くじゃないか。あれこそ私の理想だよ。皆が死の柵から皆が解放されるんだ。そこに何の不満があるのさ!!」
確かに、人は死に縛られる。限られた寿命に縛られる。死ぬということは、その縛りから外されることだ。死後、世界に留まることができたならば、まさに永遠の時を生きられる。
それを果たして「生きている」と呼ぶのかはわからないけれども。
死霊系魔物は、まさにそういう連中だ。何らかの理由で死の柵から逃れ、あろうことか現世に留まってしまった連中だ。
だが、それは決して喜ばしいことなんかじゃない。死の縛りから外れる代わりに大事なものを一緒に失う。
私は見てきたとも。そういった連中を。
己の死を受け入れず、魂だけでこの世に留まり続けた者は悪量となり、自我を失った。人間性を失った。本能のままに生者を憎み襲い肉体を奪おうとしていた。
なんとかして自我を取り戻せば、今度は永遠の渇きだ。癒えることのない傷を抱えた者もいた。
そして最後は、魂そのものを砕かれる。一度生と死の枠組みから外れた魂は冥界に向かうことはない。ただ、砕かれ、魔瘴気となって空気中に広がる。生まれ変わることもない。無に返るだけ。
「皆が解放される、か。でも君は違うんだろう?」
スッと組合長を指さす。
「君からは嘘の臭いが漂っている。生憎今の私は、嘘には敏感なんだ」
こればかりは嘘つきな蛇を取り込んだからだろう。彼女は嘘には敏感だからね。よく嘘を吐く分他人の嘘も見抜く才を持っている。
「嘘?どこに嘘があるんだ。私は本気で思っているよ。」
「ウィック氏の死体を弄んでいることと、君が悪魔だという事、これだけ証拠が在れば間違いないさ」
「弄んでいる?違うよ。ウィックは死の縛りから外れた形で蘇らせたんだ。悪魔の魂をウィックの肉体に入れてね!」
つまり、死体に本人とは別の魂を入れることで、疑似的なゾンビを生み出したわけだ。もちろん、他人の魂には生命維持活動をする力はないから、肉体は動くだけで放っておけば腐っていく。それもないということはそれなりに腐敗処理を施しているのだろう。
そして、この街の住民も最終的にはウィックと同じような状態になるのだろう。
「ほら、死体に別人の魂を入れて絶対服従の部下を増やしていこうって魂胆が丸見えじゃないか。もともとの魂の事なんか気にも留めていない。
楽園?馬鹿を言え。結局自分の都合だろう?」
「アハハハ!だから何だって言うんだ!私は悪魔だ!報酬には対価があるだろ?死から解放してやるんだ。もともとの魂?その肉体を容れ物としてずっと使ってもらえるんだ!感謝されても良いくらいじゃないか!」
それから組合長はニタリと笑う。
「さぁ!おしゃべりはおしまい!ウィック!この男を始末して!!!」
「やれやれ…老骨には堪えるわい」
ウィックの頭上で光の球が形成されていく。上級聖魔法だろう。間違いなく奴は本気だ。
「この肉体は魔術回路の質が高いからのぉ…昔はできなかった魔法だって簡単にできる。人間の身体も捨てたものじゃない」
聖魔法がこちらに飛んでくる。避けるには些か大きすぎる魔法だ。私のローブでも耐えきるのは難しいだろう。
「腐敗する腕よ。出ろ。」
それならば、防ぎきれば良い。ここは己の心象世界。我が業が生み出す世界。となれば、私が宿す力は断然強くなる。
地面に散らばる屍の山が動き出し、巨大な腕を作り出す。死肉の腕だ。腕は聖魔法を受け止めるように手を広げ、聖魔法を喰らうと同時に爆発する。
雨の様に腐肉が飛び散り降り注ぐ。その隙に上級炎魔法を4発ウィックに向けて放つ。
しかし、それらは全て、同等の炎魔法によって相殺され、爆風と熱波が広がる。
「どうした!!!!そんなものではなかろう!!」
今度は肉体強化を施したウィックが瞬時に距離を詰めてくる。地面の屍を上手く動かして足を掬うが、転ぶ前に手を付いてそのまま側転を決めて立ち上がる。
「っ…もうこの身体は限界が近いな」
「それはそう。本来は朽ちて無くなっているべき肉体だ。どんなに取り繕っても、限界がある」
ウィックは手のひらに刺さった骨を抜いて地面に放り投げる。
「ならば、この肉体の最後の仕事を済ませるとしようではないか!!!」
鋭い突きと蹴りが飛んでくる。人間の肉体には些か負荷が大きすぎる速度だ。魔術による強化で限界を超えさせているのだろう。
攻撃が続けば続く程、筋繊維の切れる音が聞こえてくる。
しかし、今の私の肉体であれば避けることは簡単だ。もともと吸血鬼の肉体は人間を遥かに凌駕している。この動体視力を持ってすれば、老人の肉体の魔術強化の拳など赤子の手をひねるように受け流せる。
寧ろ魔術で戦った方がまだ良い戦いができたであろう。
いや、これがウィックの身体に入っている魂の意志なのだろうか?
『まさかと思うが、君は死にたがっているのかね?』
ウィックだけに聞こえるように念話を送る。
『たわけ!死にたがる奴がおるか!…ただ、少し疲れてしまったのかもしれない』
念話が返ってくる。
『儂は元々、魔界で命を無駄にした悪魔じゃ。魔界には儂のように肉体を失って魂だけで彷徨う輩が多くてのぉ…
肉体を失っても、まだ生にしがみつく。あわよくば人間の魂を喰らって強くなって再び肉体を取り戻したい、そう思う輩ばかりじゃ。儂もその一人だった』
ウィックの拳は止まらない。
『そんな時に奴に会ったんじゃ。奴は言った。人間の肉体を奪い、現世で力を振るおう、とな。実に魅力的な誘いじゃった。
だが…だが!!!!これは儂ではない!!!儂は魔術師ではない!肉体のお陰で魔術はかなり使えるが…これは…儂ではないのだ…』
『ならばどうする?どうしたい?』
「儂は…拳を振るう!!!!!!その先に何が待っていようとも、それが、儂じゃぁぁ!!!」
ブチブチブチ、と嫌な音と共に迅速とも言える速度の拳が撃ち込まれる。
「それが答えか。ならば拳で戦おう。気の行くままに戦おうか」
その拳を、グッと掴んで受け止める。ウィックは瞬時に拳を戻そうとするが戻らない。既に筋肉が千切れているのだ。
「ふふ…お主は強いな」
「それほどでも。肉体が違ければ、勝負の行方は変わっていたかもしれないとも」
諦めたかのように笑う老人。その胴体を己が手刀で貫く。
「ありがとう。これでようやく自由になれた」
動かなくなる老人。手刀を抜き血を払い、それから死体に火を点ける。
もう二度と、彼の死体が使われないように。そして、悪魔の魂が浄化されるように。
炎:炎は古来、邪を払うと言われている。生肉ならば腹を壊すが、焼いた肉ならば壊さない。生の死体は悪霊に憑かれるが、焼けた死体には悪霊は憑かない。そんな事例から生まれた迷信だろう。ただし、この考え方は地域によって違う。
「死者の魂は、己が肉体が燃えて立つ煙に乗って天に上る。そんな考え方の国もあった。炎と魂は密接な関係にあるのだよ。悪戯好きの炎の霊が炎なのだって、そう」




