閑話:我、ただ前へ進みし者也
「オォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
森全体に響き渡るような雄叫び。鳥たちは飛び立ち、獣たちは走り出す。
全ては生存本能だった。
声の主と対峙したならば、自身の「命」はそこで無くなる。野生動物ですら理解するその危険性を、理解できぬ者がこの世界にいるのであれば、それは生物としての括りを超えた何かであろう。
声の主は前に進む。まっすぐ進む。それは何も比喩表現ではなく、言葉の通り真っ直ぐ進む。
行く手に崖があれば、飛び越えて行き。
行く手に大木があれば切り倒す。
山があれば登り、海があれば泳ぎ渡る。
そして、街があっても、国があっても、真っ直ぐ進む。
この森には1匹の魔獣がいた。巨大な獅子の魔獣だ。森の主だ。縄張りとする森を荒らす不届き者を、放っては置けない存在だ。
それは、己の生存本能に争い、森の主は声の主と対峙する。そして、驚く。
「汝こそが我を滅ぼす者か!?」
そう声を上げるのは、人の形をしていた。一糸纏わぬ男の姿がそこにはあった。
人間で言えば、1.9m程度の身長だろうか。背中まで届く金髪、筋の通った鼻、「美形」と呼ぶのがふさわしい顔つきの男だ。顔だけならば優男と呼ばれてもおかしくはないだろう。だが、その全身を目にすれば、そんな考えは遠く彼方へと吹っ飛ぶ。
男の全身は鎧のような筋肉に覆われていた。美しい程に均衡の取れた肉体は一つの芸術品のようですらあった。だが、その芸術品には数多の傷跡があった。
全身は刃で切り裂かれたような傷跡を多く抱えていた。一つ一つが生死のやり取りをしたかのような重い傷跡だ。
そんな男の姿を見て、森の主たる獅子は思いを馳せる。
この拳ならば、岩を砕こう。この脚ならば、崖を飛びこえよう。この筋肉ならば例え獅子であっても絞め殺そう。そんな光景をいくつも連想した。
だが、森の主は退く訳にはいかない。例え森の全ての配下が逃げ出そうとも、身体のあちこちが「逃げろ」と訴えかけていても。
「ほほう…汝、強者と見受けられる!!!ここまで歩いて来たが、小鳥1匹として姿を見せなかった。だが、汝はこうして我が前に立っている!!!素晴らしい!!!
汝よ。我を滅ぼして見せよ!!!」
人の形をしたそれ、もとい1人の男は拳を空高く上げながら、叫ぶ。
「さぁ来い!!!」
その叫びに合わせて森の主は男に飛びかかる。鋭く光る2本の牙で、男を噛みちぎろうと。首を傾げ、男の脇腹を狙う
感触はあったので明らかに牙は男の皮膚に触れていた。だが、触れるが精一杯、そこから男を噛みちぎるには届かない。
「むぅん…実に鋭利な牙である。この牙であれば、我が鋼の肉体すらの貫くだろう。しかし!!!」
男は掴んでいた。その両腕で、森の主の顎と頭を。
「顎の力が少し足りなかったようだな…」
メシメシと音を立てながら、主の顎は本来開く限界よりも広く開こうとしている。
顎がダメになる寸前のところで森の主は男の腹を殴り飛ばす。
「ぐふぅ…良いパンチ…もっとだ!」
吹っ飛んだ先、森の大木に身を打ち付けた男は口元を拭う。
それは口から流れた血ではない。溢れ出る涎を拭う行為だった。
「素晴らしい!血沸き肉躍るとはこのことよ!汝、この森の主と見受けられる。ならば我が実力を見せるにふさわしい相手と言えよう!!!」
男はそう叫ぶと、高く飛び上がる。非常に高く飛び上がる。
森の主は身構える。今まで戦った数多の獣の動きを思い返し、次に男が行う行為を予想する。
男は大の字になってこちらに向かって落ちてくる。満面の笑みを浮かべて落ちてくる。
森の主は疑問に思う。
まさか、この男はそのまま落ちる気か?
男が着弾する寸前に、森の主は身を翻す。
男は無様に地面に落ちる。
しかし、ただ落ちただけではなかった。
男が地面に落ちると共に莫大な衝撃波が森を走り抜ける。
落ちた場所を中心に円形に地面は大きくえぐれ、周囲の木々は吹き飛び吹き飛んだ先でまた木々を薙ぎ払う。
その予想外の衝撃を受け、吹き飛ばされない様に地面にしがみつく森の主。一体何が起きたのか、思考を巡らせる。
衝撃の波が途絶えた頃に男は立ち上がる。土埃を身体全身に着けた男は、森の主の方を見てニヤリと笑った。
身構える森の主。直後、森の主の腹部に拳が撃ち込まれる。1秒もかからず男は森の主との距離を縮めたのだ。
腹部に拳を食らった森の主は、僅かながら宙に浮く。800kgはあろう巨体が浮く程の威力である。
コフッと吐血するが、流石は魔獣である。瞬時に体勢を立て直し、鋭い爪を周囲に振るう。爪は男の頬を僅かに掠るが、深手には程遠い。
追撃のように、2発3発と拳が撃ち込まれる。
倒れこむ森の主。しかし、自分が倒れてはならない、と何度か立ち上がろうとするが足が言う事を聞いていない。身体が完全に理解してしまったのである。「この男には勝てない」と。諦めてしまっていたのだ。
1歩、1歩と男が歩み寄る。
「残念だ…汝では我を滅ぼすことはできないようだ。
しかし、健闘は称えようではないか。せめて…我が血肉の糧と成るが良い」
男は森の主の首を抱え込むとそのままポキリと首の骨を折った。
それから男は、森の主の皮を剥ぎ、肉を喰らい、その日は森で一夜を過ごした。
翌日、鞣した森の主の毛皮をマントの様に纏い再び真っすぐと進みだした。
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「森林獅子王が死んだ…?」
ここは北の大陸の中心地、朝日の地。「試される大地」とも呼ばれるこの北の大陸の覇者ゴッツ・ラメンは驚きの声を上げた。
このゴッツという男は悪魔であった。悪魔王なる者の為にこの大地を支配した男である。
支配と言えば非常に難しく聞こえるが、ここ「北の大地」は非常に簡単だ。何せ、この地では「強い」事こそが全てなのである。
一番強い者が大地全域を自由にできる権利を持つのだ。不満がある者は戦えば良い。それだけである。
ある意味、この大地はどんな種族でも強ければ許されることから「この世で一番平等な地」なのかもしれない。なにせ、魔界の住民たる悪魔ですら最大権力者として君臨できるのだから。
配下からの報告を受け、ゴッツは3mはあろう巨体を特注の玉座に座りなおした。
この大地では覇者に「挑みたい」と言うだけで挑める。予選や選考なんて概念は無い。つまり、わざわざどこかで大暴れする意味など無いのだ。力を誇示したければ、覇者に挑めば良いのだから…
「外から来た、といったところか」
恐らく、自分と同じこの大陸より外から来た者だろう、とゴッツは考える。それならば、この大陸の規則を知らなくて当然だ。恐らく、自分の力を誇示しに来たといったところだろう。
直ぐにゴッツは配下に命じる。
「森林獅子王を殺した者を直ぐに探し出し…この場に招待してやれ。力の誇示ならば、俺が直々に見てやる!!」
ゴッツという悪魔は、力を誇示することが好きだった。同時に、世界で一番強いのは自分だと思っていた。
悪魔王なる者の下にいるが、それはあくまで都合がよいからで、時が来ればその悪魔王とてこの手で殺すつもりでいた。それまでの間の暇つぶしに現世の侵略をしていた。
「ふふふふ…楽しみだ。どう殺してやるか今からでも迷うな…」
ゴッツは待ちきれないかのように、グッと拳を握る。すると、ドカンッと鈍い爆発音が耳に届く。
音の発生源は城の1階の裏手のようだった。急いで駆けていくと、既に配下が武器を構えて立っている。
「何事だ!!!」
「そ、それが…男が…」
土煙の中、男は不思議そうに辺りをキョロキョロ見渡している。獅子の皮を身に纏う、体格の良い男だ。
「貴様か…森林獅子王を殺したのは!!!」
ゴッツが尋ねると、男は言う。
「むっ!森林獅子王…あの森の主か!あぁ。彼奴はそれなりに強かった。我から逃げぬ獣という時点で称賛に値しよう!」
男は表情を変えずに言う。
「…それで。俺と戦いに来たんだな?」
ゴッツは拳を鳴らしながら言う。すると、素っ頓狂な答えが返ってきた。
「戦う?いや、我はただ真っすぐ進んでいただけだ。そこに壁があったから壊した。そしたら汝らが居た。それだけであろう」
「真っすぐ…?」
ゴッツはその言葉に疑問を抱く。
「おい…この方角に部族はいるか?」
そう言って男が来た方角、すなわち「北」を示しながら配下に尋ねる。
「いえ…この先は森林獅子王の森と広大な湿地帯が広がるだけで部族は居ません…」
ゴッツは少し考え、それから言う。
「良いだろう。ならば戦おう!ここを通りたければ、力を持って示せ!!!おい!早く舞台の準備を進めろ!!!」
「少しは暇を潰せるだろう」、そんな考えからの答えだった。
「戦うならば、ここでもできよう?」
「いや、戦いとは観客が居て盛り上がるもの。そしてそれがこの大地のしきたりよ!」
男はそれを聞くと、「なるほど」と頷いた。
しばらくして、舞台が出来上がる。周りには多くの民が戦いを心待ちにしている。真の強者の力をこの目で見ようと集まっている。
舞台の上に立つ二人の男。
「これより!!!覇者決めの儀を始める!!」
審判がルール等を事細かに説明をする。しかし、二人の男は聞いていない。
「なるほど、なるほど…なるほど!!!!!!!!」
男が叫ぶ。
「大勢の民の前で力を誇示する…それはすなわち強者の証というわけだな…?」
「そうだ!わかっているじゃないか!」
ゴッツは少しばかり嬉しそうに返事をする。
しびれを切らした審判が叫ぶ。
「儀式・開始!!!!」
審判の合図とともに、両者は互いの手を掴み合い、力比べを始める。
「おぉぉ!!!筋力は互角の様だ!!!」
観客たちはこれから始まる勝負に期待をしていた。
この大地では、戦いこそが最大の娯楽なのだ。
男はニヤリと笑う。しかし、ゴッツに笑みは無い。
(何が互角なものか…コイツ…まだ全力じゃない…)
頭突きをして手を放すゴッツ。一度距離を取り、構え直す。
「良いぞ…良いぞ…汝ならば、我を滅ぼすことができるかもしれん!!」
男は両腕を広げる。それは「どこからでもかかって来い」と言わんばかりの防御無しの構えだった。
ゴッツが飛び掛かる。その巨体から繰り出される拳の威力は並の魔物では風圧だけで吹き飛ぶ威力である。全体重を乗せた重たい一撃が男の腹部に打ち込まれる。
男は舞台を超え、観客席を超えて、城の壁まで吹き飛ぶ。轟音と共に城が揺れる。だが、次の瞬間壁が崩れ、男がコチラに吹っ飛んでくる。
「ぬん!!!!」
壁を蹴って飛んできたのだ。壁は男の脚力に耐え切れず無様に崩れたのだ。
飛んでくる男に向かって再び拳を振るうゴッツ。
「ぐぅぅぅおおおおお!!!!!!」
倒れこむのはゴッツだった。右腕は青紫に変色し、腫れ上がる。完全に折れている。
「汝の拳…しかと効いたぞ。しかし…少し骨密度が足りなかったようだな…牛乳を飲め!!!!」
グッと拳を突きつけて言う男。一方のゴッツはかなりの危機感を抱いていた。
今まであれば、初手の力勝負で背骨をへし折り、それでダメでも拳一つで沈む敵ばかりだった。故に、もっと心躍る勝負をしたいと思っていた。だが、この勝負は違う。
相手は間違いなく各上で、自分は格下である…そう感じてしまったのだ。
「負けるものかぁ!!!!」
再び立ち上がるゴッツ。
「望むところよッ!!!」
ゴッツは己の砕けた右腕を強化魔術で補強する。そこからは連打、連打、連打の横行である。互いの拳と拳がひたすらぶつかり合う勝負だ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
幾時の間拳を交え続けたかはわからない。観客たちは固唾を飲んで様子を見守る。
そして、いよいよ勝負の終わりが訪れる。
バキッと軽快な音が響く。ゴッツの左腕が砕けたのだ。
ゴキリと鈍い音が響く。ゴッツの右肩が外れたのだ。
「ぬぅぅぅぅん!!!!!」
男の拳の勢いは止まらない。無防備と化したゴッツの胴体に2発…3発…4発…10発…100発…と拳が放たれる。
「せいやぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
最後の1発がゴッツの腹部に突き刺さる。3mもの巨体が吹っ飛び、天井を突き破る。
それを境に、城の崩壊が始まる。観客たちは急いで逃げ出す。
誰もいなくなった観客席に、ゴッツが落ちる。
既に全身の骨は砕け散り、指1本動かせない。それでも、ゴッツは立ち上がろうとする。
「諦めよ。汝は強かった。だが、我の方がやはり強かった。それだけだ。このまま動けば…死ぬこともやむを得ないぞ…?」
「まだだ…まだ…終わらんぞぉぉぉぉ!!!!!!!!!」
ゴッツは叫びながら、その気合だけで身体を動かそうとする。同時に、ゴッツの身体を闇が包む。そして…闇が消えた時。そこには1体の怪物が立っていた。
「この世界で…この姿を見せることになるとはなぁ…」
前身は黒い体毛に覆われ、頭には2本の天に向かって突き出た角が。顔はさながら牛のようだが、鋭い牙が口元に並んでいる。
「む。汝は魔獣の類か」
「俺は悪魔だ!!!!」
全身の骨が砕けていた筈のゴッツだったが、それは既に回復していた。己の秘めている魔力を完全に開放して再生させたのだ。
ゴッツは地面を蹴って飛び上がり、瞬時に男との間合いを詰める。
「死ねぇ!!!!」
鋭い爪が男を切り裂く。鮮血が舞台を濡らす。
そのままゴッツは手刀を作り、男の胴体を貫こうとする。しかし、その手はぴたりと止まってしまう。
「どうした。その爪で我を滅ぼすのではないのか?」
ゴッツの動きが止まってしまった理由は1つ。手を出してはいけない相手に手を出してまったことがわかったからだ。
男の血液は、瞬時に蒸発していく。相当な熱量を身体に蓄えているようだった。身体中から湯気が出ているように見える。
確かに男はかなりの熱量を持っていた。温まった筋肉は周囲の気温を数度上げるほどには熱量を放っていた。だが、身体から出る湯気のようなものは湯気だけではなかった。男から溢れ出るのは気配だ。その気配こそが、ゴッツに答えを教えたのだ。
圧倒的な力を持つ生物に宿る独自の気配は見る者に絶望を与え、戦う前から負けを認めさせる。不要な戦いを好まない自然界では、この気配こそが絶対強者の証である。
男からは並々ならぬ気配が放たれている。そして、その気配の質をゴッツは知っていた。
この北の大地から海を越え、更に北に進んだ先に存在する、龍の谷。生物の頂点に位置する「龍」
それに近しい気配を男は放っていたのだ。
ゴッツとて、生物だ。この気配の前では逃げ出したいという気持ちが溢れ出てくるのだ。膝がガクガクと震える。しかし、しかし、それでも、やらねばならぬと再び襲い掛かる。
「残念だ。汝の強さは本物であったのだがな…」
男は拳を握り、ゴッツの手刀と直接ぶつかり合う。
手刀は先端からどんどん蒸発していく。男の熱量はそれ程までに大きいのだ。
そして、最後は男の拳が悪魔の胴体に届く。その瞬間、爆発音が響き、衝撃波が城を完全に倒壊させる。
城の瓦礫の山から男が出てくる。先ほどまで観客だった者たちが、男を見つめる。しかし、男はそんなものには気にも留めずに歩き出す。ただ、真っすぐと。




