その魔物は倒せるのか
狼喰虫。それは魔物だ。先ほどの魔猪と異なり、完全に魔が生み出す存在だ。
見た目は蟷螂に近いが、大きさが大きさだ。今目の前にいる狼喰虫は足元から頭まで5mはある。身体全身は鋭利な棘の生えた灰色の甲殻で覆われ、2本の鎌は振るえばそこらの木くらいは真っ二つにできることだろう。
耳障りな金属をこすり合わせるような鳴き声を鳴らし、馬車に近づく狼喰虫。だが、奴の獲物は馬車でも馬でもない。
目の前で助けを求めるダイだろう。
というのも、狼喰虫の主食は「肉食獣」だ。
これで合点が付く。この森で魔猪が増えたではなく、魔猪を捕食する肉食獣が減ったんだ。どおりで私が血抜きなんかしても血の臭いを嗅ぎつけた猛獣が現れないわけだ。
「クソ!!!」
ガッデムが武器の重槌を構えて走り出す。
『待て、無暗に進んでもあの鎌で真っ二つ、からの肉団子にでもされて食われるだけだぞ』
「だからってこのまま見てろってのか!!」
気づいた狼喰虫が、ガッデムに視線を向ける。武器を振りかぶるガッデム。だが、相手との間合いが違い過ぎる。
胴体をグルンと捻って、鎌をガッデムの方に水平に振るう狼喰虫。ガッデムの重槌が届く距離よりもかなり離れた位置だ。
フックとダイは条件反射の如く目を背けた。恐らく彼らはわかったのだろう。ガッデムが真っ二つになり、その上半身が宙に舞う光景が。
だが、現実は違う。
『柄ではないんだがね』
ガッデムは、真っ二つになることなく、鎌を受ける前にそのまま横に吹っ飛ぶ。2回3回地面で跳ねて、そのままゴロゴロと転がった。
『まずは撤退だ。ダイ、馬車は放置して直ぐに森へ。フックはガッデムを回収してダイを追え。少しの時間は稼いでやろう』
挑発の魔術(魅了に近い精神攻撃の類の魔術)で狼喰虫の注意を完全にこちらに向けさせる。耳障りな鳴き声を上げて2発、3発と鎌を振るう狼喰虫。
流石の私の防御結界でも、耐えて2発だろう。油断のできない相手だ。傀儡人形の舞踏で回避行動を済ませているが、流石は魔物。少しずつこちらの動きに慣れてきている。
冒険者たちが森に逃げ込むのを確認して、一気に相手の間合いに入る。
『閃光』
突然の眼下の閃光に慌てふためく狼喰虫。効果はあった。
ただ、こうなった魔物は闇雲に攻撃しだす。そうなる前に急いで自分も撤退する。
しばらく魔工具を頼りに冒険者たちを追いかけ、森のかなり奥でようやく合流できた。
「はぁ…はぁ…なんとか逃げ切れたか…」
「兄貴…すまねぇ…」
「コフッ…問題ねぇ」
恐らく私のせいだろうが、脇腹を抑えるガッデム。ガッデムは合流した私を見るや否、こう言った。
「お前、素人冒険者じゃないだろう?」
『ほほう。どうして?』
「正直、お前の助けが無ければ今頃俺は死んでいた。あの手の魔物と幾度か戦ったことが無い限り、あそこまで冷静な判断は直ぐには出ない。現に、俺は何も頭が回らなかった」
『いや、やっぱりそうか。君もただのごろつきではないね。馬車に乗っている時から思っていたが…冒険者としては実に真面目じゃないか』
ガッデムは苦笑いを浮かべる。
『まぁ、そんな労いの言葉よりも我々はするべきことがある』
「あぁ。あの魔物から逃げるなり、倒すなりしない限り、町には帰れねぇな」
「で、でも…あんなの初めてですぜ…?正直銀級冒険者4人くらいはいないと…」
「同感だ。俺たちが何かするより、急いで救難信号を撃つなりした方が良いと思う」
ダイとフックはかなり精神が疲弊しているように見える。無理もない。彼らとて銅級冒険者、相手は今まで関わらなかった位の魔物だ。
『救難信号はやめた方が良い。目立つからね。撃てば救援より先に魔物が来るさ』
「じゃ、じゃぁどうしろってんだ!!!」
声を荒げるフック。そんなフックには私は言う。
『君の短剣、少し見せて貰えないかな?』
「はぁ?」
『いいから』
渋々自身の短剣をこちらに渡すフック。
『なるほど。刀剣牙持つ獅子を使っているね。良い材料を使っている。それに手入れも行き届いている』
「見ただけでわかるのか!?」
『当然。私の血筋は鍛冶屋だからね。これなら少し魔術強化と魔法付与を重ねれば、奴の装甲も貫けるかもしれない。
ではダイ君。今どれくらいの罠を持っている?罠の型も教えて欲しい』
突然話を振られて驚きながらもダイは答える。
「魔工起動型を…3つ。電流によるものが2つに落とし穴を」
『いいね!勝機がグッと見えてきた』
「待て待て、一体何をするつもりだ!?」
『いや、幸いにもここには非常に優れた魔術師が一人いる。後は君たちが努力すれば、勝機は十二分にあるというもの』
そう言って、指をパチンと鳴らす。3人にそれぞれ別の魔術強化を施す。
「「「うお!??」」」
『ダイ君には隠密の魔術、速度上昇、保険に瞬間防御を付与して置いた。これで確実に罠を設置してもらう。
フック君には速度上昇、筋力増加、瞬間防御…あとは短剣の方に切断性上昇と刃毀れ防止の魔法付与をさせてもらったよ。これで狙うは奴の首だ。
あとは、ガッデム、君が最後の要だ。脚力向上、筋力増加、勿論瞬間防御も用意しておいた。フック君の刃が届かなかった時は、君が奴の頭を砕け』
3人がそれぞれ、仲間の顔を見る。
「できるのか?」
ガッデムが言う。
『ここまでお膳立てして、できないと言うのかね?』
フックが言う。
「兄貴。やるしかない」
それを聞いて、ガッデムはニヤリと笑った。
「仕方ねぇ!やってやろうじゃねぇか!!!」
・・・・
狼喰虫は、耳障りな鳴き声を上げて森を進む。行く手に邪魔な木があれば、その鎌で切り倒し前へ、前へと進む。恐らく怒りの感情が奴を動かすのだろう。
進む狼喰虫の傍、素早く何かが通り過ぎる。隠密の魔法を施されたダイだ。勿論、狼喰虫は気づかない。気づくのは、罠にはまってからだ。
突然体中を流れる電流。狼喰虫はけたたましく鳴き声を上げる。前へ進もうにも身体が痺れて動けない。
「今だ!!!!!」
ガッデムとフックが走り出す。狙うは頭。ガッデムは高く飛び上がり、己の主武器たる重槌を高く掲げる。フックは逆に、地を這うように低い姿勢で狼喰虫に近づく。
しかし。
「「なんだ…!??」」
それは突如起こった。
狼喰虫は、その硬い甲殻だけを罠の上に残し、飛び上がったのだ。脱皮である。飛び上がった狼喰虫は直ぐに地面に着地するが、その衝撃で罠は壊れる。
上と下、両方を左右の目でチラリと見る狼喰虫。そして、狙いを定めて鎌を振るった。
「フック!!!」
ガッデムが重槌を振り下ろしながら叫ぶ。しかし、その攻撃は狼喰虫の反対の腕によって防がれる。更にもう一方の鎌は、フックめがけて勢いよく振るわれている。
「こんなところで、死んで、たまるかぁぁぁぁ!!!!」
フックは低い姿勢か体制を変え、勢いよく鎌に向かって己の短剣を振るう。
何かが宙に舞う。
それは、狼喰虫の鎌だった。
「今だ!!ダイ!!!」
フックが叫ぶと共に再び狼喰虫の足元をフックが横切る。今度は落とし穴だ。魔工具が展開され、即席の落とし穴が生まれる。突然地面が無くなり、狼喰虫は半身を地面に埋める。
けたたましい程の鳴き声を上げる狼喰虫。今度こそ、とガッデムが重槌を狼喰虫の頭に振り下ろす。
グシャリ、と鈍い音が森に響く。
「やった…!!」
真っ先にダイが声を上げた。
ガッデムも心なしか足が震えている。今まで張り詰めていた緊張が途切れたからだろうか。
しかし、これで終わりではない。
『まだだ!!!!!』
私の声にビクンッと反応するガッデム。
「兄貴、後ろです!!!」
ダイが声を上げる。見れば、残った鎌がガッデム目掛けて振り下ろされようとしていた。
これが昆虫系の魔物の悪いところだ。頭を潰しても、しばらくは動く。人間のように頭の脳1つで物事を考えていないからな。
ガッデムが構える。だが遅い。そんな時、フックが前に飛び出し、ガッデムを押しのける。
『馬鹿な!?』
フックに施していた瞬間防御が機能し、切断は免れる。ただし、強烈な痛手は負っていることだろう。
ガッデムの横を吹っ飛ぶフック。ガッデムが再び重槌を振るう。狙ったのは最初の一撃を防がれた箇所だ。既に重槌の跡が付いているそこに、再び重い一撃が与えられる。
ガッデムの重槌は腕を砕き、そのまま地面をへこませる。千切れた腕は地面の上で1,2回動いてから、完全に動きを止めた。
ここまでして、ようやく狼喰虫は動かなくなった。
ダイがフックに駆け寄る。息はしている様だ。
「おい、魔術士だろ?傷の手当てを!!」
『ん、すまない。回復魔法は不得意でね』
仕方なく、懐から回復薬(細胞を活性化させて急激に傷を治す薬)を出しダイに渡す。
「悪いな…って、え!!!回復薬!?」
『いいから使ってやれ』
「1瓶銀貨200枚…」
ブツブツと何か言うダイを他所に、落とし穴から魔物を引きずり出す作業を始める。
折角倒したのだ。余すことなく利用したい。甲殻と筋繊維は鎧に、鎌は武器に、他にも組合が買い取ってくれる部位はあるはずだ。
どこからバラすか思案していると、ガッデムが近づいてきた。
「よぉ」
『いやご苦労。今、持ち運ぶ準備をしている最中だよ』
「そうだな。…今日は本当に助かった。全員生きているのはお前のお陰だよ」
『礼などいらんよ。今回は共同で依頼を受けているのだ。当然のことだろう』
そう言うと、ガッデムは少し照れ臭そうに言った。
「いや、な?実は俺たちは組合長から言われてたんだ。元々俺たちは新入りにちょっかいは出してるんだが、それだからだろう」
『ほぅ。組合長が。なんて?』
「いや、何も変わったことじゃない。実力を確かめてくれ。方法は問わない、ってだけさ。普段から俺らがやっていることだから、別に気にも留めずに承諾しちまったが…」
『ふぅむ…しかし、なんだってそんなことを私に?』
「なんでだろうな。お前に隠し事をしておきたくない、そう思ったから、が一番しっくりくる理由だろうな」
そこまで言ったところで、後ろでダイが叫ぶ。
「兄貴!!フックが目を覚ました!」
「何!?今行く!!」
ガッデムはそう言って走り出していく。
つくづく、人間とは不思議な生き物だ。いつだって予想だにしない動きをする。最初に出会った、冒険者と騎士といい、彼らといい、私が持っていない何か特別な力…命短し故の命を燃やす力というか。
まったく。不思議だよ。吹けば消えてしまうような生き物のはずなのにね。
日は既に傾いている。その日は結局、森の観測所で寝泊まりし、翌日組合から魔物を運ぶ為の人手をを呼んで、狼喰虫の死骸を運びながら街へと帰った。
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「以上が、報告だ。これで良いか?」
「うん!十分十分!いや~凄いね。冷静だし、観察眼も鋭いみたいだ」
「まったくだ。最後まで底の知れない男だった」
ガッデムは柔らかいソファに身を預ける。その表情もどこか柔らかい。
「しかし、報酬だけじゃなくて鎧の製作費用まで負担してくれるなんて気が利くじゃねぇか。そんなにあいつのことが知りたいのか?」
「いやいや、組合長として、組合員の生存率向上には惜しまないさ。それに、こちらとしても狼喰虫があの森に姿を見せるなんて想定外だったからね。それの詫びといったところさ」
「そうかい。まぁ何にせよ、貰えるもんは貰うさ。話はもういいか?外で仲間が待ってる」
「あぁ。引き止めてごめん!構わないよ」
ガッデムが部屋を出て行く。それと入れ替わるように、1人の男が部屋に入ってくる。
「失礼します!報告です。やはり…奴等はこの街を目指しています」
それを聞いて組合長は不敵な笑みを浮かべる。
「ありがとう。やっぱり…そういうことかもね」
魔物:魔が生み出す生物であり、自然の生態系とは別の軸に位置する存在。自然の生態系に位置する存在が魔を纏う場合は、魔物ではない。魔を纏った生物である。また、魔物よりも強大な存在を魔獣、と呼ぶ。
「魔物は非常に興味深い存在ではあるよ。昔は何匹か使役していたんだ。…いや、それを我が分岐として流用しているんだがね」