組合長は何を知るのか
それから数日間、特に依頼を受けるわけでもなく過ごした。というのも、依頼が無いのだ。メイアは小遣い稼ぎで幾つか受けていたが、私は…宿代くらいしか払う事がないのだ…
この身体では、目覚めの紅茶を楽しむ朝も、サンドイッチ片手にチェスを嗜む優雅な昼時も、良いワインと良い食事を味わう夜もできないのだ。
強いて言うのであれば、骨董品(という名の呪いの品々)を集める趣味は今でもできるが、宿屋で過ごす今の日常には些か不適合な趣味である。
しかし、宿屋に居座っていても情報は得られない。その為、日夜組合所に足を運び、掲示板を見て、ラークに話しかけるなどしているのだが…
無いのだ。私に見合う依頼が。
「ジョンさんの報告通り、ヨキセの町北東部の共同墓地が荒らされてましたよ。川の合流地点にある死体と照合して一致しました。なので、こちらが報酬です」
今日も今日とて、組合に通う私にラークが言う。貰った小袋にはなけなしの銀貨が数枚入っていた。
小袋を乱雑に手持ちの麻袋に頬り投げ、ラークに尋ねる。
『そんなことより、今日こそ無いかね?私に見合った依頼が』
「特殊過ぎるんですよ…御伽噺みたいな魔獣や死霊系の魔物の依頼なんてウチじゃそうそう来ませんよ?もっと普通の…あ、これとかどうです?サマーヤ湖の無限増殖する魔藻の駆除」
『いやぁ…なんだかなぁ…』
別に藻が悪いわけではないのだが、私が渋っていると受付の後ろから一人の女性が歩いてきた。
「ラーク君?困ってるなら私が変わろうか?」
その声にラークは慌てて振り返り、平謝りと共に言う。
「え、いや!この人はいつもこんな感じなんで!大丈夫です。組合長」
見ると、25~6歳くらいの女性が眉をひそめて立っていた。女性はこちらを見ると一瞬驚いたかのように目を見開くが、直ぐにニコリと笑った。
「あれ?君って…確か、ウィックが認める凄腕魔術師君!?」
『ふははは、貴女が組合長ですか。お褒め頂き、このジョン・デューク、至極光栄です』
「かなり若いんだな」と思いつつ、初々しく頭を下げると、組合長は笑った。
「そんな畏まらなくて良いのに!
私はサリアル・ノルトラーレン。依頼が見つからないなら…少し奥で話をしない?」
チラッとラークの方を見ると、「行ってくれ」と目で訴えてきている。
『そうですね。折角の機会ですので』
組合長に案内された部屋は、組合札を貰ったのとは別の部屋、組合長室と書かれていた。
部屋に一歩足を踏み入れる。ピシリ、と軽い衝撃が身体を突き抜ける。結界のようだが…
「まぁ座って座って」と言う組合長。言われるままにソファに腰を下ろす。フカフカとしていてかなり気持ちが良い。
「いやぁ、まさかこうも早く君と話す機会が来るとは思わなかったよ」
組合長は部屋の備え付けの棚からティーカップを取り出しながら言う。
「君の噂は少しばかりラーク君から聞いていてね。冒険者になって最初の依頼で悪魔と遭遇したんだって?」
『あれ?悪魔?私が遭遇したのは墓荒らしですがね…?』
ラークめ。後で文句を言っておいてやろう。
「いやいや、隠さなくても良いとも。冒険者にも立場があることはわかっているからね。表立って公表したりはしないさ。でも、良く生き残れたね?」
『いえ、それはただ、銀級冒険者が傍に居たからですよ。私なんて防御が精一杯でしたとも』
「そう謙遜しないでくれよ。あんな派手な爆発跡見れば、防御だけでなんとかなるモノじゃないことはわかるよ。まったく…どうやって耐えたのか不思議なくらいだ」
『ははは、日頃の行いが良かった、としか言いようが無いですなぁ』
「そういうものかなあ…?ところで、何か飲み物は?」
戸棚を開けて、缶を取り出す組合長。
『いいえ、お気になさらず。その類の物は喉を通らなくてね』
「喉の調子でも悪いのかな?」
『まぁ、そんなところですな』
私がそういうと、組合長は背中を向けたまま言う。
「それで、念話なんかを使っているのか」
置時計の針がゴツリ、と鈍い音を立てて時を刻む。
『ほほぅ…組合長殿も、幻術耐性が強くて?』
クルリとこちらを向く組合長。手には一人分のティーカップを持っている。
「まぁねぇ。この役職に就くにはそれくらいは必要さ」
組合長はティーカップに茶色い粉末を入れ、生活魔術を用いてお湯を注ぐ。雑な珈琲の香りがふわりと部屋に立ち込める。即席珈琲だ。
「それで。単刀直入に聞くけど。君はなんだ??」
ずずず、と音を立てて珈琲を飲む組合長。
『そんなことは聞かずとも、ウィック氏から聞いているのでは?彼の鑑定眼が真っ当に機能していれば、私が何かなんてわかるでしょう?』
私がそう言うと、組合長は笑った。
「ウィックの鑑定眼でもわからないから聞いてるのさ。ただ、ひとつわかっていることがある。君はヒトではない。何か別のモノだ」
…どうしたものかね。
鑑定眼の質はあまり良くなかったのか、防御結界が上手く働いてくれたのか…ヒトではない、と来たか。亜人だと言い逃れるのはできなさそうだな。
そうなると、いっそこの女を殺してしまうか?なんて早まった考えは些か優雅ではない。メイアに助け舟を出してもらうにしても時間がかかる。少し悩んだ挙句、私は交渉の余地のある道を選ぶことにした。
『そうですね。今の私はヒトと呼ぶには些かおぞましい状態ですなぁ』
そう言って、手袋を外す。そこには筋肉すらない骨だけの手が現れる。組合長は怪訝な顔でこちらを見る。
「どういうこと?君は骸骨((スケルトン)か何かだってのかい?」
『話すと非常に長くなるんですがね。私は呪いを受けているんですよ。非常に強く、非常におぞましいものを』
「呪いねぇ…?」
『そう。呪いです。あれはまだ私がチルバの方で貴族として過ごしていた頃の事。父を失い、私が家督を継いだ矢先の事でした。ある日1人の老人が私の家を訪ねてきたのですよ』
全て嘘だ。これはメイアに話した後から改めて考えなおした最新版の嘘である。
『老人は私に会うや否、恐ろしい呪いをかけていきました。腐敗の呪い、といったところでしょうか?自分の身体の肉がどんどん腐っていくんです。けれど痛みはない。ただ、肉だけがそぎ落とされるんです。信じられないでしょう?』
もちろん嘘だ。
組合長も「信じられないね」と呟く。
『私も信じられませんでしたとも。けれど、実際に身に起こっているのです』
そう言って今度は首辺りを見せる。勿論肉はない。ただ骨がそこにあるだけだ。
「それが、君が念話を用いる理由と?」
『その通り。しかし、些か念話というのは受ける側良い気分ではない。何せ脳に直接伝言のように伝えるのですからね。昔は幾度となく言い争いが起きたものですよ。そんなことに嫌気が差した私は、幻術をわざわざ重ね、まるで耳で聞いたかのように誤認させているのです。いや、申し訳ない』
現にラーク君やダニー君など、多くの人間は違和感なく接してくれている。
「随分めんどくさいことをしているんだね」
『まぁ?そこは私は?貴方の知っての通り、腕の良い魔術師ですからな。この程度は大した手間ではないのですよ』
「…信じられないけど…で?なんだって冒険者に?」
『では話を戻しましょう』
そう言って足を組みなおす。
『老人はこう言った。「呪いを解きたければ、家を捨て、4つの罪深き者たちを探し出せ」なんて』
「4つの罪深き者…?なんだいそれは?」
『私も勿論、その疑問を投げつけましたとも。そうしたら老人はこう言った。「見る者を狂わす狂気の虫、毒満たす大蛇、幻覚の蝙蝠、呪いの鳴き声を奏でる黒鳥」とね』
「はははは、まるで御伽噺の怪物だ。ここらじゃそんなの見たこともないけどね」
『だから私も旅に出たのです。チルバにもそんな化け物はいませんでしたからね』
組合長は珈琲を2口ほど口に含み、それからニコリと笑みを浮かべる。
「なるほど。じゃぁ警備の者を呼んでも良いかな?」
ズン…と空気が張り詰める。組合長の目は本気だ。
『はははは、私を討伐でもするのかね?組合に骸骨が混ざっていたって?』
「そうだね。その前に一度研究班に回すのも良いかもしれない。意思疎通のできる骸骨なんて初めてだからね?」
和やかな空気は生まれない。それどころか、より一層空気が張り詰める。部屋の中は静まり返り、時計の針が時を刻む音だけが無駄に大きく鳴り響く。
どうする?やっぱり殺すか?殺すならば簡単だ。ただ、問題なのは殺した後なのだ。ここは相手の出方を見極めるのが得策だろう。ひとつ気掛かりなこともあることだし。
『ふぅむ…流石に信じられませんでしたか…私は悲しい…』
およよ、と手で顔を覆う。
「逆に信じてくれると思ったの?」
『えぇ、だって、この手を見たって叫び声ひとつ上げないんですもの。まるで、こういうのに慣れている様じゃないですか?』
そう言って手袋を外した手をぶらぶらとさせて見せる。組合長の目つきが変わる。
「なんだい?もっと乙女みたいな振る舞いの方が良かったかな?」
『いえ、そんなつもりでは…ところで、この部屋少し換気が必要では?』
組合長は眉をひそめる。
「何が言いたいのかな?」
『いえ、少し空気が悪い気がして。こういう空気はあまり宜しくない。悪霊の類が住み着きやすい空気だ』
こればかりは嘘ではない。入った時、防御結界に干渉した衝撃に意識の矛先を向けようとしているようだが、この部屋は明らかに秘密がある。濁った空気、わずかな腐乱臭、悍ましい気配、そんなものを感じるのだ。恐らく結界の目的も防御だけではないだろう。認識阻害を始めとした何かを隠す策が講じられている。今は詳しく調べるだけの余裕はないが、明らかに人には言えない秘密がこの女にもある。
「そうか。確かに、ここ数日忙しかったからね。部屋の空気がこもっているかもしれない」
組合長はそう言って窓を開ける。
『それが良いかと。ただ…こればかりは少しのお節介ですが。腐乱臭の類はなかなか落ちづらいものです。落とす努力よりも買い替えた方が良いかもしれませんね』
組合長は後ろを向いている。表情は分からない。
「なるほどね。なるほど」
組合長は何かを噛み締めるように言う。
「君はつくづく恐ろしいね。底が見えない」
『それはお互い様でしょう。私だって、貴女の底が見えませんとも』
しばしの沈黙が部屋を包む。外では小鳥がさえずり、町を歩く住民の声が部屋の中まで届いてくる。
「じゃぁ、何か情報が入ったら真っ先に教えてあげるよ。でも、この組合を束ねる者としては…もう少し依頼を熟して欲しいんだけどねぇ?」
パッと振り返った組合長は口角を上げて言う。目は笑っていない。
「宝の持ち腐れは良くないよ?折角優れた魔術の腕を持っているんだ。もっと使って欲しいのが組合としての考えなんだけど」
『なるほど。善処しましょう』
そう言うと、組合長は「それでいい」と言ってソファに腰を下ろし、珈琲を飲み切る。
「じゃぁ、長話はこれくらいにしておこうか。君の呪いが解けることを願っているよ」
その言葉を後に私は部屋を出た。
廊下を通り、受付カウンターの横を通り(この時ラークが「どうでした?」と聞いてきたが素通りし)組合所を出て近場のベンチに腰を下ろす。
あぁ、疲れた!
なんだろうか。この感覚は…悪寒が酷い。もし私に皮膚があれば、久方ぶりの冷や汗を掻いていたことだろう(いや、骨だけの姿だからこんな目に遭っているのだから、皮膚があれば冷や汗など掻かないのだが)。
久しぶりだな。底の見えない相手は。
しかし、これで表向きには組合長からの協力を得られたことだろう。上手くいけば、組合の情報収集力を利用して分岐を探し出せるかもしれない。
ただ、手放しに喜べるわけではないがね。まだ解明できていない問題があるんだ。ウィックの正体や、宿屋で私を襲った暗殺者の雇い主…他にもいろいろ。それらを解明するまではこの街に居座る必要がありそうだ。
無限増殖する魔藻:魔を持つ藻。この世の絶対悪。その実体は藻であるため、主に水生魔物の餌になることが多い。これを食らって成長した龍紋の対神鯵は脂が乗っていて旨い。
「船の舵に絡まったりすると非常に害悪なんだ。本当に、絶対悪とも呼ばれる理由はそこだよ」
即席珈琲:お湯を注ぐだけで珈琲が出来上がる粉。直ぐに飲めるけれど、味は平たく香りも薄い。
「私は紅茶派なんだ。話すことは無いよ」