閑話:吸血鬼とはいったい何なのか
ダニエルは落ち込んでいた。まだ日が出ている内だというのに、依頼を受けたりすることなどせず酒場に居た。
「はぁぁぁぁぁ…」
ダニエルは酒場の店主に聞こえるようにため息を付く。それは「頼むから「どうした?」と聞いてくれ」と言わんばかりのものだった。
しかし、酒場の店主は知っていた。というより見ていた。
丁度今日の営業の為の食材を購入した帰り道、冒険者組合所の前で美しい女性にナイフを当てられるダニエルの姿を見ていたのだ。
見ていた故に聞こうとしなかった。聞けばかなり長い時間話に付き合わされると知っていたからだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
ダニエルは先ほどよりも長いため息を付く。朝はあんなにも逆立っていた前髪も、今じゃ萎れている。
そんなダニエルを見ながらグラスを磨いていると、カランコロン、とドアベルが鳴り女が一人店に入ってきた。
「いらっしゃい」
店主がそう言うと、女はダニエルの隣に座り言った。
「この店で一番強い酒をくれ」
女はその長くはない青髪を耳にかけながら注文する。
店主は少しその仕草にドキリとしながら「はいよ」と一言言って棚から1本の瓶を取り出してグラスに注ぐ。
出されたのは北のホッカルド大陸で作られるウイスキーだった。度数は40度を超える。
「ありがとう」
女はそう言ってクイッとグラスを煽る様に飲む。その様子を店主とダニエルは眺めていた。
半分ほど一気に飲んだところでグラスを一旦カウンターに置く女。その様子を見てダニエルは言った。
「随分…酒に強いんだな…」
女は少し頬を赤くして答える。
「そうか?いや、やはり飲まなきゃやってられないこともあるさ」
「そうなのか…?お嬢さんも…つらいことがあったのか…?」
「はは、お嬢さんだなんてやめてくれ。私には似合わない呼び方さ」
女はそう言ってもう一口酒を飲む。
「君も、何か辛いことがあったのかい?」
そう尋ねる女を見ながら、店主は「あちゃー…」と目を瞑る。
「聞いてくれるか…?実は…」
とダニエルが話し出す。すると、女はピッとダニエルの口に手を当てた。
「待つんだ。君は話し出したら止まらない雰囲気がある」
そうだね、としきりに頷く店主。
「実は私も誰かに話したくて仕方ないことがあるんだ。だから、ここはお互い話し合おうじゃないか」
「…というと?」
「まずは私が話したいことを話す。そしたら今度は君が話す。どうだ?対等な関係だろう?」
ダニエルは特に考えもせず承諾した。
「それならまずは自己紹介からだな。私はルシル・ウェステンラ。この街で吸血鬼の研究をしている者だ。気軽にルーシーと呼んでくれても構わないぞ」
「俺はダニエル・ホックボーン…銅級冒険者だ。ダニーでいい」
控えめな握手をし、ダニエルが尋ねる。
「それで…学者さんが一体なんで酒場に?」
「そう。それをまず話そう。実はな。研究が進まないんだ!!!!」
「研究が進まないと酒を飲むのか…?」
「それはそうだろう?こういう時は柔軟な発想が必要だ。酒は良い。頭を柔らかくするぞ。深く考えなくなるからな」
ルシルはそう言ってグラスの中の酒を飲み切る。
「店主、もう一杯同じのを」
店主は無言で空のグラスに酒を注ぐ。
「なるほど。じゃぁ次は俺が話す番だな」
ダニエルは少し嬉しそうに言う。
「何を言うか。まだ私は喋っていないぞ?」
その様子を怪訝な顔で眺めるルシル。
「私はまだ研究が進まないとしか言っていない。私が語りたいのは研究内容だよ」
ダニエルは少し困ったように眉を顰める。というのも、彼はあまり学があるほうではないのだった。故に学者の研究内容など聞いてもチンプンカンプンなのであった。
「あぁ、そんなに心配そうな顔をしなくてもいい。君の意見次第ではすぐ話は終わる。是非私が思いつかないような意見を述べてくれ」
「えっっ!!」
声を上げるダニエル。その様子を見ながら店主は苦笑を浮かべた。
「それでは話そうか。君も早く自分のことを話したさそうだしな」
「待って」
「そうだな、まずは君は吸血鬼に対してどれくらい知っている?」
問答無用で話を続けるルシル。仕方なく、ダニエルは答える。
「うーん…血を吸って人間を襲う…魔物?」
その答えにルシルは満足そうに頷く。
「予想通りのありふれた回答だ。素晴らしい。これは話甲斐がある」
明らかに嫌そうな顔をするダニエル。女性に対しては常に見栄を張りたがるダニエルにしては珍しい表情だった。
「確かに、吸血鬼は人間種に仇なす存在だ。故に冒険者組合や聖魔法教会では「魔物」に分類される。しかし、しかしだよ?生物学上では吸血鬼は亜人に分類されるんだ」
亜人。それは人間に近しい形をし、独自の生活様式の種族だ。人間種と対等の関係の種もあれば、人間と関わることを拒む種もいる。
「亜人…?てことは、吸血鬼にも国やら親やら子供がいたりするわけか?」
亜人の多くは自分たちの国や村で生活する。良い例はエルフや竜人だ。この2つの種は、人間の生活圏からかなり離れた環境で生活している。エルフは樹木が深く生い茂る森の何処か、竜人は龍暮らす谷の中腹で生活しているとされている。どちらも特殊な魔術結界や危険な魔物に守られているため、人間には辿り着くことのできない場所だった。
「そう。吸血鬼にも国があるんだよ」
「でもよ、吸血鬼ってのは…その、なんというか、少し知性のある死霊系魔物とそう変わらないじゃないか?人間を見境なく襲ったりして…国を作って生活できるような種には思えないけどな」
「そう、そこだ。そこなんだよダニー君」
ルシルはそう言って嬉しそうにダニエルの肩を叩く。
「そこの認識が人と吸血鬼との関りを断つんだよ」
ルシルは楽しそうに続ける。
「普通、冒険者組合の方でも亜人の討伐依頼は無いだろう?
例えば、ドワーフを3人殺せだとか、ハーピィー種の翼を4つ、なんて依頼は出ない。けど、吸血鬼は討伐対象になる。確かに、「鬼」と名付けられているが同じ鬼とつく「小鬼」や「鬼」は今じゃ友好関係を築けるよう色々試みが施されている」
「まぁ、昔は討伐対象だったけど」と付け加え、ルシルは酒を飲む。
ルシルの言う通り、今は小鬼や鬼は討伐対象から外され始めている。
というのも、小鬼や鬼を労働力として見る見方が強まっているからだ。彼らは何も人間を主食にして生きているわけではない。人間を襲う事件の裏には必ず災害や病気といった事情で食料不足が続いてたりする。
つまり、こちらが安定的な食事や物資を供給すれば、労働力の1つとして扱えるのではないか?というわけだった。
「はー、通りで最近、小鬼の討伐の依頼が無いわけだ」
ダニエルは感嘆の声を上げる。
「それでは話を戻そう。吸血鬼が少し知性のある死霊系魔物と変わらないように感じる理由についてだが」
ここまで来ると、ダニエルも話が面白く感じてきて目を輝かせて話を聞きだす。その様子を見てルシルはほくそ笑む。
「吸血鬼には様々な階級があるとされているんだ」
ルシルは、吸血鬼はその吸血鬼としての血の濃さで種類が変わると言った。
というのも、吸血鬼は自身の血を与えた相手を眷属として従えることのできる力があるためである。
一番吸血鬼として血が濃いのは「真祖の吸血鬼」と呼ばれ、その下に高位の吸血鬼、その下が吸血鬼と言われる。
それぞれ、吸血鬼は自分よりも血の濃い吸血鬼に逆らうことはできない。それは実力的な話ではなく、宿命づけられた要因であった。もし手を加えようとすれば、身体中の血液が外に溢れ出し、不死と言われる吸血鬼であっても死ぬらしい。
「じゃぁ俺たち冒険者なんかが討伐を頼まれるのは普通の吸血鬼?」
ダニエルが尋ねる。
「いや、更に下だ」
ルシルはそう言って説明を続けた。
普通の吸血鬼に血を与えられた人間は喰人鬼となるらしい。つまりは「吸血鬼の成りそこない」だ。
「吸血鬼の血っていうのは、非常に濃度の高い魔素を含んでいるらしくてね。普通の人間が身体に入れると、脳細胞が破壊されるらしい」
破壊された脳細胞は、吸血鬼の再生能力を用いて異質な形で再生される。その為、普通の食事は出来なくなり、人間の血肉を好むように変化する。
「じゃぁ、普通の吸血鬼や高位の吸血鬼はどうなんだ?」
「そこなんだよ。本当に疑問なのは」
ルシルはそう言って、グラスの酒をくるくると揺らす。
「普通に血を受けると、壊れてしまう。しかもそれが真祖の血よりも遥かに薄い普通の吸血鬼のもので、だ。となれば、真祖の血を授かって生まれる高位の吸血鬼なんてもっと狂って壊れてしまっておかしくない」
「その、なんだ。真祖ってのは自然に発生した吸血鬼で、高位の吸血鬼ってのは真祖の血を貰った…人間?なのか?」
「それもまだ解明されないんだよ」
「わからない事ばかりだな…」
「だぁから酒を私は飲みに来ているんだよ!!!!」
ルシルはグラスに残っていた酒をクイッと飲み切ると、ポケットから幾らかの硬貨を置いた。
「ご馳走様。また今度飲みに来るよ」
そして、そう言って、店を出て行った。
「あれ、俺の話は…?」
一人取り残されたダニエルは、再び店主にため息をつき続けることになる。




