青虫
長いこと歩いて、アリスはようやく森の奥の中心に着いた。
ひんやりした湿った空気がアリスを包んだ。
そこは辺り一面キノコだらけだった。大きさ、色など、様々なキノコがぎっちり生えている。
その中央に一際大きなキノコがあった。高さがおよそ50㎝、傘の大きさは直径3mぐらいだ。煙はそのキノコの上からたっていた。
アリスはキノコの上に誰か居るかもしれないと思い、
「あのぅ・・・誰かいる?あなたは誰?」
と怖ず怖ずと声をかけた。
返事が無い。辺りにしんとした沈黙が広がる。だが、一瞬だけ煙が止まった。
いきなりキノコの上から一人の壮年の男が顔を覗かせ、アリスを見つめた。
青いフード付きマントを身につけ、青いシュラフに俯せで肘をついて潜り込んでいる。片手にもくもくと煙が上がる水キセルを握り、細面の顔が、果てしなく怠そうな顔でアリスを興味なさそうに見ている。
アリスはびっくりして話すことを忘れた。長い沈黙。お互い1㎜も動かず黙っていた。
男がゆっくりと水キセルを吸い、怠そうな眠そうな声で沈黙を破った。
「俺の名前、青虫だが、あんた、何?」
ぽつんぽつんとした言い方はアリスをイラッとさせた。
おまけに誰ではなく何とまで言われてしまった。
「見てわかりませんか?」
アリスは慎重に聞いた。青虫は赤い煙を吐き出し、白髪をクシャッとかき、
「わからんね。」
と答えた。
青虫がまた水キセルを吸ったので、また沈黙。
今度は緑の煙で器用に疑問苻を作った。
「見た目は確かに人間だが、俺そんな小さな人間見たこと無い。」
そして灰色のどんよりした目でアリスをじっと見る。さっきよりいくらか興味を持った目で。
アリスはちょっと恥ずかしくなり、小さな声で答えた。
「あたしは人間で、アリスって言うの。なんか急に小さくなっちゃって、元に戻る方法を知りたくてここに来たの。」
そして期待のこもった目で青虫を見た。
「あなたは元の身長に戻る方法、知らないかしら?」
「知らないな。」
青虫はきっぱりと言った。
沈黙が流れた。
「原因もわからないのに何もできないだろう。」
原因はなんだ?と、青虫が怠そうに寝そべる。アリスはしどろもどろする。
「原因なんて・・・わかんないわ。わからないから聞いてみようと思って・・・。」
「お前がわからないなら、俺も知らない。」
青虫はそっけなく言い、そっぽを向いてしまった。
アリスはこんなに冷たくされるなんて思ってなかったので、悲しくなってしょんぼりした。どうしたらいいんだろう?
アリスが黙っていると、青虫が見兼ねてため息をつき、
「森の果物を食べたか?」
と、ぽつんと言った。
果物…?
「あ…!食べました!木苺を3、4粒くらい。」
そう。あの道の脇に、とてもおいしそうな木苺がたくさん成っていた。ちょうど小腹が空いたので少し食べたのだ。
「そうか。それなら身長も4分の1になっちまうわけだな。」
ところが青虫はまた向こうを向いてしまった。アリスはちょっと驚いた。
「あの…原因はわかったんで、戻り方を教えてくれませんか?」
「そのままでもいいだろ。」
青虫は面倒臭そうに言った。
「どうして?あたしは元に戻りたくて…!」
「何故だ?」
「だって小さいままだと困るわ。」
「何に困る?」
「それは…大きな階段とか登れないし…。」
「じゃあそこから進んだらいけないんだろう?」
「だって…!」
ここまでつっけんどんにされたのは初めてで、アリスは少し泣きそうになった。
「そもそも、」
青虫が目を細めた。
「ここはあんたのようなやつは来ちゃならんところなんだ。」
痛々しい沈黙が流れた。
「この世界は、あんたのような純粋で無垢で真っ白なやつは本来来れないはずだ。」
「でもあたしは来ることができた。」
アリスは震える声で言った。
「そもそも、この世界って何なの?」
青虫は面倒臭そうに顔をしかめた。
「何も知らないで来たのか?」
「ええ、あたし、白ウサギさんを追いかけてここに来たのよ。」
青虫が赤い煙で怒りマークを作った。顔は無表情だが、灰色の目が鈍く光った。怒っているらしい。アリスはドキドキした。
「あんた、元来たところへ帰りな。」
アリスは目を見開いて、
「どうして?嫌よ!」
と叫んだ。
「それこそ何故だ。どうして白ウサギを追いかけた?」
「あたし、白ウサギさんにお話したいことがあるの・・・自分でもよくわからないけど、なんか苦しいの!」
アリスは自分の胸元を掴んだ。
「白ウサギさんのこと考えると、ぎゅってなるこの気持ちが何なのか、あたし、知りたい!」
涙がアリスの大きな瞳からボロリとこぼれ落ちた。
青虫はそんなアリスをじっと見ていた。
「帰る気は無いんだな?」
青虫が静かに言った。アリスは喉の奥がカッと熱くなっていたので、黙って頷く。
しばらく見つめ合っていたが、青虫が大きくため息を漏らし、
「白ウサギのやつ、やっかいなもんを連れてきやがって・・・。」
とぶつぶつ言いながら、二つのキノコのかけらをアリスに投げ渡した。
「片方を食べれば大きくなるし、もう片方で小さくなる。」
アリスが驚いて青虫を見ると、青虫はふん、とそっぽを向いた。
「勘違いすんな。あんたにはこの先の恐ろしさを知らせるべきだなと思っただけだ。それに、」
青虫がちらっとアリスを見た。
「泣くな。台なしだぞ。」
べつにかわいいとか思ってるわけじゃ…とかぶつぶつ言ってる。
アリスは涙を拭いて、青虫を見上げ、
「ありがとう!」
と、飛び切りの笑顔で言った。
青虫が「だから勘違いするなって…。」と言っているのを後にして、アリスは駆け足で白ウサギの元へ急いだ。
青虫はしばらくアリスが消えた方向を見つめていたが、ごろりと寝返りを打って、また水キセルを吸いながら、ゆっくりと過ごした。