国
しばらく、四人は女王を倒そうとしたが、やはり女王は強いらしく、全く歯が立たない。
女王が嘲笑う。
「それで私を倒せると思ってるのかい?ふざけるな!」
女王は指先で魔力を操り、空気を見えない鞭のようにしならせ、四人を思い切りひっぱたいた。
四人は勢いよくふっ飛ばされ、壁にたたき付けられた。
「さすがに・・・手強いなあ。」
帽子屋がゲホゲホと咳き込みながら言った。
「身の程を知れ。愚民が。」
女王が吐き捨てるように言った。
「もともと、魔力は王族のもの。王族でないお前たちには、簡単な魔力しか扱えないとわかっているだろう。」
そして、アリスを始末しようと近づいた。
白ウサギが身構える。女王が笑い飛ばした。
「白ウサギ。虚勢を張るのはやめろ。本当は、私に刃向かうのが、怖くて堪らないくせに。」
「怖くないですよ。」
白ウサギが言った。懐の中の小刀がギラリと光り、アリスは思わず生唾を飲んだ。
「この子を失うことの方が、もっと怖い。」
アリスの胸がトクンと跳ねた。
その言葉、鵜呑みにして良いの・・・?
女王はそんなアリスの気持ちを読んだのか、フンッと笑い、言った。
「そりゃそうだろう。そいつが死ねば、私を打ち負かす可能性もゼロになるからな。」
アリスの好奇心がムクムクと沸き上がってきた。あたしが死ぬと、女王が倒せない?
「そうだな。もともと、魔力はお前のもんじゃねぇし!」
「なっ・・・!」
青虫の声が聞こえたと思ったら、急に女王の体に、金色の鎖のような魔力が巻き付いた。青虫、チェシャ猫、帽子屋、3月ウサギが女王を縛り上げ、白ウサギが自身の持つとびきりの魔力を込めた金色の錠前を掛けた。
「油断大敵って言うんですよ、女王陛下。」
3月ウサギがわざとかしこまったように言った。鎖と錠前はとても堅く、なかなか解けない。女王は黙って、冷たく睨むだけだった。
「一つ聞いても良い?」
アリスが躊躇いがちに、皆に聞いた。
「あたしが居ないとダメとか、魔力がどうとか、どういうことなの?そもそも、この国は、一体何なの?」
「誰がそんなこと・・・。」
女王が鼻を鳴らすが、
「逆らえる状況だと思ってんの?」
とチェシャ猫が黄色の眼を細めた。女王は舌打ちをした。
「この国は、忌ま忌ましいことに、私の国じゃない。メアリ・アン、すなわちお前の姉、グレットの物だ。」
「姉さんの・・・?」
「いや、むしろあの女が作り上げた空想の世界だ。この世界、国、城、森、民衆、この私でさえ、あの女が作り出した存在。グレットと我等は、ほぼ同一人物。あいつが望めば、あいつの思い通りに動く。夢の中の世界だからな。」
女王の口調が苦々しげになった。
「グレットは物語を作るのが得意で、お前の歳と同じくらいにこの世界を作った。
そこからどんどん細かく考え、やがて立派な王国が出来上がった。
しかし、グレットはいつまでも子供ではなかった。学校生活が忙しくなったのか、次第にこの国のことを考えなくなった。ここでこの世界が終わったのだと思った。だが、グレットにはもともと不思議な力があった。魔力と言った方がしっくり来るだろう。これはお前たち姉妹の家系によるものなのか、個人の才能なのか、それは私には推し量れないが、力が夢に流れ込み、夢を現実の物にしてしまうくらいの強さになった。夢が一人歩きしてしまった状態だ。夢は勝手に成長し、どんどん大きく、どんどん強くなり、住民たちも成長し、さらに立派な国になった時、」
女王が自嘲するように言った。
「グレットにとってショックなことが起きた。
大好きな父様が、不貞を働いていたのさ。」
アリスの心臓が凍り付いた。
「その出来事はグレットの心を大きく揺さぶり、傷付けた。それに反応するように、この国も一気に不安定になり、狂っていった。
そして、その影響を受け、あのろくでなしも(そう言って王を睨む)、私を裏切った。
全てあの女がこの国をめちゃくちゃにしたのだ。」
アリスはまだまだ聞きたいことがあったが、あまりのショックに頭が追いつかず、口を開けたり閉めたりするだけだ。
白ウサギがアリスを心配そうに見て、
「ならば、何故突然大量に人を殺すようになったんです?」
と、アリスの代わりに質問した。女王は平然として、
「憂さ晴らし。」
と答えた。
青虫と白ウサギの顔に、怒りの感情が現れたが、チェシャ猫が冷静に、
「まあ、落ち着け。」
と宥めた。だが、その眼は冷たく怒りに燃えていた。
「最初は憂さ晴らしのためだった。」
女王が言った。
「だが、あの女がこの国にやって来てから、目的を変えた。」
「目的?」
帽子屋が首を傾げる。
「「Under Land」はすっかり独立した国になり、グレットの感情に左右されることがなくなるほどになった。私は自由にこの国を操っていた。
ある時、グレットはメアリ・アンと名前を偽り、白ウサギの家に居た。
奴は驚いただろう。自分が作った想像の国が、ここまで成長しているなんて、考えもしなかったはずだ。
私はグレットが来ていることに気付き、妙な事をされる前に処刑することにした。
グレットの力は弱まっていたが、それでもこの世界を作った人間なのだ。私の邪魔くらいはできる。」
女王がニヤリと笑った。
「自分の夢に殺されるなんて、間抜けな小娘だねぇ!」
アリスは女王をめちゃくちゃに殴ってやりたくなった。白ウサギが慌てて抑える。だが、その赤い目は、燃えるように怒りに満ちていた。
「これでこの国は私の物になったと思った。しかし、」
女王は顔をしかめた。
「一つ問題が起きた。
この国の創設者が消え、誰の物でも無くなり、「Under Land」は夢の世界のあちこちをさ迷った。それにより、沢山の部外者が侵入してくるようになったのだ。
部外者が侵入すれば、間違いが起こり、この国はそいつらの物になってしまうかもしれなかった。
そこで、国中の空気に、「Under Land」の住民以外に効く、気を狂わせる魔法を掛け、正常な判断を奪った。これで国を奪われる恐れは無くなった。
だが、まだ不安だった。そんな魔力も効かないくらいの強者が現れるかもしれない。
そこで私は考えた。
死者の魂を使って、巨大な囲いを作ろうと。」
「なんですって?!」
アリスが絶句した。
「苦しみながら死んだ魂は、強い魔力を持つ。その力を使い、部外者も邪魔する者も寄せ付けない、強力なバリアを国の周りにかけようと思った。
その為には、沢山の魂が必要だったのだ。」
「だから殺したのか。」
チェシャ猫が冷たく言った。
「罪の無い、沢山の人を!」
「もちろん。」
女王がぞっとするような笑みを浮かべた。
いきなり女王から強い魔力が湧き、錠前が吹き飛び、鎖がちぎれた。
「しまった…!」
青虫がまた縛り上げようとしたが、女王は鎖を掴むと、棘を沢山生やし、それを思い切り振り回す。
青虫の頬に当たり、棘が皮膚を裂く。帽子屋に鎖がもろに直撃し、後ろに吹き飛んだ。鎖は生きた蛇のように、チェシャ猫と3月ウサギを執拗に襲う。
「私はこの国が欲しい!自分の物でありながら、あの女がいるせいで自由に操れなかった!この国に侵入者が入らなくなれば、私の物となる!」
女王は鎖を振り回しながら、狂ったように笑った。
「そして、もっと沢山の魔力を集め、この「Under Land」を実在する国にし、世界を食い尽くし、征服してやるのだ!」
「危ない!」
白ウサギが右手を突き出し、3月ウサギに襲い掛かる鎖を弾き飛ばした。後数秒遅れていれば、3月ウサギの眼をえぐっていただろう。
女王は怒りの叫びを上げ、白ウサギの右手を鎖が勢いよく絡み付いた。締め上げられ、針金が食い込み、突き刺さる。白ウサギの顔が痛みに歪んだ。
次の瞬間、とても女性とは思えない力で白ウサギをぐいっと引き寄せた。
「っぐ・・・!」
思わず声を上げる。白ウサギの白い手袋は、血で赤く染まっていた。懐の小刀で応戦しようとしたが、女王に弾かれて遠くへ飛んで行った。
「ウスノロのくせに、邪魔ばっかりしおって!今すぐ殺してやる!」
女王の手に長く鋭い剣が現れ、白ウサギに振り下ろす。
「やめてええええええ!」
アリスが叫んだ途端、体から何かがバチンと弾けたように解き放たれた。
いきなり、女王の剣が何かに弾かれ、空高く宙に舞った。そして、空気と同化するように溶けた。鎖も砕け、白ウサギが離れる。
「なっ・・・誰が・・・?!」
女王はいきなり消えた剣に戸惑いの表情を見せた。不意に、ハッとしたようにアリスを見た。
「お前か・・・?まさか、そんなはずは・・・。」
「あたしがやったの。」
静かに呟く。アリスが1番驚いていたが、自分がやったと自覚していた。この力が何なのかわからないが、随分昔から知っているような気がした。
「まさか・・・グレットがお前に何か言ったのか・・・?」
「えっと・・・」
アリスは恐る恐る言った。
「あたしにこの国をあげるって。」
周りが静まり返った。
女王の顔がさっと青くなり、そしてみるみるうちに怒りで赤くなっていく。
「きっ・・・貴様ああああああ!」
女王が金切り声を上げ、魔法をめちゃめちゃになってアリスに当てようとした。恐ろしい程強い魔力がアリスに向かって飛ぶ。
だが、アリスは身をすくめたり、腕で体を庇ったりするだけで、魔法は全くアリスに当たらない。まるで、アリスの周りに、厚い見えない壁があるかのように、魔力は弾き飛ばされたり消滅したり、アリスを掠めもしない。
女王はますます怒り狂い、
「よくも、よくも私の希望を潰しおって!」
と、怒りで震える指をアリスに突き付け、怒鳴った。
そうか、あたしはこの国を貰ったんだ。
力が体から弾けたとき、この世界がどういう経緯で生まれたか、住民たちの生い立ち、国の状況が頭に流れ込む。
するといきなり、アリスは全てがわかった。女王の心、望んでいるもの、全ての真実が、アリスの頭に浮かんだ。
女王が欲しいもの。それは・・・。
「あなたは本当にこの世界が欲しいの?」
アリスが静かに聞いた。女王が、
「当たり前じゃないか!それ以外に望むものは無い!」
と吐き捨てた。
アリスは女王をじっと見た後、
「嘘つき。」
フッと笑った。
「・・・なんだと?」
女王の顔がヒクッと動いた。アリスは淡々と言う。
「あなたはそんな物が欲しいわけじゃない。もっと違う、もっと難しいもの。」
「何を言っている?」
心なしか、女王が青ざめたような気がした。
「こうすることしか、それを手に入れることはできないと思ってるんでしょう。ここまでしなければ、その人は気付かない、それを持って来てくれないと思ったんでしょう?あなたはそれがずっと欲しかった。自分でも気付いているはずよ。」
アリスは女王の眼をしっかりと見る。女王は思わず後ずさった。
「王様に、以前のように叱ってもらいたいんでしょう?」
王が驚いたように眼を見開いた。女王の息が止まった。
「以前のように接してもらいたいんでしょう?」
「やめろ。」
「愛してもらいたいだけでしょう?」
「やめろ!」
女王が悲鳴のような声で叫んでも、アリスはやめなかった。
「あなたは王様が自分を怖がってることに気付いているんでしょう?自分に意見をするようになれば、また以前のような関係に戻れる、と思った。だから、明らかに間違ってるようなことをした。
でも、王様は何も言わなかった。だからますます間違ったことをする。その繰り返しだったのね。」
「煩い!やめろ!黙れぇ!」
女王が耳を塞ぎ、叫ぶ。アリスの言葉を受け入れたく無いらしい。
「あなたの気持ちはわかるわ。でもね、」
アリスが女王をしっかり見ながら言った。
「やっていることは子供と全く同じじゃない。」
女王がゆっくりとアリスを見た。
「あなたには周りが見えていないの?あなたが王様のことを愛してるのはわかるけども、」
バチン!
乾いた音が部屋に響く。女王がアリスをひっぱたいた。女王の眼がぎらぎらと光っている。
だが、アリスはまだ続ける。
「あなたの行動が、王様をますます怖がらせるだけだっていうことに気付いてないの?あたしはまだ七歳だけど、いくらなんでもそこまでしないわ。」
女王がまたひっぱたく。
白ウサギが止めに入ろうとしたが、アリスが片手を上げ、止めた。
「どうしてあたしはあなたを恐れていたのでしょう?こんなにも子供だったのに。」
「煩い!」
また乾いた音がした。
「あなたは不器用なのよ。ひたむきに愛することしか知らなかった。だから、王様のことを許せなかった。違う?」
アリスは叩かれて赤くなった頬を庇いもしない。
「自分の気持ちを伝える方法を知らなかっただけでしょう?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!」
女王は羞恥と怒りで真っ赤になりながらアリスに平手打ちを食らわす。
アリスが王を見た。
「あなたも気付かないの?あなたが1番恐れている人は、あなたが1番愛してる人だってことに。」
王の眼が見開かれた。
いきなり女王がアリスを押し倒し、首を絞めた。
「死刑だ。」
女王が眼を血走らせ、アリスの細い首に全体重を掛けながら、呟く。首が痛い。周りの皆が騒いでいるが、アリスは息を吸うので精一杯だった。血管の中の血液が、まるで沸騰しているようにドクドクいうのが聞こえる・・・。
いきなり首に巻き付いていた細い指が離れた。アリスは貪るように息を吸い、咳込む。白兎がアリスのもとに駆け寄り、背中を摩った。
アリスが涙で滲んだ眼で見ると、
王が女王を後ろから抱き抱えるようにして、女王をアリスから引き離していた。
「離せ!お前まで邪魔するのか!」
王は喚く女王を、離すどころかますますしっかり抱き抱える。
「もうやめてくれ。」
「離さないと・・・!」
「やめるんだ!」
王がまるで雷のような、威厳のある声で叫んだ。女王が固まった。
「私も間違ったことをした・・・こうなる前に気付くべきだった…もっと早くに止めるべきだった。だが、君は余りにも、」
王の声が僅かに揺れた。
「余りにも、道を外れすぎた。取り返しの着かないことをしてしまったんだ。
私は、妻である君に、罪を償ってもらうために、・・・・・・罰を与える。」
「は・・・なせ、無礼・・・者。」
静まり返った部屋に、女王の掠れた声が上がる。
「・・・済まなかった。」
王がひっそりと言った。
「愛してる。」
「・・・・・・・・・。」
次の瞬間、女王は全身をぶるぶる震わせながら、子供のように声を上げて、泣いた。
その声は、国中に広がり、呪いを解き、人々の心を駆け巡り、透き通る。
「帽子屋君、僕、急にドキドキムラムラしなくなった!」
3月ウサギがいつもよりずっとしゃきっとした声で、少しはにかんだような表情で言った。力無く垂れていたウサギ耳もピンと立ち、青い眼は美しく爽やかに輝いていた。
「時間が戻ったんだね!よかった!」
帽子屋が嬉しそうに3月ウサギの肩に腕を回した。3月ウサギが赤くなって微笑むので、本当は恥ずかしがり屋だったんだ、とアリスは思った。
「あ、なんか俺も呪い解けたわ。」
後ろでチェシャ猫の声が聞こえた。振り返ると、
猫耳と尻尾が無くなった状態のチェシャ猫が居た。
「お前・・・人間だったのか!?」
青虫が面食らった。
「ああ。俺女王に呪い掛けられて追い出されてたんだ。ね、母上様?」
チェシャ猫がニヤリとして、女王を見た。周りの者は絶句した。
「お前が王族だったなんて、聞いたことないぞ?!」
青虫が後ずさった。チェシャ猫はケラケラ笑った。
「そりゃそうだよ。誰にも話して無いし。白ウサギは知ってたけど。」
すかさず皆で白ウサギを見る。白ウサギはため息をつき、
「口止めされてたんですよ。王子が猫にされたなんて広がったら、国が混乱してしまうし・・・。それに、」
チェシャ猫を見た。
「「喋ったらお前をたベちゃうから。」って言われたんですから。」
皆は納得した。
「で、これからどうなさいます?父上?」
チェシャ猫がかしこまって王に言った。王は顔を曇らせ、こう言った。
「このことで、住民たちには多大なる迷惑を掛けた。国を守り、住民たちの幸せを作るのが、王の役目だったのに。私は王様失格だ。幽閉でも処刑でも何でも受けよう。」
そう言うと、王はおもむろに自分の王冠を外した。そして、驚くチェシャ猫の頭に、それを乗せた。
「そろそろ頃合いだな。私に代わって、今度はお前が住民を守ってくれ。」
チェシャ猫は王冠を細い指先で軽く突き、白ウサギに苦笑いをした。
「これから世話になるよ、白ウサギ。」
「よろしくお願いします、陛下。」
白ウサギが深々と頭を下げる。
チェシャ猫が、
「とりあえず一緒に風呂に入ろうよ、青虫。」
と青虫に言ったが、
「丁重にお断り申し上げます。」
とバカ丁寧に断られた。
皆が嬉しそうにワイワイやっているのを、アリスは遠巻きに見ていた。チェシャ猫になら、きっと素晴らしい国にしてくれるだろうと思い、
「あなたに、この国をあげる。」
と小さく呟いた。
沸き上がるような魔力が、チェシャ猫に流れ込む。チェシャ猫がアリスに小さく微笑んだ。
「アリスさん。」
声がする。アリスが見ると、白ウサギがいた。
アリスは柔らかく笑った。
この時が来たのだ。
「あたし、帰ります。
白ウサギさん、道案内して下さい。」




