わからないこと(※ BL表現注意)
「お~い。白ウサちゃん。」
どのくらい気を失っていたのだそう。耳元で色っぽい声が聞こえる。だが、落ちた時に激しく打ったせいか、体中が痛くて、もう動けない。目が開かない。
「起きないと、キスしたり【自主規制】しちゃうぞ。」
白ウサギの全身に鳥肌が立ち、ガバッと起きてその場から離れる。その瞬間に体が悲鳴を上げるように痛みだしたが、今は貞操の危機に面しているのだ。
「チェシャ猫!そういう冗談やめて下さい!」
白ウサギは相手を睨み付けた。チェシャ猫がニヤニヤしながら立っていた。
「こんなところで寝ちゃっていいの?お連れさんはどうしたのかな?」
白ウサギはハッとした。アリスさんを捜さなければ!
「おやおや!どこ行くつもり?」
チェシャ猫が聞く。白ウサギは足を引きずりながら歩き出した。
「アリスさんを捜さないと。あの風は、きっと公爵夫人の魔法です。アリスさんが危ない!」
「ねーぇ?」
いきなり目の前にチェシャ猫の顔があったので、白ウサギは思わず声を上げてしまいそうになった。指が色っぽい仕草で白ウサギの頬を這う。白ウサギはぞっとした。
「君怪我しているだろ?少し休んだ方がいいんじゃない?」
「しかし!」
「ね?」
チェシャ猫の黄色の瞳が細まる。有無を言わさないその迫力に、白ウサギは黙り込んだ。チェシャ猫は白ウサギのその反応を満足そうに見て、
「じゃあ、俺行くから。」
と言い残し、煙のように消えた。
「あんたさ、」
長いこと黙って歩いていたので、アリスは青虫に話し掛けられてびっくりした。
「公爵夫人、どう思う?」
青虫がアリスを見る。
「怖い女と思ったか?」
アリスはなんと答えていいのかわからず、とりあえず、
「恐かった…。」
と言った。青虫の深い目が細まり、
「そうだな。」
と言っただけだった。
「…俺は、哀れな奴だと思った。」
またぽつんと言った。
「どうして?」
アリスが聞くと、青虫が答えた。
「あいつだって、女王に奪われた。」
青虫は遠くを見るような目をしていた。
「あいつは何をしたのか、女王を怒らせた。女王は呪いを掛けた。醜い姿に変わってしまう呪いと、もう二度と、男を愛することが出来なくなる呪いを。」
「そんな…。」
アリスは言葉を失った。青虫がため息をついた。
「王族は魔術を使うことが出来る。それは権力の強さに比例して魔力も強くなる。俺たちのように、王族に仕えている者も、王族から魔力を授けられ、魔法を使うことができる。女王は魔法を使い過ぎて、気に入らないことがあれば、たとえかつて王族に仕えていた者でも追放したり処刑したり、いろんなもんを壊した。白ウサギの恋、3月ウサギと帽子屋の時間、そして、」
青虫の目に、一瞬だけ赤い光が宿った。
「奴は俺の大切な家族も、壊した。」
アリスは悲しい気持ちになった。ここで知り合った人達だけでも、女王に「壊された」人が何人もいる。
アリスは青虫の筋張った手を、知らず知らずのうちに、しっかりと握っていた。
「公爵夫人のやっていることは絶対に許しちゃなんねえことだ。だが、奴だって、」
青虫が空を見上げた。
「奴だって、どうにもなんねえんだろうな。」
アリスはこのまま公爵夫人をかわいそうと思っていいのか、自分でもわからなかった。公爵夫人に恐ろしいことをされかかったような気がする。だが、先程青虫が言ったように、仕方ないことなのかも知れない。
ふと、またわからないことが出て来た。
「ねぇ、」
アリスは思い切って聞いてみることにした。
「どうして自分と同じ性別の人を愛せるの?」
青虫はゆっくりと瞬きをした。
しばらく沈黙。
そして青虫が口を開いた。
「俺にゃ、わからん。」
「そうだよね…。」
アリスは少し気まずくなり、俯いた。
「でも、あんまり変わらないんじゃないのか?」
また青虫がいきなりぽつんと言った。何が?と、アリスが聞く。
「あんたが白ウサギのこと、好きだって気持ちとさ。」
アリスは赤くなった。青虫にばれているなんて、思いもよらなかったのだ。
「あんた白ウサギが大好きだろう?きっとその気持ちと同じなんだ。
何を愛そうと、想いは変わらない。
ただ、相手が男か女かの違いだけだ。
確かに異常に思えるだろう。受け入れるなんて、簡単に出来ることじゃないし。
だが、…まあ、」
青虫の声が少し小さくなった気がした。
「そいつらだって、ただ人を愛してるだけなんだ。」
人を愛する。
あたしは白ウサギさんを愛してるんだろうか?
あたしは白ウサギさんに何を求めているんだろう。
白ウサギさんにもあたしを好きになって欲しい。
一緒に居たい。
ギュッと抱きしめて欲しい。
「ずっと不思議に思ってたんだが、」
青虫がジロッとアリスを見た。
「なんであんた白ウサギが好きなんだ?」
アリスは自分の顔が赤くなるのがわかった。
「おっさんだし、なんも接点無いはずなのに。」
「…わかんない。」
アリスが掠れた声を出した。青虫がごまかすなよと突っ込む。
「ほんとにわからないのよ!」
アリスが言った。
「なんか、白ウサギさんを見た瞬間、好き!っていう気持ちが出て来て、どうしたらいいか、わからなくなって…。」
沈黙が流れる。アリスは恥ずかしくて堪らなかった。
「一目惚れなのか?。」
青虫が不思議そうにアリスを見た。アリスはまた赤くなった。
一目惚れ。これがそうだったんだ。
「そう・・・かも。」
アリスは消え入りそうな声で言った。
また沈黙。
「あんたも変わった奴だなぁ。」
心なしか、青虫が笑ったような気がした。
「あんなおっさんに一目惚れする奴、なかなかいない。」
「青虫さんもおじさんだよ?」
アリスがそう言うと、青虫が顔をしかめた。
「ま、確かに白ウサギはいい奴だ。真面目だし、優しいしな。」
少し頭は固いけど、と青虫は最後にボソッと言った。
「あんた、結構お目が高い…かな?」
「なんで疑問形なのよぉ。」
「白ウサギさん大丈夫かなあ、怪我してないと良いけど…。」
アリスが心配して言うと、青虫が答える。
「もうすぐ会える。多分、チェシャ猫が一緒に待っていると思う。自分で治療魔法使ってなんとかしとるだろうしな。」
アリスはチェシャ猫と聞いて、少し気分が落ち込んだ。その様子を青虫が見て、ため息をつく。
「まあ、あいつ変な格好しているもんな。妙にくねくねしてて、俺も苦手だ。」
「別に平気よ!」
アリスは取り繕うように言った。
青虫はふーん。と言って、また進む。アリスは慌てて追いかけた。
ようやく獣道から人が歩くようなキチンとした道に出た時、その目線の先に、恋しい姿があった。
「アリスさん!」
白ウサギが足を引きずりながら駆け寄った。チョッキやスラックスがあちこち汚れ、ところどころ擦り傷を負っている。それでも白ウサギはぴんぴんしていた。
「白ウサギさん!」
アリスは白ウサギに抱き着いた。
不安だった。寂しかった。心配だった。会いたかった…。
白ウサギは、アリスがいきなり抱き着いて来たので、少々面食らったが、
「大丈夫ですか?怪我は?誰かに変なことをされませんでしたか?」
と、聞いた。
「大丈夫!怪我したけど、治してもらったし、変なことされそうだったけど、青虫さんが助けてくれたの!」
アリスがそう答えると、青虫は小声で、俺がお前に変なことされそうになったがな、と呟いた。白ウサギは、
「…よ、よかったぁ。」
と、ひどく安心したようにアリスの頭を優しく撫でた。
この時、アリスは確信した。
アリスのこの恋は、叶わないということが。
白ウサギがアリスを撫でる。
その表情や手の感覚からわかる。嫌でもわかってしまう。白ウサギがアリスをどう思っているか。
優しい。悲しくなるほどに優しいのだ。
まるで父親が撫でてくれてるように。
白ウサギの年齢がというわけではない。アリスに対する態度が、そんな感じなのだ。
白ウサギはアリスを子供と見ている。
恋愛感情は、絶対に抱いてくれないのだ。
届かない。永遠にアリスに振り向いてくれない。
だからこんなに遠かったんだ。
アリスの小さな胸がキュウと音を立てて冷える。
どうして?
あたしが子供だから?
こんなに好きなのに。
「青虫。アリスさんを連れて来てくれて、ありが…ん?」
白ウサギが顔を上げると、そこに居るはずの青虫が、どこにも居ない。忽然と姿を消してしまった。
「あんたが自分からあの寝袋から出て来るなんて、珍しいな。」
チェシャ猫に声を掛けられたので、青虫は不機嫌そうに振り向き、答えた。
「たまには運動しなくちゃなんねえからな。」
チェシャ猫が色気むんむんな仕草で髪をかき上げた。
「じゃあ、腰を振る運動なんかどう?」
「いらん。」
青虫がそっけなく言うと、チェシャ猫がニヤッとして、青虫にもたれ掛かった。
「あんたさー、俺が会いたいって言った時、絶対来てくれなかったくらいには出不精じゃん。」
「俺はお前に会いたかったわけじゃ無いしな。」
「あんたもやっぱりアリスが好きなのか?」
チェシャ猫の尻尾がブンブン回る。ご機嫌斜めらしい。青虫は気付かない。
「そういうんじゃない…ったく、なんでもかんでもそういう方向に…持っていくのはどうかと…可愛いとか…全然…思っとらんし…。」
と、フードをより深くかぶり直し、ぶつぶつ言ってる。
「じゃあ、」
チェシャ猫が回り込んで青虫の目をじっと見た。
「あんたも、あの子には何か秘密があると思うのか?」
青虫がポツンと言った。
「ああ、そう思う。あの子は何かひっかかる。よくわからないが。」
アリスは外の世界から来たらしいが、疑問が生じる。
外の者はこの世界に来た時に、「UnderLand」の空気に混ぜられた独特の魔法力に精神が耐え切れず、狂ってしまうことが多い。この国に変質者が多いのも、大抵はこの空気に頭をやられた余所者たちが集まっているせいもあるからだ。
だが、アリスは全く平気だった。
よっぽど精神力が強いのか、もともと狂人なのか。
あるいは、一度ここに来たことがあるのか。
「ただ者では無い。」
「だから、何か変えてくれるかもしれない。そう思うんだろう?」
チェシャ猫が言う。青虫が呟いた。
「子供に頼るなんて情けないな…。」
「でも、そうせざるを得ない状況だからな。俺達の力も弱まったし。」
チェシャ猫が言うと、青虫がため息をつく。
チェシャ猫が青虫にそっと抱き着いた。
「ため息つかない。もともと少ない幸せが逃げちゃうよ?」
そう言うと、チェシャ猫は青虫の口にチュッとキスをして、離れた。
青虫は無表情のまま、口をゴシゴシと思い切り拭いた。
チェシャ猫の尻尾がまたブンブン回る。
「あんたって、素直だよなあ。」




