Alice in Under land
それは突然に。
アリスは草原に横たわり、ぼうっと空を見上げていた。
アリスのワンピースと同じ色の、透き通るような綺麗な青空。風がそよそよと優しくアリスの頬を撫でる。まるで姉さんが撫でてくれてるように。
今日もアリスの姉さんは、叶わぬ恋に涙を流していた。
アリスは目を閉じた。姉さんは家の庭師に恋をしていた。そのことに、アリスはとても違和感を覚えた。雇っている人に恋するなんて。自分の地位より遥かに下の人を、どうして好きになったんだろう。
アリスの家は立派な家だった。周りの大人はみんな、自分をアリスお嬢様、と呼び、儚い鳥の羽のように大切に扱われていた。アリスにとって、姉さんの恋は、その鳥の羽が、地面の蟻と恋をした、というくらいの認識だった。
そもそも、恋とは何か、どこがいいのか、なぜ恋をするのか、アリスは全くわからない。
当たり前ではある。アリスはまだ七歳。恋が訪れるのは、もっとずっと後のことだと思っている。
お茶の時間までまだずいぶんと時間がある。つまんないや。雛菊でも摘んで遊ぼうかしら?
でも、何もする気がしないので、アリスはじっと横たわったまま。息を深く吸うと、土と草の匂いが肺いっぱいに染み込む。
姉さんの恋人も、こんな匂いがした。あったかい匂い。姉さんはその匂いも好きなんだね。
父様も母様も、姉さんの恋に反対だった。仮にも良家の娘が、庭師と恋に落ちるなんて、「はじさらし」だ、なんて言ってた。「はじさらし」って何だろ。姉さんは何か悪いことしたの?それとも父様たちが間違ってる?
・・・わからない。でも、あたしは姉さんに幸せになってほしいと思ってる。いつになったら、姉さんのことわかるようになれるかな。
そんな事を考えているうちに、いつの間にか眠り込んでいたらしい。さっきより日が落ちている。
まだお茶の時間じゃないのか、アリスは欠伸をした。だが、すぐに不安そうな顔をした。
静か過ぎる。風の音も、鳥の囀りも聞こえない。時が凍り付いたように全く動かず、冷たい静寂が広がる。まるでアリスだけを残し、世界中の人達が一斉にいなくなったようだ。
しかしアリスは恐くなかった。むしろ、何かが起こりそうな気がしたのだ。まるで何年も前からずっと待っていた何かがやって来そうで、少しワクワクしていた。
それは絶対やってくると、なぜかアリスは確信していた。
まだかな・・・アリスは息を潜めて待っている。長い長い時が流れたような気がした。
それは不意に現れた。
「ああ、遅刻だー!」
と言いながら、小柄な五十代の男が急ぎ足でアリスの横を通り過ぎた。
老眼鏡、白のチョッキ、黒いスラックス姿の男は、懐から懐中時計を取り出し、時間を確かめ、また走り出した。五十代の人が、よく走れるなぁ、というくらい速い。
アリスは男の顔を見てびっくりして飛び上がった。白兎の耳のような物が、男の白髪頭からニョッと生えているじゃないか。作り物にしては実にリアルで、落ち着きなくぴょこぴょこ動いてる。目も真っ赤で、まるで血のようだ。
この人だ。あたしはこの人を待っていたんだ。アリスは何故かそう確信した。
アリスの胸に多大な好奇心が溢れ出た。
そして、もうひとつ、アリスにとって生まれて初めての感情が沸き起こる。
心臓が苦しいくらい跳ね上がり、頬や、体がほんのり熱くなる。
あのウサギさんを知りたい。好奇心とは違う、不思議な感情。
この気持ちが何なのか、アリスはひどく混乱したが、あのウサギさんを追いかければ、何かわかるかもしれないと思い、スクッと立ち上がると、
「すみませーん!」
と叫びながら走り出した。
驚いたのはウサギの方だった。いきなり小さな女の子が必死に追いかけて来たからだ。
でもウサギは遅刻してしまいそうで、走りながら、
「すみません!急いでいるので。失礼!」
と言って、たどり着いた横穴にさっと入って行ってしまった。
アリスは迷わず穴に入った。
穴はアリス一人が屈んでやっと通れるくらい狭い。あのウサギはどうやって通ったんだろう。お世辞にも細身とは言えない体だったし、アリスより少し背が高いのに。おまけに真っ暗で何も見えない。アリスは壁に沿って歩いた。
しかし、あのウサギさんの格好、何だろう?耳は作り物にしてはよく出来すぎだし、仮装大会にでも出るつもりだろうか?だとしたらとても面白そうだ。あたしも仲間に入れてくれないかなぁ?等とアリスはくだらないことを考えながら進む。
と、前方で「ぎゃっ!」という声がした。ウサギさんだ!とアリスは嬉しくなり、慎重さも忘れ、走り出した。
いきなり足元の地面が消えた。
次の瞬間、アリスは真っ逆さまに落ちて行った。