目覚め、卒倒
「――」
声が聞こえる。
「――さい」
呼ばれている……気がする。
「――起きなさい、学校遅れるよ!」
今度ははっきりと聞こえた。同時にその言葉の内容で少しばかりの焦りを覚える。
うつ伏せの状態から腕に力を込め、何とか上半身を持ち上げる。支えた腕が下に沈む感覚と、背中からするりと何か柔らかな物が落ちていく感触に、自分がベッドの上で寝ていたのだと気付く。
カーテンの隙間から漏れ出す光は眩しく、どこか静けさを感じる空気に体の感覚が朝だと判断する。朝まで寝てしまっていたようだ。寝る前は何をしていただろうか。まだ覚束ない意識の中で、寝るまでの記憶を必死に思い返す。
(そうだ、ゲームをする前にそのまま横になってしまって……)
それからどうなったのだろうか。今ベッドの上に居ることを考えると、無意識のうちに布団に潜り込んでいたということなのか。そこまで考えると、ふと一つの懸念に思い当たる。
(しまった。パソコン点けっぱなしだった)
窓の外に向いていた、まだ重い体を反転させ、放置していたままであろうパソコンの方へ向き直る。
――ない。そこにあるはずのパソコンは無かった。それどころか中央のテーブルすら見当たらない。
(なんでだ……不思議だ)
まだ脳が起きていないのか、全身から感じる気だるさからか、働かない頭は漠然とそんなことを考える。
そんなところで、部屋の扉から鳴る音に気付く。
「入るよ?」
そう断りながら扉を開け、入ってきたのは姉。
「えっまだ着替えてないの!? 本当に遅れるよ!」
その多分に含まれる驚きと焦りの声を聞いて、また不思議に思ってしまう。
いつもならそんなこと気にするような性格でもないのに、今日に限ってはどうしてしまったのだろうか。というより、普段ならば姉の方が自分より起きる時間が遅いのである。その姉が自分を起こしに来るとは一体どういった状況なのだろう。
「もうっ髪は私がやってあげるから、顔は自分で作りなよ?」
そう続く言葉にもう頭の中は疑問でいっぱいである。
(髪? いや、ワックスくらい自分で付けるし。顔を作るってなに? スマイルください的なアレ?)
呆けて未だに動こうとしない相手にヤキモキしたのか、姉はこちらの手を掴むと、強引にベッドから引っ張り上げ、少し離れた鏡のある台へと牽引していく。
引かれるがまま、よたよたと覚束ない足取りでなんとか着いて行きながらも、頭では依然混乱状態が続いていた。姉はこんなに力が強かっただろうか。いくらこっちの調子が不善とはいえ、これほど容易く自分を引っ張って行く腕力など無かったはずだ。
その後、鏡の台の前にある低い円柱状の椅子へと押し込まれると、頭を両手でガッチリと掴まれ、顔を鏡の正面へ向き合うように固定させられる。
見たことのない鏡と台だった。そう、言ってしまえば “鏡台”である。なぜそんなものが自分の部屋にあるのか。姉がふざけて持ち込んだのだろうか。だがそんなことを考えたのは、のちに現実逃避からだったと気付く。
鏡台などより目を引くもの、自分の目を捕らえて離さないものが鏡の中にあった。
歳の頃なら自分と同じくらいだろうか。二の腕の辺りまで伸び、薄くブラウンの掛かった髪は姉によって綺麗に整えられていき、艶を放っている。少し上気した肌は健康的な張りを見せ、大きく見開いた目は驚きの表情ながらも愛嬌を残し、笑えばすぐに誰もが笑みを返してくれるような整った顔立ちだとわかる。
美人と形容するよりも、少し幼さを残すような容姿はそう、美少女だった。
鏡の中に美少女が居る。鏡とは覗いたものの姿を映すものである。では今、目の前に映っている人物は何者なのか。ピクりと鏡の少女の肩が揺れる。やがてゆっくりと片手が上がり、その手のひらは自身の頬へと向かう。柔らかそうな音が聞こえてきそうな頬を、少女が指と指の間でおもむろに挟んで引っ張ると――痛かった。
“俺が”痛かったのだ。
その感覚に愕然とする。なおも鏡の中では少女の両手が無意味な軌道を描いて走る――俺の意思に従って。そして深く息を呑んだ。
――決まった。これは俺だ。俺自身がこの少女だったのだ。
「姉ちゃ――」
受け入れ難い光景を前に、おろおろとする俺はとっさに後ろで俺の髪をいじっている人物へと振り返り、救援の声を向けようとして――そこで止まる。
振り向いたその先で目が合った女性は、俺の姉とは似ても似つかない、面識もない謎の人物だった。
「――誰。」
俺の声とは思えない、鳥が鳴くような上ずった高い声が自分の口を吐いて出た瞬間、体はぐらりと揺れ、許容量を超えた意識は再び暗転したのだった。
美少女爆誕。心は眠れる獅子。