プロローグ
――今日は良い日かもしれない。
漠然とそんなことを考えたのは今朝、ニュース番組内の占いコーナーを見たからだろうか。
12星座別に順位を決められ、最後には1位と最下位の星座が自らの輝き勝負を始める演出のあと、順位が確定するという内容だった。
正直、星が輝いたからといってそれが今日一日の何を決めるのかと疑問にしか思わないが、自分の星座が1位だったのでそこそこに満足して番組を見終わっていた。現金なものである。
学校に着く前までは確かに内容を覚えていたのだが、級友との会話が始まるとそんなものは話の種にもならず、雑多な時間を過ごしていくうちにその記憶は薄れていってしまった。
下校最中の今、そんな今更な記憶を思い起こしてしまったのは今日一日、特にこれと言って良い事などこの身に起こらなかったからに他ならない。
(まぁ、期待なんてしてなかったけどさ……)
まだ日が落ちるには早い時間である。いつもなら級友達とふざけ合いながら放課後を過ごすところだが、生憎それぞれに予定が入っているらしく、それほど人数が揃わないのならと解散になってしまったのだ。
あとは帰ってダラダラとするだけの時間に、占いにあるような出来事など起こりうるはずもないだろう。他所の家と代わり映えのしない自宅を前に、感情が長い息となって口から漏れ出ながらも、すごすごと玄関の扉に手を掛ける。
共働きの両親はまだ帰宅していないだろう。にも関わらず、玄関の鍵がかかっていなかったのは不用心などではなく、もう一人の住人がこの中に居るのだ。――姉である。
自分の眉が顰まるのを感じながらも、丁寧に靴を脱ぎ、玄関先にある階段の上へゆっくりと歩みを進める。途中にある扉に注意を払いつつも、「こうた」と標識の掛かった部屋へ逃げるように身を入れた。
見慣れた男子部屋だ。
特に散らかっているということもなく、6畳ほどの部屋を淀みない足取りで進み奥にある学習机の前へ立つと、その上へ肩に掛かった荷を下ろす。その後、軽く肩を上下しながら机とは反対側にあるベッドへと腰掛けると、そのままドサりとベッドの上へ背中を預けてしまう。
軽い疲労感とともに自由になった開放感を感じながら、何をするでもなく天井を眺めていると、隣の部屋から物音が聞こえてくる。
音はすぐに廊下の方へと抜け、こちらの部屋の前へ近付くと、無遠慮に開け放たれる自室の扉の音へと帰結する。ノックなど無い。
「晃太、帰ってるなら言え!」
部屋の前で仁王立ちする女性へちらりと視線を向けたあとには溜息しか出てこない。
不満に思いつつも言葉に出すわけにはいかず、自分の上半身を持ち上げると体を相手へと向け返事をする。顔は渋面のままだが。
「なに?」
いつもの事だ。女性の声からは感情の昂りを感じるが怒っていないだろうことはわかる。しかし今までの経験から至極面倒なことになるだろうとも予測できた。
こちらの存在を感じ取ったのは女の勘というやつなのだろうか、普段は隣に居ても人の話など聞いてもいないくせにこういう時だけ異様に敏いのだ。帰宅してこの方、刺激しまいと音を殺して部屋まで辿り着いたのに、全く意味が無い。
「これをやりなさい」
こちらの無駄だった努力など気にも留めていないだろう。彼女は勝手知ったる態度でこちらのベッドの前へ近付くと、Blu-ray Discだろうか、一つのプラスチックのケースを差し出す。
「……なに?」
受け取りたくない。確実に面倒事の種である。深く関わりたくないという警戒心から、先程と同じ言葉で曖昧な返事を返す。
これを詳しい説明の要求と解釈したのか、彼女の口から堰を切ったように手にした品のうんちくが溢れ出し、止まらなくなる。
(……失敗した)
相手の様子から見るに、おそらく最初から語りたくて堪らなかったのだ。返事より前にとりあえず受け取っておいて、さっさと部屋から追い出すのが正解だっただろうか。そうすれば少なくともこんな聞きたくもない言葉の濁流を前に、自分の過ちと敗北を知ることもなかったのかもしれない。
「わかった! 姉ちゃん、やるから!」
これ以上の言葉を止めるには相手の意に沿ってさっさと話を終わらせるしかないだろう。言うと同時に姉の手から品を奪うように受け取る。
口を止め一瞬キョトンとした顔になるも、姉の表情はすぐに満面の笑みへと変わる。
「絶対やりなよ、面白いから! 感動するから! 絶対――」
「終わったらちゃんと聞くから!」
なおも言葉を続けようとする姉の背中を押し、強引に部屋から退場させる。目的は終えたのだろうから、これ以上の置き土産など必要ない。
しっかりと扉を閉め終えたのを確認すると、ベッドへと戻り、再び深い息を吐いた。その後、力が抜けたようにベッドの上へと腰掛け、手に持ったケースを眺めると、そこに大きく書いてある文字を読んで口に出す。
「プリズムライト、ストーリー」
曰く、主人公――ヒロインを操り、通う高校内外で出会う美男子達と親睦を深め、将来を誓い合うことを目的とした恋愛シミュレーションゲーム。らしい。
(乙女ゲーというやつか……)
姉がなぜ、男である弟にこれを勧めてきたのかがわからない。さらに言うならば誰々が格好良い、何々に感動した、などとこれから勧めるゲームの内容を滔々と語っていたのが理解できなかった。熱意を浴び、面白いだろうということは伝わってきたが、どうしてその感動を弟のために残しておいてくれなかったのか。
(姉ちゃんらしいと言えばそれまでなんだけど……)
音楽が良い、ストーリーが良い等、男にもお勧めできるとセールスポイントも語っていた気がするが、あそこまで盛大にネタバレされては食指など動こうはずもない。
しかしやると言った手前、姉は必ず感想を要求してくる。ある程度反応を返せるようにしておかないと、さらに面倒なことになるのは容易に想像できた。
(……やるしかないか)
重くなりかけた腰を上げ、部屋の中央付近にある背の低いテーブルの前へと座を移すと、そのテーブル横に置いてあるパソコン本体へと腕を伸ばし、スイッチを入れた。起動を待つ間にゲームのパッケージを割り、説明書を取り出すと軽く読み進めていく。特に複雑な操作も必要無く、ディスクからインストールすればそのまま遊べるということだった。
ゲーム中の操作方法の説明も読み終え、キャラクター紹介へと差し掛かったところでパソコンの起動を確認し、ケース内に残っているディスクを取り出してパソコン本体から出ているトレーへと乗せる。その後、軽くパソコンを操作してゲームのインストール開始を確認すると、再び説明書へと目を落とす。
ヒロイン、友人、お相手候補等、軽く目を通すが見事に美形揃いである。中には姉の話に出てきた名前もちらほら見受けられたが、まだプレイしてもいないのに特に印象に残るような事もない。せいぜいヒロインの誕生日が自分と1日違いという事くらいである。
各キャラクターの好きな物を眺めていた辺りでふとパソコンの画面へ目を移す。するとなぜかインストールの途中で進捗が止まっており、それ以上動こうとしていなかった。マウスポインタを泳がしてみるが特に問題無く、今度はパソコン本体へと注意を向ける。
外から音を確認してみてもディスクは正常に回っているようだ。小首を傾げながらディスクを取り出すボタンを押し、トレーが開くと――そこで不思議な事が起きていた。
トレーが完全に引き出されているにも関わらず、上に乗ったディスクは回り続けていたのだ。
すぐには何が起きているのかわからず、注意深くその様子を眺めてしまう。まるで畑にあるカラス除けのバルーンや円盤のようだ。その中心にある穴に吸い込まれるような感覚を覚え――唐突に視界がホワイトアウトする。そのまま体が横へと倒れるが抵抗も無く、痛みを感じることの無いまま意識は深く沈んでいった。
――今日は散々な日だったかもしれない。
前章。全く本題に入らないので読み飛ばしても大丈夫です。