ナイトトレーニングイズグッド
夜八時。月島の隣にある勝どきの埠頭で京は健が来るのを待っていた。
「来たか」
健は自転車で来た。京はコンテナに持たれかけていた体を起こし、口を開く。
「懐かしいだろ、ここ」
「そうだな」
「受験生の時よくここ来て、二人で駄弁ってたな」
「塾の授業サボってな」
くっくっくっ、と健が押し殺した笑い声を上げた。
そうして二人、他愛もない昔話をした後、不意に健は真面目な表情を作った。
「なあ」
「ん?」
「俺は、イルマとスータブルとやらの戦いになんざ興味はない。顔も知らないこの世のクソ共のために命を張ろうだなんてこれーっぽっちも考えてはいない」
「そうか」
「だが、俺の両親を理不尽に殺した、そのスレンダーマンとやらは憎い。死ぬほど憎い。絶対にこの手で殺す。そのためならなんだってする」
「……ああ」
「頼む。この通りだ」
健は勢いよく頭を下げた。
「俺に、戦い方を教えてくれ」
「承知した」
そう言うと京は尋常でない跳躍力でバク転を決め、はるか後方のコンテナの上に降り立った。
「まずは『ハル』について教えよう。ハルというものは具体的に言うと『生命エネルギーの塊』だ。人間なら誰でも持っているものだが、それを扱えるのはスータブルだけだ。一般人には視認することさえできない」
「そしてハルは『体内に固定』と『体外に放出』で二通りの使い方がある!」
すると京はコンテナからジャンプし、健の目の前の地面に思い切りパンチを決めた。
拳の位置からコンクリートに同心円状のヒビが入る。
「これが『体内に固定』させる使い方だ。ハルを体内に留めておくことで自らの身体能力が単純に倍々で強化される。つまり自分の元の身体能力が高ければ高いほど、強化の度合も高くなる」
さらに京は昼間やったように左手からハルの盾と剣を取り出して見せた。
「これが『体外に放出』させる使い方。放出したハルは様々な形に成型して武器として扱ったり、便利な道具として扱うことができる。言うまでもないが、ハルを体外に放出している間、体内ハルは少なくなるからその分身体能力は落ちる。ここまではいいか?」
「ああ」
「オーケー。ここから先の話は少しややこしくなるからちゃんとついてこいよ」
京は手にした剣で足元にコンクリにガリガリと文字を書き始めた。
『ハル容量』『ハル射出位置』『ハル特性』。この三つを書き終えると、京は口を開いた。
「そしてハルについてはこの三つの要素によって大別される。順を追って説明するぞ。『ハル容量』は読んで字のごとくハルの量だ。長さ一メートルくらいのこのくらいの剣を大体ハル量1とすると多い奴は150、少ない奴では30ほどのハルを持っている。調べたことはないんだが、大体のスータブルの初期ハル容量は30から150くらいの域を出ない。そしてハルの量が多ければ多いほどハルの操作は大ざっぱになり遠隔操作はできなくなる傾向になる。少ないならその逆だ。ちなみに俺は最初は大体130くらいのハルを持っていた。そのせいか自分の体から離れたハルはほとんど操作できない」
「なんか突然ふわっとした話になったな」
「実際にハルを使えばわかるんだが、自分のハルの容量は大体感覚でわかるからな。厳密なハルの容量なんてあまり気にしない。俺も自分のハルの量なんて精密に測ったことはない。それよりも残りの二つの方がよっぽど大事だ」
「ふーん」
「次に『ハル射出位置』について説明する。これは自分のハルがどこから出るか、ということだ。これも完全に個人差で、一か所からしかハルが出ない奴や体の至るところからハルが出る奴など多種多様なんだ。例えば俺は左手の手のひらと手の甲からハルが出るようになっている」
「ふむふむ」
「最後に『ハル特性』だ。ハルは誰もが同じように操作できるわけではない。ある特定の形を形成するのが得意な者、遠隔操作が得意な者、放出するより留める方が得意な者など多種多様だ。例えば俺は『硬化』させることに長けていて、やろうと思えばダイヤモンド並にハルを硬くすることができる――まあ大体こんなもんか。他にも色々ハルを構成する要素はあるがそれはまた今度にしよう。何か質問は?」
「ふああ」
「話をちゃんと聞け」
「ほら、やっぱ俺って理系だからさ、こんなたくさん覚えらんねえよ」
「まあそうなるとは思ってた。とりあえずこの辺はまだ今のお前には早い話だからじきに覚えてくれればいい」
そう言うと京は自分の手の平から剣を取り出すと、健に投げて寄越した。
剣の刃の部分は円柱状になっており、チャンバラ用の刀のようになっていた。京は自分の剣も同じように形成しなおすと、口を開いた。
「気晴らしにチャンバラしよう」
「は?」
「お前が今どれだけ動けるかをテストする。お前は俺の体のどこに剣を当てても勝ち。俺はお前の体に五本剣を当てたら勝ちだ」
大幅なハンデが付けられた勝負の内容に、健は怒りに歪んだ笑みを浮かべた。
「後悔するなよ?」
「お前相手なら十本でも物足りないくらいだ」
◆ ◆
「お前少しは手加減しろよ」
「あれだけ威勢いい啖呵切ってそれってお前情けなくないんか」
一発も剣を当てられなかった健が肩で息をしながらコンクリートに寝転がる。その横で京は息一つ乱さず飄々としていた。
勝負はあまりにも一方的だった。完全に頭に血が昇った健の繰り出す剣を京は次々とさばき続け、的確に剣を当てていった。完全に戦闘経験の差としか言いようがなかった。
「スータブルには『ファースト』『セカンド』『サード』と三段階のステップがある」
「あ、この状態で講義始めるのね」
「『ファースト』は今のお前の状態だ。ハルを体内に留め自らの体を強化させることはできるが、放出させることはできない。つまりセーフティロックがかかった状態だな。『セカンド』はハルを放出できるようになる段階。『サード』は……今のお前にはまだわからないかもしれないが、固有の『能力』を作成できるようになる段階だ」
「あ、その『能力』ってお前が盾であのアヒルを弾いた時のアレか?」
「そうだ。あれが俺の能力、『命にふさわしい』。受けた近接攻撃をそっくりそのまま反射する盾を作り出す」
「その能力名自分で言ってて恥ずかしくならない?」
「殺すぞ」
京は恥ずかしさを紛らわすためにまだ寝転んでいる健の顔に剣の切っ先を向けた。
「ファーストからセカンドへ、セカンドからサードへステップアップするまでの時間は、個人差もあるがおよそ半年ほどだ。つまり今のお前がやるべきことは体を鍛えなおすことと、戦闘センスを磨くこと。これからは毎夜俺がこうして鍛え上げてやる。覚悟しろ」
「うげえ」
「スレンダーマンを殺すためならなんだってするんだろ?」
その言葉を聞いて、健は目が覚めたように飛び起き、剣を構えた。
「ああ、その通りだ。絶対に奴を殺す」
ニヤリと不敵に笑う健を見て、京は「その意気だ」と頷いた。絶望に飲み込まれウジウジとしたあの健の姿はもうどこにもない。健の心には決意の火が灯っていた。純然たる殺意に満ちていた。絶対に親の仇を殺すという目的に向かって真っすぐ、ただひたすらに進む気概があった。
(こうなった健は強い)
京もまた、口角の端を短く上げて健の刃を受けた。
結局その夜、二人は10戦ほど試合を行った。健は一回も京に斬撃を浴びせることができなかったが、それでも満足気だった。
「ああ、そうだ」
◆ ◆
特訓の帰り際、京は思い出したように健に告げた。
「明日からはちゃんと学校来いよ。もう授業も始まってるから」
そう言うと彼は近場にあったコンテナからビルの屋上へと飛び、そのまま家に向かってビルの屋上を飛び移りながら帰宅した。
健は我ながら良い親友を持ったと思いながら、トレーニングの疲れからかそのままコンクリートの上で安寧の眠りについてしまった。