「人」生終了
「なあ、今日ガッコ終わったらカラオケ行かね? クラスの男子大体参加すんだけど」
二限の化学実験中に、髪の毛をワックスで遊ばせた二人組の少年が彼に話しかけた。彼は清潔感のある短めの髪の毛をかきながら「うーん」とうなった。
「行きたいのはやまやまなんだけど、俺そろそろ健のことが気になるから……」
「ああ……隣のクラスの?」
「両親が二人そろって不審死だっけ? 彼今大丈夫なん? 二週間くらいガッコ来てないよね?」
「それがわからないから今日アイツん家に様子を見に行ってくる」
「そか。じゃ、その健ってやつによろしく!」
二人組はきさくに手を振りながらその場を離れた。次の瞬間教師が真面目にやれ、と二人の頭を出席簿ではたいていった。彼はその様子をくすくすと笑いながら見ていた……数秒後、彼の脳天にも火花が散った。
彼の名前は樫原京。健の幼馴染であり腐れ縁の爽やか系男子である。
◆ ◆
学校終わり、京は健の家――約二週間前、惨劇が起きたその部屋に向かった。
事件の第一発見者である健はあの後警察へ勾留され、取り調べを受けることとなったが、両親の死亡推定時刻の時間にはまだ学校へいたというアリバイが取れたことや、彼の両親は「外傷のない全身からの大量出血による失血死」という一介の学生には到底不可能な方法で殺害されたことが決め手となり、すぐに開放されたということを風の噂で聞いた。
外傷のない全身からの大量出血による失血死。もしや、と京は思ったがぶんぶんと頭を振ってその可能性を排除した。ありえない。だとしたら、できすぎた話だ。
それよりも今健がもう二週間近くも――正確には12日間も学校に来ていないことが問題だ。もしかしたら、両親の後を追って――何てこともありうる。
そこで再び京は頭をぶんぶんと振った。
(……いや、あいつはそんなに弱い人間じゃない。それは俺が何よりも知っている)
しかし。しかし、もしもあいつが絶望に打ち負けてしまったとしたら。その時は親友である俺があいつを最初に看取ってやるしかないだろう。そんなことを考えながら月島駅から隅田川沿いを十分ほど歩き続け、京は健の家のドアの前に辿り着いた。
インターホンに指を添えて、京は長い深呼吸をした。そして思い切って指先に力を入れた。ピーンポーンという気の抜けた音が辺りに響く。だが数十秒待っても返事はなかった。二、三回押してみたがそれでも反応はなかった。
これはいよいよ最悪の事態まで見えてきたぞ、と焦りながら京はドアノブに手をかけた。鍵はかかってなかった。まるで自分を招いているかのようにすんなりと開いたドアに、京は困惑さえ覚えた。
家の中は暗かった。カーテンも閉め切りで電気も点けていないようだ。ごくり、と生唾を飲む音が自分でも聞こえた。怖い。しかしここまで来たら進むしかない。覚悟を決めてずんずんと廊下を進み、リビングのドアを開けた。
「っ!」
血なまぐさい臭いと何かが腐敗したような臭いが鼻を突き、京は思わず鼻から下を手で覆った。鑑識による捜査は終わり、血痕などは既に掃除されているが、未だにそこで事件が起こっているかのような生々しさがあった。
「……よお、京」
真っ暗なリビングの真ん中で、健は胡坐をかいて座っていた。天然パーマのかかった髪の毛は手入れがされておらず鳥の巣のようになっていた。中学で陸上をやってきた短距離選手の筋肉質な体は今は見る影もなくしぼんでしまっている。その虚ろな目は、延々とニュースを垂れ流すテレビに向けられていた。こんな状態だが声をかけるほどの元気はあるようだ。
「……こんな暗い部屋でテレビなんか見てたら失明しちまうぞ」
京は壁際のスイッチを押してリビングの電気を点けた。そこで部屋の惨状に初めて気づいた。
床いっぱいに広がるカップラーメンとコンビニ弁当の残飯。およそ十二日間ためたのであろうゴミの山の中に、健は鎮座していた。何かが腐敗したような臭いは、この残飯から発せられていたようだ。
「お前、親が死んでからろくなもん食ってないだろ」
返事はない。
「ここ来る途中でスーパー寄ってきたんだ。軽くなんか作ってやるよ……とりあえず今は栄養とれ」
そう言って、京は手に持っていたポリ袋から食材を取り出し、台所へと向かった。
台所も同様に血なまぐさかったが、幸いにも調理器具や調味料はそのままだった。手際よく彼は料理を作り始めた。
「……俺の父さんは」
テレビに向かって語り掛けるように、健は独り言を始めた。
「厳しい人だった。俺にいつもいつも勉強しろ勉強しろってすげー煩かった。俺が志望校をサメ校に決めた時もあの人はもっと上の高校にしろって猛反対だった……でも、筋の通ったことにはちゃんとうなずいてくれる、いいオヤジだった」
京は沈黙した。ニラを小気味よく刻むトントンという音だけが部屋に響いた。
「俺の母さんは、優しい人だった。何があっても、俺をまっすぐ信じてくれた。親バカなとこもあったしちょっとウザイとこもあったけど、俺はあの人が好きだった」
「……もういい」
「なんで、殺されなきゃいけなかったんだ」
「もういい! やめろ! それ以上言うな!」
「こんなの理不尽だろっ! なんで、なんで……」
涙声になりながら健はその体制のまま塞ぎ込んだ。京もそのまま無言でフライパンを水で洗い始めた。
次の瞬間、キイイインという爆音の耳鳴り音が健と京の脳内に鳴り響き、二人は同時に頭を抑えた。
「畜生こんな時に限って……ってえ?」
京は自分と同じタイミングで頭を抑えた親友を見て、素っ頓狂な声を上げた。
「お前、この音が聞こえるのか!?」
「ああ、この『キーン』って音だろ? 前にも聞こえたぞ」
「お前も……『スータブル』だったのか……いや、今はそんなことどうでもいい、周りに注意しろ!」
「おい、なんだよ、スータブルってなんだよ」
「説明は後だ! 今は襲撃に備えろ!」
そう言うと京は左手の手の平に右手を突っ込むと、黄色く光る両刃の剣を取り出した。さらに左手の手の甲から同じく大量の光があふれ出て、それは京の半身を護るような大盾の形へと変化した。
健は謎の武装を施した友人の姿を指さして驚きのあまり口をパクパクさせた。
「お前……お前、なんだよそれぇ!?」
「だから説明してる暇はないって言ってんだろ!」
次の瞬間、パリィン、と窓ガラスが割れる音と同時に二人の間をレーザービームが走った。正確には超高圧で噴射された水流であるが、それはレーザービームと呼んでも差し支えないほどの威力で部屋の壁に楽々と穴を穿った。
パニックで腰が抜ける健を横目に、大盾を構えながら京は口を開く。
「安心しろ。俺が護ってやる」
京はレーザービームが飛んできたと思われる窓ガラスの方向を見た。隅田川を望むベランダへと続くサッシ。そこの窓ガラスを突き破ってレーザービームは放たれたのだと思われる。さらに京は辺りを警戒しながらベランダに出て隅田川をのぞき込んだ。
威風堂々と流れる晴れの日の隅田川に、一つ異質なものが混じっているのがすぐにわかった。黄色い「何か」である。京の良いとは言えない視力では、手のひらサイズであるそれが何なのかまではわからなかった。
しかし、それがまるで意志を持つかのようにぎょろりとこちらを向くのは京の視力でもハッキリとわかった。
「くるぞ! 気を付けろ!」
「それ」から第二射が放たれた。京は片膝をついて自らの体全体が大盾に入るように身構えた。
ガガガガガ、と音を立てて水圧のレーザービームがベランダの柵をすり抜けて大楯に直撃する。思った以上の衝撃に京の体は後方へ流された。
(さっきの射撃と違って、確実に俺を殺しにきた正確な射撃だった)
(これ以上奴の視界に居座り続けるのは危険だ)
京はベランダから部屋に戻り、気休め程度に窓を閉じた。そして何が起こっているのか未だにわかっていない健に向けて口を開いた。
「俺が絶対にあいつを倒す。お前は生き残ることだけを考えろ」
「あ、ああ……」
(とはいえ、だ)
今現在隅田川を流れている「それ」を倒す手段が思いつかない。向こうが強力な遠距離攻撃を有しているのに対し、こちらは非戦闘員と白兵戦しかできない男一人。距離を詰めるのにも精一杯だ。ここは逃げて奴を倒せる他の『スータブル』に任せるのが吉なのではないか。と京が思案を巡らせる最中、健がおずおずと口を開いた。
「な、なあ」
「何だ」
「さっきお前が洗ってたフライパンに……アヒルの人形が乗っかってんだけど、さっきあんなんいたか?」
京は嫌な予感を胸に抱きながらゆっくりとキッチンに進んだ。その予感は的中した。先ほど見た手乗りサイズの「それ」がフライパンの水溜りにプカプカと浮いて、癪に障る鳴き声を上げていた。
「グエッグエッ」
(水を媒介とした瞬間移動か!)
理解するのとほぼ同時に、京は盾を構えた。アヒル人形の口から第三射のレーザーが放たれる。しかしそれは京に向かってでも健に向かってでもなく、「ほとんど真下」に向けて放たれた。
(まずい)
(『一手』遅れたっ)
その真意を京が理解する頃には既に事態は深刻な状態へと陥っていた。
シンクに穿たれた穴から噴き出す水流が、絶望の旋律を奏でる。このアヒル人形は、この部屋を水浸しにすることにより自らの瞬間移動先を増やし、二人を詰ませにいったのだ。
(クソ! 完全に知恵比べで負けた!)
幾度となく繰り返してきた戦いの中でもトップクラスのピンチの最中に打開策を冷静に考える余裕もなく、京は右手の両刃剣でアヒル人形を突いた。
アヒル人形はそれをかわすように瞬間移動。健の目の前の水溜りにワープした。
「グエッグエッグエッ」
勝利を確信したかのようにアヒル人形は笑い、そして大口を開けて健に飛びついた。
もう終わりかと思われる状況だった。が、この中で一人、逆に京は勝利を確信していた。
「油断したな」
全力でキッチンから健の元まで走り寄り、盾を構えた左腕を健とアヒルの間にねじ込んだ。
「命にふさわしい。俺の盾は防いだ物理攻撃をそっくりそのまま反射させる」
普通の盾ならばいなされて終わりのその噛みつき攻撃が、そっくりそのまま力の向きを反転させられ、アヒル人形は空中で体を仰け反らせた。
その隙に京は右手の剣をアヒル人形に突き刺した。アヒルは黄色の体液をまき散らしてぐったりと力尽きた後、霧散した。
ふう、と一息ついた後、京は盾と剣を体に収納し、大惨事となった辺りを見回した。
「……まあ、あの水道管はとりあえず俺が『ハル』で塞いで応急処置しておくから……あ、ハルってのはこの腕から出せる光のことな」
「お、おう、おう」
健は口をポカンと開けてあやふやな返事を繰り返すと、水溜りとアヒルがまき散らかしていった体液を雑巾で拭き取っていった。
◆ ◆
「……それで、だ」
京が作ったレバニラを口に運びながら、健は口を開く。
「あれはなんなん」
「『イルマ』と呼ばれる異形の一種だ」
「いやだから突然そんなこと言われてもわかんねえってクソがよお!」
「うるせえな順を追って説明するからお前は黙って聞いてろ!」
「ハイ」
オホン、と咳をしてから京は語り出した。
「『イルマ』は人類の唯一の天敵となりうる存在だ。いつ頃から現れたのかもわからず、その目的さえもわからないが、とにかく人類に敵対し、人類に向けて完璧な敵意を放つ存在。姿も多種多様で正化30年現在全貌が明らかになっていない。ここまではオーケー?」
「オーケー」
「そしてそれら『イルマ』を倒すのが俺たち『スータブル』という存在。さっき見せた『ハル』と呼ばれる光の塊を操り常人よりはるかに頑強な体を持つ……まあ要するに人類を超越した存在ってわけ」
「はい質問」
「なんだ」
「なぜ俺たちは戦わなくてはならないんだ」
「ずいぶんと哲学的な問いだな……そうだな、強いて言うなら、『そこに敵がいるから』としか言いようがない」
「はあ?」
「奴らが近づくと俺たちの脳内にあの喧しい耳鳴り音が鳴り響く。そしてそれは向こうも同じで、向こうも俺たちが近づくとその存在を知らされるようにどうやらなっている。さらにイルマは幸か不幸か一般人より俺たちを優先して殺しにくる」
「だからお互い殺しあう……と」
「そうだ」
「じゃあ俺はその戦いから降りる。そんな理不尽な戦いは御免だ。勝手にやってくれ」
「そうか、それも一つの選択だ。俺は否定しない」
京はレバニラと白米をかきこみながら「だがな」と付け加えた。
「お前の両親を殺したのはどう考えてもイルマだ。それも最上級クラスの、な」
沈黙。さらに京は続ける。
「それは『スレンダーマン』と呼ばれるイルマだ。見た目は痩せぎすでビジネススーツをまとったノッポのマネキン。攻撃方法や生態は不明だが、被害者に共通するのは全員『全身からの大量出血による失血死』……お前の両親の死因が一致していないか?」
「……それどころか、俺はそのスーツを着た男を見たことがある」
「決まりだな。お前の両親はそいつに殺された。そして相手が人間でない化け物である以上、警察に打つ手はないし、このまま事件は迷宮入りのまま風化していくだろう」
京は食べ終わった皿をキッチンの流しに置き、手短に告げた。
「もしお前に戦う気があるのなら、今夜八時に勝どきの埠頭に来い。さっきも言ったが強制はしない。そのまま両親が殺されたことさえ水に流し、平和な暮らしを望むのならばそれでもいい」
じゃあな、と言い残すとスタスタ京は家から出て行ってしまった。
次から次へと怒涛の展開の連続で、健は頭の整理ができていなかった。思わず「クソが」と愚痴をこぼす。
「てかこの食器俺が洗うのかよ……」
イルマプロファイル
「アヒル隊長」
風貌……子供用の手乗りのアヒルのおもちゃそのもの
能力……超高圧水流の噴射、水を媒介とした瞬間移動
ランク……B(E~Sの六段階評価、単純な討伐難易度を表す)
備考……非常に高い知能を有し、人間的な感情も理解している様子