弱き者、強き者
「いつもなら子供達の遊ぶ声が聞こえるはずなんだけどな」
俺は一昨日に泊まった孤児院の前に来ていた。二日前というのにあたりの様子はまるっきり変わっていた。俺は迷うことなく扉を叩く。数分したあと扉が小さく開かれる。
「なんだ、君か」
出てきたのはアヤさんだった。丹精で整った顔つきが一晩でやつれた顔になっている。
「……お疲れのようですね」
「なら手間を増やさないでくれるか」
憎まれ口をたたいてきた。それほどまで追い込まれているのかもしれない。
俺は中に迎え入れられた。中は薄暗かった。
「で、一つ質問なんだが……」
手元から出してきたのはひとつの短刀だった。
「お前は政府の手の者だったのか?」
予想の範囲内だった。アヤさんは一度俺を疑った。それから間もなくしてリーアが捕まるという事態になったのだ。無理もない。
「子供達にまで手を出すつもりであれば、ここで殺す」
「……逆に聞きますが、仮に政府の犬だったとして一人でノコノコ現れると思いますか?」
「……さぁ、どうだか」
俺は内心ため息をつきたくなった。タチが悪いのは思考の停止だ。人間は考えることをやめてしまえばただの肉の人形だ。
「仮に手を出そうと思うのなら、軍隊なり、取締官なりを引き連れて一斉に検挙すれば簡単な話だ。こんな危険な目にあうことも簡単に考えつくからな。実に非合理的だ」
相手はその通りだと考え、口を紡ぐ。しかし、俺の首につきつけた短刀は下ろさなかった。理屈は通ったらしいが、感情で理解しきれていない感じだ。
取締官は魔女を捕まえるとその家族などの関係者も取り調べをする。しかし、無理な自白を強要される場合もある。それを考えれば連行イコール処刑ということになってしまう。
ピリピリするのも無理はない。
予測していたこととはいえ、これをどうしたものか。
「アヤ、手に持っているものをおろしなさい。お客様に失礼です」
その声にアヤさんは振り向く。その先には一人の老婆がいた。
「……院長」
その声を聞くや、アヤさんは短刀を下ろす。院長がこちらに微笑みを浮かべる。
「大変なご無礼をお許し下さい。一昨日に子供たちがお世話になったというのに……。」
「いえ、わかっていただけたのなら大丈夫です」
院長と呼ばれた老婆に頭を大きく下げられたので大いに恐縮してしまった。
「本日はこのとおりの状態ですのでたいしたおもてなしはできませんが……」
「いえ、今日は少し話があったのできただけです」
「では、立ったままではあれですから、こちらまで……」
俺は近くにあった個室の方へと案内される。そこに四人がけのテーブルがあり、俺は誘導されるがままに椅子へと座る。
院長とアヤさんが向かい側に座る。
「で、お話というのは……」
「まず、あなたたちが政府の動きを警戒されている点を……」
それを聞いたアヤさんが身構える。それを視線で院長がたしなめる。
「ここに来る前にこの辺り一帯を調べさせてもらいました。で、この一体にはもう、魔法取締官どころか、政府の関係者の動きはないと分かったので伝えておきます」
「なんでそれがわかる。あいつらは魔女の関係者を全員連行するんだぞ。ここの子供たちを連れて行こうとしていたし……」
「いないものはいないんですから、信用しようが信用しまいがあなたの勝手です。ご自分の目でご確認してはどうでしょうか?」
「なっ、おま、」
「アヤ、あなたは少し黙っていなさい」
院長にたしなめられたアヤは素直に黙った。
「あなたの話をミュウナや子供たちから聞きました。そこから判断するに私はあなたを信用に値する人間。絶対とは言えないがあなたの言葉信用しましょう」
「ええ、それだけで十分です」
院長は話せる人間であろうと内心ホッとする。
「で、本題ですが、私に昨日起こった全てを話していただきたい」
「なぜそれを?理由によっては私共の身内に被害が及ぶ場合があるからね」
「こちらの理由を話せばあなたたちも巻き込んでしまう可能性が高くなってしまう。それを考えれば、私は言うことはできません」
「…………そうですか」
そう一言だけ置いて思案する院長。
それもそうだろう。保険なしに信用しろと行っているのと同じであるのだからだ。
「わかりました。話しましょう」
「院長」
「この方を信用しましょう。……アヤ、昨日のこと話してもらえますね」
「分かりました」
アヤさんが昨日のピクニックで起こったことを語り始めた。
詳細は次のとおりだった。
嵐に見舞われ、避難したところ二人の子供がはぐれてしまった。ミュウナ含む引率の面々でその二人を捜索した。自分の探索した場所で見当たらなかったために、アヤさんがミュウナのところに行ってみた。そして、その場には泣き叫んでいる子供達と力なくぐったりしているミュウナと彼女を取り押さえていた魔法取締官の面々がいた。
その後アヤさんは取締官に食ってかかったが話を取り合ってもらえず、子供たちを連れて帰り、落ち着かせてから事情を聞いた。聞いたところでは取締官に連れていかれそうになったときにミュウナがやってきた。そこに、二人の頭上に大きな岩が落ちてきた。その岩をミュウナが魔法の力によって破壊したとのことだった。
「わかりました。これを聞いて幾つか不自然な点が出てきますね」
「それはなんでしょうか」
「まず一つ目はターゲットの変更。最初子供たちを連れて行こうとしたのに魔法を使ったミュウナを連行した。明らかにおかしいんですよ」
「たしか、子供たちは魔女として連れて行かれそうになったって……」
「もし仮にあとから連れて行くべき魔女が現れてたとしても子供達を置いていく理由がわからない。後々の事を考えれば連行するか、その場で処分した方が証拠隠滅ができる。俺ならそうする。その取締官はただの馬鹿か、そうでなければ何かがあったということだな」
子供たちが目に入らないほどの何かだ。
「次に二つ目。先程も言ったとおりにこの周りに取締官の姿が全く見えていないこと。事情聴取に来てもおかしくもないのに、姿に形、気配までない。すべての人員をミュウナちゃんの処刑にさいているみたいですね」
この二つ目が不自然な理由は一つ目と全く一緒である。
しかし、その当時の様子を聞けただけでも十分だ。これ以上俺がここに居るメリットはない。今取締官が張っていないとはいえ、これから先絶対にこないとは言い切れない。
その時に俺が出入りしていてはなにかと不都合がある。
「お話ありがとうございました。それではこれで失礼いたします」
俺は立ち上がり、去ろうとした。
「ちょっとまて、何か私にも手伝うことはないのか?」
「それは本当に言ってるんですか?」
「……たしかに、あいつは魔女だ。でもあいつは魔女であっても子供たちを助けたんだ。それなのに処刑されるなんて間違ってる。だから私は本気だ」
「間違いかもかもしれませんね。でも少し勘違いをしてますね」
「何をだ?」
「あなたが彼女を助けようとすれば、ここの子供たちに間違いなく被害が及ぶでしょう。それでもいいんですか?」
その言葉にアヤさんは黙り込む。
「……アヤ、もうよしなさい。彼の言っている事は正しい。我々は力弱き者なのだからね」
その様子をみた院長が口を挟む。
「弱者は常に何かを選び、何かを捨てていくかを選んでいかなければない。例外というものはないのだよ。人の命を天秤にかける行為はするべきではない愚行だが、そうぜざるおえないのだよ。私たちは彼女を守ろうとした子供たちの命を守らなければならない」
アヤさんは何もいうことができなかった。
「確かに院長さんの言うとおりだと思います。しかし、一つだけ言えることがあります」
俺は思ったことを口にする。
「それが、強者から押し付けられるのが嫌だったら、こういう事態になる前に力をつけて置けばよかった話です。いわゆる自業自得というやつです」
「言い訳になりそうだけど、力をつけるということはそう簡単な話ではないよ」
「ええ、そうです。しかし、ただの諦めを受け入れるより私はいいと思います」
俺は遠い昔のことを思い出した。守ろうとして守れなかった時の絶大な絶望。自分の手の中からすり落ちていく仲間の命。目の前の事実を受け入れることのできない己の心。
あの時、力がなかったというのは言い訳にしかならない。失ったものは二度と自分の手の中に戻ってくることはありえない。都合のいい物語なんぞ現実にはないのだから。
「若いね。私は夫を亡くすほど年をとってしまってね。そうなってしまうと諦めるということがクセになってしまってね。それが長生きの秘訣だよ」
院長そう言って笑う。俺の感情を読み取ったのか、茶を濁した。
「それでは今度こそ失礼いたしますね」
俺はそう言ってこの場を退出した。何を言われようが俺のすることは変わりはない。
「…………院長」
「私もミュウナに死んでほしいとはおもってはいませんよ。むしろこんな殺伐とした時代にこそ、あのような心優しき者は生きるべきなのです」
院長も内心では何か手伝うことがないかと思っていたが、孤児の子供達のことを考えれば言うことはできなかった。
「信じてみましょう。あの若い青年を。力弱くとも私たちは私たちのできることを」
「…………はい、分かりました」
アヤの了承の声を聞くと青年個人のことについて院長は考えた。一瞬、青年の心から湧き上がった感情。燃え盛っていた。
歳の割に上手に感情をコントロールして隠していると思っていたが、あの瞬間に湧き上がってきたものはとてつもなく、人のものとは思えない大きなものだった。
あのような感情は彼の過去に何かがあったと思わせてならない。それも人知の超えるような出来事かもしれない。院長はその思考もそこそこに関心を別のものに向ける。
「……住みにくい世の中ですね」
院長はつい独り言を漏らした。
彼女が青年のような歳の時、争いがなかったといえば嘘になるが、平和と言えるような世の中だった。若きながら孤児院の経営を始めた今はなき夫に惚れ、自分もこの孤児院ではたらいた。
そして、ある日を思い出す。
近くの魔法を使える一族の村が、軍によって粛清された日。あの時、院長だった夫は危険を顧みずその村へと向かった。そして、一人の少女を連れてきた。夫は何も言わなかった。何かを感づかなかったといえば嘘になる。でも私はだまって、他の子達と同じように慈しみ育てた。彼女が魔女なのだと聞かされたのは夫の口からではなく、遺言書だった。
でも、何も思わなかった。もうわかっていたことなのだから。それに孤児院を何も嫌な顔をせず手伝ってくれるいい子に育った。それなのに、長く生き多くの鎖に縛られてしまい、抱きしめてあげることもできない。何を言おうが彼の言うとおりであり、何を言おうが言い訳にしかならない。だから青年が縛りも気にせず、助け出してくれることを願うしかない。そう願うことしかできない。
「さて、私たちは子供たちのケアをしましょう」
今回のことで心にストレスを抱えた子供は少なくない。ほかにできることはこれぐらいしかない。せめて、帰ってきた時に出迎えれるように……。
後ろ髪を引かれる思いをしながら、自分たちが今できることをやり始めた。




