雪山の惨劇(予定)
困った。
冬なのにいつまで待っても雪が降らない。
そんな悩みを抱えている私は、別に暖冬に悩むスキー場やホテル業の関係者というわけではない。詳細は省かせてもらうが、しいて言うなら連続殺人鬼……になる予定の人間だ。
思い返すのも忌々しいが、数人の男女にとある理由で恨みを持った私は、奴らをこの世から抹殺すべく行動を開始した。
とはいえ、いくら恨みを晴らしても、その後に警察に捕まってしまうのは御免だ。罪を犯したのに堂々と娑婆で暮らしている奴らの事を考えると腸が煮えくり返るが、私も同じように捕まらないと考えるのは楽観が過ぎるだろう。
そこで私は、たとえ連中を殺しても絶対に私自身の身には疑いが向かないような空前絶後の殺人計画を練り上げたのだ。計画が露見するのを避けるため、詳しく説明できないのが残念だが、もしもこのトリックを使った推理小説を書けばベストセラー間違いなしと自負している素晴らしいトリックだ。
殺人計画の舞台に選んだのは雪山の山荘。推理小説などでは嵐の孤島と並んで定番の舞台だ。雪山にしろ孤島にしろ、こういう社会と隔絶されたクローズドサークルなる場所に奴らをおびき寄せ、そして一網打尽にする予定なのだ。
恨んでいる奴らとは表面上は親しい関係を維持しているので、私が招待すれば間違いなくやってくるだろう。もっとも、私以外の全員が死亡というのはあまりにも怪しすぎるので、ダミー役としてターゲット以外の人物も数人呼ぶつもりだ。
すでに犯行に使用する為の道具は隣県のホームセンターを自転車で巡って少しずつ買い集めてあり、そこから足が付く可能性はない。かなり高かったがローンを組んで舞台となる大きな山荘も中古で購入し、更にリフォームもした。小さめのホテルやペンションとしても通用しそうな建物が運良く売りに出ていたのだ。実際前のオーナーが高齢で手放す前はペンションとして営業していたらしいと、不動産屋の担当者が言っていた。
できれば、事が終わった後に換金したいが、事故物件になってしまえばロクな値は付かないだろう。まあ、そこに関しては必要経費と割り切るしかないだろう。私の憎しみはそれほどまでに深いのだ。
繰り返し、繰り返し、何度も計画を見直してリハーサルを重ね、誰が、いつ、どのように思考し、どう行動するかを綿密にシミュレーションした。考案したトリックには自信があるが、万が一ということはあり得る。多少の予定が狂っても計画を完遂するためにあらゆる状況を想定し、失敗の可能性を潰していく。
偶然、遭難した警察関係者や探偵が紛れ込むケースを想定している時など自分で笑ってしまいそうになったが、その気の緩みが失敗の元だと、気を引き締めて真面目にシミュレーションを重ねた。
だが、あとは大雪が来るのを待ってから奴らをおびき寄せるだけ、という段階になってから問題が発生した。先述の通り、今年は暖冬で雪が全然降らないのだ。
これには困った。
計画の為に購入した山荘がある地域は日本でも有数の豪雪地帯で、毎年国内外から大勢のスキー客が訪れるような場所なのだが、今年は山の地肌が見える程度の薄い雪しか降っていない。地元のお年寄りにも聞いてみたが、こんなことはこの数十年でも初めてのことらしい。屋根の雪下ろしや雪かきが楽でいいとお年寄りは喜んでいたが、スキーやホテルなどの観光業は大弱りらしい。私も大弱りだ。
これではたとえ事件を起こしても、全員を殺す前に普通に歩いて山を下りることが出来てしまう。そもそも、奴らを招待する口実がスキーに誘うことなのに、これでは呼び寄せることすらできない。
それに私の考案したトリックには大量の雪が必須となるものもあるので、雪が少ない状況では実行することは不可能だ。
私は悩んだ。
すごく悩んだ。
悩みすぎて熱を出して三日寝込んだ。
だが、暖冬で雪を都合良く降らせるようなトリックなどいくらなんでも思いつくはずがない。そんなものがあったら私より前にスキー業界や観光業界がすでに導入しているだろう。
いっそ違う計画を一から考えようかとも思ったが、山荘の購入をはじめ、すでにこの計画に多額の資金を投入してしまった。今からだとほとんど資金を使うことは出来ない。計画自体の完成度も大きく下がり失敗や事後に逮捕される可能性も大幅に上がるだろう。
ならば計画を来年に回そうかとも思ったが、もしも来年も同じように雪が少なかったら?
私は周囲に誰もいない山荘の部屋にこもって、本屋で買ってきた気象学の本を読み、風水を整え、窓際にはてるてる坊主を逆さまにしたふれふれ坊主を吊るした。そんな迷信染みたことしか出来ないのが歯がゆいが、他に出来ることもない。
もしかすると、今年の暖冬は神様が私を止めようと起こしたのかもしれない。次第にそんな突拍子もない考えが浮かんできたが、もしそうだとしたら私と同じように困っている人に申し訳ない気分だ。
推理小説の犯人たちは、どうしてああも都合良く悪天候に恵まれるのだろう?
そもそも現代の天気予報ならば数日先くらいまでの天気はそれなりの精度で分かる。猛吹雪や嵐に巻き込まれそうな状況ではロクにレジャーも楽しめないだろうし、日程をずらすなり中止するなりするのが分別ある大人の判断ではないのだろうか。
そんなことを考えていると次第に、あれほど自信があったトリックまでなんだか陳腐なものに思えてきた。そもそもの前提条件を間違えていたのなら実行できるはずもない。そんな不完全なトリックに我が身を委ねるなど、今から思うと狂気の沙汰ではないか。
なんだか、色んな事がどうでもよくなってきた。
……そもそも奴らへの復讐も別に殺すまではしなくてもいいのではないか。例えば探偵に依頼するなどして証拠を集め、それを元に警察に訴えて罪に問う、あるいは社会的立場を失わせるなどの方が長期間苦しめることができるし、余程現実味があるのでは?
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さんざん迷ったが、私は結局当初の計画を中止することにした。
復讐に関しては合法的な手段で根気強く奴らの犯罪の証拠を集め、見事に全員を刑務所送りにすることができた。当初の計画を諦めてから数年もの時間がかかったが、今ではこれで良かったのだろうと思える。
そして結局使われることのなかった山荘であるが、そのまま遊ばせておくのももったいないので、今では私がオーナーを勤めるペンションとして営業している。最初は空室が目立っていたが、旅行雑誌やテレビ番組で紹介された事をきっかけに繁盛するようになった。最初は私一人でやっていたが、今では何人もの従業員を住み込みで雇うまでになった。地元の食材を使った料理や、蔵元から直接仕入れた地酒が美味いと評判である。
雪が少ないのも結局あの年だけの異常気象だったらしい。今では冬季のスキー客が私の主な収入源となっているので、それは大いに助かる。今では同業となった地元のホテル業関係者の間でも、あの年のことは未だに語り草になっている。
今年も大雪続きで、今夜も窓の外を見ると数メートル先も見えないほどに吹雪いている。スキー目当てで来たお客さんには残念だが、この分だと明日、明後日あたりは滑るのは無理だろう。せめてウチの料理ともてなしでその埋め合わせが出来ればいいのだが。
ガシャン。
そんな、何かが割れるような音が聞こえた。誰かが皿でも落としたのだろうか?
だが、そんな呑気な想像は次に響いてきた誰かの悲鳴に打ち消された。
私も急いで駆けつけたが、そこには倒れている人の姿があった。
確実に死んでいる。もはや蘇生は不可能だ。だって、その身体からは頭部がごっそりなくなっていたのだから。
その凄惨な光景にふと既視感を覚えた。
ああ、そうだ。
私がかつて考えたあの殺人計画。
まるで、その始まりのような――――――。
・クローズドサークル系ミステリの犯人の天気運の良さは異常。
・『私』の考案したすごいトリックは作者都合により非公開とさせて頂きます。
・本編後に『私』がどうなったかはご想像にお任せします。