「07」調整官と悪魔の遊戯:ノーブルマスター
「麒麟さん、それは何ですか?」
彼が第二研究室に入ってくると、その右手に持った拳大の大きさを持つ、水色の玉について、エリザベスは問うた。
「これか?これは、核融合炉だ」
彼は第二研究室に取り付けられていたとある機械に、それをセットしながら、その質問に答える。
「か、核融合炉!?」
驚く彼女をよそに、彼は機械を弄って、設定を完了させていく。
「そしてこれは、エリスはもうアリスから聞いたはずだから知っているだろうけど、次元振動計数操作機、通称DVCだ」
彼はDVCの設定を終えると、後ろを振り返り、椅子に座る。
「次元振動計数操作って....いったい、何に使うんですか?」
怪訝そうな顔をして呟くエリザベスに、彼はこう答えた。
「アリスちゃんの新兵器と、模擬訓練用の疑似異世界かな」
そう言いながら、彼は伸びをした。
「といっても、まだ作成段階だからね。完成したら、エリスちゃんには実験体になってもらいます」
「き、麒麟さん。それはいくらなんでも....それに、エリスちゃんの意思も聞いたんですか?」
道徳的な意見を述べる彼女であったが、それをエリス本人が否定した。
「大丈夫です。アスタロトさんからも聞いているけど、今の私は地球上にいる限りは霊魂的に不死不滅です。たとえ肉体が死んでしまっても、魂が生きているなら完全に蘇生可能ですから」
「でも、蘇生できるからって....」
納得のいかないような顔をして、エリスを見つめる。
「まあ、最終的にはエリスちゃんに使用してもらうだけで、テスト運行はアリスで行うから」
そう言うと、彼女は渋々という風に承諾した。
アリスは人形だ。人ではない。それは例えば、パペットの様なものでしかない。しかし、対してエリス──ハーファリスは人間だ。正確には、人を越えた人。アリスに限りなく近い人類である。そこには大した違いは無いようにも見えるが、彼女にはどうやらこの二つの間には明確な違いが見えているらしかった。
彼は椅子を回転させてデスクへと向かい、コンピューターを起動させた。
「....」
しばらく無音の時間が続く。
そして、彼はふと思い出したように声をあげた。
「そういえば、朝食がまだだったな」
「そういえば、そうでしたね。といっても、もうお昼ですよ、麒麟さん」
そう言って、部屋の時計を指差す。
「じゃ、どこかへ食べに行こうか」
こうして一行は、一度作業を中断して、その場を後にしたのであった。
△▲▽▼
やって来たのは、ハンターのギルドが経営している、少し大きめの酒場だった。そこには、見るからに強そうなハンター達で賑わっており、それぞれ談笑したり、食事をしたり、店主と愚痴を言い合ったりしている。
そんな中、一人ポツンと六人席のテーブルに腰かける、黒髪赤目の少女の周りだけが、静寂の帳を降ろしていた。
「....来たか」
彼女は、やって来た三人を一別すると、隣の席に立て掛けていた刀を端へと寄せた。
「久しぶりだな」
「....フン。どうせ、その様子なら、ハーファリスの候補者を用意してくれといったところだろう、キリンよ」
「ご名答。さすがサルガだな」
俺は彼女の前に腰かけた。続いて、その隣にエリスとエリザベスが腰を落ち着ける。
彼女の名前はサルガタナス。彼女は、ヨーロッパの伝承に伝わる悪魔の一人だ。魔術や悪魔学について記した、グリモワールと呼ばれる一連の文献においてその名前が見られる。
18世紀、もしくは19世紀に民間に流布したグリモワールの1つである『真正奥義書』によると、彼女はアスタロトの配下であり(これについては以前、アスタロト本人から説明してもらっている通り、彼女は現在、その配下という立ち位置から外されている)アスタロト、ネビロスと共にアメリカに住んでいた。
今は日本の八大地獄や八寒地獄といった場所へ旅行へ来ていたのだが、そのついでに、俺は今日ここに彼女を召喚した。
18世紀に流布されたグリモワール『真正奥義書』によれば、サルガタナスは三人の地獄の支配者、ルシファー、ベルゼビュート、アスタロトに支える六柱の上級精霊の一柱であり、旅団長とされている。数旅団の精霊を率いており、直属の配下として、ゾレイ、ウァレファル、ファライーを従える。
人の姿を消す力を持つ。また、人をあらゆるところへ移動させる力や、あらゆる鍵を開け、家の中で起こっていることを見せてくれる力を持つ。羊飼いの技も教えてくれる。
彼女はいつもこんな風な無愛想な面構えだが、根は優しく温厚な性格をしている──と、俺はアスタロトから聞いた。
彼女とは以前、最初のハーファリス探しに手伝ってもらったことがある。無論、ちゃんと代償として巨額の金銭を支払ったのであるが。
「....悪魔に三度の願いを叶えさせることが、どれ程危険か、お前も知っているだろう?」
「でも今は、魔界から追放されているんだよね?つまり、魔界の掟である魂の頂戴は、別に守らなくてもいいわけだ」
「....それはもしかして、上官からの入れ知恵か?」
「想像に任せるよ」
彼はそう言うと、机の上に置いてあった呼び鈴を一度鳴らした。
「....わかった。お代は、今日の昼飯を奢ることで勘弁しておいてやる」
「そりゃ、助かったよ」
メニューを開き、何を食べるか考える。
「エリスは何がいい?」
「ハンバーグ!」
開いたメニューの真ん中に、デカデカと表示されていたそれを指差して、彼女はオーダーする。
「じゃあ、私もそれにします。サルガタナス様と麒麟さんはどれにしますか?」
エリザベスはそう言ってこちらにメニューを返した。
そして、それを一瞥すると、彼女はこう言った。
「....2000円以上の料理一つにつき、一人でどうだ?」
「....1000円だ」
「1900」
「1250」
「....1850だ。それ以下は受け付けない」
「....1500ならどうだ?」
「....言ったろ。1851以上で取引だ」
少々苦悶の表情を浮かべながら、やがて麒麟はこう言った。
「わかった....2000で手を打とう」
「....ほう、そう来たか?」
すると彼女は、メニューのページをパラパラとめくり、これに決めたと、それに指を押し立てた。
「....アグダッドのヒレ肉ステーキ、6000円」
ニヤリと笑みを浮かべる彼女。
「うっ!?あ....クソ。そうか、2000円以上の料理ひとつにつき、だったか....俺としたことが失念していたよ」
ニヤニヤとした笑みを向ける彼女に、彼は苦笑いで答えた。
因みに、アグダッドとは、この世界にしか存在しない、三足歩行で移動するペガサスのような動物だ。この動物は、三足歩行というアンバランスな歩き方の癖に、かなり足が速く、捕まえることが難しい。そのため、個体数は多いものの、捕獲が困難なのだ。
さらにヒレ肉という、アグダッドの体の中でもっとも部位が少ないものを指定してきた。
(こいつは....)
彼は苦笑いを浮かべたまま、一番安いメニューであるしょうが焼き定食をオーダーすることにした。
しばらくして。
「お前のその体はどれだけ食えば気が済むんだよ?」
「....そりゃ、キリンの財布に、1セントも入っていない状態にすることを目指しているからな」
「勘弁してくれよ....」
「....それに、どうせ経費で落とすんだろ?」
彼女はスープを飲み干してそう言った。
因みに、その後彼女が食べたものは全て、ギリギリ2000円に届かない値段のものばかりだった。というのも、サルガタナスの食べた料理は、軽く二桁分のものに達していた。
その瞬く間に机の上が空になった皿で埋め尽くされていく光景は、本当にもう鳥肌がたつほどであった。
「....ふぅ。それで、ハーファリスの件だったな?」
彼女はそう言うと、スッと目を細めた。
「ああ、お願いする」
「....とは言うが、キリン。ルールに則れば、私が話すのは一人分だけだぞ?」
「心得ているさ」
彼はウェイターに食器を下げてもらい、広くなった机の上で、彼女と目を合わす。
「....そうだな....お前の財布を食ってしまった詫びに、少しおまけをしてやろう。ハーファリス候補は、後に自然と見つかるだろうしな」
彼女はそう言うとフフッと笑った。
「....お前が今作っているそれを、軍事用に人間どもに提供してやればいい。あとはトントン拍子になんとかいくさ」
そんな彼女に、彼は怪訝そうな目を向けた。
すると、サルガタナスはこう続けた。
「何、警戒しなくてもいい。では、私はこれから桃源郷に観光してくるとしよう。また、会えることを祈っているぞ」
そう言うと、彼女は刀を手に取り、席を後にした。
△▲▽▼
「なんか、麒麟さんのそういうところ、初めて見る気がします」
黒髪赤目の少女が店を出た後、ふとエリザベスはそう呟いた。
「そういうところ?」
「財布の中身を食われて困っているときのあの顔ですよ。1セントも残さないって言われた時のあの表情といったら....」
言いながら、エリスと顔を見合わせて笑う。
「....そりゃあ、まぁ、無一文にされたら、困るしな。いくら研究資料やらが経費で落とせると言っても、人心的には寂しい気分になるだろ?」
「この守銭奴が」
エリスがそんな彼を見て、そんな言葉を吐いた。
(いったい、どこでそんな言葉を覚えたのやら)
呆れた顔で、彼女を見下ろす彼。
「守銭奴っていうのは、金銭を貯めることに、異状に執着している人の事を言うんだよ。だから俺はそれには当てはまらない」
彼は軽く説明して、エリスの頭に手を置いた。
それはさておき、一行は支払いを済ませると、その酒場を後にした。
とにかく、これからは今日得た情報を信用して、表世界の住人に、アレを兵器として考案する流れで進めることにしよう。
彼はそう決めて、施設へと足を向けた。
△▲▽▼
その日は珍しく、アスタロトの前に客人がやって来た。といっても、それはもちろん人ではなく、悪魔だ。いや、どちらかと言えば、本当は神様の分類なのだが。
彼女は白地に桃色の縁取りのしてある、桜柄のアオザイを身に纏った姿で、応接室でアスタロトの淹れる甘いお茶を飲んでいた。
「久しぶりだねぇ、ベルゼビュート」
「その名前で呼ぶなよ。全く、ハエの王なんぞという名前をつけやがってあのヘブライ人どもめ....」
彼女の名前はベルゼビュート、もしくはベルゼブブという名前で、旧約聖書に登場する悪魔である。がしかし、それは豊穣を祈る性的な儀式を、イスラエル(カナン)の地へと入植してきたヘブライ人が、このようなペリシテ人たちの儀式を嫌い、語呂の似ているバアル・ゼブブ(ハエの王)と蔑み、そのまま聖書に記されたためである。
本来の名前は、バアル・ゼブル(気高き主、もしくは気高き館の主)という名前で呼ばれていた。
現在では魔界から自由になっているために、こんな話をしているわけだが....神界の規定により、本来はこんなことを口走るわけにはいかないのである。
「そうカッカしなさんなよ。それより、最近どうだね、君のところの調整官は?」
「それが奇妙な娘でな....口数が少ないのなんの。もとより魔術師の才能は少しあったが、最近ではもう私を越えてきそうだよ」
「ほう....そりゃ面白い人間だねぇ」
一口お茶を飲み、会話を続ける二人。
元々、嵐と慈雨の神であった彼女の魔力を越える人間なんて、この世に存在し得るのか。なかなか面白い話である。
因みに、勘違いする人も多いかもしれないのでここで記しておくが、魔力とは、ゲームなどでいうMPとは、全く性質を異にするものである。
それは、世界に対する強制力という意味合いであり、決して、未知のエネルギーとかそういうものではない。
さらに言えば、人間が魔法を使う際は、精霊や妖精、道具や文字等がもつ魔力を利用するため、その人が元々魔力を持つことは希である。
「そこでだ。今日はここに、その人を呼んである」
「ここに来ているのかい?そりゃ、面白い。是非とも私のところの調整官と会わせてやりたいね....どうやら、うちのも帰ってきたらしい。ここに呼んでこよう」
アスタロトは目を閉じ、そう言うと、その場から姿を消した。
本来、悪魔の中には、距離や時間といった概念は存在しないため、彼ら彼女らは、この世界に於いていつの時間にもどこにでも現れることが可能なのである。
そんな彼女の行動を見て、バアル・ゼブルはその黒いお茶を飲み干した。
「....すべての秘密を知るといっても、マニュアル操作じゃあ不便だな」
彼女はソファーの上で足を組み、一人そう呟いた。
「....来たか、ランファン」
背後に現れた彼女に対して、バアル・ゼブルは呟いた。
「....」
コクリと頷くランファン。
彼女は、バアル・ゼブルがアメリカからインドへと、なんとなくふらっと旅をしている途中に、とある老人から託された、養女である。
産まれは中国らしいのだが、それにしては綺麗な顔立ちをしており、細胞の遺伝子のひとつも、環境汚染によって汚されていることはなかった。現在のあの状況下で、これ程のものを保つのは、最早奇跡とさえ言えるのである。
ランファンと呼ばれた彼女は、バアル・ゼブルの色違いの水色のアオザイを装着しており、髪は肩口辺りまでの黒髪である。身の丈は麒麟より頭一つ分低く、標準的な体格をしている。目鼻立ちは整っており、その闇のように深い黒い瞳は、縁が少しだけ青い色をしていた。
「話は聞いていたか?」
「....」
またしても、声には出さずに、首肯するだけに止まる。
「....チッ。私より魔力が二、三倍ほど高いからって、あまり調子に乗るなよ?」
「....わかってる」
静かに答えるその声は、澄んだ湖面のように彼女の鼓膜を打った。
たまにしか聞くことのできないその綺麗な声音に、バアル・ゼブルは微笑みを浮かべた。
「そうだ、それでいい」
そう言うと、彼女はランファンを膝の上にのせて、頭を撫でた。
ベルゼブブは、元々はバアル、つまりは勝利の女神アナトの兄であり夫でもあるとされているが、元来より、悪魔や精霊には性別は存在しないため、加えて、その人間の願いを効率よく叶え、効率よく魂を頂戴するために、その性別を自ら変えることができるので、バアル・ゼブルを女体化させました。(半分くらいは趣味が混ざってたとしても、何も言わないでいただきたいです)




