「05」調整官と悪魔の遊戯:プリビアスナイト
「愉快愉快」
風呂に浸かりながら、彼は浴室に漂う湯気を見つめていた。
「ドクター、嬉しそうですね」
抑揚のない、無表情、無感情な声で、目の前に体育座りをして湯に浸かっているアリスが言った。
黒い長髪が、湯に濡れて、とても艶かしく見える。
「そりゃ、アリスが一緒にいるんだから。楽しくないわけがない」
麒麟曰く、イエスロリータゴー(場合によってはノー)タッチなのだそうだが、今回はゴーをすすめる様だ。
アリスは、そんな彼の心境を察して、姿勢を崩し、彼の上に乗り掛かった。
「ドクター。私は人形です。ご存分に」
その言葉に、麒麟は彼女を抱き締めた。
お湯を通して、彼女の人肌の温もりが、彼に伝わる。
「アリス」
彼は、彼女の耳元で囁く。
「明日からF.D-0.0.1の作成に取りかかる。夜明けまでに準備を済ませておけ」
「仰せのままに」
心なしか、アリスは少し残念そうな顔をして、麒麟のもとを離れて、浴室をあとにした。
彼女たちは相変わらず無表情だが、希に麒麟には、その表情を読み取ることができた。しかしそれはたぶん、自分の主観的、希望的な観測が、多くを占めて結論を出しているのだろうけど。
相手の感情なんてものは、所詮、主観的にしか判断できない。それこそ、客観的に判断するなんてことは、グルジェフの言うところの覚醒でもしなければ、不可能に近いだろう。
『人は、感情の移り目に私を視る』。その点で言えば、そもそも個人なんてものは端から存在しないのだろ。
麒麟は伸びをすると、自分もアリスを追って、浴室を後にした。
(いや、俺はもう、人ではなかったか)
彼は一人、ふとそう思うのであった。
△▲▽▼
いつもの昼間装備(調整官の制服)からジャージへと着替え終えて、記角麒麟は自室へと一人で戻った。
アリスはおそらく、翌日の準備をしているのだろう。
「ん?」
自室に入ると、布団が用意され、中ではちゃっかりエリザベスが寝ていた。
直後、彼女が部屋に来た理由を何となく察した麒麟は、その可能性からエリスの居場所を特定させた。
窓に近より、天候を確認する。
もう雪は止んでいて、星がきれいに見える。
とても気持ちのいい晴れた夜空だ。
この分だと、エリスが心配だと思った麒麟は、エリザベスを見下ろして、瞬間的にエリザベスの放置を決定した。
(エリーはもう寝てるし、起こすのも可哀想だからこのまま放置しておこう)
というのはもちろん建前であり、本心はエリスの救出、及び共寝だ(明らかに後者の方が本心だろ!と思っているかもしれないが、エリスを救出することは大事だ。なぜなら、彼女は大切な被験者なのだから)。
彼は部屋をあとにして、第二研究室へと向かった。
第二研究室の屋根は、雪が積もっていて今にも崩れ落ちそうだった。
「まずはエリスを救出するか」
麒麟は雪の積もった石畳に鞄を下ろすと、積雪で半分埋まった扉を掘り起こす。
ここまで雪が積もるのは珍しい。
時代は地球寒冷化の時代か。
もうそろそろ氷河期来てもおかしくないんじゃないか?
彼は冷えそうな手を、更に使って素手で掘り起こす。
超努力の訓練のせいか、いっこうに疲れが来ない。
彼は体力の使い方を知っている。
彼は、体温を自由自在に操る方法を知っている。
全てはアスタロトに教わった。
だから彼は、ものの二分でそれを掘り起こすことができた。
第二研究室に入ると、暖炉の前で暖をとっているエリスを発見した。
「麒麟さん、どうしてここへ?」
彼女は至極不思議そうに首を傾けた。
「決まっているだろ。第二研究室の場所を移すんだよ」
麒麟は暖炉の火を消すと、エリスを肩に担いで、そのおんぼろ小屋を後にした。
施設へ戻ると、麒麟はエリスを連れて、余っている部屋に移動した。
これからはそこでエリザベスと暮らしてもらうし、ハーファリスの研究もそこで行う事にした。
この時点でアスタロトが出てこないということは、許可したものと受け取っておこう。
何せ、彼女はなんでも知っているのだから(ただ単に面倒なだけだろ!とは言わせないよ?これも表面上は事実だし)。
△▲▽▼
「お断りします」
新第二研究室へエリスを運ぶと、彼女は俺をその部屋に通さまいとして、そう口に出しながら両手を前につきだした。
「部屋ではエリーが寝ているんだ。だから、寝る場所がないんだよ」
「私だって、第二でエリーと寝ていたんです。貴方だけ自室を持っているなんてずるいです。卑怯です。なので、第一研究室で寝てください。これは、公平に人を取り扱う──」
「それを言うなら、もういっそ三人で寝るか?川の字になってさ」
「また貴方は変態なことを。いいですか、麒麟さん。私は被験者として、拐われてきた立場なんです。被害者と言い換えても構いませんのです。これくらいの融通は通してほしいものです」
「偉く語彙の達者な8歳児だな。いいよ、そういうの。可愛いし萌える」
「変態ですか貴方は」
しばらくそういう風に言い合いが続く。
しかし、それも長くは続かなかった。
「ふあぁーぁ....眠くなってきました。これ以上話しても無駄なのは理解できました」
(よし、やったか!)
内心ガッツポーズを決め込む麒麟だったが、直後、思いもよらない事態が発生した。
腹部に、バチバチバチという音が聞こえてきたのだ。
「ですから、麒麟さんは廊下で寝てください」
「いっ!?」
電流が体内を駆け巡り、意識を刈り取る。
「スタン、ガンだと....!?」
麒麟の目に最後に映ったのは、ニヤリと微笑む8歳の幼女の顔だった。
「私はもう寝ます。おやすみなさい」
意識を失った彼に、彼女はそう言って扉を閉めた。
彼の予想していた長い夜は、そうして強制的に幕を下ろしたのであった。