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「03」調整官の平日:エンバレスメント

 彼の一日は、アリスたちとの運動から始まる。


 ほぼ欠かさず毎日、山の周りをぐるっと二、三周する。


 しかし今日は、途中で線路が若干整備されてあるトンネルを通り、その先の村へと足を運んだ。


 だいたい、施設のある場所から二キロほど先に行ったところにある集落である。


 この集落では主に狩りや農業などをして、自給自足の生活をしている。故に、ハンターと呼ばれる職業も存在する。


 ここは、日本のとある場所ではあるが、次元的な座標が全くの正反対であるため、向こう側からしてみれば、ここは裏世界──いや、異世界と言っても過言ではないだろう。


「やあ、麒麟君。今日はずいぶんと早いね。エリーとエリスは一緒じゃないのかい?」


 集落の住人が、話しかけてきた。


「少し野暮用がありましてね」


 彼、記角麒麟はそう言うと、背後にずらりと隊列を組んで並んでいる、666体のアリスを見やった。


 彼女らの基本的な調整は先日完了して、今は彼女らに実践経験を積ませようと考えているところである。


「これはこれは。それは野暮なことを聞きましたね」


 住人はそう言うと、その場を去っていった。


「ドクター」


 すると、アリスの一人が、麒麟に話しかけてきた。


「ん?」


「....いえ、やはり気のせいでした。すみません」


「そうか。なら、いいけど」


 いったいなんのことやらわからないまま、彼ら一行はハンターたちの集まるギルドへと向かった。



△▲▽▼



 ギルドに諸事情を伝え、彼は買い物をしてから、第一アリスと共に第二研究室へと向かった。


「あれ、麒麟さん。今日はアリスちゃんはギルドに行くんじゃなかったんですか?」


 入ると、彼女、エリザベスが出迎えてくれた。


「第二から第六六六アリスまでは、その通りだ」


 彼は、買い物袋を机の上に置くと、椅子の上に腰かけた。膝の上に、アリスがちょこんと座る。


 とても可愛らしい。まるで人形のようだ。


 いや、実際に人形なのだが。


 彼は、アリスの頭を撫でると、エリザベスの後ろに隠れているエリスを見た。


 まだ無表情なアリスには馴れないらしい。


(恐怖症治療が先か)


 彼はひとしきりアリスの体を触ると、満足したかのように彼女を膝の上から下ろした。


「....麒麟さん。エリスには同じことしないでくださいね?」


 その様子を見ていたエリザベスが、彼にそう忠告した。


 麒麟は、それを聞いて、ハッと笑う。


「俺が興味あるのは、小学生と中学生前半までですよ。無論、日本基準で」


「変態」


 高らかにそう言ってのける彼に、彼女は腕を胸の前に組んで警戒を示した。


「ろりこん!」


 それを真似して、エリスもそう叫んだ。


「おいおいエリー。まさかとは思うが、未来のハーファリス1号となるエリスちゃんに、変な言葉吹き込んでないか?」


「あなたよりかはよっぽどメシです!」


「エリー。メシじゃなくて、マシな」


「う、うるさいですよ!だいたい、アリスちゃんに麒麟さんが変なことするから!」


 エスカレートしていく彼女に、彼は困ったような表情をした。


 彼女のそれは、まるで猫の威嚇のようだと思ったのだ。


 対して、彼女は、無性な怒りで頭の中が真っ白になり、何も考えていなかった。思考を放棄したとさえ言える。


 これも、彼らの日常なのだった。


 しばらくすると、彼女の怒りの種は収まったようだ。


 アリスは相変わらず無表情で待機しているし、エリスはそんな彼女を怖がって、ずっとエリザベスの後ろに隠れている。


(表情の機能があると、相手に攻撃を読まれやすくなるからな....困ったものだ)


 彼女ら二人のそれに、麒麟はため息をついた。



△▲▽▼



 閑話休題。


 とにもかくにも、彼女らは仕事にかかることにした。


 いつものごとく、エリスの体力の鍛練から、ヨガによる呼吸法、精神鍛練。齢8歳になった彼女の耐えられるペースで、それを続けた。


 そして、それは今日進歩を遂げた。


 エリスが完全に感情の制御を習得したのだ。


 今のエリスは、悲しみを思えば悲しくなり、哀れみを思えば哀れになれる。怒りを思えば怒れるし、楽しみを思えば楽しくなる。


 それは言い換えれば、感情の無が実現されたのである。


 その頃から、彼女はどのような顔をしてよいかわからなくなった。


 彼女の中にはもう恐怖はなかった。


 不思議な感覚だった。


 この世の終わりにも思えるのに、なぜか不安とは思えなかった。


 まるで、別の誰かを、どこか遠い空の上から操っているような感覚に陥ったのだ。


 それからというもの、彼女の身体能力は飛躍的に上がった。


 今では、もう既に、アリスたちとほぼ同じ位に戦うことができた。


「やあ、麒麟君。課題の方は順調かね?」


「ええ。半ば完成しましたよ」


 突如として、その場に現れたアスタロトに、俺は頭を垂れた。


 その瞬間的な出現に、エリスは全く動じなかった。


 初対面であるにも関わらずに。


 対してエリザベスはというと、会ったのが二回目なので、最初あった時のように、腰を抜かしたりはしなかったものの、かなり驚いていた。


 最初にエリザベスがアスタロトに遭ったのは、このエリスをここにつれてくる前。


 エリザベスがこの世界に迷い混んで、それをどのように対処するか検討していた頃だった。


 その時、丁度居合わせた──いや、そうなるように仕組まれていたのかもしれないが──彼に、彼女と共に課題を与えられたのである。


 その課題が、ハーファリス──人の手によって造られた、精神を改造、もとい、覚醒させた人間の誕生であった。


 彼女、アスタロトは、エリスを見下ろすと、ニコリと微笑んだ。


「なるほど、この歳であれをクリアできるのか。これはまさに才能かな」


 エリスは、アスタロトに礼をすると、戸惑ったようなそぶりを見せた。


「エリス。貴女はこれから、彼女と共に、彼のお手伝いをしなさい」


 アスタロトはそう言うと、その場から姿を消した。


 こうして、彼、記角麒麟と、助手のエリザベス、そして、ハーファリス第一号エリスとの、この世界での日常が幕を開けるのであった。

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