「01」調整官の平日:ハーファリス
「アリスたちの調子はどうかな、麒麟君?」
彼が、その研究室でアリスを診ていると、唐突に彼女は現れた。
「はい。体型、筋力、知力、判断力、反射力、性感、感情制御、精神制御共に、第一アリスから第二二二アリスまで、調整が完了しました。残り、第二二三アリスから第六六六アリスの四百四十四体はまだ未調整ですが、残り一年ほどで完了しそうです」
「ご苦労。よくやってくれたよ。君は本当に、一人で何でもやってくれる」
「いえ、調整後のアリス数体を助手として使わせてもらっているお陰です。とても助かりました」
彼は、ベッドの上で、数体のアリスに囲まれている、222と刻印されているアリスを横目に見ながら、彼女に礼をした。
アリス。
アスタロトが、暇潰しに行おうとしている戦争の、こちら側の手駒の兵士。
遊びなのだから、人類と同等の強さでは面白くない。かといって、強すぎてもいけない。
「当然だよ、麒麟君。何回も言って、くどいかも知れないけれど、これは私の夢として、とても大切な工程だからね。君には死神から目を逃れる様、細工してある。存分に時間を使いなさい。そちらの方が、ずっと楽しい」
彼には、とても彼女の言葉の意味が理解できなかった。
いや、理解しようとすることを何かに憚られているようにも感じる。
でも、まあいい。
彼女は、その血の気のない顔をにこりとどこかニヒルに感じる笑みを浮かべると、腰の羽を羽ばたかせて、研究室を出ていった。
彼は、溜めていた息を、ほっと吐き出すと、その緊張した体を緩ませて、椅子に座った。
何もかも見通されるようなあの顔は、彼にとって、とても愉快とは思いがたかった。
どちらかと言えば、不愉快でさえあった。
(あぁ、不快だ)
彼は心の中でそう愚痴る。
「ドクター?」
心配するかのように、一人のアリスがこちらを覗き込んできた。
彼は、彼女に笑いかけると、その頭を撫でた。
「大丈夫だ。少し、疲れただけだよ」
そう言うと、彼は机の上に置かれた、冷めたコーヒーを飲み干した。
相変わらず、ここのコーヒーは甘ったるい。
「第一アリス、少し散歩に付き合ってくれ。他は、この部屋でお留守番。まだ未調整なアリスは、留守番チームの中の半分が風呂場へ連れていけ。帰ったら続きをするから、残りの留守番チームは、俺が続きを始められるように準備」
「「了解しました、ドクター」」
△▲▽▼
彼は、研究室を後にして、山中の廃墟街へと足を向けた。
そこには、何体もの、廃棄処分となったアリスの『型』が、山積みになっていた。
そして、そこには、廃棄されたアリスの、未完成な『心核』も漂っていた。
彼は、そこの近くにある廃屋へと足を伸ばす。
第二研究室。
彼はそこで、アスタロトから覚えた知識を利用して、自分だけのアリス──ハーファリスを造っていた。
ハーファリスは、アリスの肉体(型)が、アスタロトが作り出した人形であるならば、こちらは人類の肉体が型となっている。
言ってみれば改造人間のようなものだ。
その改造とは、魂や精神に干渉することで、それのあり方を変える、というものである。
人間の肉体は、多くの場合、その物質的肉体に依存する。
しかし、アリスの場合、本体が肉体ではなく精神であるため、肉体より上位の水素で構成されているので、その支配下たる物質的な肉体を完璧に支配できるのである。
言ってみればハーファリスとは、アリスそのものの能力を得た人間なのである。
第二研究室は、とても綺麗に掃除されていた。
というのも、昨日掃除したばかりだからだ。
そして、その廃屋の中心には、一人の幼女が、一人の少女と戯れていた。
助手のエリザベスだ。
「麒麟さん、お疲れ様です」
彼女は、英語でそう言った。
「お疲れ様、エリー」
彼女は、ここに迷い混んできた元一般人である。
今はここで、ハーファリスを育てる助手として働いてもらっている。
「?」
ハーファリス候補の幼女は、アリスの顔を見ると、泣き出した。
「ドクター。これが、傷つく、という感情なのでしょうか?」
アリスは、一切表情を変えずに、そう呟いた。
「彼女はアリスに誘拐されたからね....。いつも無表情な君に、恐怖を覚えているのかもしれない」
「ピエロ恐怖症、ですか?」
「その通り」
エリーが、幼女──エリスを慰めながら、コメントした。
やはり、エリスをハーファリスにするためには、超努力とかそのへんもろもろが必要か....。
もっと年齢的に安定した子を選ぶべきだったか?
彼は、その様子をみて、少し考えるが、やはり、小さい頃からの日常というのは、リーチになる。
結局、彼は考えを変えなかった。
「恐怖症....。私には、理解できませんね」
アリスには、戦闘力、回避能力を向上させるために、当初存在しなかった恐怖を、人並みにはセッティングさせている。
しかし、彼女には感情制御を完璧にこなすよう設計してあるので、恐怖症は、滅多なことでは起こらないだろう。
彼女は、ほとんど表情を変えず、ただし興味深げにそう呟いた。
「それでは、今日の訓練を始めましょうか。エリー、お願いします」
彼は鞄から用紙を取り出すと、背凭れの無いチェアに腰かけた。
△▲▽▼
「それでは、また翌日──」
訓練を終えて、彼らは第二研究室を後にした。
研究室に戻ってくると、数体のアリスが、彼のコートを脱がしてくれた。
「ありがとう。それでは、続きを始めようか」
そう言って彼は、ベッドの上に寝転ぶ第二二三アリスの上に、手をかざす。
すると、彼女の『型』から、青く透き通った、数段に重ねられた円陣が浮き上がった。
『心核』だ。
コアとは、人間でいうところの体である。
コアは、その円陣のことではなく、青い光のことであって、円陣はまた別の呼び名である。
それは、人間でいうところの脳などの中枢神経に相当する。
彼、記角麒麟は、アスタロトから必要と与えられた能力で、それを操作し、アリスの全てを調整する。
無論、それによって、アリスの霊格を落として、人間のようにすることも可能だ。だが、その逆である大天使への昇華は不可能だ。
使用しているものの質が、それに劣るからだ。
彼は、集中してその円陣を操作する。
彼女たちの本体は肉体ではなく、精神である。そのため、彼女たちは肉体を失っても、この太陽系内では不死である。
言い換えれば、彼女たちアリスを、真の意味で殺そうものなら、太陽系の外、遥かオールトの雲の外まで連れ出す必要があるのだ。
そこまで来ると、そこそこの理も変わってくるだろうが、それは今は置いておこう。
「....」
無音の時間が続く。
そして、それもついに終わりが来る。
だいたい3時間くらいだろうか。
アリスの調整が完了した。
「ふぅ....」
彼は息をつくと、助手のアリスが淹れてくれていたコーヒーを飲んだ。
相変わらず甘ったるい。
「これ、本当にコーヒーか?」
彼は、これを淹れてくれたアリスに、そう質問した。
すると、彼女は彼の口つけたコーヒーを一口飲むと、こう答えた。
「成分分析の結果、コーヒーには該当しませんでした」
(だと思った)
彼は、それを机の上に置くと、こう返した。
「わかった。これはココアだな?」
「違います」
(じゃあ、これはいったいなんなんだ?)
彼は顎に指を当てて考える。
「ふむ....」
唸る麒麟だったが、しかし本当に答えがわからない。
色にこだわるからだろうと、彼は少し思考を捻り、そして、カップの中に浮かぶ、茶柱のようなものに気がついた。
それは当然のごとく立ってはいなかったが、その異物を見て、何かに気がつかない訳がない。
「もしかして、お茶?」
「はい。おそらく」
彼女は相変わらず無表情にそう答えた。
お茶だったとはこれは意外だと、彼は感嘆の息を吐く。
にしても、このほんのり苦い、かく甘ったるいお茶なんて聞いたことがなかった。それに黒い。
そこでふと、あることに思い至った。
初めてここに来たとき、あの応接室には、見たことのない植物があったことを思い出したのだ。
(なるほど、これはそういうことか)
彼はふふっと笑みをこぼした。
今日も、調整官の仕事は続く。