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午睡  作者: マキヲ
一の輪
7/10

   ◇


 今の良人おっとは、優しい人だ。

 前の良人も、優しい人だった。

 頑是ない子どものように、ときに癇癪を起こしては人を困らせたが、二人の時には驚くほど心遣いの細やかな人だった。

 おかしくなったのは、長男が不意の事故死を遂げてからだ。

 その春、いつも良人が仕事に使っている別荘に行く予定になっていた。

 私はその時、二人目の子どもの臨月を控えていた。季節変わりに体調を崩したこともあって、別荘には良人と長男、それに身の回りの世話をする女中の三人で向かうことになっていた。良人が、いつもの友人たちとのお話し合いに夢中になって、汽車に乗り遅れなければ。

 汽車の脱線事故だった。長男の文彦と女中を乗せた汽車は、山道のカーブを曲がりきれずに脱線、転覆し、二人は帰らぬ人となった。文彦は、女中が命を懸けて守ろうとしてくれたのか、見た目にそれとわかる傷一つなく、まるで眠っているようだった。

 悲しみに明け暮れる間もなく、次男が産まれ、慌ただしい日々が訪れた。人知れず緩やかに神経を衰弱させていった、良人の心中を忖度する余裕が、私にはなかった。

 気づくと、良人は、次男に亡き長男の名で呼びかけていた。屋根に上ってぼんやりと空を眺めていることが多くなった。

 周りからも諭されて、良人を療養所に入院させることになった。「僕はどこも病んではいない」という良人を何とか説得しては、入退院を繰り返すようになった。そして、数年が過ぎ、少し寒くなり始めた気候の変化が身体に堪えたのか、良人は感冒をこじらせて、この世を去った。

 その後を追うように、次男も肺炎にかかって、あっけなく死んでしまった。

「ただいま」

 帰って来た良人が、玄関口に立ち尽くす私を見て、驚いたように目を瞠る。

「こんなところで、どうしたんだい」

「……」

「いつまでもこんなところにいると、身体に障るよ」

「ごめんなさい、懐かしい方からお手紙があったものだから」

 私が手にしている郵便を見て、良人は目元を和らげた。

「そういえば、お隣の八坂さんが釣りに行ったと言って、これをくれたよ」

 良人の手にしている手桶の中には澄んだ水が張られ、一匹の鯉が行儀よく尾鰭を揺らしている。

「じゃあ、あとで御礼に行かなきゃ」

「そうだね。ちゃんとお返しをしておきなさい」

 良人は私に手桶を預けると、靴を脱ぐために玄関口に腰を下ろす。

 手桶の中の鯉の眼が、一瞬、私の方を見た気がした。

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