四
こっそりと独り縁側に出た文彦が庭に目を走らせると、千之は先ほどと同じ場所に座って、何かをいじっていた。文彦は背後の部屋の喧騒を尻目に、千之の傍に寄る。
「何をしているんだ、千之」
「……兄ちゃん、これ、やり方わかる、」
千之が手にしているのは、小型の空気銃だった。小型といっても、千之の手には余る大きさだ。
「どうしたんだ、これ」
「押入れの中で見つけたんだよ。でも、弾の入れ方がわからない」
小さい手で、銃身や引き金を無理矢理に引っ張ろうとする。今にも手を挟みそうで、危なっかしい手つきだ。
「貸してみろよ、弾はあるのか、」
「うん」
千之は直径十センチほどの、表面に鳩のイラストが描かれた丸く平べったい缶を文彦に手渡した。じゃらりと音がして、ずっしりと重い。弾は充分にありそうだ。
文彦は銃身についている空気圧縮用レバーを数回押し引きしてポンピングし、給弾口から弾を装填した。銃身を構えて引き金を引くと、パンッと軽い音を立てて弾が飛び出し、庭先に咲いていた菫の花弁が散った。
「おお」
それを見ていた千之は、目を輝かせて、文彦を振り返る。その期待に満ちた眼差しを受けて、文彦はもう一度、弾を込めて渡してやる。
パン。千之の撃った弾は、転がっていた小石を弾き飛ばして地面を削った。
「おおっ」
またくるりと目を輝かせて文彦を振り返る。文彦が弾を込めて、千之が撃つ。何度か同じことを繰り返していると、千之はすっくと立ち上がってこう言った。
「兄ちゃん、これを持って、探検に出かけよう」
「探検、」
文彦が聞き返す間もなく、千之は玄関口まで行って自分のサンダルと文彦の靴を持ってくると、縁石から庭に下りた。空気銃を片手に抱え、銃弾の缶をズボンのポケットに無理矢理詰め込むと、文彦の手をとって外に出ようとする。
「あら、文彦さん、千之さん、お出かけですか、」
千之のドタバタぶりが聞こえたのか、サヤが縁側に顔を覗かせる。
「ちょっと、そこまで出かけてくるっ」
「おい、千之、待てよ」
片方の靴を履きながら、千之に引っ張られるままに、外に連れ出され、「気をつけて、いってらっしゃいませ」というサヤの声を後にした。
「どこに行く気なんだ、千之」
「探検だよ。裏の山まで」
千之は表玄関ではなく、父の部屋の傍を通って、裏の竹林の方へと向かう。
父の部屋からはまだ言い争う声が聞こえてきた。その声を気にしつつも文彦は、兄にお構いなく竹林の中に分け入る千之についていった。両側を竹に囲まれたけもの道のような細い道をしばらく進むと、すぐに広葉樹や常緑樹が周囲を取り囲む少し広い小道に出た。千之は時折、木々に向かって「バンバン」と空気銃を撃つ真似をしながら、緩やかな傾斜が続くその小道をどんどん先に進んでいく。
「この道をね、まっすぐ行くとね、池があるんだよ」
そう言った千之の言葉どおり、しばらくすると視界が開け、陽の光にキラキラ輝く水面が見えた。周囲を森に囲まれた小さな池で、その周囲にわずかばかりの原っぱが広がっていた。
千之はその原っぱに腰を下ろすと、先ほど文彦がやったのを見よう見まねで、空気銃に弾を込めようとする。しかし、千之の力では空気を充填するレバーを思うように動かせない。眉をへの字に曲げてこちらを見るので、仕方なく文彦が代わりに弾込めをしてやる。
パン、と音を立てて水面に向かって放たれた弾から、大きな波紋が広がる。その下を、金に輝く魚影がぬるりと滑った。
「何かいるっ」
水辺に近づき、水面に目を凝らす。細かな鱗が光を反射して瞬く。が、すぐにその姿は見えなくなった。
千之は振り返ると、文彦に空気銃の弾込めをせがむ。
「あいつ、捕まえよう」
「これでは、無理だよ」
「でも、捕まえたいよ。あいつ絶対、この池の主だよ。大きかったもん」
「と言ってもなぁ……」
千之の背後で、ぴちゃんと水音が響く。二人を嘲笑うかのように、水面に優雅に泳ぐ軌跡が走る。
「兄ちゃんっ」
「じゃあ、こうしよう。空気銃では届かないから、釣竿を持ってまた来よう」
「うんっ」
「じゃあ、今日はもう遅いから、そろそろ帰ろう」
「えーっ」
「父さんもサヤさんも心配するよ。釣竿も探さないといけないし」
渋る千之を何とか説得して、来た道を戻る。背後で水音がしたような気がして、文彦は一瞬振り返った。静かな水面に一筋、魚影の跡が走って、消えた。
別荘に戻ってくると、すでに太陽は大きく傾き、あたりは赤く染まっていた。父の居室は静まりかえっている。どうやら客人はすでに帰ったようだ。
台所で夕食の支度をしているサヤの許に、千之が真っ先に走る。
「サヤさん。釣竿ってある、」
「釣竿ですか、」
「裏の山にね、池があってね。池の主を釣るんだよ」
「まあまあ、それは大変ですね。……釣竿ねえ、もしかしたら物置の中に使えそうなものがあるかもしれないけど。あとで探しておきましょうか、」
「物置、見てくる」
「あっ、千之さん、お待ちください」
聞くや否や、千之は台所の勝手口から、裏手にある物置めざして飛び出す。その後ろ姿を追いかけようとするサヤを、文彦はとどめる。
「すみません、邪魔をしてしまって。僕が行くので、サヤさんは続きをしてください」
「構いませんよ。このくらいのこと」
サヤは微笑んで文彦を見つめる。その時「ごめんください」と玄関から声が聞こえた。
「こんな時間に、どなたかしら」
「僕が見てきます」
玄関口に立っていたのは、背の高い背広姿の男だった。一冊の本を手にしている。文彦の姿を見つけると、厳しかった表情が、莞爾と緩んだ。
「こんばんは、遅くにすみません。僕はお父さんの友人で、北薗と申します。お父さんはいらっしゃいますか」