三
常緑樹が生い茂る林の中にぽつんと一軒存在する別荘は、いつも静寂に包まれていたが、その日の午後、父の友人たちが訪れると、一気ににぎやかになった。父が書斎にしている奥の部屋からは、ときに談笑の声が、ときに言い争うような声が聞こえてきた。
「それでね、竹林の方から裏の山に抜ける道があってね、ドングリがいっぱい落ちていてね……」
昼食後、文彦は、縁側に座って弟の冒険譚を聞いていた。千之が得意げに、別荘の周りで獲得した“戦利品”を並べ立てる。
「こっちは、庭で……」
「文彦」
千之の話を遮るように、奥の間の縁側に面した障子がかたんと開かれ、父が文彦を呼ぶ。その声に驚いたように、千之の小さな肩が揺れる。
「みんなに紹介するから、こちらにおいで」
「え、」
文彦が動けないでいると、焦れたように父は縁側に座る文彦の腕をとって、引っ張る。そんな兄を、千之が物言いたげに見つめる。
「早く、こちらにおいで。みんながお待ちかねだよ」
そのまま文彦は、背中に千之の視線を感じつつ、奥の間に連れていかれた。
奥の間には、父の友人が三人、思い思いの格好でくつろいでいた。その三人の顔に見覚えがあるようにも思うが、文彦はしっかりとは思い出せない。
「やあ、君が雪村の自慢の息子か」
三人の男の視線が、文彦に集まる。「さあ、文彦、挨拶しなさい」という父の言葉に促され、文彦は戸惑いながらおずおずと言葉を発する。
「はじめまして、文彦です。父がいつも大変お世話になっております」
「堅苦しい挨拶はなしにしようよ、文彦君」
「そうだ。それに世話をしているのはこっちの方だ。……おいで、文彦」
父は左手奥の文机の前に座り、その横に文彦を座らせた。
「それにしても、文彦君はずいぶん大きくなったね。もう小学校は卒業したのかな、」
「生まれたばかりの時に会ったことがあるんだが、本当に見違えたよ」
「君ももう、詩を書いたりするのかい、」
「こらこら、あまり怯えさせるんじゃないよ」
三人の男に矢継ぎ早に質問をされる文彦に、父が助け船を出す。
「それは、雪村、君があんまり息子の自慢をするものだから」
「そりゃあそうだ。文彦には小さい頃から、英才教育を施しているからね。特にマラルメがお気に入りでね。よく寝物語に『骰子一擲』なんかを読み聞かせたものだ」
「また始まった。雪村の決まり文句が……」
文彦のすぐ右にいる男が、やれやれと大袈裟に肩をすくめてため息をつく。それを見て父は憤りを隠さずに、
「またとは何だ、高木。君はいつもそうやって……」
「なんだ、雪村、やる気か」
立ち上がりかけた父に、高木と呼ばれた男が応戦するように膝を立てる。
「まあまあ、二人ともやめろよ」
父の左手に座っている眼鏡をかけた男が、二人の間に割って入ってなだめようとするが、不穏な空気が部屋中に広がる。
「高木さんは、どうしていつも、雪村さんに突っかかるんですかね」
文彦の向かいに座っていた、それまでだんまりを決め込んでいた男の、低いうなるような声が響いた。張りつめていた空気が、一気に凍る。それを破ったのは、高木だった。
「……この腰ぎんちゃくが調子に乗るんじゃないぞ……」
「腰ぎんちゃくって、どういう意味ですか、高木さん。聞き捨てならないですよ」
「高木も、多田君も、いい加減にしろよ」
「高木はすぐに血が上るのが悪いところだ。それが作品にも如実に表れているよ」
父が発した最後の言葉が決定打になり、室内は混戦状態に陥る。「雪村、貴様」と高木が父に掴みかかる。父は強気に応戦する。それを多田が煽り立てる。眼鏡の男がいくら収めようとしても、もう遅い。いたたまれなくなった文彦は、そんな四人の男たちを上目づかいに窺いながら、そっと部屋を後にした。