表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
午睡  作者: マキヲ
一の輪
10/10

 気がつくと千之は、古い木造の駅舎の、庇の下に佇んでいた。無人の、森に囲まれた駅で、遠くで鳥が鳴く声がする。

 周りを見回すが、誰もいない。

 これまで何をしていたのか、なぜこんなところに独りでいるのか、千之には検討もつかない。体中に淋しさが込み上げてくる。

「坊や、独りでどうしたの、」

 柔らかな声が語りかける。顔を上げると、鮮やかな縹色の着物を着た娘が、千之を覗き込んだ。いつ現れたのかはわからないが、千之はほっとして、頬に涙が溢れた。

「お父さんとお母さんはどうしたの、」

 千之には何もわからない。ただただ首を振って泣きじゃくるだけだ。

「はぐれてしまったのね。私と一緒……お名前は、」

「……」

「私は、サヤっていうの」

「……ゆきむらちゆき」

 その名を聞いた瞬間、娘の目が見開かれた。

「雪村……お父さんのお名前は、」

「……」

 千之は父のことを思い浮かべて黙り込む。サヤと名乗る娘がじっと自分を見つめていることに耐え切れず、ぼそりと父の名を告げる。サヤの瞳がさらに大きく開かれる。「じゃあ、」と、娘は震える声で千之に詰め寄った。

「じゃあ、あなたにはお兄さんがいたでしょう、」

 兄は千之が生まれる前に死んでしまった。千之に兄の記憶はない。けれど、家には兄の写真が山ほど残されていた。父はよく、自分のことを兄の名で呼んだ。

「お兄さんとどこかで会わなかった、」

 目の前の少女は、必死の眼差しで千之を覗き込む。

「……」

 千之が大きく首を横に振ると、落胆してサヤが息をついた。

「私はね、ずっとここであなたのお兄さんを待っているの」

 その時、遠くから汽笛の音が響いた。段々とその音が近づいてくる。車輪とレールが擦れる鋭い金属音が鳴り響き、駅に汽車が停まった。

 しかし、降り立つ影はない。

 再び汽車が走り去るのを、サヤは見送る。一つため息をつくと、サヤは千之を振り返った。

「別荘に帰りましょう、お父様のところに連れていってあげるわ」

 千之の小さな手をサヤが握る。掌から温かい体温が伝わる。サヤは千之の手を引き、森の中に続く道を歩き出した。

 別荘は、父とサヤの二人きりで、偶に父の友人たちが気まぐれに訪れた。サヤは、父たちの身の回りの世話をしながら、森の中の駅舎で来ぬ人を待ち続けた。千之が別荘に来てからは、二人で駅へと向かうようになった。

 その日も、同じように連れ立って駅に向かおうとしていた二人を、父の声が引き止めた。

「サヤ、僕の友人がもうすぐ三人ばかりやって来るそうだから、昼飯の準備でもしてやってくれ」

「……はい、かしこまりました」

 サヤの返事を待たず、父は奥の間に引き返す。サヤは、嘆息すると、

「ごめんなさいね、千之さん。駅には午後にまいりましょう」と、慌ただしく台所へと向かってしまった。

 千之はサヤの背中を見送る。駅へはサヤと何度も行った。道は独りでもわかる。

「サヤさん、ぼく独りでも行って来られるよ」

 千之の声が、誰もいない部屋に、静かに響いた。

これにて「一の輪」は終わりです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ