4、守人の憂鬱
「払いましょうか?」
至極真っ当な申し出に、通信相手は深く息を吐いた。
何かを押し殺すような、間。
『いいえ、その必要はありません。私が、彼を巻き込んでしまったようなものですし、それに』
彼女は辛うじて聴き取れるほどの声で、続ける。
『…償いにもならないことです』
「そうですか」
無感動に返答をして、レイグは情報端末に届いたメールを開いた。
「フィリランセス極地再開発支援政策」。
首都ではかなり支持されているそうだが、やり手の議長殿も随分と面倒なことを言い出してくれる。
お陰で休日を返上して、レイグが情報収集に駆け回る事態だ。
彼女に入れた通信も片手間。
端的に言うならば、議長の言はかつて悲劇を生んだ砂海開発の再提案に他ならない。
粛清以後、それはガーデニアの住民にとってある意味禁忌である。
1stたちも、慎重だ。
ユニオン時代から、陰日向に組織を支えて来たレイグに役目が回って来るのは仕方のないことだが。
「…では、イリアさんにお任せします。迅速な対応をして下さったこと、感謝します」
『…………』
メールに当たり障りのない返信をして、それとは別にメモを取りながら答える。
ルレンたちに、「GDUとして対価を支払うべき」と言われていたがそれは必要なかったらしい。
本当に良いのですか?
そう確認するのも、おこがましい。
穢竜の毒。
その薬の材料の一つが、凪屋が捕獲していた砂獣の角だった。
流石に眉を顰めたくなるような金額になる、貴重品だ。
それを、イリアは躊躇いなく第七王子に渡した。
ユニオン最後の咎人。
その人の命を救うために。
「貴女も、難儀な人ですね」
デスクに積み重ねた資料を確認しながら、その業を憂う。
当時最も関わりがなかったからと、イリアに彼の尋問を任せたのは間違いだったかもしれない。
彼に関する全てを「罪」と言うならば、それを負うのは個人ではないはず。
けれど。
『そんなことより、あのこと、考えてもらえましたか? もう八年です。充分、でしょう』
「それを決めるのは、私ではありませんから」
『では、「誰」なんですか?』
責める口調に、レイグは首を振った。
額に手をやって、デスクに肘をつく。
気持ちは、わからなくもない。
レイグの一存で決めることが出来るのなら、と何度思ったことだろうか。
そもそも、彼を3rdに留めておくことに意義があるかすら怪しい。
本人に反省を促すことも、再び罪を犯さぬよう抑止することも。
恐らくは、出来ていないだろう。
「…どちらにせよ、今は無理でしょう。時期尚早です」
それしか言えない。
レイグは情報をまとめ、データを保存した。
紙媒体で出力するのは、まだ抵抗がある。
GDUに侵入者があるとは思っていなかったが、あの事態には久しぶりに背筋が寒くなったものだ。
侵入者の目的はかの王子殿下だったようだが、機密も多々抱えるGDU内部に侵入を許すことは本来あってはならない。
情報の管理もこれからの課題だ。
『私たちは、いつまで』
イリアの切ない言葉も、今は、耳を傾けない。
やるべきことは、山積みだ。
感傷に浸っている暇はない。
「…いつまでも、ではありません。定めた罪は無期限ではない。貴女は何を焦っているのですか?」
『ヒトの命も、永遠ではない。有限です。これ以上の理由が必要ですか?』
今度はレイグが溜息を吐く番だった。
口では勝てない。
情報端末の電源を落として、椅子に寄りかかる。
いっそのこと、その議論は1stたちに丸投げしたい。
いや、そんなことをしたらルレン辺りもイリアに賛同して行動を起こしそうだ。
よりにもよって、こんな時期に。
『…私たちが出来なかったことを、あの子はした。それを罪だと責める権利が、誰にあったんですか』
「………クラウンにはあるでしょう」
卑怯な名だ。
それでも、レイグはそれを口にする。
イリアが、唇を噛む気配すら伝わってきそうだ。
「彼が死罪を免れるよう、ありとあらゆる手を尽くした。結果が昇格停止です。あの時、貴女を含め1stたちは皆出来ることをした。それ以上のことがありますか?」
『……………』
「…今は、彼を赦す前にしなければならないことがあります。貴女も、同じことをしたくはないでしょう」
砂海開発の危険性は、痛いほど身に沁みている。
同じ過ちを繰り返すことほど、愚かなことはない。
あんなことは、もう懲り懲りだ。
それは、イリアも同じはず。
『…わかりました。これが、終わったら』
「約束は出来ませんが」
レイグはようやく立ち上がって、窓からガーデニアの街並みを見下ろした。
通信が切れると、耳に痛いほどの静寂が迫る。
硝子に映った顔は、思っていた以上に険しかった。
ラテに「怖いおじさん」と呼称されても仕方がない。
皺の寄った眉間に指をやって、レイグは目を閉じた。
情報端末の光に晒された眼球が、酷く疲れている。
「面倒事ばかりですね。GDUは」
返事をしてくれる誰かが、いるはずもない。
私たちは、いつまで。
イリアの言葉は、そのまま、レイグの心理でもあった。
ただ純粋に後悔をして、彼のために出来ることをしたいと願える彼女が羨ましいが、それは彼女の役割だ。
いつまでも、ではない。
いつか、必ず。
それまでは、レイグは監守を続けると決めたのだから。
「約束…しましたからね」
必ず、ユニオンを。
誓いを封じて、レイグは街並みに背を向けた。




