0、休日
「言っておくけどね、僕、あんたのこと父親だと思ったこと、ないから」
ああ、腹が立つ。
折角良いデータが取れたのに、テンションだだ下がりだ。
取り次がなくて良いと言っているのに、血縁があるというだけで律儀に回って来る通信。
ティントは、溶管の中の叡力を睨んだ。
透き通った紫。
きちんと調整が済んだら、やはり彼に試し撃ちを頼もう。
「は? まだそんなこと言ってんの。やるわけないじゃん。あんたの面目? まだ潰れてない面目があったんだ。そりゃびっくり」
回線の向こう、つらつらと嫌味を重ねる男。
父親?
こいつの血が自分に流れているとは、到底思えない。
データをノートに書き取りながら、舌打ちする。
実験に付き合ってくれていた美人の編集担当さんが、態度の悪さを窘めるように首を振った。
ごめんねー、でも仕方ないじゃん?
「僕もあの子も、あんたの『物』じゃないんだよ。思い通りになるなんて、恥ずかしい勘違いも程々にしといたら?」
切ろうとした通信に、アイツお決まりの台詞が入った。
お前もリーゼも、あんな野蛮な人間と付き合うから。
そう言われて、黙っていられるはずもない。
母が死んだ時、一緒に泣いてくれたのはフィルだった。
帰って来ない誰かさんに代わって、研究者になりたいという夢を後押ししてくれたのは、彼の師匠。
「彼を侮辱するのは、許さない」
ねえ、わかってんの?
あんたの「優秀な息子」を、誰が支えてくれたのか。
少なくとも、押しつけるように金だけ出して『親』を気取るあんたじゃない。
「…同じことを、あの子に言わないようにね。一緒に寝るくらい懐いてるし、僕以上に怒るかもよ。関係が修復不可能になったら、困るでしょ? じゃ、もうこっちに通信入れたりしないで。あんたに関わんの、時間の無駄」
何か言いかけるのを無視して、思いっきり通信を切る。
すっきりしない胸の内を見透かすように、編集担当さんが眉を寄せた。
あの論文に知的好奇心を刺激されたと言う彼女は、こうしてせっせと実験に参加しに来る。
今日は一応休日なのに、熱心だなー。
「中断しちゃったねー。じゃ、もっかい抵抗数値計測しよっかー」
「構いませんけど。え、寝ちゃったんですか?」
「ん?」
「寝ちゃったんですか? 妹さんとご友人」
ティントは、うん、と頷く。
ようやく彼が退院したその日、時間を見つけて案内所に駆けつけたら。
二人仲良く、背中合わせで寝ていた。
後遺症のあるフィルもそうだが、彼の容体が安定するまで殆ど眠れていなかったリーゼも、限界だったのだろう。
まあ、気持ち良さそうに、ぐっすりだ。
「二人とも猫みたいに寝ててさー、ちょっと笑えたよー。起こすの可哀想で、毛布かけて冷めたコーヒー飲んでたら、目覚ましたけど」
「………ディナルさん」
「なにー?」
彼女は「いえ」と、何故か諦めたような表情で首を振った。
叡力を溶管の中で揺らして、実験装置に固定する。
かちん、と心地良い音。
「恐らく数日内にご友人か妹さんに激怒されますね」
「へ? 何で?」
「ご自分で考えたらどうです? あーあ、ディナルさんみたいな友だちがいなくて、本当に良かった」
ちら、と冷たい流し目をくれる彼女は、あの論文の一件以来、何か容赦がない。
ティントは実験室の遮光カーテンを丁寧に引いて、装置の電源を入れた。
微かな稼働音。
落ち着く。
「僕もフィーくん一人で間に合ってるしなー。ごめんね、お友だちになれなくて」
「いいえ。お友だちになれなくて、嬉しいです」
混ざり合った叡力が、分離する。
赤みを帯びる紫。
やはり、純粋な圧縮エネルギーの方が強い。
「ご友人とは、どう知り合ったんですか?」
二つの叡力、それぞれの抵抗数値を記録しながら、彼女がふと訊いた。
「え、なになに、気になるのー?」
「ええ、哀れなご友人がどう捕縛されたのか、興味ありますね」
捕縛は、してないけど。
ティントは笑う。
「フィーくんはさー、ホント、昔からあんな感じだったよ」
ティントは装置のスイッチを切り替える。
分離した叡力が、再び透き通った紫色に戻る。
うん、順調。
今より好き嫌いの激しかった子ども時代。
飛び抜けた知能を持て余していたティントの理解者は、母だけだった。
勿論、友だちなんているはずがない。
通っていた砂海研究機関の末端教室には、それなりの家柄の子どもが集まっていたはずだが。
当時のティントから見たら、彼らはまだ人間の知性のかけらもない、動物。
異端者と見れば、集団で排除にかかる低能ぶり。
いじめという名の人権侵害に、心底うんざりしていた。
「本を盗んだり、ひとを突き飛ばして遊んだり、悪質だよね。窃盗に集団暴行、有罪確定。犯罪者だ」
「それを颯爽と助けてくれたんですか? ご友人が」
「まあね」
良くある話過ぎて、反吐が出る。
教室を出ても、執拗に絡んで来る群れ。
もう面倒で面倒で、子どもだけでは立ち入りを禁じられていた旧区まで、逃げた。
けれどその日は、妙にしつこい。
入り組んだ坂道で、持っていた本を引っ張られて抵抗した。
生意気だと罵った彼らに、体当たりされて、頭を打った。
痛かった。
別に小さなこぶが出来ただけだったけれど、多分、一生忘れられない。
いや、忘れたくない痛みだ。
そして、そこに現れる、教室では見かけない黒髪の少年。
「親に甘やかされて、図体だけ大きくなったような奴らなんて一蹴だったよ。後で訊いて納得したんだけどさー、フィーくん、お師匠さんに拾われるまでは路上で暮らしてたんだって。そりゃ強いよね」
連中が人間に進化し切れていない「動物」なら、彼は純粋に「獣」だった。
小柄な彼が集団を圧倒する様は、当時の捻くれたティントですら、ちょっと凄いと思ったくらいだ。
「それで、仲良くなったんですか。割と、普通ですね」
「えー、感動でしょ。全ガーデニアが涙するでしょ?」
まあ、実際はそこで美しい友情が芽生えたわけではない。
ティントは装置の電源を切った。
もう一度、負荷レベルを変えて実験を始める。
地道だ。
「…助けてなんて言ってない。正義の味方にでもなったつもり?」
「は?」
怪訝な顔をした彼女に、ティントは吹き出すように笑った。
あの時のフィルの顔も、多分一生忘れない。
「可愛くないでしょー。でもさ、ホントに、何様って思ったんだよね。いじめられてた可哀想な奴なんて、絶対思われたくなかったし」
「…………」
お礼言えなんて、言ってない。
見てんの気分悪いから殴っただけだし。
でも何それ、腹立つ。
フィルはそう言って、あの鳶色の瞳を不機嫌そうに細めた。
「言い返されてさー、その通りだと思ったよ。でも謝れなかった。代わりに、殴った」
「はい? 殴った? 仮にも助けてくれた子を?」
「そー。持ってた本の角で、頭を思いっきり」
がつん、と。
ティントは手ぶりで再現する。
流石に、そう出るとは想像出来なかったのだろう。
彼はあっさり、殴られてくれた。
痛かっただろう。
「唖然って感じだったよー。でもやられたまま黙ってる子じゃない。しっかり、同じとこを殴り返されたよ。律儀にね」
「………良くそれで、今も付き合いがありますね」
「ホントだよね、僕ら凄くない?」
「主に凄いのは、ご友人です」
確かに。
また、装置の電源を落とす。
もう少し威力を落とさないと、安定しないかも。
「しかもさフィーくん、僕を殴ったとこだけ、お師匠さんに見られてたんだよ」
助けた相手に殴られ、挙句、やり返しただけで師匠に怒られる。
フィルにしたら、踏んだり蹴ったりだ。
その後、彼が無駄に暴力を揮ったという濡れ衣は晴れたけれど。
「フィーくん、お師匠さんに頭押えつけられて、無理やり謝らせられてさー。あの不本意そうな顔、今思い出しても笑っちゃうよー」
「最悪ですね」
「っていう素晴らしい出逢いでね」
「どこが?」
素晴らしいでしょ?
ありきたりで、きらきらもしていない。
ごく普通の、出逢い。
僕ららしくて、素晴らしいじゃん。
「まー、今みたいに危ないほど仲良くなるには、もうちょっとだけ時間がかかったんだけどさー」
「…ディナルさんは、語学を勉強し直した方がいいかと」
「そう? フィーくんにもよく『何語喋ってる?』って言われるよー」
「褒めてませんから」
ティントはデータをまとめて、計算を始める。
やはり、まだ実用化は遠そうだ。
ただ一歩一歩、研究は着実に進めるもの。
欲を出して焦ると、碌なことにならない。
「でもちょっと、羨ましい気もしますけどね」
彼女は滅多に見せない優しい顔で、微笑んだ。
ティントは「そうでしょ?」と、強く頷く。
そうなんだ。
彼がうっかり死にかけたりしたら、頭真っ白になるくらいには、大切に想ってるんだよ。
「さー、じゃあ、感動の友情物語の後は、反発係数を調べまーす」
「別に感動はしませんでしたよ」
「またまた、泣きそうだったくせに」
ねえ、僕ら、試しに「友だち」にでもなってみる?
勇気を振り絞った、あの頃の僕。
彼は「えー」と意地悪く笑って、
お前、ホントに捻くれてる。
試しで良いわけ?
嫌とは、言わなかった。




