19、襲撃
フィルがリーゼの手を引いたのと、扉が開いたのは、ほぼ同時。
その向こうにいた人物は。
「――あ」
リーゼが、声を上げる。
彼女の肩越しに見えた人影は、嫌に姿勢が低い。
攻撃体勢だ。
ふわりと、ターバンの尾が翻った。
音も立てずに振り抜く手には、銀色に光るもの。
息を飲んだリーゼを引き寄せて、間に割って入った。
防御に翳した左の掌に、焼けるような痛み。
「フィルさ」
「リーゼ、殿下を。1032にコール」
「は、はいっ!」
背後へと逃したリーゼに指示を飛ばして、ホルダーから引き抜いた叡力銃を間髪入れず撃った。
彼は力を抜くような動きで、それを躱す。
この、至近距離で。
彼の背後、扉の向こうに護衛たちが倒れているのが見えた。
生きていると良いが。
「…レイさん、だっけ? 随分乱暴な訪問で」
この時期暑そうな、肌を隠す服。
そして、見慣れない柄のターバン。
襲撃者は。
リーゼが面影を辿った、野良の残党だった。
ウェルトットの時と違い此度は因果が読めないが、クラウスを狙って来たことは確かだろう。
「………」
彼は、無言でフィルを見た。
ゆったりとした服で隠されてはいるが、かなり小柄だ。
涼しげな目元には、驚くほど敵意がない。
けれど。
踏み込んで来る。
初動が、速い。
「…っ!」
撃ち放った叡力弾を、また避けられる。
銀閃を掻い潜って、その足元を払った。
彼は床に手をついて、ぱっと体勢を整える。
その手が、撓った。
刃が飛ぶ。
息をする間も、ない。
反射的に剣を抜いて、その銀色を辛うじて叩き落とす。
同時に、引き金を引いた。
右足。
バランスを崩したように見えたのは、一瞬。
斬りかかって来る。
受け流した剣が散らす、火花。
狙いを定めた叡力銃が、手の中で僅かに滑る。
銃口の先には、やはり静かな瞳。
殺気も、覇気も感じない。
「そろそろ止めねぇ? 俺もあんまり、後味の悪いことはしたくないんだけど」
「………」
沈黙、か。
フィルは、叡力カートリッジを入れ替える。
弾き出された色のないカートリッジが、音を立てて落ちた。
見慣れた赤が、揺れる。
ほんの僅かに、彼は瞳を細めた。
感情は読めない。
だが、それでも人間だ。
フィルは引き金にかけた指に、力を入れる。
彼の爪先が、床を蹴った。
やはり、動いた。
「先読みし過ぎ」
フィルは叡力銃を撃たなかった。
気付いたようだが、一拍遅い。
回避に転じた小柄な身体を、勢いをつけて蹴り飛ばした。
「…ぐ」
壁に叩きつけられて、彼は初めて声を上げた。
不意は突いたが、思ったより浅い。
刃を構え直した彼が、
吹っ飛ぶ。
ふわりと、ブロンドの髪が舞った。
飛び込んで来た姫の、容赦のない一撃。
椅子とテーブルを道連れに、彼は床を転がった。
そのまま、起き上がらない。
彼女は円月輪を、指先でくるりと回した。
「…良かった。間に合いましたね」
イリアは部屋の隅に退避していたクラウスたちを確認して、息を吐いた。
リーゼに庇われていたクラウスが、泣き笑いのような複雑な表情を浮べる。
「…姫」
「もう、大丈夫です。ご安心ください」
立場に錯誤があるが、まあ、これはこれ。
姫は手早くGDUに連絡を入れ、襲撃者を拘束する。
倒れていた護衛たちも、駆けつけた応援が介抱していた。
彼らも、どうやら生きてはいるようだ。
フィルは剣を収めて、叡力カートリッジを拾い上げた。
ぱた、と雫が落ちる。
リーゼが、慌てたように駆けて来る。
「フィルさんっ、血が」
「ああ、うん」
最初の攻撃で、斬られた掌。
傷自体は深くはない。
だがその手で叡力銃なんて使っていたものだから、なかなか凄惨な見た目になっている。
「大丈夫ですか!?」
「早く手当てを!」
青い顔をしたリーゼとクラウスを落ち着かせるように、「大丈夫だって」とゆっくり答える。
近寄って来た姫が、リーゼと代わるようにフィルの手を取った。
「出血はしていますが、見た目ほどの怪我ではありません。ですが、試合が心配ですね」
彼女は、眉を寄せた。
そういえば、試合。
「あー、いた! イリア先輩、コロシアムの人が探してましたよ? もう試合始まりますし、殿下も一緒に」
「いたいた! イリア先輩、もう決勝の点呼始まるみたいですよ? 殿下も、早く」
揃って部屋に駆け込んで来たのは、凪屋の色違いの姉妹だった。
彼女たちは明らかな戦闘の痕跡に、言葉を失って入口で固まる。
「アクア、アロア。詳細は後で。もう決勝が始まるんですね?」
「「え、は、はい」」
同じように言葉を詰まらせながら、姉妹は姫に頷いた。
イリアはフィルに向き直る。
そして、囁くほどの声で「ありがとう、ございました」と礼を口にした。
結果的に、彼女の『勝手』を聞いてしまった。
フィルは苦笑して、首を振る。
「救護室で止血はしてもらった方が、良いでしょう。ここは貰いますので行って下さい」
「了解です」
まだ青い顔をしているリーゼを呼んだ。
彼女はフィルの手を痛々しそうに見て、その袖口をそっと握る。
血で汚れるのも構わず、白い指先に力を入れた。
「フィルさんっ!」
クラウスに呼ばれて、フィルは振り返る。
「…すみません」
絞り出すような、謝罪。
彼が悪いわけではないのに。
影の射す表情を隠すように、クラウスは俯く。
「ご無事で、何よりです。例の『作戦会議』はまた、後ほど」
フィルの返事に、クラウスははっと顔を上げて、ようやく笑った。




